日本大百科全書(ニッポニカ)

キャメロン
きゃめろん
David Cameron 英語[1966― ]

イギリスの政治家。父はロンドンのシティに本拠を構える金融機関の役員、母は准男爵の娘という恵まれた家庭で育つ。名門の私立学校ヘザーダウン校とイートン校で学んだ後、オックスフォード大学で哲学・政治学・経済学を専攻。卒業後、保守党調査局、衛星放送テレビ局の広報担当を経て、2001年に下院議員に当選。2期目の2005年には、総選挙でブレア率いる労働党に3連敗を喫して党勢立て直しが急務となった保守党の党首に選出された。キャメロンは党首就任時の若さやその経歴から、ブレアとしばしば比較される。ブレア同様に党改革に取り組み、中道的な経済政策と社会問題に対するリベラルな姿勢を組み合わせることで支持の拡大を目ざしたが、限定的な成功を収めるにとどまった。個人的な政治信条は明確でなく、風見鶏(かざみどり)と評されることもある。2010年の総選挙の結果、保守党は第一党となったが、単独過半数の議席を確保することはできなかったため、第三党の自由民主党と戦後初の連立政権を結成し、43歳の若さで首相に就任した。
 アメリカ発の世界的な金融・経済危機の影響がイギリスにも及ぶなかで、連立政権は財政赤字の削減や新たな成長モデルの模索という困難な課題に取り組まねばならなかった。連立政権は緊縮財政により財政赤字を半減させたが、金融業や不動産ブームに依存する経済構造を抜本的に改革することはなかった。危機はイギリスの政治システムの正統性も脅かし、選挙制度改革、スコットランド独立、ヨーロッパ連合(EU)の一員であることの是非が争点として浮上した。2011年に行われた選挙制度改革をめぐる国民投票では、自由民主党が賛成する一方、保守党は小選挙区制の維持を訴えて反対し、連立与党が敵味方に分かれて争う形になったが、反対票が6割以上を占め改革は否決された。2011年のスコットランド地方選挙でイギリスからの独立を主張するスコットランド国民党(Scottish National Party:SNP)が過半数の議席を獲得したことを受け、2014年に独立の是非を問う住民投票が行われた。保守党・労働党・自由民主党の主要3党が反対に回ったこともあり、独立は僅差で否決された。
 イギリス政治・経済の大枠を維持することに成功したかにみえたキャメロンの失脚につながったのは、EUとの関係をめぐる問題であった。EUの東方拡大に伴う移民の流入や、ユーロ危機の深刻化を受け、イギリスの世論はEUに敵対的な方向に変化した。EUからの離脱を訴えるイギリス独立党(United Kingdom Independence Party:UKIP(ユーキップ))への支持が高まる一方、保守党内部でも反EU勢力が勢いを増すなか、キャメロンは2013年にEU残留の是非をめぐる国民投票を行うことを公約した。2015年総選挙で保守党が単独過半数の議席を得たことを受けて翌2016年6月に行われた国民投票で、キャメロンは残留を訴えたものの敗北し、翌日に首相辞職を表明した。
[池本大輔]