よもやま句歌栞草

「都市」「食」「恋」などといったさまざまなキーワードを採り上げ、それをモチーフとした俳句や短歌を鑑賞していきます。

中村 裕(俳人・編集者)

Vol.21

土地、地面に関した季語としては四季を冠したそれぞれの「野」や「野原」、「末黒野〈すぐろの〉」「焼野」「枯野」といった野の様態をいったもの、それから田んぼである。稲作は日本の農耕の根幹であり、日本人のキャラクターをつくってきた重要な要素であるから、四季にわたる田んぼを「春田」「水田」「青田」「旱田〈ひでりだ〉」「稲田」「刈田」とさまざまに細かく言い表してきた。日本人にとって「地」はまずなんといっても恵みをもたらすものとしてあった。「野」であっても、大地を駆けめぐった狩猟採集時代を思えば、やはりそれは恵みをもたらすものであった。しかし農耕という生産手段に基づいた定住社会の始まりは、一方で環境破壊の開始でもあり、また土地の占有をめぐっての醜い抗争の開始でもあった。つまりは生産と破壊というあい矛盾する営みを大地に記してきたのが、地上生活者であらざるを得ない人間の歴史であったといえるのである。そのような「地」における人間の営みは、さまざまな複雑な思いを人間に抱かせてきた。その一端を「地」を詠んだ俳句でみていきたい。

蟋蟀(こおろぎ)が深き地中を覗き込む山口誓子 超ズームのカメラレンズで見た時のようなこの不安感。読者は蟋蟀といっしょに「深き地中」を覗き込まざるを得ない。そこには底の知れない黒々とした深淵があるばかり。ミニマムの蟋蟀とマクシマムの大地の対比が効果をあげるが、われわれ読者は明らかに蟋蟀の側にいる。大地に較べれば、蟋蟀も人間も大差はないのである。そのことがまた言いようのない不安を増す。

玫瑰(はまなす)や人地にありて地を惜しむ中村草田男 上掲句は昭和58年7月の作で、死の1ヶ月前の病床でつくられた。玫瑰といえば昭和8年の「玫瑰や今も沖には未来あり」が彼の代表句の一つとして名高いが、こちらは陸の方で、したがって自作への挨拶句という意味合いが強い。死の床にあって、自らを含めた人の生命を惜しんでいるのである。草田男らしい向日性の溢れた作品である。

父祖の地に杭うちこまる脳天より栗林一石路 「砂川町強制測量」と前書があるから、昭和30年に始まった立川基地拡張に反対する砂川闘争が背景にあることがわかる。父祖の地であろうがなんであろうが、国家はその都合によって、容赦なく杭を打ち込んでいくのである。それへの怒りが「脳天」に激しく込められる。

明日ありや水着のしずく地を濡らす鈴木六林男 屈託なく青春を謳歌している若者たち。その水着から雫が滴り落ちている。黒々と濡れていく地面。それを見て突然、明日への不安が作者の内に兆したのである。黒く濡れていく地面が、生と裏表の死の暗い影のように作者の目に映ったのかもしれない。

石段のはじめは地べた秋祭三橋敏雄 「何もなき地べたにぢかに蝿とまる」という句も作者はつくっているが、上掲句もこの句同様に、言われてみて初めて気づかされるような事実を述べている。その事実は当然といえば当然のことなのだが、だからといって作者のまなざしは平凡ではない。自らが立つ地べたに注がれるこの凝集された視線には、並の俳人の及ばない非凡なものを感じる。

シーソーの尻がうつ地の薄暑かな波多野爽波 ぎったんばっこんで地面をうつたびに、そこはかとなく薄暑を感じるというのである。意表をついた取り合せだが、このように言われるとなるほどと思わせる絶妙の取り合せ。夏へ向かう時候の少し浮ついた感じがシーソーに見合っていて、よく出ている。

雪は地を覆ひつくせり答は白津田清子 おそらく作者は降り積もった雪を前にして、それが純白であるという印象以外の印象を得ることができなかったのである。その印象から逃れられなかったのである。その悔しさがこの「答は白」という思いきった修辞を導き出したのではないだろうか。転んでもただでは起きない俳人根性というべきか。

春の地震(ない)大きな鱗こぼれをり遠山陽子 実景かどうかはわからない。それでも「地震」と「大きな鱗」の取り合せは妙な説得力がある。それは地震鯰や鯰絵の遠い記憶があるためかもしれない。鯰には鱗はないのだが、古来、地震とたいへん縁の深い魚だ。

地は緩く回りにけりな春の鳥今坂柳二 この「けりな」によって、小野小町の「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」を想起する人は多いだろう。句意にもこの歌が響いているように思われる。古典と響き合うことによって、地球の自転というスケールの大きな内容にもかかわらず、春の駘蕩としたのどかな感じが増幅されているのである。

謝肉祭ことに水夫へ地の明るさ沢好摩 長い航海を終えてか、その途中にか、久しぶりに地を踏んだ水夫。時あたかも港では謝肉祭のカーニバルで賑わっている最中。水夫にとってその光景はまぶしすぎるくらいの「明るさ」なのである。また久しく大地を踏みしめたことのなかった水夫の足元は、まだ地につかない感じで、なんとなく覚束ない。そのこともこの句の陰影を深めている。三橋敏雄に「行雁や港港に大地ありき」という句がある。

鳥渡る地に残されし哺乳壜対馬康子 これは近未来図なのだろうか。大人はおろか、哺乳壜を使っていた赤ん坊の姿さえ見あたらない世界。その上を悠然と鳥が渡って行く。哺乳壜は哺乳類をも連想させ、人類もその一員である哺乳類の絶滅を示唆しているのだろうか。不気味な作品である。

地にわが影空に愁の雲のかげ鳩よいづこへ秋の日往ぬる石川登美子 登美子は与謝野晶子とともに初期の「明星」を支えた有力歌人。ミッションスクールで受けたキリスト教の素地に「明星」の理想主義的傾向が加味された多くの秀歌を残した。しかし結婚後は不本意ながら作歌を離れがちとなる。その心理的な屈折が後期の秀歌を生んでいく。ここでの「地」は理想を阻む現実の人間世界として詠われている。登美子は29歳という若さで病没した。

2004-04-12 公開