日本大百科全書(ニッポニカ)

行政改革
ぎょうせいかいかく

国や地方公共団体の行政組織および運営ならびに行政機能の改変または改変のための過程。日本では、行政組織・運営に関係するものとして、省庁再編、部局・課・室の整理統合、地方支分部局の整理、審議会の整理、財政改革、公務員制度改革、行政手続の適正化や行政情報の公開に関する法整備などが、行政機能に関係するものとして、規制緩和、民営化や地方分権などが行政改革として実施されてきた。行政組織(公務員制度を含まない)に関する改変のみを狭義の行政改革ということがある。
[山田健吾]

戦後改革から第一次臨調まで

第二次世界大戦後、戦後改革として行政組織の改革・再編成が行われた。すなわち、明治憲法(大日本帝国憲法)から日本国憲法への転換、天皇主権に代表される立憲君主制のもとでの諸原理から、国民主権・基本的人権の尊重・平和主義・地方自治などの原理への転換に伴う、いわゆる行政の民主化の一環として、陸軍省・海軍省などの軍事行政機構の廃止や内務省の解体が行われ、他方で労働省や行政委員会が設置された。
 この戦後改革に引き続き、行政改革のための審議会が設置されることとなり、1948年(昭和23)に臨時行政機構改革審議会が臨時行政機構改革審議会令に基づき設置された。その後、1949年に行政機構刷新審議会(閣議決定)、1951年に政令改正諮問委員会(当時の内閣総理大臣吉田茂(よしだしげる)の私的諮問機関)、1952年~1959年まで第一次~第五次行政審議会(根拠法令は行政管理庁設置法6条)が設置された。この間の行政改革の提言に基づき、行政管理庁の新設、経済安定本部を廃止して経済審議庁を設置、地方自治庁および国家消防本部を統合して自治省を設置するなどの中央省庁再編、行政委員会の削減、審議会の整理や行政機関の職員の定数削減などが実施された。
 1961年には、第一次臨時行政調査会(第一次臨調。会長・佐藤喜一郎(きいちろう))が、臨時行政調査会設置法に基づき、行政改革のための重要な諮問機関にあたる総理府の付属機関として臨時的に設置された(1961年~1964年)。第一次臨調は1964年9月に総論と16項目の具体的な改革案を答申。行政の総合調整機能の強化をはじめ、行政における民主化の徹底などの6点にわたる「行政改革の考え方」から、単に機構改革にとどめず、事務の再配分や行政手続法の制定など、行政の組織や運営全般について総合的な改革課題や改革意見を示した。しかし、これらの意見はほとんど実現されることがなかった。
[山田健吾]

第二次臨調、行革審から地方分権推進委員会まで

1973年のいわゆる「オイル・ショック」に端を発した財政危機の回避を契機として、1981年に、第二次臨時行政調査会(第二次臨調。会長・土光敏夫(どこうとしお))が、臨時行政調査会設置法に基づき設置された。同調査会は、1981年7月~1983年7月にかけて、5次にわたる答申を提出し、「増税なき財政再建」をてことする行政改革案を示した。これらの答申は、全体として、行政の目ざすべき二大目標として「活力ある福祉社会の建設」と「国際社会に対する積極的貢献」をあげつつ、公的部門の縮小(民間活力の導入、いわゆるディレギュレーションderegulationとよばれる規制緩和)や行政の総合調整機能・企画調整機能の強化を目的とする機構および作用の改革がその主たる内容となっている。日本国有鉄道(国鉄)、日本電信電話公社(電電公社)および日本専売公社の民営化や特殊法人等の整理合理化、内部部局の設置等を法律事項から政令事項化、許認可手続の整理合理化、総務庁の設置(行政管理庁と総理府本庁を統合)などが第二次臨調の答申を受けて実施された。
 第二次臨調が最終答申を提出して解散した1983年に、第二次臨調の諸答申に基づく行政改革の推進と監視のための機関として、臨時行政改革推進審議会(行革審)が臨時行政改革推進審議会設置法に基づき設けられた。行革審は、1993年(平成5)10月まで、第一次行革審、第二次行革審および第三次行革審が設置された。行革審は一貫して規制緩和の推進を行政改革の主要な課題として位置づけていた。第一次行革審が「行政改革の推進方策に関する答申」を公表し、これに基づき42項目の許認可の整理合理化を内容とする許可、認可等の民間活動に係る規制の整理および合理化に関する法律が1985年に成立した。第三次行革審の最終答申(1993)を受けて171項目の許認可の整理合理化も実施された。また、第三次行革審は「公正・透明な行政手続法制の整備に関する答申」(1991)において行政手続法制定を提言し、1995年に行政手続法が制定されている。
 第三次行革審の最終答申では、「官主導から民自律への転換」とともに「地方分権の推進」も提言され、これ以降の行政改革において、規制緩和とともにこの実現が「政府部門の役割の見直し」のために重要な位置づけを与えられることになった。
 第三次行革審の解散後、1994年1月には内閣に行政改革の積極的な推進のため内閣総理大臣を本部長とする行政改革推進本部が閣議決定により設置され、同年12月には行政改革の推進監視体制の整備を図るため、行政改革委員会設置法に基づき行政改革委員会(会長・飯田庸太郎(いいだようたろう)、1920―2002)が第三者機関として総理府に設置された(1994年~1997年)。行政改革委員会は、1995年に、情報公開法要綱案を柱として「情報公開法制の確立に関する意見」において情報公開法の制定を求め(情報公開法は1999年に制定)、また、規制緩和推進計画を策定した。同委員会は、1997年12月に規制緩和の推進と行政の守備範囲を見直す行政関与のあり方を内容とする最終答申を提出して解散した。
 1995年に地方分権推進法が制定され、同法に基づき総理府に地方分権推進委員会(委員長・諸井虔(もろいけん)、1928―2006)が設置された。第三次行革審の最終答申が地方分権基本法の制定を含む地方分権の推進体制を整備することを提言したことを受けて設置されたものである。同委員会は、中間報告に加え、第一次から第五次までの勧告および最終報告を公表した。これらを受けて地方分権推進計画が策定され、機関委任事務の廃止や国の関与に関するルールなどを内容とする地方分権一括法が1999年に制定された(第一次地方分権改革)。
[山田健吾]

行政改革会議以降

1996年に総理府本府組織令に基づき設置された行政改革会議(会長・橋本龍太郎(はしもとりゅうたろう))は、内閣機能の強化、新たな省庁のあり方、行政機能の減量化(アウトソーシング)・効率化等および公務員制度改革等(以下「中央省庁等改革」)を内容とする最終答申を1997年に公表した。1998年に中央省庁改革基本法が制定され、中央省庁等改革の基本的あり方が定められた。2001年(平成13)に、同法の趣旨に沿って、1府12省に再編する各省庁設置法や内閣府設置法が成立した。また、行政の効率化と公務員の総数の削減をねらいとした独立行政法人通則法が1999年に制定され、2001年に57法人が設立された。このほかに、2003年には郵政事業の公社化がなされ、日本郵政公社が設立された。
 小泉純一郎(こいずみじゅんいちろう)政権は、中央省庁等改革において内閣機能を強化するために設置された経済財政諮問会議(中央省庁等改革基本法12条6項による)を活用し政治主導で行政改革を進めた。小泉政権における行政改革は、「小さくて効率的な政府」を目的として掲げ、「官から民へ」、「国から地方へ」という観点を重要視するものであり、行政改革会議最終報告に示された国の機能の純化論を踏襲するものであった。具体的には、道路公団・郵政民営化、構造改革特区制度の導入、政府金融改革や特別会計改革、市場化テストの導入(公共サービス改革法)や国庫補助金の縮減・廃止、地方交付制度の見直しと地方への税源移譲を内容とする三位一体改革などが実施された。
 民主党政権下(2009年~2012年)では、2009年に、国の予算・制度、その他国の行政全般や国、地方公共団体および民間の役割のあり方の見直しを行うことを目的とし、行政刷新会議が設置された。行政刷新会議では独立行政法人や特別会計等の事業内容について見直しや廃止が行われた。
 安倍晋三(あべしんぞう)政権(2013年~)は、2013年に閣議決定により行政改革推進本部を設け、その下に行政改革推進会議を設置した。行政改革推進会議は、「独立行政法人改革等に関する基本的な方針」を公表した。これを受けて、独立行政法人の業務の特性に応じたガバナンス(統治)の強化等を内容とする独立行政法人通則法改正がなされた。このほかに、国のすべての事業について各府省が点検・見直しを行う行政事業レビューが実施されている。民主党政権下で廃止された規制改革会議が、2013年に、内閣府本府組織令に基づきふたたび設置された。規制改革会議は、選択療養制度の創設を提言し、また、農業委員会の見直し、中央会制度の廃止や全国農業協同組合連合会(全農)の株式会社化など農業協同組合の見直しを含む「農業改革に関する意見」を公表している(2014)。規制改革会議は2016年に設置期限が切れたため、新たに規制改革推進会議が設置された。2006年に地方分権改革推進法が制定されて以降、現在に至るまで、国から地方への事務や権限移譲、地方公共団体に対する義務づけや枠づけの見直しのための改革が実施されている(第二次地方分権改革)。
[山田健吾]