日本大百科全書(ニッポニカ)

スペースシャトル
すぺーすしゃとる
Space Shuttle 英語

NASA(ナサ)(アメリカ航空宇宙局)が開発した大型の有人宇宙往還機。1981年4月に初飛行に成功、2011年7月に最後の飛行が行われるまでの30年間に計135回の打上げが行われた。ただしその間、1986年1月にチャレンジャー号事故が、2003年2月にコロンビア号事故が発生し、それぞれ7名の飛行士全員が犠牲となった。スペースシャトルが行ったミッションとしては、長時間の有人宇宙活動の経験を蓄積すること以外にも、多彩な人工衛星や探査機の打上げ・修理・回収、宇宙環境下での生命科学や材料科学等の実験、国際宇宙ステーション(ISS)の部材の運搬・組立ておよび人員・物資の輸送などがあげられ、さらに国防総省による機密ミッションも一部あった。
[佐藤 靖]

スペースシャトルの特徴

スペースシャトルは、機体の一部を再使用して繰り返し飛行する部分再使用型の有人宇宙往還機である。垂直に打ち上げられ、地球周回軌道に入り、軌道上でミッションを行った後、大気圏に再突入、水平着陸し、再整備されたのち再飛行ができる。「宇宙輸送システムSpace Transportation System」ともよばれ、多目的に利用可能である。全長56メートル、重量は2030トン(1730トンの燃料装填(そうてん)時)で、基本的には7人乗りである。オービター、外部燃料タンク、固体ロケットブースターからなる。
 オービターは、宇宙空間と地球との間を往復する有翼の宇宙機であり、再使用される。ここに宇宙飛行士が乗り込む。全長37メートル、翼幅24メートル、重量79トンで、推進力が178トンの主エンジンを3基搭載しており、秒速約8キロメートルで飛行する。
 外部燃料タンクは、打上げ時にオービターの主エンジンに燃料の液体水素と液体酸素を供給する使い捨てのタンクである。全長47メートル、直径8メートル、重量760トン(730トンの燃料装填時)である。発射約9分後、主エンジン停止後に切り離され、大気圏に再突入して分解・消滅する。
 固体ロケットブースターは、打上げ時に必要な推力を得るための2本の固体燃料ロケットである。それぞれ全長45メートル、直径4メートル、重量590トン(500トンの燃料装填時)で約1300トンの推進力をもつ。発射の約2分後に切り離されて大西洋上に落下し、船で回収して再使用される。
 なお、オービターは全部で5機製造された。まずコロンビア号、チャレンジャー号、ディスカバリー号、アトランティス号が製造され、のちに1986年の事故によって失われたチャレンジャー号の代替機としてエンデバー号が製造された。これらの5機の機体はほぼ同じだが、寸法や重量などの諸元がやや異なる部分もあり、また開発時の1970年代から運用が終了した2011年までの間に改良も施されている。
[佐藤 靖]

開発の経緯

1960年代にアメリカが国の威信をかけて取り組んだアポロ計画の結果、1969年7月20日にアポロ11号による有人月面着陸が実現すると、皮肉なことにNASAは急激な予算削減に苦しむこととなった。有人月面着陸の達成によって宇宙開発分野におけるアメリカの優位が十分に世界に示され、加えて当時は冷戦の緊張がやや緩むなかでソビエト連邦に対するアメリカの優位を誇示する必要性そのものが弱まっていたからである。アメリカ人の多くは、宇宙開発よりも優先すべき国内問題・国際問題があると考えるようになっていた。こうした逆風が吹き始めるなかで、NASAはアポロ計画の次なる大型計画としてスペースシャトル計画を打ち出した。
 当初、NASAは完全再使用型のスペースシャトルの開発を想定していた。しかし、予算面・技術面で妥協が必要となり、外部燃料タンクを再使用しない部分再使用型の案に落ち着く。その開発開始は1972年1月5日に正式決定されたが、その後もNASAは厳しい予算の制約下でスペースシャトルの開発を進めることになった。
 取り組むべき技術的課題は膨大だった。主エンジンは、高い推力をもつと同時に、推力抑制・停止・再着火が可能でなければならなかった。オービターは大気圏の内部でも外部でも操縦可能でなければならず、水平着陸の能力も必要だった。また、未踏の水準の耐熱技術や電子制御技術が求められた。開発の過程では絶えず技術的な不具合が生じ、そのつど対応が必要になったが、NASAの技術者らはそうした問題を着実に解決していった。そして1981年4月12日、ついにコロンビア号が初飛行に成功した。
[佐藤 靖]

事故

スペースシャトルは1981年に2回、1982年に3回、1983年に4回、1984年に5回、1985年には9回の飛行をこなし、1986年以降は年間24回打上げという目標に向けて打上げ頻度を向上していくことを目ざした。ところが1986年1月28日、同年2回目の打上げにおいて致命的な事故が発生する。ケネディ宇宙センターから打ち上げられたチャレンジャー号は、順調に飛行を始めたようにみえたが、打上げ73秒後に空中分解し、7名の宇宙飛行士が犠牲となったのである。
 事故原因は、固体ロケットブースターの接合部を密閉していた「O(オー)リング」とよばれるゴム製の部品の機能不全だった。高温高圧ガスの漏出により周辺の構造部材が溶け、液体燃料タンクも破損して、機体全体の空中分解に至ったのである。この「Oリング」に潜在的問題点があることは、実は製造メーカーであるモートン・サイオコール社(現、ATKローンチ・システムズ・グループ)によって以前より指摘されていたが、NASA内部のコミュニケーションの不全もあって十分な対策がとられていなかった。そこで事故後、NASAは固体ロケットブースターの再設計を行うなど技術面での対応に加え、組織内の意思疎通・意思決定のプロセスをも改善し、態勢を立て直した。
 NASAは1988年9月29日にスペースシャトルの打上げを再開し、その後は年3~8回のペースで多彩なミッションを展開する。ところがチャレンジャー号事故から17年を経て、スペースシャトルはふたたび事故に見舞われる。2003年1月16日に113機目のスペースシャトルとして打ち上げられたコロンビア号が、軌道上で16日間にわたり順調に科学実験などをこなし、2月1日地球に帰還するために大気圏に再突入した後、空中分解したのである。チャレンジャー号事故のときと同様、7名の宇宙飛行士が犠牲になった。
 コロンビア号事故の原因は、打上げ約82秒後に外部燃料タンク近くから剥落(はくらく)したスーツケース大の断熱材の破片がオービターの左翼を直撃したことだった。このときに受けた損傷のため、再突入時に超高温の空気が左翼内部に入り込み、左翼の破壊が進んで機体の空中分解に至ったのである。このような事故が起こる危険性は、このときもやはりNASA内部で認識されていたが、事前に対応策がとられることはなかった。
 その後NASAは2005年7月26日にスペースシャトルの打上げを再開したが、その後は打上げ頻度も年5機以下となり、国際宇宙ステーションの建設完了後、2011年7月8日に打ち上げられたアトランティス号をもってスペースシャトルの運用は終了した。
[佐藤 靖]

ミッション

スペースシャトルは、1981年の初打上げから2011年の運用完了まで、各種のミッションをこなした。宇宙遊泳など有人宇宙活動の経験の蓄積そのものも重要なミッションだったが、その他の科学上、技術上、安全保障上のミッションも多かった。
 科学上のミッションとしては、スペースシャトルの内部で行われた材料科学や生命科学等の実験がまずあげられる。とくに、スペースラブとよばれる、スペースシャトル搭載用の有人宇宙実験室では、数多くの実験が行われた。このスペースラブは、ヨーロッパ宇宙機関(ESA(イーサ))がNASAと密接に協力しながら開発を行ったものである。直径約4メートルの巨大な円筒形の実験室で、シャトルの貨物室に積み込まれ、内部で宇宙飛行士が実験を行える設計になっていた。計25回のスペースシャトル打上げがスペースラブに関連したミッションである。
 スペースシャトルは科学研究を目的とした人工衛星や探査機も多数打ち上げた。たとえば、1989年5月と10月には、それぞれ金星探査機マゼランと木星探査機ガリレオを打ち上げている。さらに、1990年4月には、地球周回軌道上から宇宙空間の科学的観測を行う重量約11トンのハッブル宇宙望遠鏡の打上げも行った。このハッブル望遠鏡は、打上げ後、望遠鏡の鏡にわずかな歪(ゆが)みが生じており、そのために性能が損なわれていることが明らかになった。1993年12月にはこの修理を行うスペースシャトルのミッションが行われ、みごとに性能を回復したハッブル望遠鏡はその後無数の重要な宇宙科学上の発見をもたらした。
 技術上の重要なミッションとしては、国際宇宙ステーションの構築があげられる。1998年以降のスペースシャトルのミッションの柱は、国際宇宙ステーションの部材の運搬と組立て、そして人員や物資の輸送になった。2003年のコロンビア号事故によって計画は大きく遅れたが、スペースシャトルは2011年の国際宇宙ステーション完成まで運用を続けた。
 安全保障上のミッションとしては、国防総省からの要請による軍事用の装置の試験が行われた場合があったほか、純粋に国防総省用に用意されたミッションもあるが、その内容や成果は明らかにされていない。
[佐藤 靖]

成果と展望

スペースシャトルは、当初構想されていた宇宙への「ルーチン・アクセス」を実現するという目標を完全に達成することができたとはかならずしもいえない。慢性的な予算不足のなか、二度の事故にみまわれ、高い頻度での打上げを実現できなかった。とはいえ、アポロ計画の終了後、スペースシャトルはNASAの屋台骨を支える役割を果たしてきたといってよいだろう。その成果は多岐にわたり、宇宙開発分野でのアメリカの威信を守ることに大きく貢献した。
 スペースシャトルの運用終了後、アメリカではスペース・ローンチ・システム(SLS)という新たな宇宙輸送ロケットの開発が続けられている。一方で、ロケット開発の主体はNASAから民間企業にシフトしていくという流れがある。スペースX社などが、将来の宇宙旅行産業の実現も視野に、ロケットの開発を進めている。今後のアメリカのロケット開発は、官民で役割分担をしつつ進んでいくことが予想される。
[佐藤 靖]