7月18日、聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんが、105歳で亡くなった。100歳を超えてもなお、医療者としての務めを全うしていた氏の功績をたたえる声は大きい。

 だが、今年はもうひとり、民衆のために尽力した老医師が亡くなったことも忘れてはならない。「被爆医師」として、その生涯を被爆者や貧しい人々の医療に捧げた肥田舜太郎さんだ。享年100歳だった。

 広島陸軍病院に赴任していた肥田さんは、1945年(昭和20年)8月6日にアメリカが投下した原子爆弾に被爆。その直後から救護にあたり、被爆者のための治療に奔走した。

 戦後は、貧困な人々のために関東地方で診療所を開設する一方、全国の被爆者の医療相談も継続。その臨床経験から、内部被曝や微量放射線、低線量被曝の健康被害について研究し、その危険性を訴えてきた。

 1975年以降は、原爆による被害の実態を多くの人に知ってもらうために、欧米各国で講演会を開催。2009年に医業からは引退したが、その後も核廃絶のための活動を精力的に行なってきた。

 2011年3月11日の東日本大震災を契機とする東京電力福島第一原子力発電所の事故に際しても、国民の求めに応じて全国で講演を行ない、放射線による体への影響を解説すると同時に、反核と平和を訴えていた。

 広島と長崎。日本に2つの原子爆弾が投下されてから、72回目の夏がやってきた。この間、被爆者への医療を行ない、核のない世界を心から願っていた医師は、その実現を前にこの世を去った。

 7月7日、国連で核兵器の使用や開発、実験、生産、製造、保有などを禁止する核兵器禁止条約が採択された。だが、日本政府は「建設的かつ誠実に参加することは困難」として交渉会議への不参加を表明するという残念な経過をたどっている。

 72年前の夏、広島と長崎がこの世の地獄と化したのは、まぎれもない事実だ。あのような不幸な歴史を世界中、もうどこの国の人にも味わわせてはならない。その反省をもとに、日本国憲法の前文でこう決意したのだ。

 「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

 核廃絶に向けたリーダーシップをとり、核のない世界を実現すること。それが、唯一の被爆国に生まれた私たちに課されたミッションのはずだ。肥田さんたち先達から受け取った平和のバトンを、しっかりと次の世代につなげていきたい。
   

   

ニッポン生活ジャーナル / 早川幸子   


早川幸子(はやかわ・ゆきこ)
水曜日「ニッポン生活ジャーナル」担当。フリーライター。千葉県生まれ。明治大学文学部卒業。編集プロダクション勤務後、1999年に独立。新聞や女性週刊誌、マネー誌に、医療、民間保険、社会保障、節約などの記事を寄稿。2008年から「日本の医療を守る市民の会」を協同主宰。著書に『読むだけで200万円節約できる! 医療費と医療保険&介護保険のトクする裏ワザ30』(ダイヤモンド社)など。
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