イギリスのヨーロッパ連合(EU)からの離脱を意味する造語。英語でイギリスを意味するBritainと、離脱を意味するexitを組み合わせたもの。2016年6月にEU残留の是非をめぐって行われた国民投票の結果、離脱支持が51.9%を占め、それを受けて同国のテレーザ・メイ政権は2017年3月、EUに対して正式に離脱意思を通告した。イギリスとEUとの離脱交渉を経て、2019年3月にイギリスはEUから離脱する見込みである。
[池本大輔]
イギリスは当初からヨーロッパ統合には消極的であった。1952年に設立されたヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)、1958年に設立されたヨーロッパ経済共同体(EEC)、ヨーロッパ原子力共同体(EURATOM(ユーラトム))への参加を見送り、ようやく1973年になってヨーロッパ共同体(EC。上記三つの共同体の総称)に加盟した。イギリスは加盟後も「扱いにくいパートナー」であり続け、ヒト・モノ・サービス・マネーが国境を越えて自由に移動できる単一市場の実現には熱心であったが、単一通貨のユーロや域内国境管理を廃止したシェンゲン協定には不参加の姿勢を貫いてきた。
このような消極的姿勢の背後にはいくつかの要因がある。歴史的には、旧大英帝国の諸国やアメリカとの「特別な関係」のほうが、大陸ヨーロッパ諸国との関係より重視されてきた。ヨーロッパ統合は、第二次世界大戦の経験を踏まえ、民主的で平和なヨーロッパを築くために国家主権を共有するプロジェクトである。しかし民主的な政治体制が崩壊したことも、ドイツに占領された経験もないイギリスでは、このような統合の理念に対する支持は希薄であった。1973年にECに加盟したのは、それが国際的な影響力を向上させ、経済的な実利をもたらすと期待したためである。しかし1980年代以降イギリスがサービス業・金融業を中心とする経済構造や市場志向の強い経済政策を採用したことで、大陸諸国との間に溝ができた。さらに、ヨーロッパ統合に関する対立軸は、二大政党の保守党・労働党を横断する形で存在する。それゆえイギリスがヨーロッパ統合に建設的に関与するためには、二大政党の親欧州派勢力が党派を越えて協力することが不可欠であったが、与野党間の対立を特徴とするイギリスの政治システムの下ではむずかしかった。
このような事情が、大陸諸国とイギリスとの間の統合に対する温度差の原因となってきた。とはいえ、加盟直後の1975年に行われた国民投票で投票者の67%が残留を支持したように、EUからの離脱を訴える声は2000年代までは少数に過ぎなかった。
[池本大輔]
発端は、2013年1月に首相デビッド・キャメロンが、次回の総選挙で保守党が勝利した場合にEU残留の是非をめぐる国民投票を行うと公約したことにある。その背景には、EUに対するイギリス世論が硬化したことと、保守党内部の路線対立とがあった。
まず2004年と2007年の二度にわたってEUの東方拡大が行われたが、当時のブレア政権は人の自由移動に関し移行期間を設けなかったため、新たにEUに加盟した東欧諸国からの移民が急増した。多くの移民が流入した地域では、職を奪われるとの懸念が広まるとともに、医療や教育などの社会インフラに負担がかかることになった。続いて、2010年以降のユーロ危機や金融規制をめぐる大陸諸国との対立のためにEUに対する信頼感が低下し、EUからの離脱を唱えるイギリス独立党(United Kingdom Independence Party:UKIP(ユーキップ))への支持が拡大した。
加えて、もともとは親EU的な政党であった保守党のなかでは、サッチャー政権期の1980年代末以降、単一通貨導入に対する反発などから懐疑派の勢力が強まっていたが、とくに1997年に政権から下野したあと党内対立が激化した。首相キャメロンが国民投票を公約したのは、これ以上イギリス独立党に支持が流れるのを防ぎ、保守党の党内対立を収拾するためであったといわれる。
同時に、イギリス議会制民主主義の機能不全の影響も見逃すべきではない。1960年代までのイギリスでは、階級対立を背景に、全国政党である保守・労働両党が選挙で90%前後の票を得てきた。そこで政治的な懸案に対しては、二大政党が異なる立場をとれば、総選挙で決着をつけることが可能であった。しかし21世紀に入ると自由民主党や地域政党の台頭によって二大政党の得票率が両党を合わせても60%台まで低下する一方、両党首脳部が似た立場をとる問題も多いため(EU加盟の是非はその一例)、懸案に対して総選挙で有権者の判断が下されたとみなすことはむずかしくなっている。国民投票が行われるのは1975年(EC残留)、2011年(選挙制度改革)に続いて3回目であり、2014年にはスコットランド独立をめぐる住民投票も行われている。EU離脱という投票結果を受け、慎重な議論に基づく決定が可能だとして議会制民主主義を評価する一方、感情に流されやすいという理由で国民投票を批判するむきがある。しかし、議会制民主主義が機能不全に陥ったがゆえにこそ、国民投票が必要になったという面があるのである。
[池本大輔]
離脱派はEUへの加盟によって失われた国家主権を取り戻すこと、EUに対する財政貢献のかわりに国民医療サービスの予算を増加すること、離脱によってヨーロッパ外の諸国と自由に経済的な関係を築くこと等を訴え、支持を集めた。しかし離脱派は大きく分けて二つのグループの寄せ集めの集団であった。一方は移民への反対を前面に押し出すイギリス独立党系のグループ(反グローバル化派)、もう一方はEUの規制に批判的な保守党系のグループ(ウルトラグローバル化派)であり、両者が協力することはむずかしいと思われていた。これに対して、残留派はEUに加盟し続ける経済的なメリットと国際的な影響力とを強調した。
実際にキャンペーンが本格化すると、離脱派は移民問題に焦点を絞ることでうまく協力した。移民が引き起こすとされた問題(医療サービスの長い待ち時間や学校などのインフラ不足)は、グローバル経済危機後の緊縮財政など歴代のイギリス政府の政策がもたらした結果でもあったのだが、離脱派はイギリス社会が抱えるさまざまな問題の原因をEUに押しつけることに成功した。それとは対照的に、残留派は個人的な野心や党利党略にこだわるあまり、最後まで足並みがそろわなかった。離脱派の顔となった元ロンドン市長ボリス・ジョンソンBoris Johnson(1964― )は実際には残留を支持する立場であったが、キャメロンの後継争いで優位にたつために離脱派に加わった(そして僅差(きんさ)で負ける予定であった)といわれる。野党労働党は党所属の国会議員のほとんどが残留支持であったが、最終盤に差しかかるまで全力を注ぐことはなかった。これは党首コービンJeremy Corbyn(1949― )の個人的な姿勢のほかに、2014年のスコットランド独立をめぐる住民投票で独立に反対した結果、その後の総選挙で議席をスコットランド国民党(Scottish National Party:SNP)に奪われた二の舞を恐れたためであった。主要政党の残留派がうまく協力できていれば、結果は違ったものになった公算が大きい。
2016年の国民投票は、残留派、離脱派、双方が大げさな主張や一見して事実に反する主張を繰り返し、議論の質が低かったことが大きな特徴であり、「ポスト真実政治post-truth politics」なることばができたほどである。これは、数年に一度行われる選挙では、一度敗北しても次があるためにある程度マナーが守られるのに対して、国民投票では結果が数十年にわたって持続する可能性が高いため、どのような手を使っても勝とうとするインセンティブが働くためではないかといわれる。とくに離脱派は、結果判明後にそれまでの主張の多くを撤回したことで批判された。もっとも、このような政治的なデマが結果を左右したかどうかは疑問の余地がある。というのは、国民投票後に行われた世論調査で、自らの投票を後悔していると回答した有権者の比率はそれほど高くないからである。離脱派が51.9%対48.1%という僅差で勝利したのは、有権者がデマに踊らされたためというより、イギリス社会が大きく分断されていることの結果とみたほうが適切であろう。
[池本大輔]
だれがEU残留を支持し、だれが離脱を支持したのか。一般的にいえば、グローバル化の恩恵に浴するエリート層が残留を支持する一方、グローバル化から取り残された層が離脱を支持した。世論調査の結果によれば、社会階層や学歴の高い者、若年層、ロンドン居住者は残留を支持する傾向が強かったとみられる。もっとも、保守党支持者の約6割が離脱を支持するなど離脱派にはエリート層も含まれているし、逆にグローバル化から取り残された層のなかでも、スコットランドの独立を主張するスコットランド国民党の支持者の多くは残留を支持した。
EUに対する立場は個人の自己決定や、環境保護・移民など社会的問題に対する態度と非常に強い相関があり、社会的問題でリベラルな態度をとる者がEUを支持するのに対して、保守的な者はEUに敵対的であることが多い。離脱派には、イギリス独立党の支持者、EUの規制に反発する中小企業経営者、衰退したイングランド北部の工業地帯の労働者など雑多な集団が含まれ、経済的な利害も同一でなければ、明確な離脱後の青写真もない。離脱派の共通項は、社会的な保守主義であったのである。
[池本大輔]
国民投票の結果を受けてキャメロンは首相を辞任し、メイが後を継いだ。2017年3月にイギリスがEU基本条約(リスボン条約)第50条に基づき正式に離脱意思を通告したことを受け、2年間にわたって離脱交渉が行われる。離脱交渉は、離脱条件についての交渉と離脱後の関係や移行期間についての交渉の二つからなる。離脱条件についての交渉は、イギリスのEU離脱後にイギリスに居住するEU市民とEUに居住するイギリス市民の法的地位をめぐる問題、イギリスが支払うべき「手切れ金」(たとえば、イギリスを含むEU各国はすでに2020年までの歳出計画に合意しているため、離脱後も予算分担金の支払い義務が生ずる)、南北アイルランド関係の三つをめぐって行われている。この交渉が十分な進展をみたあとではじめて、離脱後の関係や移行期間について交渉が行われる見込みである。
離脱後のイギリスとEUの関係については、ヨーロッパ経済領域(ノルウェー)型、二国間協定(スイス、カナダ)型、WTO(世界貿易機関)型の三つの可能性がある。イギリスがEU離脱後もその単一市場にはとどまるヨーロッパ経済領域(EEA)型を「ソフト離脱soft Brexit」、それ以外の選択肢を「強硬離脱hard Brexit」とよぶこともある。EUに加盟していないノルウェーは単一市場の一員であるが、その対価としてEUに財政的に拠出し、人の自由移動も受け入れている。ロンドンの国際的金融街シティを拠点とする金融機関は、イギリスが単一市場の一員にとどまれば、シングルパスポート制度により、EU域内で自由に営業することができる。しかし、離脱派が移民の制限を訴えて勝利したため、ノルウェー型をそのまま適用するのはむずかしいであろう。スイスやカナダはそれぞれEUとFTA(自由貿易協定)を締結しているため、工業製品の貿易には関税がかからないが、イギリスの主要産業であるサービス業や金融業はあまりカバーされていない。もしイギリスとEUがいかなる通商協定の締結にも失敗すると、WTOのルールが適用され、イギリスとEU諸国との貿易には関税がかかることになるが、両者の被る経済的打撃が甚大になるため、この可能性は低い。
イギリスにとっての問題をひとことで表現すれば、移民を制限しつついかにシティの金融機関や製造業の利益を守るか、ということになるであろう。交渉結果によっては、多国籍企業がイギリスから大陸ヨーロッパ諸国に活動拠点を移し、イギリス経済への深刻な打撃になることが予想される。
[池本大輔]
国民投票の帰結の一つは、二大政党の双方で熾烈(しれつ)な路線対立が勃発したことである。保守党の党首選挙は内相のメイが勝利する形で決着し、キャメロンの後継首相に就任することになった。メイは国民投票では消極的ながら残留を支持する立場であったが、首相就任後は移民の制限を重視して単一市場からも離脱する強硬離脱路線をとった。しかし2017年下院総選挙で保守党が単独過半数を割ったため、イギリス政府の交渉姿勢は混迷している。野党労働党は左派的な経済政策を公約することで支持を回復したが、党内対立のためEUについてはあいまいな態度をとり続けている。
EUからの離脱は膨大な事務負担を伴うため、イギリスがそれに忙殺され、外交面で存在感を発揮できないことが予想される。イギリスは北大西洋条約機構(NATO(ナトー))の一員ではあり続けるとはいえ、同国がヨーロッパとアメリカとの間の掛け橋として活動してきたことを考えると、そのEU離脱によって欧米関係が疎遠になるかもしれない。他方で、先にみたように離脱派が全て反グローバル化を志向しているわけではない。保守党政権は「グローバルなイギリス」を標榜(ひょうぼう)し、日米両国などEU域外国との関係を深めようとしているが、その成果は未知数である。イギリス国内での注目点としては、EU残留派が多数を占めたスコットランドが独立に踏み切るかどうか、という問題もある。
イギリスという主要な加盟国が離脱することは、EUの国際的な影響力にとって打撃となることが予想される。イギリス以外の加盟国でもEUに対して批判的な姿勢をとるポピュリズム勢力が支持を集めるなか、EUはイギリスに続いて離脱する国が出てこないようイギリスに厳しい立場で臨むか、それともイギリスとの関係を悪化させないようある程度までイギリスの要求に応じるか選択しなければならず、ユーロ危機、難民危機に加えて新たな難問を抱え込むことになった。またイギリスのEU財政に対する負担額はドイツに次いで第2位であったため、EUの新たな財政計画の策定にあたっては、その穴をどう埋めるかが大きな争点となるであろう。
[池本大輔]
日本にとってイギリスは政治・経済両面でEUへの窓口となってきた国であるため、ブレグジットは日本にとっても対岸の火事ではない。日本政府はイギリスを拠点とする日本企業や日本経済全般への打撃を最小限に抑えるため、イギリスとEUの両者に対して可能な限り密接な関係を維持するように求める一方、EUとの間でEPA(経済連携協定)締結のための交渉を急いでいる。
[池本大輔]