前回はお盆の「迎え鐘」の風習が残る、六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)と六道の辻の話を紹介した。その六道珍皇寺の近くには、「食べると出世する」という縁起物の飴があり、「幽霊子育飴」と呼ばれ親しまれてきた。なんとも空恐ろしい名がつけられた飴であるが、それは、まもなく江戸時代になろうとする頃に六道の辻で起きた、ある事件に由来する。

 1599(慶長4)年のことである。飴屋「みなとや」に、夜な夜な女が現れ、飴を買っていくようになった。その女が来た日は、店の銭入れに木の葉が交じるようになったそうだ。飴の代金が木の葉に変じていたので店主は女を疑い、ある夜、女の跡をつけてみることにした。だが、墓場に行き当たったところで、女を見失ってしまう。すると、墓の中から赤ん坊の泣き声が聞こえてきたという。店主が泣き声の主を探そうと住職に頼んで墓を掘り返してみると、赤ん坊が見つかり、その傍らには女の亡骸があった。赤ん坊は女が死んだあとに生まれた子で、女は赤ん坊のために飴を買いに来ていたのだ。それ以来、女が飴を買いにくることはなくなった。赤ん坊は、といえば、店主が寺に預け、立派な僧侶に成長したという。このような事件が起きたことから、いつしかこの飴は「幽霊子育飴」として知られるようになったそうだ。

 およそ400年も前に売られていた飴というと、おそらく江戸期になってから人気が出た麦芽(ばくが)水飴ではないか、と想像する。現在も、みなとやでは昔ながらの製法にこだわり、水飴と砂糖だけで飴を練り、それをトンカチで砕いて自然な形のまま販売している。琥珀のような綺麗な色をした飴を口に含むと、すっきりとした甘さが広がる。それはなんともいえない懐かしい感じのする味なのである。

 

   

京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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