「鹿ヶ谷かぼちゃ」は、ひょうたんのような面白い形をした比較的大型のかぼちゃで、京都特産の野菜である。一般的な「黒皮かぼちゃ」とは形のほかに色が違い、熟してくると果皮が茶褐色になる。肉質は緻密で甘味があり、光沢にも優れるので料理すると見映えがする。しかし、今日では伝統食として、細々と栽培されるに過ぎなくなってしまった。その理由は、おいしくて見た目がよいのが、ひょうたん形の下側だけで、上の部分の味がよくないから。それでも昨今は、形の面白さも手伝って、このかぼちゃを使って新たな料理に挑戦する割烹や飲み屋も増えたようだ。

 そもそも鹿ヶ谷とは、お盆の送り火「大文字焼」で有名な如意ヶ嶽(にょいがたけ)の麓から、西側にある吉田山(左京区)にかけた地域のことをいう。中世には貴族の別荘や寺院が数多く営まれていた場所である。この地名は、平安初期の僧・円珍が、この辺りを訪れた際に一頭の鹿に道案内されたという逸話に由来する。

 この鹿ヶ谷にある安楽寺(左京区)では、毎年7月25日に「中風まじない鹿ヶ谷かぼちゃ供養」を行なっている。夏の土用の頃に寺院で煮炊きした「鹿ヶ谷かぼちゃ」を食べると、中風にならないという言い伝えがあり、200年以上も前から続いている行事である。

 寺伝によると、鹿ヶ谷かぼちゃが誕生したのは、江戸中期の寛政年間のこと。陸奥国の旅みやげとして、かぼちゃの種をもらった鹿ヶ谷の住人、庄米兵衛が、この種を栽培したところ、突然変異のためにひょうたんの形をした珍しいかぼちゃができるようになったと伝えられている。

 昭和の初め頃までは、京都のかぼちゃといえば「鹿ヶ谷かぼちゃ」という時代があったそうだ。その頃を知る人に聞いてみると、このかぼちゃを炊いた料理が、お盆のお供えに欠かせないものだったと口を揃えていう。今でも仏壇に鹿ヶ谷かぼちゃをお供えしている様子をよく見かけるのは、その頃の名残なのだろう。

 

   

京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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