ジャパンナレッジ
江戸後期の浮世絵師。初世歌川豊国(とよくに)の門人で、幕末の浮世絵界に幅広い作域で活躍した。江戸・神田の染物業柳屋吉右衛門(きちえもん)の子として生まれ、俗称を井草孫三郎(いぐさまござぶろう)という。1811年(文化8)15歳で豊国門下となり、1814年ごろ画壇にデビューした。しかし幾年かは振るわず、1827年(文政10)ごろから版行され始めた『通俗水滸伝豪傑一百八人之一個(つうぞくすいこでんごうけついっぴゃくはちにんのいっこ)』のシリーズにより一躍人気を博して、武者絵の国芳とよばれ、この分野に地歩を固めた。別号には一勇斎(いちゆうさい)、朝桜楼(ちょうおうろう)ほかがあり、風景画、美人画、役者絵、花鳥画、武者絵、風刺画、戯画、版本の挿絵、肉筆画など作域は広範であった。その性格も豪放淡泊であり、逸話が多く残されているが、天保(てんぽう)年間(1830~1844)ごろより多くの風刺画を描き、この方面における第一人者としても活躍した。また風景画にも『東都名所』ほかのシリーズが知られており、洋風表現を駆使したその画風にはみるべきものがある。文久(ぶんきゅう)元年3月5日没。
[永田生慈]