五日市憲法草案は、明治時代に民間人が有志で作った私擬憲法のひとつで、多摩地方の平民出身の自由民権家たちによって起草された。

 起草のきっかけとなったのが、1880(明治13)年11月10日の第2回国会期成同盟大会だ。ここで憲法の起草が議論されて、翌年の大会に憲法草案を持ち寄ることが決定。全国各地で私擬憲法が作られた。しかし、翌1881年10月に国会開設の詔勅が出され、同盟大会が流れてしまったため、私擬憲法の審議は中止され、五日市憲法草案も陽の目を見ることはなかった。

 長くその存在は知られることがなかったが、1968(昭和43)年に東京都西多摩郡五日市町(現あきる野市)の民家の土蔵で「日本帝国憲法」と題された私擬憲法が発見された。それが、五日市憲法草案だ。

 全204条で構成された私擬憲法で、そのうちの150条ほどが国民の権利に関する規定だ。とくに第二編の「公法 第一章 国民権利」では、36条にわたって基本的人権を保障する項目が並んでいる。

 たとえば、四五条では「日本国民ハ各自ノ権利自由ヲ達ス可シ他ヨリ妨害ス可ラス且国法之ヲ保護ス可シ」と、国民の権利と自由を法をもって保障することがうたわれている。

 また、七一条では「国事犯ノ為ニ死刑ヲ宣告サルヽコトナカル可シ」と、政治犯への死刑の禁止を宣言している。

 このように五日市憲法草案は、同時期に作られた私擬憲法とは異なり、国家のなかで生きていくうえで、個人がもっとも大切にされるべき基本的人権の尊重に重きをおく内容となっている。ほかにも、教育の自由の保障や教育を受けさせる義務、法の下の平等など民主的な項目も記されており、自由で平等な社会を目指していた庶民の熱い思いをくみ取ることができる。

 起草に携わったのは、千葉卓三郎など20代から40代までの多摩地方の民権家だ。農民や小学校の教員など平民出身者が議論を尽くした末に作られたもので、この点でも当時としては画期的なことだった。

 この五日市憲法草案が、再び注目されるきっかけになったのが美智子皇后のお言葉だ。

 2013年10月20日、79歳の誕生日を迎えた美智子皇后は、宮内記者会からの質問に寄せて五日市憲法草案について触れられたのだ。

 前年の1月に天皇陛下と東京都あきる野市の五日市郷土館を訪れた美智子皇后は、展示されていた草案の原本をご覧になられた。そして、基本的人権尊重を手厚く保障する五日市憲法草案を「世界でも珍しい文化遺産」と評し、記者会への回答で感銘の意を表したのだ。

 宮内記者会の質問は「この1年、印象に残った出来事やご感想をお聞かせください」というものだ。それに対して、あえて1年以上前の視察について語られたのはなぜなのか。

 当時は、政権交代が行なわれて自公が与党に返り咲き、憲法に対する議論が激しさを増していた頃だ。憲法改正を目指す自民党の憲法草案には、基本的人権や平和主義を否定する内容が含まれている。

 こうした流れに憂慮の念を抱いて、美智子皇后があえて1年以上前の出来事を語ったと考えるのはうがった見方だろうか。

 近年、国民の知る権利を制限する特定秘密保護法、集団的自衛権の行使を可能にした安全保障関連法など、国民の権利を狭め、平和主義を否定するような法律が自公政権のもとで次々と成立している。今国会で成立の可能性が強い共謀罪もしかりだ。

 こうした法律は、現行憲法に照らし合わせて、果たして「合憲」といえるのだろうか。憲法は、国民の権利と自由を守るために、国家権力にしばりをかけるものだ。その憲法が、権力の前でなし崩し的になっている現状を、五日市憲法草案作りに携わった人々はどう思うのだろうか。

 現在の私たちの自由は、明治から脈々と続く民衆思想のなかから勝ち取ってきたものだ。5月3日は、「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」という三大原則をもつ現行憲法が施行された記念日だ。

 明治の荒波のなかで、自由と平等な社会を目指した若き民権家たちに思いをはせるとともに、今ある自由と権利について今一度考えてみたい。
   

   

ニッポン生活ジャーナル / 早川幸子   


早川幸子(はやかわ・ゆきこ)
水曜日「ニッポン生活ジャーナル」担当。フリーライター。千葉県生まれ。明治大学文学部卒業。編集プロダクション勤務後、1999年に独立。新聞や女性週刊誌、マネー誌に、医療、民間保険、社会保障、節約などの記事を寄稿。2008年から「日本の医療を守る市民の会」を協同主宰。著書に『読むだけで200万円節約できる! 医療費と医療保険&介護保険のトクする裏ワザ30』(ダイヤモンド社)など。
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