防波堤は港湾における外郭施設の主体をなすもので、外海から来襲する波浪が港内へ浸入するのを防ぎ、また状況に応じては、高潮や津波の浸入を軽減するために設置されるものである。防波堤の歴史は古く、当初は地中海で用いられ、現存するものではローマ時代のハドリアヌス帝のころのものが知られている。地中海周辺では重量の大きい5トン程度の石材が多量に採取できるため、これら石材を用いた捨石(すていし)堤が用いられた。捨石堤前面の法面勾配(のりめんこうばい)は1対3に保つように計画されたが、低気圧、季節風によって波高が5メートルを超えることが多く、法面は崩れて1対8程度以上になり、石材も飛散して、絶えず補修の必要に迫られていた。このような状態が18世紀まで続いていたが、このころよりイギリス、フランス、オランダの北海グループが、当時のセメント・コンクリート技術の進歩に裏づけられて、捨石部の上部にコンクリートブロックの層積みあるいはコンクリートケーソン壁体を据え付け、捨石部の頂面を海面下へ大きく下げて、現今の混成堤へ導く技術を展開してきた。一方、フランス、イタリアを含む地中海グループは、捨石堤の弱点は波高に対する石材重量の不足にあることから、1個当り30~50トンのコンクリートブロックで被覆する方法を採用し、これが今日のマルセイユ港の長大な防波堤にその姿を見せることとなった。この流れはさらに深まり、コンクリートブロックの異形性と噛(か)み合わせ、適宜な空隙(くうげき)率という観点から、1940年代以降異形消波ブロックの開発へと進んでいった。
わが国の港湾の近代化は明治20年代から開始され、北海グループの指導により実施されたので、防波堤は当初からブロックまたはケーソンを用いた混成堤の型式をとっている。また水深の浅い陸岸からの巻き出し部は捨石堤の型式をとるが、被覆層には異形消波ブロックを採用するのが普通である。
上述の防波堤は分類上からは重力式となるが、1915年以降、空気泡を利用した混相流による空気防波堤、さらに現代では、浮体を海面近傍に用いた浮き消波堤、消音効果をもつ吸音板の機能を応用した多孔壁もしくはスリット壁ケーソン防波堤、あるいは鋼管矢板式防波堤など、新しい理論に基づいた新機軸の防波堤が、情勢に応じて各地に築造されるようになった。
[堀口孝男]