よもやま句歌栞草

「都市」「食」「恋」などといったさまざまなキーワードを採り上げ、それをモチーフとした俳句や短歌を鑑賞していきます。

中村 裕(俳人・編集者)

Vol.18

旅と俳句は、ジャンルにおけるテーマといった関係を越えた深い関わりがある。芭蕉の存在があるからである。その後半生の流離漂泊の旅において、彼は旧来の俳句(俳諧)を脱した蕉風俳句を確立していくのである。芭蕉が敬愛した西行、宗祗といった先人たちにおける旅の重要性もいうまでもない。したがって近・現代俳句の流れの源には、旅というものが大きく関わっていたと考えていいだろう。旅は一時的ではあっても定住社会からの離脱だから、それがもたらす心の自由さを求めて、詩人たちが漂泊を重ねたのはわかりやすいことだ。しかし事はそれほど簡単ではないことは上田秋成の芭蕉批判(『胆大小心録』など)などをみても明らかで、秋成は乱世ならまだしも、この太平の世に漂泊隠者を気取ってなんになる、と手厳しい批判を投げかけている。確かに芭蕉の旅にはつくりものじみた感じが終始つきまとう。このことは、吟行に名をかりた観光俳句ばかりが氾濫する現代の俳句にとっては、もっと深刻な問題なはずである。この辺りの問題を軸に作品を見ていきたい。

しんしんと肺(あお)きまで海の旅篠原鳳作 新興無季俳句の記念碑ともいうべき鳳作の代表作。青海原をゆく船のデッキの上で心地よく海風を受けていると、肺の中まで海の青さに染まっていくようだというのである。色彩の鮮やかさ、それを切り取る感覚の新しさも当時(昭和9年)にあっては、きわめて斬新であった。「陸の旅」では、この斬新さは生まれなかったであろう。

旅なれや牛が飲みたる清水掬む石田波郷 旅の途次、道端の清水で喉を潤したが、それは牛も飲むものだったという句意。普段の日常ではしないようなこと、できないようなことが、旅の恥は掻き捨てというわけではないが、旅においては思わずしてしまうことがある。旅にある解放されたような気分をよく伝える。

旅淋し(なずな)咲く田の涯知らず阿波野青畝 春の七草の一つの薺が休んでいる田んぼか畑にどこまでも一面に咲いているのである。薺はきわめてありふれた草だから、普段だったら、それを見て感傷的になるなんてことはないかもしれない。日常から離れた旅中だからこそさびしく感じるのだ、というだけでは弱い。薺咲くこの田にもそこに住む人々の営みがあるわけで、そのことが異郷にあることを、より強く感じさせるのである。

移民船冬空へ旗ちぎれ飛び五十嵐播水 江戸時代までの旅にくらべ、観光旅行が主体の現在の旅はずいぶん気楽なものになった。しかし今でも生命や生活を賭した旅がなくなったわけではない。たとえば移民というかたちの旅である。1960年以降は急激に数は少なくなったが、それ以前、徳川幕府が家光以来の海外渡航の禁を解いた1866(慶応2)年から戦前までの日本人の移民数は、旧満州への移民(32万人)を含めると約110万人(『日本大百科全書』)にのぼる。その移民の旅は、再び祖国の土を踏むことはできないかもしれないという悲壮な覚悟の上のものだった。それを冬空へちぎれ飛ぶ旗が象徴する。

黍かんで芸は荒れゆく旅廻平畑静塔 この句の旅もけっして気楽なものではない。旅芸人の旅もやはり物見遊山ではない生活のかかったシリアスなものなはずだ。旅費をうかすための徒歩の旅なのか、無聊を慰めるための黍をかみながらの、そのふて腐れたような歩みが目に見えるようだ。

ねむりても旅の花火の胸にひらく大野林火 自註などから、この花火は旅の途中、列車の窓から遠望したものであることがわかる。昭和22年の作だから、戦時中久しく絶えていた花火をしばらくぶりに目にしたという心の高ぶりもあったのだろう、そのはかなくも美しい花火は寝ついてからも、何度も胸の上に開くのである。

ふるさとに来て旅愁はも菜の花黄中村苑子 懐かしい故郷に久しぶりに帰ったのに、この旅愁といってもよいわびしい思いはなんなのだろうというのである。懐かしいというだけの感情には収まりきれない何か。それには故郷を離れてからの過ぎし日々への思いも重なっているのだろう。この複雑な思いを「菜の花」だけでなく、「菜の花黄」とあえて言って表わそうとしている。

男の旅岬の端に佇つために桂信子 精神分析ならばペニセンビィ(ペニスを持たない女性が男性に抱く抑圧された羨望)の現れというだろうか。岬や半島は突出したものということで男性の象徴とされているし、しかもその先端だというのだから。それはそうとしても、このように言い切られると、さまざまなところへ思いがとぶ。短詩型文学の面白さだ。長谷川久々子(くぐし)に「模糊として男旅する薄氷」という句がある。こちらは対照的に男の旅に模糊としてなんだかよくわからないものを感じている。それぞれの男性観の表れか。

旅かなし銀河の裏を星流れ野見山朱鳥 銀河の裏を流れる星も旅をしていると捉えた。しかしこの地球上を旅するわれわれ人間も宇宙を旅する流れ星も旅をするということでは同類だといわれても、旅そのもののスケールを一挙に広げてみせてくれたと感じないのは不思議だ。かえって小さくなったようにさえ感じるのは、旅愁というものの本質からくるものなのか。そこに作者のねらいがあるのかもしれない。

玄冬の川を見てゐることが旅鳥居真里子 「こと」が眼目。旅にはさまざまな具体的な目的があるだろうが、このように行為を目的やテーマとすることはあまりないだろう。しかし現代の観光主体の緊張感を失った旅においては、必要なことなのかもしれない。でも作者はあらかじめこの事態を想定していたわけではないだろう。たまたまこの川のほとりに来て、じっと川面に見入っている自分を発見したのである。このために自分は旅立ったのだという感慨である。

初旅や嵐の好きな一家族遠山郁好 今年初めての家族旅行。ところが折り悪しく嵐の到来である。しかし旅館から出られなくてがっかりするどころか、みんななんだかうきうきして楽しそうだ。日常を離れたうれしさに、嵐という非日常の現象も重なって、旅の気分はいやが上にも盛り上がるのである。

幾山河越えさり行かば寂しさの()てなむ国ぞ今日も旅ゆく若山牧水 旅の歌といえばまずこの歌が思い浮かぶ人が多いだろう。でも案外この歌意をちゃんと理解している人は少ないように思う。牧水がいっているのは、いくつの山河を越えて行けば、寂しさというものがなくなる国があるだろうか、いや寂しさの存在しない国なんてあり得ないんだといっているのである。

2004-02-23 公開