日本の主要都市間を結ぶ、時速200キロメートル以上の高速旅客列車専用の特別な鉄道路線。海外でもShinkansenの名称がそのまま使われている。
1964年(昭和39)10月1日、東京―新大阪間に標準軌間(1435ミリメートル)の高速旅客列車専用の特別線が営業を開始した。この東海道新幹線が契機となって、専用の高速鉄道線が新幹線と称されるようになった。現在、日本には東海道、山陽、東北、上越、北陸、九州および北海道の7線区と、ほかにミニ新幹線とよばれる山形、秋田の2線区がある。営業用の列車はすべて旅客車で、流線形の電車編成である。東海道新幹線はすべて16両編成、山陽新幹線は8または16両編成、九州新幹線は6または8両編成、上越新幹線は8~16両編成、北陸新幹線は8または12両編成、北海道新幹線は10両編成、東北新幹線は線内の列車は基本10両編成で運転されている。電車1両の長さは25メートルで、16両編成の全長は400メートルに及ぶ。なお、東北新幹線の列車にミニ新幹線20メートル車7両(つばさ)または6両(こまち)を連結して16または17両編成で運転されているものもある。このほかに「つばさ」単独の7両編成も運転される。また座席数は、「のぞみ」を例にとれば、普通車13両(うち自由席3両)、グリーン車3両の編成では1520人分あり、東北新幹線の全2階建て16両編成では1630人分ある。これだけの座席数の列車は、世界でも他に類をみない。しかも東海道新幹線区間では1日291列車もダイヤ設定され、どの列車もほぼ同一性能で、最高時速は285キロメートル(山陽新幹線区間では300キロメートル)の高速である。東京発の列車は「のぞみ」「ひかり」「こだま」をあわせると1時間最大15本という通勤電車に相当する頻度で長大編成の高速列車群を運転しており、このような鉄道は、世界でも東海道新幹線だけである。また、東北新幹線の最高時速は320キロメートルである。なお、架線による供給電力は、単相交流の25キロボルトで、東海道、山陽および九州新幹線は60ヘルツ、東北・上越新幹線および北海道新幹線は50ヘルツの商用周波数である。また、北陸新幹線は通過する地域の商用周波数にあわせて50ヘルツと60ヘルツが供給されている。
[西尾源太郎・佐藤芳彦]
江戸開府以来、日本の交通は江戸と京坂地区を結ぶ東海道が圧倒的に多かった。現代においてもその事情は変わらず、東海道沿線地帯は、人口密度の高い、世界有数の密集工業地帯である。第二次世界大戦以前すでに複線の東海道本線では鉄道輸送の需要に応じきれず、線路の増設を必要としていた。とくに日中戦争が始まってからは、朝鮮半島や中国大陸との人員や物資の交通の必要が高まり、1938年(昭和13)から東京―下関(しものせき)間の標準軌間新線が計画されたが、戦況の激化によって実現に至らなかった。日本の鉄道が戦後の荒廃から立ち直り、経済力の伸展とともに、ふたたび東京―大阪間を主とする輸送能力の増強が要求されだしたのは、1955年(昭和30)ごろからである。他の交通手段である高速自動車道路や空港、港湾施設の新設・改良も実施されつつあったが、ことに鉄道線路の増強が必要とされていた。
1955年5月、日本国有鉄道(国鉄。現、JR)総裁に十河信二(そごうしんじ)(1884―1981)が就任すると、「東海道線増強調査会」が設けられた。調査会の活動が軌道に乗り始めた1957年5月30日、国鉄の鉄道技術研究所は、創立50周年記念行事として講演会を開催した。ここで発表されたのは、標準軌間の高速電車を研究開発すれば、東京―大阪間を3時間で運転できるという技術者たちの意見であった。技術者たちの自信は国鉄幹部に勇気を与えるとともに、一般世論にも大きな関心を呼び起こした。
一方、実現を迫られている東海道線の増強について、在来の線路網の一部として狭軌のままとするか、標準軌間または広軌とするか、東海道本線と併設するか別線にするか、動力方式はどうするかなど、さまざまな問題点の詳細な調査と検討が進んでいた。この調査結果を基にして、閣議決定による「日本国有鉄道幹線調査会」が運輸省(現、国土交通省)に設置されたのは1957年8月のことであった。当時の国鉄技師長の島秀雄は、(1)1435ミリメートルの標準軌間とし、(2)東京―大阪間を3時間で運転できる高速旅客列車専用線路を建設する、(3)動力は単相交流電化方式を採用する、という方針を運輸省の調査会に提案した。この方針は検討のすえ支持を得て、審議会の答申として建設基準が打ち出された。
最高時速200キロメートルの高速列車には、全電動車方式の総括制御式編成電車が適していると判断された。その理由は、電気機関車による動力集中方式と比べて、(1)軸重が各車両に分散し平均化するので、軌道の強度が弱くてすみ、建設費・保守費が低下する、(2)高速域から減速して停車させる際に、駆動用の電動機を発電ブレーキとして用いる制動を主にできるので、安全性が向上し、保守上も有利であること、などである。
開業の目標期限は、1964年の東京オリンピックに置かれた。新設された新幹線総局を中心に、国鉄技術陣は、関連する工業界の協力を得て、総力をあげて研究・開発・設計にあたった。期限が明確化したため、研究・開発の成果のうちから、確実に実行可能な既成技術を中心に組み合わせて、安全確実な新幹線システムが完成した。当初の約1950億円の予算は、逐年修正されて完成までに約3800億円となったが、その間のインフレーションの影響を考慮に入れると、計画実施者の努力を反映する低価格投資ということができる。在来線と別ルートを採用した結果、実距離は515.35キロメートルと短縮された。
[西尾源太郎・佐藤芳彦]
(1)列車制御システム 高速・高密度運転の列車は、安全が第一に考慮されなければならない。東海道新幹線の建設にあたって、独特の列車群制御システムが開発された。そのおもなものとして、ATC(自動列車制御)装置とCTC(列車集中制御)装置がある。車内信号方式を採用し、区間ごとに速度を指令する変調周波数の信号電流を軌道回路に流して、電車の運転室床下に設けた受電器で受信することによって、車両の速度とつねに照査させ、信号指示速度値より実速度が高くなると、自動的にブレーキ(正常時には電気ブレーキ)が作動する。これがATC装置の基本原理である。東京駅にある総合指令所に全区間(山陽新幹線開業後は東京―博多(はかた)間)の全列車位置を表示し、あらゆる指令を自動集中化したのがCTC装置である。各駅の発着番線、進路の開閉の指示、分岐器の操作までを中央で行う自動進路設定装置のほか、沿線に配置された地震計や風速計のデータもパネルに表示され、列車の停止や徐行を指令する。なんらかの故障の場合に、制御を各駅の制御盤に切り替える安全装置も用意された。また、列車無線電話装置をはじめとした情報伝達装置も、運転の安全のために完備された。その副次的利用として、乗客が列車内の電話室から沿線の大都市の加入者へかける一般通話が可能となった。
(2)土木技術 新丹那(たんな)トンネルをはじめとする長大トンネル、富士川などの長大橋梁(きょうりょう)(主として鉄桁(てつげた))などは軽量化構造とし、桁の長さや部材寸法を標準化して、風水害・地震などに対する復旧が速やかにできるようくふうされた。道床は主として盛り土構造のバラスト道床(路盤上に砕石を敷き詰めた道床)であり、砕石の上に枕木(まくらぎ)を敷設する。レールは1メートル当り53キログラムの新しい形状が採用された。溶接によるロングレールで、信号軌道回路のセクションの必要から1500メートルを単位としている。ロングレールどうしの継ぎ目にも伸縮継ぎ目装置を使用しているので、従来の鉄道のような衝撃音は発生しない。枕木はPC(プレストレストコンクリート)製で、レール底面の当たる箇所にゴムパッドを敷き、さらに弾性締結装置でレールを固定。軌道および架線の保守には、営業列車と同じ速度で走りながら自動的に摩耗や変位状態を記録測定する総合試験車を使用して合理化を図った。
[西尾源太郎・佐藤芳彦]
東海道新幹線の完成に続いて、1965年(昭和40)、国鉄第三次長期計画による新大阪―博多間の山陽新幹線が計画された。第1期工事として新大阪―岡山間が1967年に着工され、1972年3月15日に営業を開始した。岡山までの開通に続いて、第一次オイル・ショックが起こり、インフレが進行したため、工事進行は計画より遅れ、博多までの全線が開業したのは1975年3月10日である。
山陽新幹線の工事が進むなか、1970年、政府は「全国新幹線鉄道整備法」を制定した。全国7000キロメートルに及ぶマスタープランのうち、東北(東京―盛岡)、上越(大宮―新潟)、成田(東京―成田)新幹線を着工線、東北北海道(盛岡―札幌)、北陸(高崎―富山―大阪)、九州(博多―長崎、博多―鹿児島)を整備計画線とした。これは、東海道新幹線が予期以上の輸送実績をあげ、早くも償却を完了して黒字に転じ、営業係数(収入に対する経費の割合)50%台のドル箱路線となったことと、安全・高能率な輸送が維持されて、世界的にも注目を集めたことからである。しかし、山陽新幹線開業が遅れたことでもわかるように、そのころから、(1)日本経済の高度成長の終息、(2)高速自動車道路網の急速な発達と自動車保有台数の激増、(3)国内航空路の充実、(4)公害防止・自然保護への世論の盛り上がり、などの要因で、新幹線開設のための莫大(ばくだい)な投資が全国的に有効かどうかについての疑問が浮かび上がってきた。
着工線のうち東北・上越新幹線は、1971年に着手され、1982年6月23日に東北新幹線の大宮―盛岡間が、同年11月15日には上越新幹線の大宮―新潟間が営業運転を開始した。上野への乗り入れは、用地の手当て、公害対策などでさらに遅れ、1985年3月14日に実現した。
全国新幹線鉄道整備法は数次の改正を経て、2016年(平成28)時点では、北海道(青森―札幌)、東北(盛岡―青森)、北陸(東京―大阪)、九州(福岡―長崎、福岡―鹿児島)の5路線の整備を行うこととしている。
[西尾源太郎・佐藤芳彦]
1987年4月1日、国鉄は民営化され、東北・上越新幹線は東日本、東海道新幹線は東海、山陽新幹線は西日本と、それぞれの旅客鉄道(JR)が運営を行うことになり、JR各社による開発が進められることとなった。新幹線施設は一括して新幹線鉄道保有機構が保有し、JR各社に貸し付ける仕組みとなった。しかし、1991年(平成3)のJR3社株式売却とあわせて、各社の経営責任の明確化と運営の自主性強化のため、新幹線鉄道保有機構は、施設をJR3社に譲渡して解散した。
1991年6月20日、東北・上越新幹線の上野―東京間3.6キロメートルが開通し、東京駅で東海道新幹線列車と同じレベルのプラットフォームで列車の相互乗り換えが可能となった。JR東日本では在来線を新幹線と同じ軌間に改軌または併設して、東北新幹線から直通運転できるようにし、1992年7月1日に奥羽(おうう)本線の福島―山形間67.1キロメートルに山形新幹線(愛称つばさ)が、さらに1997年3月22日に田沢湖(たざわこ)線・奥羽本線の盛岡―秋田間127.3キロメートルに秋田新幹線(愛称こまち)が開業した。ミニ新幹線とよばれるこの方式は、在来線の線形および施設構造物を基礎にした線路改良であるため、建設投資は少なくてすむが、この区間の列車走行速度は在来線なみに抑えられる。これにより、東京―山形間は最短2時間27分、東京―秋田間は3時間49分で結ばれることになった。1999年12月4日に山形新幹線は新庄まで61.5キロメートル延伸された。1997年10月1日には高崎―長野間117.4キロメートルが長野新幹線として開業、東京―長野間を最短1時間23分で結んだ。2015年3月14日には、長野―金沢間228キロメートルが開業し、本来の名称である北陸新幹線に改称した。東京―金沢間を最短2時間30分で結ぶ。2002年12月1日には東北新幹線の盛岡―八戸(はちのへ)間96.6キロメートルが延長開業、その後、2010年12月4日には八戸―新青森間81.8キロメートルが開業、2016年3月26日には北海道新幹線の新青森―新函館北斗(しんはこだてほくと)間148.8キロメートルが開業し、最高時速320キロメートルのE5系およびH5系(愛称はやぶさ)により、東京―新函館北斗間862.5キロメートル間は最短4時間2分で結ばれた。なお、青函(せいかん)トンネルは、建設当初から新幹線の走行も考慮し、大断面のトンネルを採用していた。北海道新幹線開業のため、貨物列車の走行も可能な標準軌と狭軌の3線軌条区間としている。
また、2004年3月13日には九州新幹線の新八代(しんやつしろ)―鹿児島中央間137.6キロメートルが開業、2011年3月12日の博多―新八代間151.3キロメートルの開業により、博多―鹿児島中央間は最短1時間19分となった。
JR東海では、1992年3月14日より東海道・山陽新幹線の第3世代の電車として300系が登場し、東京―大阪間を2時間半、最高時速270キロメートルで運転できる列車が設定され、「のぞみ」と命名された。量産車の整備ができた1993年3月のダイヤ改正からは東京―博多間を5時間4分で運転、さらに山陽新幹線では1997年3月から最高時速300キロメートルを誇る500系のぞみが運転を開始した。同年11月からは東海道新幹線でも500系のぞみの運行が始まり、東京―博多間の所要時間は最短4時間49分となった。2015年3月のダイヤ改正で、東海道新幹線の列車は、すべて700系、N700系およびN700A系となった。
新幹線は最初、最高時速210キロメートルであったが、2016年時点では東海道新幹線が時速285キロメートル、山陽新幹線が時速300キロメートル、上越新幹線が時速240キロメートル、東北新幹線が時速320キロメートル、北陸新幹線、九州新幹線および北海道新幹線が時速260キロメートルとなっている。なお、上越新幹線では1990年から1999年まで200系を使用して時速275キロメートルでの運転を行っていた。
なお、レール・車輪方式による鉄道の世界最高速度記録(時速)は、2007年4月3日にフランスの超高速列車TGV(テージェーベー)-POS(東ヨーロッパ線)をベースにした試験列車V150が出した574.8キロメートルで、日本最高速度記録は1996年7月26日にJR東海の試作車両300Xが東海道新幹線の京都―米原(まいばら)間で出した443キロメートルである。
[西尾源太郎・佐藤芳彦]
山陽新幹線の建設過程から、将来の高速化を目ざして、最高時速260キロメートルを達成できる車両・軌道・構造物の研究が始まった。また、饋電(きでん)(電車線への電力供給)方式もBT(booster transformer)方式からAT(auto transformer)方式に改良された。これにより、変電所の間隔を倍に延長することが可能になった。東海道新幹線で採用されたバラスト軌道は頻繁な保守を必要としたので、山陽新幹線では、コンクリートブロック(スラブ)にレールを締結するスラブ軌道が開発された。スラブ軌道は山陽新幹線の新大阪―岡山間建設時に試験され、その後の新幹線では標準となっている。
騒音、振動および電磁雑音による公害問題が表面化したのは、名古屋地区に名古屋新幹線公害対策同盟が結成された1971年以降である。同盟は名古屋新幹線公害対策同盟連合会、ついで新幹線公害反対全国連絡協議会に発展し、有志による原告団が1973年には国鉄を相手として騒音・振動の低下と慰謝料を求める訴訟をおこし、係争を行っていたが、1986年に至って原告団と国鉄との間で和解の合意に達した。公害問題に対応して、政府によって公示された環境基準に適合する防音・防振構造の研究改良が行われた。吸音材料の防音壁を住宅密集地区に設け、新たに建設される橋梁はPCの長大スパンとするなどの対策がとられた。さらに将来の新幹線計画については、環境アセスメントにしたがって地元の意見を取りまとめ、報告書を実施計画書に添えて国土交通大臣に許可を申請することになっている。
東海道新幹線は関ヶ原(せきがはら)付近でしばしば雪に悩まされた。豪雪地帯を走る東北・上越新幹線では、その経験を基礎にして徹底的な雪害対策が講じられた。上越新幹線では温水スプリンクラーが設置され、東北新幹線でも特殊な路盤構造を実施した。車両も床下機器をボディマウントで覆う粉雪浸入防止法がとられ、この分の重量の増加を抑えて車両重量を60トンに収めるため、車体をアルミニウム合金製とした。
東北・上越新幹線は、公害・雪害対策のほか、1978年の宮城県沖地震の教訓に基づいて、海岸沿いの地震観測点から電気連動して、迅速な予防・復旧措置がとれるよう設備の改良が行われた。列車制御にも、コンピュータによってCTCの運転管理を合理的に行うコムトラック(新幹線運転管理システム)が開発された。これは、東海道・山陽新幹線が直通運転になってから、車両・信号・架線の故障が起こったとき、ダイヤの回復に長時間を要した経験から生まれたものであった。東北・上越新幹線、北陸新幹線および北海道新幹線には、コムトラックと同様のコンピュータによる列車運行管理システムのコスモス(COSMOS:Computerized Safety, Maintenance and Operation Systems of Shinkansen)が採用されている。
東海道新幹線は予期以上の輸送量となったので、レールと架線の摩耗損傷が開業7年目ころから増加してきた。レールは山陽新幹線と同じ1メートル当り60キログラムに、また架線は重コンパウンド方式に強化することとし、1976年2月から1982年1月まで東海道新幹線を月に一度、半日運休して、軌道・架線などの若返り工事を行った。その結果ふたたび安定した輸送実績を回復している。その後、列車運休しての大掛りな保守工事を行うことが定着している。また、2002年には、全国新幹線鉄道整備法の改正によりトンネルや橋梁等の大規模改修に備える引当金制度が創設され、初の対象としてJR東海が指定された。この制度による東海道新幹線の大規模改修工事期間は2013年4月から2023年3月までである。また、宮城沖地震、阪神淡路(あわじ)大震災、中越地震および東日本大震災などの経験から、構造物の耐震補強とあわせ、脱線防止ガードの設置がなされ、災害に強い新幹線となっている。
東海道新幹線以来18年間の経験のうえに建設された東北・上越新幹線は、軌道や車両の構造も乗り心地の快適性を極限まで追求し、世界最高の水準に達したと評価された。2002年開業の東北新幹線盛岡―八戸間では、アナログATCにかえてデジタルATCが採用された。デジタルATCは、地上と車両間の信号伝送にデジタル情報伝送技術を用い、先行する区間の速度制限に対応した連続的なブレーキパターンを車上で発生させ、そのパターンと車両の速度を比較してブレーキを動作させる。電気ブレーキも発電ブレーキにかえて、ブレーキエネルギーを電力として電源側に返す電力回生ブレーキが採用されるようになった。列車無線も、空間波無線から線路に沿って敷設した漏洩(ろうえい)同軸ケーブル(LCX)を使用するようになった。アナログ無線もデジタル無線に切り替わっている。
駅設備は、新幹線の乗客が能率よく乗降できるように在来線の乗降客と分離し、しかも在来線との乗換え、市内交通機関との連絡が便利な構造になっている。乗車券・特急券の販売は大型コンピュータによる座席予約システムであるマルス501の使用により、ホテル宿泊券の指定や、プッシュホンやインターネットによる予約も可能である。
[西尾源太郎・佐藤芳彦]
新幹線に対する世界各国の高い評価は、先進国において斜陽化していた鉄道事業再検討の気運を招いた。
東海道新幹線開業に刺激を受けた欧米各国の鉄道は、高速列車の開発に取り組み、1970年代後半に機関車牽引(けんいん)列車による在来線での時速200キロメートル運転を実現した。高速専用線の建設とあわせて新型高速列車を投入したのは、フランスのTGVがヨーロッパ最初である。1981年開業の南東線で、パリ―リヨン間を最高時速260キロメートル(のち時速270キロメートル)で結び、その後、大西洋線、北ヨーロッパ線、地中海線、東ヨーロッパ線などを開業した。ヨーロッパではフランス以外に、ドイツ(ICE(イーツェーエー))、イタリア(ペンドリーノ)、スペイン(AVE(アベ))、スウェーデン(X2000)などで高速新線が開業している。また、国境を越えた高速列車の相互直通運転も行われるようになり、それぞれの規格を統一し、信号、通信および列車運行管理システムも標準化されつつある。ヨーロッパ連合(EU)は、ヨーロッパ主要都市を時速250~300キロメートルの高速鉄道で結ぶ「ヨーロッパ高速鉄道整備計画」を推進している。
ヨーロッパ以外でも、韓国、台湾、トルコなどが高速鉄道を開業し、中国も在来線の高速化(時速200キロメートル以上)とあわせて1万5000キロメートルの高速鉄道の建設を進めている。このほか、インド、ブラジル、マレーシアなどの世界各国に高速鉄道建設計画があり、高速旅客列車のみをシステム化した新幹線方式は、世界の主要都市を結ぶ大量輸送機関としての声価を高めてゆくものと期待されている。
[西尾源太郎・佐藤芳彦]