(まんようしゅう)
作者未詳
さまざまな階層の人々の哀歓を歌った現存最古の歌集
7~8世紀の約130年の間の歌――長歌、短歌、旋頭歌(せどうか)、仏足石歌(ぶっそくせきか)――など4500首余りがおさめられている。歌人は、天皇から庶民まで500名近くの作品を収録。雑歌(ぞうか)、相聞、挽歌、東歌(あずまうた)、防人歌(さきもうたり)など内容はさまざまで、万葉仮名で書かれている。大伴家持(おおとものやかもち)が現存の形に近いものにまとめたとされる。
[奈良時代(759年以降成立)][歌集(和歌)]
《校注・訳者/注解》 小島憲之 木下正俊 東野治之
(こきんわかしゅう)
紀貫之、紀友則、壬生忠岑ほか編
王朝の美意識を優雅に表現した日本最初の勅撰和歌集
優美・繊細な王朝文化を代表する和歌集。醍醐(だいご)天皇の勅命によって、紀貫之(きのつらゆき)、紀友則(とものり)、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)、壬生忠岑(みぶのただみね)が撰者として編集にあたった。約1100首を収める。〈やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける〉という紀貫之の「仮名序」が有名。
[平安時代(913年ごろ成立)][歌集(和歌)]
《校注・訳者/注解》 小沢正夫 松田成穂
(わかんろうえいしゅう)
藤原公任編
日本&中国の漢詩文・和歌をえりすぐったアンソロジー
歌人・歌学者の藤原公任(きんとう)が、朗詠に適した名詩(588首の漢詩句)、名歌(216首の和歌)を編んだ歌謡集。漢詩では、白居易、菅原文時、菅原道真、大江朝綱、源順(みなもとのしたごう)の作品が、和歌では紀貫之や凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)のものが多い。「倭漢抄」「和漢朗詠抄」「四条大納言朗詠集」などともいう。長らく、貴族・武家の学問教養の基本図書だった。
[平安時代(1017~21年ごろ成立)][歌集(詩歌集)]
《校注・訳者/注解》 菅野禮行
(しんこきんわかしゅう)
源通具、藤原定家、寂蓮ほか編
繊細で優雅な調べ――源平の争乱のさなかに編まれた勅撰集
後鳥羽院の命によって編まれた、第八番目の勅撰和歌集。撰者は源通具(みちとも)、藤原有家(ありいえ)、藤原定家、藤原家隆(いえたか)、藤原雅経(まさつね)、寂蓮(じゃくれん)。優雅で繊細な調べ、耽美的な歌風は「新古今調」といわれ、万葉調・古今調と並ぶ「三大歌風」のひとつとして尊重された。歌数約2000首。代表歌人は西行や慈円、藤原良経など。
[鎌倉時代(1205年成立)][歌集(和歌)]
《校注・訳者/注解》 峯村文人
(けんれいもんいんうきょうのだいぶしゅう)
右京大夫
平家の恋人との恋と別離を詠んだ、追慕の歌
高倉天皇の中宮、建礼門院(平清盛の娘の平徳子)に仕えた女房、右京大夫の私家集。〈ただ、あはれにも、悲しくも、何となく忘れがたく覚ゆることども〉を、約360首の和歌に詠んで年代順に詞書とともに、日記的におさめた。右京大夫は平家嫡流の平重盛の子、資盛(すけもり)と恋に落ちるが、資盛は源平の合戦で戦死。かつての争乱の時代を、恋愛と別離を軸に回顧する。
[鎌倉時代(1232年ごろ成立)][歌集(私家集)]
《校注・訳者/注解》 久保田 淳
(ちゅうせいわかしゅう)
西行、源実朝、藤原定家ほか
西行から松永貞徳まで約200歌人の秀歌約1300首をおさめる
西行や正徹(しょうてつ)、藤原定家や京極派の歌人などの、中世を代表する和歌をおさめる。収録する和歌集(部分収録)は、鎌倉3代将軍源実朝の私家集『金槐和歌集』、勅撰集の『千載和歌集』(7番目)、『新勅撰和歌集』(9番目)、『続後撰和歌集』(10番目)、『玉葉和歌集』(14番目)、『風雅和歌集』(17番目)、『新続古今和歌集』(21番目)、準勅撰集の『新葉和歌集』、細川幽斎の家集『衆妙集』など。
[鎌倉時代~江戸時代前期][歌集(和歌)]
《校注・訳者/注解》 井上宗雄
(きんせいわかしゅう)
後水尾院、冷泉為村、香川景樹ほか
貴族から庶民まで幅広い階層が愛好した江戸時代の和歌
江戸時代の和歌は、新しい歌風は誕生しなかったが、上は天皇から下は庶民まで、あらゆる身分階層の人々に愛好された。後水尾(ごみずのお)院などの堂上歌人、豊臣秀吉の近臣・木下長嘯子(ちょうしょうし)、冷泉(れいぜい)家中興の祖・冷泉為村、「ただことの歌」を主張した小沢蘆庵(ろあん)、国学者の賀茂真淵(かものまぶち)、桂園派を興した香川景樹など、22人の歌人の和歌を収録。
[江戸時代][歌集(和歌)]
《校注・訳者/注解》 久保田啓一