「行者さん、会わはった?」いつもの散歩道で、顔見知りが話しかけてくる。「行者さん」とは、比叡山延暦寺の千日回峰行を行なっている回峰行者のことだ。修行が始まると、回覧板などで告知されているわけでもないのに、地域の人には噂が広がる。とはいえ、我々の関心事は専ら、近所の散策で「行者さん」と行き会って拝ませていただき、できることならその場で、加持(災いを除くために祈ること)をしていただけたら、と願っているのだ。

 回峰行者は、蓮の葉が二つに丸まったような形をした細長い編み笠(蓮華笠という)を頭にかぶり、人が死ぬときの白装束に草鞋(わらじ)履きという出で立ちで、比叡山の峰々を巡り、礼拝している。それは7年間にわたる命がけの修行だ。

 最初の3年間は、1年の100日を比叡山山中に定められた260箇所以上の場所を連日30キロあまり歩き、礼拝を続ける。その次の2年間は1年のうち200日をこの礼拝にあてる。そして5年間を終えた行者は区切りを迎え、もっとも過酷な修行に入る。これは「堂入り」といい、9日間にわたり、断食、断水、不眠、不臥(ふが)で不動真言を唱え続けるのである。そして、6年目は100日間にわたり、1日約60キロの行程を巡り、礼拝する。最後の7年目は200日の行程だ。まず、100日間を「京都大廻り」と呼ばれる比叡山山中から京都市街地を含めて礼拝して歩く。1日に巡る距離は84キロに及ぶという。最後の100日間は、最初に巡った約30キロの道を再び廻って礼拝し、回峰行が満行(まんぎょう)となる。この千日回峰行に取り組む間に、「行者さん」は堂入りを終えた段階で高僧「阿闍梨(あじゃり)」となり、満行すると、特別に徳の高い「大阿闍梨(だいあじゃり)」と呼ばれるようになる。噂によれば、2017(平成29)年に回峰行に取り組んでいる修行僧は6年目で、この6月は「京都大廻り」を行なっているそうだ。

 千日回峰行は、平安前期の天台宗の僧、相応和尚(そうおうかしょう)が開祖とされている。山川草木(さんせんそうもく)ことごとくに仏性を見いだし、礼拝して歩くこと。それは、常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)の精神に通ずるという。腰に死出紐(しでひも)と降魔(ごうま)の剣を身につけ、死を決意して荒行にのぞむ姿を見ていると、すれ違うとき、我々は自然に手を合わせたくなるのだ。


比叡山の山中で千日回峰行に取り組む回峰行者の様子。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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