さくり、とした乾いた歯ごたえとともに、口の中に優しい甘みが広がる。唐板は、数百年続く老舗の門前菓子が残る京都にあって、最古参に名を連ねる煎餅である。材料は、小麦粉と砂糖、卵だけ。生地は、砂糖を溶いた水を煮詰めて飴状にしてから、小麦粉と卵などを加えながら練り上げている。それを銅板の一文字釜に載せ、短冊状に形を整えながら焼き上げるとできあがり。きつね色の焦げ目が、一枚一枚違う模様のようであり、京都ではちょっとしたお茶請けから、茶席の干菓子(ひがし)代わりとしても定評がある。

 この唐板だけを500年以上にわたってつくっているのが、上御霊(かみごりょう)神社(上京区、正称は御霊神社)前の水田玉雲堂(みずたぎょくうんどう)である。ずっと参詣の際の看板菓子として親しまれてきた店は、1477(文明9)年の創業の頃から昭和の戦前にわたり、境内で営まれてきたが、現在は門前の一角へと移っている。

 そもそも、初めて唐板がつくられたのはたいへん古く、863(貞観5)年にまで遡る。平安期に霊場であった神泉苑(中京区)で、疫病や災厄を祓うために行なわれた御霊会の神饌菓(しんせんか)が起源であり、短冊状の形は守り札としての当時の名残を今に伝えている。その後、1467(応仁元)年にはじまった応仁の乱によって唐板は一時途絶えた。しかし、戦乱が11年後に鎮まると、唐板は玉雲堂の祖先によって再興された。これが現代まで受け継がれてきたわけだ。

 京都で「先の大戦」というと、「応仁の乱をさす」、という京都らしい笑い話がある。しかし、西軍の陣地であった西陣周辺で石碑などの歴史遺産に目を向けると、当時の名残が随所に残っている。上御霊神社に鎮座する八柱の祭神には、奈良から平安にかけての政争の時代に、数奇な運命から悲運の生涯を終わった人が祀られている。また境内の御霊の森は応仁の乱の発端となった地である。古式の菓子「唐板」を味わいつつ、古代から中世に思いをはせてみるのも楽しい。

 

   

京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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