よもやま句歌栞草

「都市」「食」「恋」などといったさまざまなキーワードを採り上げ、それをモチーフとした俳句や短歌を鑑賞していきます。

中村 裕(俳人・編集者)

Vol.2

一茶に「淋しさに飯を喰ふ也秋の風」という句がある。ものを食べることは衣食住の中でも、人間の生存に欠かせない最も大切な行為。淋しさに身を苛まれるような日であっても、食べるものは食べなきゃというのが、人間存在の厳然たる宿命である。太祗には「淋しきに飯を焚かうよ新米を」という句もある。

しかしそれも食物があったればの話で、凶作による飢饉ということになれば悲惨である。「日本書紀」に記録されている欽明天皇28(567)年の飢饉をはじめとして、今日まで500回余りの飢饉の記録が残っているという。「凶作」は季語にもなっているのだが、高浜虚子編の『新歳時記』(昭和9年 三省堂)には「豊年」は載るが、「凶作」は見当たらない。昭和6(1931)年と9(1934)年の凶作は2・26事件の遠因になったといわれているが、そういった時代を背景に、国家権力をはばかったためであろう。しかし飽食の時代といわれる現在、世界的には深刻な食料不足が心配されながらも、もはや身の回りに飢餓という言葉を聞くことは少ない。「鮓おすや貧窮問答口吟み〈竹下しづの女〉」、「清汁〈すまし〉椀の見込真赤や飢餓遠し〈三橋敏雄〉」。

人間生存に不可欠な行為であり、穀物、魚介類、加工食品、料理、飲料、和菓子などの多くが季語になっていながら、食物や食べる行為をテーマにした名句というのは案外に少ない。あまりに形而下的に過ぎるのだろうか。ともあれ明治以降の作品をみていこう。

美しき緑走れり夏料理星野立子 星野立子は高浜虚子の次女で、父の教えを体現するかたちで女性俳句隆盛のさきがけとなった。なにしろ父の教えが絶対なので、俳句づくりには何の迷いもない。その無防備とさえいってよい率直で屈託のない句風は、自意識の目覚めを俳句表現に求めていった女流俳人も多かった当時、異色といってもよかった。掲出句はそんな立子らしさが申し分なく発揮された作品。驚くのはこの句のつくられたのは、食糧難の昭和19年。こんなところも立子らしい。

ところてん煙のごとく沈みをり日野草城 「ごとく」や「ように」を使った比喩表現は、一句中における言葉の凝集力を弱めるため、使うのを躊躇する俳人は多い。しかしこの句では、ところてんらしさを引き出すのに、「ごとく」が効果的に働き、いかにもふさわしい。「清滝の水汲ませてやところてん〈芭蕉〉」や「順礼のよる木のもとや心太〈其角〉」もよく知られたところてんの句。

約束の寒の土筆を煮て下さい川端茅舎 昭和16年、44歳で亡くなる半年前につくられた句である。前書からすると、茅舎が指導していた句会の会員の夫人との間に、寒の土筆を煮てあげるといった約束があったことが知れる。病床にあるものの甘えるような口ぶりを借りた大胆な口語調が、いっそう切なさを増す。

桃食べて訃のこと再び口にせず阿部みどり女 ある人の訃報が話題になっていたところに、桃が饗されたのだろう。ふくよかな桃の甘さを堪能しているうちに、人の死やこの世の不幸などを口にするのに嫌気がさしてきたのだ。それはもの食べる人間の生理の業というものだろう。西瓜を食べた場合は「西瓜食べてみな正直に齢を言ふ 中村明子」ということになるのもわかるような気がする。

子を抱けりちりめんざこをたべこぼし下村槐太 我が子を膝にのせての食事風景だろう。鰯などの稚魚は白いので白子というが、それをさっとゆでて、干したものが白子干。海岸などにそれを干した様が布の縮緬に似ているので、縮緬雑魚〈ちりめんじゃこ〉ともいうのである。じっとしていない子供のために、箸にとったそれを思わずこぼしてしまったのである。何気ない日常のひとこまのようだが、食を通しての人生の寂寥感がしっかり押さえられている。「死にたれば人きて大根煮きはじむ」が最も名高いが他にも「目刺やいてそのあとの火気絶えてある」「何もなく酢牛蒡に来し日のひかり」など食をめぐっての名作が槐太には多いが、生涯、貧困の中に生きたところからくるものかもしれない。

無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ橋本夢道 自由律プロレタリア俳句派の作者の面目躍如たる一句。敗戦直後の貧しい暮らしの中、細かくやりくりして、毎日「馬鹿げたもの」を食卓に出してくる妻への愛情を反語的に表現した。作者は銀座の蜜豆店「月ヶ瀬」で、あんみつを考案し売り出し、そのポスターに「蜜豆をギリシャの神は知らざりき」「人間やイヴは林檎を二つ食べ」というコピーを書いたことでも知られる。

湯豆腐やいのちのはてのうすあかり久保田万太郎 万太郎は小説家、劇作家として成功するが、その文名を今日に伝えているのはこの句を代表作とする俳人としてではないだろうか。死の半年ほど前の作で辞世の句というわけではないが、内容的には彼の一生の行きついた果てを象徴しているようでもある。やっといっしょになれた愛人にも先立たれ、一人孤独を噛みしめている万太郎。湯豆腐を挟んだ向こう側には愛する人が坐っていたはずなのである。「鮟鱇もわが身の業も煮ゆるかな」にも孤影が濃い。

父祖哀し氷菓に染みし舌出せば永田耕衣 耕衣は東洋的思惟に基づいた融通無碍な独自な俳句理論から、多くの独創的な作品を世に送った。この句は、氷菓(アイスクリームやアイスキャンディーの類)で冷えきった舌をぺロッと出してみたところ、なぜだか父祖を哀しむ感慨が起きたというだけなのだが、不思議な説得力がある。石田波郷は「大の大人が氷菓を食つた舌をペロツと浮世に現はすといふ姿態を思へば、父祖哀しと詠ふ心が覗ける」と発表当時、この句を評した。

食事暑し絶対割れぬ椀と皿山本紫黄 句意は単純明解である。確かにプラスチックや金属性の割れることのない食器での食事は、神経の使い方がラフになってしまい、はた目にもそのものを食べることだけに集中した姿は暑苦しいだろう。石橋辰之助に「秋風に食へよ食器に音をさせ」という句があるが、こちらは涼しそうだ。

食ふ肉と滅びあふ身ぞ空のあを三橋敏雄 今、食べている肉にもかつては生命が宿っていた。現在の生命を維持するためにそれを食べている人間もいずれ死ぬさだめ。ともに滅びていくのである。敏雄には食を通して人間存在の哀感を詠った名作が多い。「こぼれ飯乾きて米や痛き秋」「枝豆の食ひ腹切らばこぼれ出む」「啓蟄や歯に付く噛み菜まつさをに」「空豆の尻か頭か口あそび」。

牛乳を白く白く飲む自由ナムーラミチヨ 意表をついた句だが、この自由は牛乳の白さと一体化していく喜びだと解せば、作者のポジティブな生命観がうかがえて、面白い。原石鼎に「ぎくぎくと乳のむあかごや春の潮」という句がある。

わがまへにどんぶり鉢の味噌汁をすする男を父と呼ぶなり辰巳泰子 味噌汁はごくごく卑近な日常の食物なので、斎藤茂吉などは親しみを込めて、繰り返し歌っている。しかしお椀ではなく丼鉢の味噌汁となると、少々荒涼たる風景に見えてくる。それが作者の捉えた現代の日常性ということなのだろう。その現代の荒々しい日常においては、父も男というものの一人にしかすぎないのだ。

2003-06-23 公開