「東おとこに京おんな」と、これが日本男女の理想像だと初めて記したのは、福内鬼外(ふくうちきがい)こと平賀源内であった。浄瑠璃『神霊矢口渡(やぐちのわたし)』の第四段『道行比翼の袖(みちゆきひよくのそで)』では、「東男に都の女郎、いきと情けを一つに寄せて、色で丸めた恋の山、傍で見るさへ憎らしい、そりゃあんまり強すぎる……」と歌い上げており、現代にも聞き覚えのあるフレーズとして残っている。

 一方、「京おんな」ということばの初見は定かでないが、おそらく室町期の狂言『右流左止(うるさし)』だと思われる。都に上がった地方の男性が、京の遊女を「京おんな」と呼んだ。日本では江戸期に旅行記や旅行案内が盛んに出版され、それに歩を合わせるように「京おんな」を賞賛する多くの記録が登場している。

 例えば、滝沢馬琴の場合は『羈旅漫録(きりょまんろく)』(1803(享和3)年刊)で、「京によきもの三つ、女子、鴨川の水、寺社」と、なんとも率直に記した。井原西鶴『好色一代男』(1682(天和2)年刊)の場合は、京おんなの美容についてやや大げさに取り上げている。「貌は湯気に 蒸したて 手に指かねをささせ 足には 革踏(革足袋を)はかせながら 寝させて(寝る) 髪は さねかづらの雫(汁)に 梳きなし 身は洗い粉絶さす(からだは米糠の洗い粉で絶えず洗う)」。江戸後期の考証随筆『皇都午睡(みやこのひるね)』(西沢一鳳軒(にしざわ・いっぽうけん)著)には、「風儀神妙にして和やかに華奢なるを本体」とあり、江戸時代に流行っていた「柳腰」においても、「京おんな」の容姿が優れていると書かれている。

 歴史に名を残した「京おんな」も数多い。「紫式部」や「清少納言」、「小野小町」に「静御前」、そして「吉野太夫」などなど。京都の郊外から行商に来ていた「大原女」や「白川女」などの女性たちも美女で知られており、すでに平安期の頃から市中の一般女性にまで脚光があたっていたことには改めて驚かされる。


1960年代に二条城(中京区)で開かれた、きもののファッションショー。当時はこのような女性の髪型がたいへん流行した。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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