「もみじ(紅葉)」といえば、紅く色づいた秋の楓(かえで)を思い浮かべるものだが、「青もみじ」とは、春の若葉からどんどん深みを増す、緑の若い楓のことをいう。日本には「楓」の品種が実に25種類以上もあり、そのうち「もみじ」と呼ばれているのは、紅い色づきが特に綺麗な品種だけだといわれている。そして、「もみじ」の名所は、初夏の「青もみじ」においても見事な姿を見せてくれるのである。

 透き通るような「青もみじ」とさらさら軽やかな竹林、地表には、満ち溢れた苔の深い緑が京都の初夏を包み込む。特に入梅の頃になると、独特のしっとり感に惚れ込んで、この季節ばかり訪ねてくる旅行者が少なくない。山際にある寺院は、どこも格別な自然の姿を見せてくれる。筆者が初夏によく散策に出かけるのは「長坂越え」である。

 「長坂越え」は、京の七口の一つである鷹峰(たかがみね、北区)の長坂口を基点とし、日本海側の若狭へと続いている古道である。鷹峯からしばらく「北山杉」の林を抜け、京都市内や「大文字送り火」の「舟形(西賀茂船山)」を一望できる「京見峠」を越える。さらに、丹波への分岐点となる杉坂へ進むと、「青もみじ」や「北山杉」の古木が素晴らしい道風(とうふう)神社(別称・武明(たけのみょう)神社)や地蔵院が現れる。道風神社は平安期の名書家の一人、小野道風を祀ったお社で、自然と一体になったような様子が心地よい所だ。

 この道は、かつて若狭の海産物や丹波の農産物が都まで運ばれてきた重要な物流ルートである。一方、『源平盛衰記』や『太平記』、中世の合戦記などにも、都へ向かう軍勢の要衝としてたびたび登場している。また、本阿弥光悦の芸術村として知られる鷹峰周辺は、古くは「栗栖野(くるすの)」と呼ばれ、天皇が鷹狩りなどを楽しんだ場所でもあるのだが、豊臣秀吉の時代には、洛外に位置づけられていたため、山賊や追い剥ぎなどが出没する危険な場所だったとか。近代には林業が盛んであり、山道の途中には、昔の貴重な杣道(そまみち)やキンマ道(木材搬出用の木道)の痕跡が残る。長い歴史をさまざまに映し出す京都の古道の代表である。


長坂越えでは、江戸時代から営業していたという京見峠茶屋が、数年前に閉店したことが残念でならない。朝、主人が釣った鮎を提供したり、つきたての餅で善哉を出したり。ご子息が再開を目指している、という噂を聞いた。ぜひ、がんばっていただきたい。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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