過去の地質時代における生物(古生物)の遺骸(いがい)や遺体と生活の痕跡(こんせき)(生痕)を化石という。すなわち、古生物の骨、歯、貝殻などの遺物や遺体、それと足跡(あしあと)、這(は)い跡、巣穴などの生活の記録のうち、堆積(たいせき)物の中に埋没したものが、長い地質時代を経たにもかかわらず消滅することなく保存され、のちに掘り出されてきたものが化石である。英語ではfossilというが、これはラテン語のfodere(掘るという動詞)からきたことばで、「掘り出されたもの」という意味である。そのため、化石には本来石のように固いという意味はないが、長い年月、地層の中に埋没している間に、続成作用や地殻運動の影響を受けて変質したために固くなる場合が多い。このような変化を石化作用とよんでいる。つまり、化石はかならずしも固いとは限らず、植物の葉や動物の皮膚や筋肉などの軟らかい組織の化石も知られている。氷河時代の氷漬けのマンモスや、中生代の乾燥気候のもとでミイラと化した恐竜の皮膚の化石や、こはくの中に封じ込められた昆虫の化石などの例もある。また新しい地質年代の地層からは、ほとんど現在の生物と変わらない状態の化石が発見されることがある。このようなものを準化石sub-fossilとか、半化石semi-fossilとよんで区別することがある。人の手が加わって人類遺跡や貝塚から発見されたものは化石とはよばない。
[大森昌衛]
化石ができるためには、普通次のような条件をもつことが望まれる。
(1)化石となる古生物の個体数が多いこと(広い地域に繁栄したこと)。
(2)古生物の遺骸や遺体および生活の記録が消去される前に堆積物の中に埋没すること。
(3)古生物の遺骸や遺体が、続成作用や地殻運動による熱や圧力の影響を受けても、分解、溶解することのない骨・歯・貝殻のような固い組織でできていること。
(4)化石が発掘されて人の目に触れる条件にあること。
化石は、これらの条件を基準にしてその成因を推定する。
[大森昌衛]
人類が最初に化石を発見した記録はさだかでないが、遠く石器時代にまでさかのぼる。クロマニョン人の遺跡から化石の巻き貝でつくった首飾りやターバンが発見されていることが、この事実を物語っている。また、スウェーデンの先史時代の古墳(前10世紀)からは、遠くから運んできたと考えられる古生代や中生代の化石が掘り出されている。しかし、これらはいずれも、偶然の機会に石器時代や先史時代の人間生活に、化石が持ち込まれたにすぎない。
人類が最初に化石について考察した記録は、紀元前7世紀にさかのぼる。古代ギリシアの哲学者クセノファネスやアナクシマンドロスが、貝化石や植物化石、魚類化石を発見して、人間の先祖と結び付けて説明した記録が残っている。しかし、化石の科学的な成因についてはとうてい思い付かなかったが、リディア王国サルディスの哲学者サンタスXanthus(前500ころ)が、内陸から貝化石が産出することに注目して、これらの地方はかつて海底にあったものが陸地に変わったと説明していることが注目される。中世に入っても、化石の科学的説明にはみるべき進歩もなかったが、11世紀のアラビアの科学者イブン・シーナー(アビケンナ)や13世紀のスコラ神学者・生理学者アルベルトゥス・マグヌスが、化石を「大地の造形力によってつくられたが、生命力をもつに至らなかったもの」と記している。このころまでは、化石は自然の戯れの産物か、神秘的な造形力がもたらしたものという考えが支配的であった。化石の成因について最初に科学的な説明を与えたのは、イタリアのレオナルド・ダ・ビンチと、同じく16世紀のイタリアの医師・科学者・詩人であったフラカストロで、「過去の海域に生息した動物の遺骸が乾陸化したために内陸から発見されるようになったもの」と考えた。これより先12世紀に中国の朱子(朱熹(しゅき))が、『朱子全書』(1170ころ)のなかで高山の泥から発見した貝殻の化石について、「この泥は昔は海にたまっていた泥で、貝は海に生息していたものが、低い土地が高くなり(隆起)、柔らかいものが固い石に変わったもの」と説明していることが注目される。一方、16世紀に、ドイツのアグリコラは、化石を鉱物として扱い、石化作用の仕組みについて科学的に説明するきっかけをつくっている。
[大森昌衛]
古生物の遺骸、遺体や生活の記録が堆積物の中に埋没して化石として発見されるまでの一連の過程を、化石化作用という。そのため、化石化作用の解明には、古生物の生体や生活に関する研究や、堆積作用の内容に関する研究、続成作用や地殻運動に関する研究などが必要とされる。化石の産状(産出の性状)は、化石化作用の内容によって異なるが、大きく分けて化石床型、化石層型、散在型の三つに分類される。また、化石が古生物の生息時の状態で堆積物の中に埋没したものを自生の化石または現地性の化石といい、化石の埋没状態や地層の特徴から古生物の生息時の姿勢や環境などの古生態を推定することができる。これに対して、古生物の遺骸や遺体が水や大気で運ばれて、生息地域とは異なった地域で堆積物の中に埋没したものを他生の化石または異地性の化石という。このような化石は、化石を包含している地層の研究(堆積学や地層学)によって、古生物の生活域を復原しなければならない。生痕化石のような生活の記録の化石は、化石が発見された場所にその記録を残しているため、化石の形態や産状から直接その古生物の生態や生活環境を推定することができる。1940年にロシアのエフレモフJ. A. Efremovは化石の産状や成因に関する研究をタフォノミーTaphonomyとよび、古生物学の重要な研究分野としている。taphoは埋没を、nomyは学問を意味する。
化石の産状の研究には、堆積学や地層学の研究が並行して行われねばならない。前述の化石の産状の分類も、化石を包含する地層の単位ごとに行われ、地層中における化石の分布と堆積構造との関係や、化石の破損状態や埋没姿勢などを総合して、化石の成因や古生物の生態、生活環境などを推定する。デンマークのステノやイギリスのW・スミスは、化石の産状と地層の関係を研究して地層累重の法則と、動物群類同の法則を発見した。この法則は、化石の内容によって地層の年代を決定できることを明らかにしている。つまり、化石が、地層の年代を決定するための時計としての役割を果たすことが認められたのである。
化石のなかには、地球上の広い地域にわたって特定の地層のみから産出するものがあるため、この化石の発見によって容易に地層の年代を決めることができる。このような化石を標準化石または示準化石という。また、化石のなかには特定の堆積環境を示すものがある。サンゴの化石は透明な暖海域を、立ち木の化石は陸域を示している。このように環境を指示する化石を示相化石といい、地層堆積時の環境推定に役だっている。
[大森昌衛]
化石化作用の内容によって、化石の性状も異なる。古生物の遺骸、遺体やその一部が保存されたものを体(たい)化石body fossilという。これに対して、生活の記録の化石を生痕化石trace fossil(生活化石または痕跡化石ともいう)といい、排泄(はいせつ)物や卵の化石、胃石なども含まれる。排泄物の化石を糞石(ふんせき)(コプロライト)といい、軟体動物や魚類、恐竜類、哺乳(ほにゅう)類などの糞石が知られている。化石の石化作用の過程で、化石を構成する物質が再結晶したり、外から注入した物質で置き換えられたりすることがある。このような化石を鉱化した化石とよぶ。石化作用によって、もとの化石が砂や泥で置き換えられたものを石核または鋳型(いがた)の化石という。また、化石の輪郭や彫刻が堆積物の表面に押し付けられたものを、印象化石impression fossilという。つまりクラゲや昆虫および植物の葉などは、本体は分解しても堆積物の表面に外形や彫刻が、生体が分解して残った炭素でくま取られて残ることがある。これが印象化石である。
化石には肉眼で識別できる巨視化石(大形化石ともいう)のほかに、ルーペや、岩石の薄片や研磨面を顕微鏡下で観察して初めてその存在を識別できる微化石microfossilがある。有孔虫、放散虫などの原生動物のほか、珪藻(けいそう)類、花粉、胞子などの植物化石は微化石の例である。また、高倍率の顕微鏡や電子顕微鏡などによって識別できるコッコリスやバクテリアなどの超微化石もある。このほか岩石の化学分析によって識別できる化学化石chemical fossilや、化石とは無縁の偽(ぎ)化石pseudofossilがある。
[大森昌衛]
動物化石の記録は、原生代後期にさかのぼるが、末期(約6億年前)には硬組織をもたない後生動物が急激に発展している。
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