(むみょうぞうし)
藤原俊成女
当時の美意識や志向がよくわかる日本最古の文芸評論集
老尼が、女房たちの語りあう話を聞いて記したという構成。『源氏物語』を中心に『狭衣物語』や『夜の寝覚』、『浜松中納言物語』などの物語、歌集、小野小町や清少納言、和泉式部、紫式部、皇后定子、上東門院などの女性論が語られる。散逸物語類を知る資料としても貴重。「建久物語」「無名物語」などの別名がある。作者は藤原俊成女(むすめ)と言われている。
[鎌倉時代(1198~02年ごろ成立)][文芸評論]
《校注・訳者/注解》 久保木哲夫
(かろんしゅう)
藤原定家、荷田在満、賀茂真淵ほか
藤原定家や賀茂真淵など、詠歌の奥義を説く歴代の代表的評論
和歌に関する理論や評論を記した歌論は、少なくとも8世紀後半に誕生し、以後江戸時代まで文学論史の主軸として他ジャンルに影響を与え続けた。藤原定家の『近代秀歌』(1209年)、『詠歌大概』(1213~1224年)、『毎月(まいげつ)抄』(1219年)、荷田在満(かだのありまろ)『国歌八論』(1742年)、賀茂真淵『歌意考』(1764年)、香川景樹『新学(にいまなび)異見』(1814年)をおさめる。
※『俊頼髄脳』と『古来風躰抄』は著作権許諾の都合によりご利用になれません。
[鎌倉時代~江戸時代後期][文芸評論(歌論)]
《校注・訳者/注解》 藤平春男
(れんがろんしゅう)
二条良基、心敬、宗祇ほか
室町時代に花開いた座の文学、連歌の神髄を語る
連歌は南北朝時代に中世詩として確立され、1356年連歌初の撰集、関白・二条良基(よしもと)撰の准勅撰『菟玖波(つくば)集』が成立した。以後、宗祇(そうぎ)や宗長など専門連歌師も登場し、多くの連歌論が書かれた。二条良基の『筑波問答』(1357~72年)、僧・心敬の『ひとりごと』(1468年)、宗祇の『老(おい)のすさみ』(1479年)、宗長の『連歌比況集』(1509年ごろ)など5作品を収録。
[南北朝時代~室町時代][文芸評論(連歌論)]
《校注・訳者/注解》 奥田 勲
(のうがくろんしゅう)
世阿弥
優雅な理想美「幽玄」を追求する世阿弥の芸術論
能役者の世阿弥(ぜあみ)は、室町幕府3代将軍足利義満の庇護のもと、能を大成させた。能の作品を数多く残す傍ら、優れた芸術論である能楽論を書き残した。現存する21編の能楽論のうち、『風姿花伝』(1400年ごろ成立)、『花鏡(かきょう)』(1424年)、『至花道(しかどう)』(1420年)、『三道』(1423年)、『拾玉得花(しゅうぎょくとっか)』(1428年)、『習道書(しゅどうしょ)』(1430年)の6編をおさめる。
[室町時代][文芸評論(能楽論)]
《校注・訳者/注解》 表 章
(はいろんしゅう)
向井去来、服部土芳
松尾芭蕉が主導した蕉風俳論の理念と本質に迫る
近世初期は、俳諧のルールや修辞が中心だった俳論だが、元禄期(1688~1704年)になると、蕉風俳論が登場。俳諧本質論として高められた。師・松尾芭蕉(ばしょう)の言葉を引きながら俳諧を論じる向井去来(きょらい)の『去来抄』(1704年ごろ)、芭蕉俳諧の神髄を伝えんとする服部土芳(どほう)の『三冊子(さんぞうし)』(1702年)、蕉風俳論を代表する2作を収録。
[江戸時代前期][文芸評論(俳論)]
《校注・訳者/注解》 堀切 実 復本一郎