(れんがしゅう)
宗祇、宗長、里村紹巴ほか
鎌倉から江戸初期にかけて流行した座の文学、連歌
連歌は和歌から派生し中世に広く流行した。短歌の上の句と下の句を交互に複数人で詠む。南北朝時代の『文和(ぶんな)千句第一百韻』、宗祇(そうぎ)、肖柏(しょうはく)、宗長(そうちょう)による『水無瀬三吟百韻(みなせさんぎんひゃくいん)』や『湯山三吟百韻』、室町末期の連歌師の谷宗養(そうよう)と里村紹巴(じょうは)による『宗養紹巴永原百韻』など、7作品をおさめる。
[南北朝時代~室町時代末期][連歌・俳諧]
《校注・訳者/注解》 金子金治郎
(はいかいしゅう)
松永貞徳、井原西鶴、与謝蕪村ほか
井原西鶴や与謝蕪村らが言葉と戯れる、江戸の俳諧
俳諧はもともと「滑稽な連歌」だったが、15世紀以降連歌から独立。江戸時代に入り松永貞徳を盟主とする貞門(ていもん)の俳諧が全国的規模で広がった。貞門による『哥(うた)いづれの巻』(貞徳翁独吟百韻自註)、井原西鶴による『花にきてやの巻』(西鶴大句数)、与謝蕪村と高井几董(きとう)による『牡丹散ての巻』(もゝすもゝ)など10作品を収録。
[江戸時代][連歌・俳諧]
《校注・訳者/注解》 暉峻康隆 雲英末雄 加藤定彦
(まつおばしょうしゅう)
松尾芭蕉
「さび」や「軽み」などの独自の境地を開いた俳聖・芭蕉
俳人・松尾芭蕉ははじめ談林風を学んだが、のちに「さび」や「軽み」、「不易流行」などを特徴とする蕉風を確立。のちに俳聖と称えられた。51歳で没するまで、各地を行脚し、紀行文や句を残した。芭蕉の全発句、『おくのほそ道』や『野ざらし紀行』、『鹿島詣(鹿島紀行)』や『笈(おい)の小文』などの全紀行、『嵯峨日記』などの日記、俳文、連句など、芭蕉のすべての作品を網羅する。
[江戸時代前期][連歌・俳諧]
《校注・訳者/注解》 井本農一 堀 信夫
(きんせいはいくしゅう)
西山宗因、与謝蕪村、小林一茶ほか
小林一茶や与謝蕪村など江戸期の俳人約120名の代表句作
連歌師の山崎宗鑑(そうかん)、貞門風の祖・松永貞徳、談林風の西山宗因(そういん)や井原西鶴、松尾芭蕉の弟子の宝井其角(きかく)や河合曾良(そら)、向井去来(きょらい)、茶道・千家不白流の祖・川上不白(ふはく)、中興期俳壇の中心・与謝蕪村、画家の酒井抱一(ほういつ)、江戸時代後期の俳人・小林一茶など、江戸期の俳人約120名の代表的な俳句を収録。
[室町時代末期~江戸時代][連歌・俳諧]
《校注・訳者/注解》 雲英末雄 山下一海 丸山一彦
(きんせいはいぶんしゅう)
北村季吟、上嶋鬼貫、横井也有ほか
「鶉衣」や「おらが春」など江戸期の代表的な俳文
俳人が書いた俳諧的な要素を備えている文章を「俳文」という。北村季吟(きぎん)による貞門時代の俳文『山の井』、山岡元隣(げんりん)の『宝蔵(たからぐら)』、上嶋鬼貫(おにつら)の『独ごと』、200あまりの俳文を載せる横井也有(やゆう)の『鶉衣(うずらごろも)』、与謝蕪村の俳句日記『新花摘』、小林一茶の『おらが春』や『父の死』など、 23人の俳人の40の俳文をおさめる。
[江戸時代][連歌・俳諧]
《校注・訳者/注解》 丸山一彦 松尾靖秋
(せんりゅう)
立羽不角(たちばふかく)、収月(初代)ほか
世相や風俗、人生の機微を滑稽かつ風刺的に描写する川柳
川柳とは、江戸時代中期に、雑俳(遊戯的な俳諧)の一様式である前句付から、付句の五・七・五だけが独立したもので、季語などの制約を持たず、人事・世相・歴史などを風刺した定型詩。「柳樽(やなぎだる)」「狂句」などさまざまな名で呼ばれていたが、明治以降、代表的な点者であった柄井川柳の名をとって「川柳」に統一された。元禄期(1688年~)から宝暦期(~1763年)までの川柳をおさめる。
[江戸時代中期][連歌・俳諧]
《校注・訳者/注解》 鈴木勝忠