中国、山東(さんとう)省東部、山東半島南部の副省級市(省と同程度の自主権を与えられた地級市)。膠州(こうしゅう)湾口の東側にあり、黄海(こうかい)に臨む。市南(しなん)、市北(しほく)、黄島(こうとう)、即墨(そくぼく)など7市轄区を管轄し、3県級市の管轄代行を行う(2017年時点)。人口909万7000、市轄区人口490万2200(2015)。市域は膠東丘陵地帯の西部にあたり、市の北東の山(ろうざん)(1133メートル)は山東半島でもっとも高く、花崗岩(かこうがん)を基盤とする。年平均気温12.7℃、年降水量662ミリメートル。1979年(昭和54)に下関(しものせき)市と姉妹都市となった。
[駒井正一][編集部]
山東半島南部の地域では、古くは膠州湾奥、明(みん)・清(しん)代の膠州(現、膠州市)が重要な位置を占め、唐・宋(そう)代には板橋鎮(はんきょうちん)として国際貿易も行われた。その後、湾の土砂堆積が進んだため、清末に湾口の青島が北洋艦隊の基地の一つとしてそこに砲台が置かれてから発展を開始し、1897年ドイツが占領、翌1898年租借をして以来、その地位は交代した。ドイツは軍港および商港として近代的な港湾施設を整備し、膠済線(青島―済南(さいなん))を敷き、山東省内の石炭やその他華北の物資を集散した。第一次世界大戦中に日本が占領、1922年(大正11)、ワシントン会議により、ようやく中国に返還され、1930年市となった。
[駒井正一]
中国東部沿海部における重要な中核都市である。工業では、造船や家電製品、石油化学、食品、軽工業など従来の産業が優位を保ち、電機メーカーの海爾集団(ハイアール)や海信集団(ハイセンス)、青島ビールなどの大手企業が本社を置く。有名な青島ビールは山の鉱泉水を用いて醸造され、青島白ぶどう酒は青島と周辺地区のブドウを使用、ともに青島酒工場でつくられ、ドイツが設立した工場の技術を受け継いでいる。このほか、バイオ医薬品や新エネルギー、映画をはじめとするエンターテインメントなどの新興産業も発展している。
青島港は中国有数の国際貿易港で、1984年沿海対外開放14都市の一つとなった。旅客、貨物、石炭などの専用埠頭(ふとう)をもち、1万トン級の船が停泊できるバース(係留地)が68か所あり、貨物取扱量は4069億トン(2012)に上る。不凍港のため、中国北部では重要な意義をもち、避難港、漁港など多面的な機能を果たしている。石臼(せききゅう)、上海(シャンハイ)、石島(せきとう)、大連(だいれん)などのほか、日本や韓国にも定期航路が通じる。陸路には膠済線、高速鉄道の膠済旅客専用線などがあり、即墨区の藍村(らんそん)鎮からは煙台(えんだい)までの藍煙線が出ている。2015年には地下鉄が開業した。自動車道もまた山東省各地に通じており、2011年には膠州湾に架かる青島膠州湾大橋と青島膠州湾海底トンネルが開通している。空路には青島流亭国際空港があり、国内主要都市のほか、日本や韓国とも結ばれる。
[駒井正一][編集部]
市の南部の海岸地区は保養・観光地で、中山・魯迅(ろじん)両公園のほか、海水浴場や労働者の保養センター、サナトリウム、外国人居留地であったころの歴史的建築物などがある。2008年のオリンピック北京(ペキン)大会では、セーリングの競技会場にもなった。山には宋代創建の太清宮(たいせいきゅう)や太平宮、潮音瀑(ばく)などの名勝・旧跡が数多くあり、観光地となっている。
[駒井正一][編集部]