体外受精による「着床前スクリーニング」の臨床研究が始まった。2月14日に日本産科婦人科学会が発表したもので、体外受精でつくられた受精卵の染色体を調べ、変異がないものだけを子宮に移植するという。

 スクリーニングすることで、流産を予防し、妊娠率や出産率を引き上げるのが研究の目的だが、染色体に変異のある受精卵を作為的に排除することは命を選別することになる。そのため、今回の臨床研究には大きな懸念の声も上がっている。

 体外受精は、ヒトの卵子と精子を体の外で受精させて子宮に移植する不妊治療のひとつ。しかし、体外受精した卵子を子宮に入れても必ず妊娠するわけではなく、妊娠しても流産を繰り返すケースもある。原因のひとつとして考えられているのが染色体の変異だ。

 染色体は、人を形づくる遺伝子の情報を伝達するもので、通常は2本1組のものが23組ある。ただし、卵子や精子が分裂したり、受精卵が成長したりする過程で何らかの異常が起こると、1組の染色体が1本になったり、3本になったりすることがある。

 今回、新たに行なわれる臨床研究では、体外受精した受精卵を培養皿で育てる過程で染色体の数を調べ、1組2本の染色体をもつ受精卵だけを選んで子宮に移植する。

 対象は、女性が35~42歳のカップルで、「過去に3回以上体外受精しても妊娠しなかった」「原因不明の流産を2回以上経験した」という人のなかから、まず50組を予備的な研究対象とする。受精卵のスクリーニングをしないで、選別なしに子宮に移植した場合と妊娠や出産、流産の割合を比較し、その結果を踏まえて本格的な研究を始めるという。

 すでに欧米では着床前スクリーニングは実施されるようになっており、不妊や流産の確率を減らせるという研究結果もある。不妊や流産に悩んでいるカップルには朗報だが、倫理面では大きな問題をはらんでいる。

 着床前スクリーニングは、超音波診断(エコー)や羊水検査などの出生前診断と異なり、子宮に移植する前の受精卵の段階で染色体数が1組2本以外のものを排除する。

 だが、染色体が1組2本以外の受精卵が、すべて着床しないわけではない。たとえば、21番染色体が3本あるとダウン症候群となるが、そのすべてが流産しているわけではなく、元気に生まれて天寿を全うしている人もいる。

 また、性別を決定する性染色体のうちX染色体が2本以上ある男性はクラインフェルター症候群となるが、流産しないで成長しているケースもある。クラインフェルター症候群は無精子症になることが多いが、大人になって結婚した場合、体外受精で子どもを授かることも可能で、その子どもにクラインフェルター症候群が遺伝する確率は低いといわれている。

 染色体の数や構造に違いのある受精卵が流産する確率が高いのは事実だが、多様な染色体をもって生まれて、その人らしい生を全うしている人がいるのだ。

 着床前スクリーニングで「異常」と決めつけ、1組2本以外の染色体をもつものを受精卵の段階ですべて排除することは、多様な染色体の形をもつ人が生まれる機会を奪うことになる。それは、障害の有無などによって人に優劣をつけようとする優生思想につながりかねず、多様な人々を包摂する社会を否定することにもなる。

 日本産科婦人科学会は、研究の有用性とは別に倫理面の検討も行なうとしている。だが、一度始まってしまうと、検査の範囲は染色体の変異だけではなく、さまざまな病気や障害に関係する遺伝情報にまで広がる可能性もある。そうなれば、生まれることを拒否される命はさらに増えることにもなりかねない。

 命の誕生という神の領域を、人間が作為的に手を加えた世界には何が待っているのか。どうしようもない不安を覚えるのは、筆者だけではないだろう。
   

   

ニッポン生活ジャーナル / 早川幸子   


早川幸子(はやかわ・ゆきこ)
水曜日「ニッポン生活ジャーナル」担当。フリーライター。千葉県生まれ。明治大学文学部卒業。編集プロダクション勤務後、1999年に独立。新聞や女性週刊誌、マネー誌に、医療、民間保険、社会保障、節約などの記事を寄稿。2008年から「日本の医療を守る市民の会」を協同主宰。著書に『読むだけで200万円節約できる! 医療費と医療保険&介護保険のトクする裏ワザ30』(ダイヤモンド社)など。
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