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江戸後期の黄表紙作者。本名市場寧一。字(あざな)は子彦、通称小倉屋小平次。別に教訓亭、三文生などと号し、俳名を橘雫(きってき)といった。江戸の人。日本橋通油町(とおりあぶらちょう)の表具師で、1779年(安永8)『嘘言彌二郎傾城誠(うそつきやじろうけいせいのまこと)』などを処女作として黄表紙界に登場し、以来、鳥居清長や北尾政美(まさよし)らの絵師と組んで、1802年(享和2)までに約100部の黄表紙作品を残した。一生独身で、その変人ぶりから「市中の仙」の評判をとったが、弟の子を愛し、その作品にも子供を対象とした古風で教訓的なものが多く、「教訓の通笑」といわれた。主要作に『教訓蚊の呪(まじない)』『即席耳学問』など。
[宇田敏彦]