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人形浄瑠璃(日本大百科全書・世界大百科事典・歌舞伎事典)
人形浄瑠璃は、一般に浄瑠璃の語りにあわせて演じる人形劇全般の称であるが、狭義には義太夫節を使い、三人遣い形式によるものをさし、現在では唯一の専門劇団である「文楽」のことを意味する。江戸時代には操浄瑠璃または操芝居とよんだ。文楽は世界の数ある人形劇のなかでも
狂言(改訂新版・世界大百科事典)
南北朝時代に発生した中世的庶民喜劇で,能,歌舞伎,文楽(人形浄瑠璃)などとともに日本の代表的な古典芸能の一つ。特に能とは深い関係をもつところから〈能狂言〉とも呼ばれる。能が主に古典的題材をとり上げ幽玄美を第一とする歌舞劇であるのに対し,狂言は日常的なできごとを笑いを通して
雅楽(世界大百科事典・日本大百科全書・国史大辞典)
古代以来もっとも長い歴史をもつ東アジアの音楽。中国で成立し,朝鮮,日本,ベトナムなどの王朝国家に伝えられ,主として国家的制度のもとで管理,伝承されてきた。中国の雅楽は,〈雅正の楽〉の意で俗楽に対立し,儒教の礼楽思想に基づいて成立,発展したために狭義には天地宗廟の祭祀楽
ラスカー賞(日本大百科全書(ニッポニカ))
ラスカー財団の創始者であり慈善家でもあったラスカー夫妻(アルバートAlbert Davis Lasker(1880―1952)とメアリーMary Woodard Lasker(1901―1994))によって1945年に創設された医学賞。基礎医学および臨床医学に貢献した研究者らに与えられるアメリカの権威ある医学賞である。
フィールズ賞(日本大百科全書(ニッポニカ))
数学におけるノーベル賞ともいうべき国際的な賞。その名称は、この賞を設けることを提案したカナダ、トロント大学の数学科教授であったフィールズJohn Charles Fields(1863―1932)にちなむ。フィールズはトロントでの第7回国際数学者会議(1924)の開催に尽力したが、その後
なにわ‐ぶし[なには]【浪花節・難波節】(日本国語大辞典)
江戸末期、大坂に起こった、三味線を伴奏とする大衆的な語り物。明治以降盛んになった。説経祭文から転化したもので、ちょんがれ節、うかれ節などとも呼ばれていた。語られる内容は多くは軍談・講釈・伝記など。最近では文芸作品も語られるが、義理人情を主とする。浪曲。
じょう‐るり[ジャウ‥]【浄瑠璃】(日本国語大辞典)
(1)仏語。清浄、透明な瑠璃。また 清浄なもののたとえ。(2)平曲・謡曲などを源流とする音曲語り物の一つ。室町時代の末に、広く民衆に迎えられた琵琶や扇拍子を用いた新音曲の中、牛若丸と浄瑠璃姫との恋物語を内容とする「浄瑠璃物語(十二段草子)」が流行したところから
幸若舞(東洋文庫・日本国語大辞典・世界大百科事典・日本大百科全書)
東洋文庫355 荒木繁・池田廣司・山本吉左右編注 歴史上の人物や伝説的英雄の戦いと,複雑な人間模様につつまれた物語を謡い,舞う幸若舞。中世末期,民衆や武士に愛好されて広く流行した幸若舞は能や歌舞伎にもふかい影響を与えている。第1巻は,入鹿,大織冠
語物(日本国語大辞典・日本大百科全書)
筋のある物語を節をつけて語る芸能。平曲、幸若、説経節、祭文(さいもん)、浄瑠璃、薩摩琵琶、筑前琵琶、浪花節など。その詞章をもいう。謡物(うたいもの)。
歌経標式(日本大百科全書(ニッポニカ))
奈良時代の歌学書。藤原浜成(はまなり)著。序、跋(ばつ)によれば、772年(宝亀3)5月勅命により成立。偽作説もあったが、真作と認めうる。最古の歌学書で、とくに歌病(かへい)論は平安時代以降、変化しつつも大きな影響を残した。序によれば書名は『歌式(かしき)』。
性霊集(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典・日本国語大辞典)
平安初期の漢詩文集。正しくは『遍照発揮性霊集』。10巻。空海作。弟子の真済が編纂したもので、当初10巻であったが、巻8以下の3巻が散逸し、1079年(承暦3)に済暹が逸文を拾集して『続性霊集補闕鈔』3巻を編み、ふたたび10巻に編纂した
倭名類聚抄(和名類聚抄)(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
「和名類聚抄」「和名抄」ともいう。平安時代の分類体漢和対照辞書。源順撰。承平年間(931~938)ごろの成立。約2600の漢語を分類し、その文例・語釈を漢籍から引用して、割注で字音と和訓を示す。従来の『楊氏漢語抄』『弁色立成』(いずれも逸書)
和漢朗詠集(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
平安時代、貴族の間に口ずさまれた漢詩文の佳句、および和歌の詞華選集(アンソロジー)。藤原公任の撰として疑われない。二巻。成立年は不明であるが、藤原道長三女でのちに後一条天皇皇后となった女御威子の入内屏風に、倭絵(やまとえ)・唐絵(からえ)とともに配されていたものと
古浄瑠璃(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
竹本義太夫と近松門左衛門の提携による新しい浄瑠璃に対して、それ以前の浄瑠璃をいう。従来、貞享二年(一六八五)竹本座二の替り興行の『出世景清』(近松作)を新浄瑠璃のはじめとする説(『外題年鑑』など)が多く行われた。浄瑠璃史の上ではそのころから完成期に入り
燕楽(日本国語大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
中国で酒宴の席で奏せられた音楽。儀式の際に奏せられる雅楽に対して、俗楽と称せられ、雅楽が古法を守るのに対して、新しい流行や西域からはいった胡楽(こがく)も取り入れて行なった。*周礼‐春官・鐘師「凡祭祀饗食、奏
林邑楽(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
インド系の舞楽。天平八年(七三六)、波羅門僧菩提僊那、林邑僧仏哲によって伝えられたという。ただし仏哲については実在を否定する説がある。初見は『続日本紀』天平宝字七年(七六三)正月条で、唐楽・吐(度)羅楽・隼人舞の歌舞などとともになされたとみえるが
竹本義太夫(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
義太夫節の開祖で、竹本座の創設者。大坂・天王寺村の農家に生まれ、幼名を五郎兵衛という。早くから井上播磨掾の浄瑠璃にあこがれ、播磨の門弟清水理兵衛が『上東門院』を興行した際、そのワキを勤めた。1677年(延宝5)京都四条河原の宇治座『西行物語』に出演して嘉太夫
太夫(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
ある種の芸能人、神職、遊女などの称号または敬称。大夫とも書く。元来は中国の官制に倣った官位の一種で、五位の称である。古代に、五位の者が儀式およびそれに伴う芸能をつかさどったことから、転じて、神事芸能を奉仕する神職や芸能人の称となった。神事舞太夫、猿楽の太夫
吏読(文字)(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
朝鮮で国字ハングルの創案(1443)以前に発達した漢字による朝鮮語の表記法のこと。吏道,吏吐,吏書などとも書く。広義には,漢字の音や訓を利用して行った朝鮮語表記の総称としても用いられ,三国時代の固有名詞や官職名の表記を含めていうこともあるが,狭義では,郷札,口訣
はく‐ろ【白露】(日本国語大辞典)
解説・用例〔名〕(1)白く見える露。しらつゆ。(2)二十四節気の一つ。太陽の黄経が一六五度の時。秋分前の一五日で、陰暦では八月の上旬、陽暦では九月七日ごろ。《季・秋》(3)靄(もや)、霧のこと。
歌舞伎(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
歌舞伎という表記は当て字であるが、歌(音楽)、舞(舞踊)、伎(伎芸)をそれぞれ意味し、日本独自の様式的演劇の特質を巧まずして表現しているため、今日では広く用いられている。かつて江戸時代には「歌舞妓」と書かれるのが普通であったが、もっと古くは「かぶき」と仮名で書かれた
鳥獣人物戯画(鳥獣戯画 、鳥獣人物戯画巻)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
京都市高山寺蔵。国宝。紙本墨画。四巻。甲巻縦三〇・七センチ、全長一一五〇・八センチ。乙巻縦三〇・八センチ、全長一二二一・七センチ。丙巻縦三一・三センチ、全長一一一四・六センチ。丁巻縦三〇・九センチ、全長九四三・〇センチ
下座音楽(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
歌舞伎の演出に、効果・修飾・背景・伴奏音楽として、原則として黒御簾で演奏される歌舞伎囃子の通称。〈黒御簾音楽〉〈陰囃子〉(略して〈黒御簾〉〈陰〉とも)などの別称がある。ただし〈陰囃子〉は、狭義に、出囃子・出語りについて黒御簾の中で演奏される鳴物を意味することが多い
江戸三座(新版 歌舞伎事典・日本大百科全書)
江戸で公許された中村座、市村座、森田座の三芝居。元禄期(1688‐1704)には山村座を含め四座存在したが、正徳四(1714)年、江島生島事件によって山村座が廃絶、以降明治に至るまで三座に限って興行が公認された。中村座は堺町、市村座は葺屋町、森田座は木挽町において興行したが
野郎歌舞伎(新版 歌舞伎事典・国史大辞典)
若衆歌舞伎の禁令以後、前髪を剃って、野郎頭となった男たちの歌舞伎、という意味で、承応一(1652)年ごろから、いわゆる元禄歌舞伎時代まで二十数年間をふつうに野郎歌舞伎時代と呼ぶ。若衆歌舞伎の少年の前髪を剃り落とされたので、以後は成人男子の役者
若衆歌舞伎(新版 歌舞伎事典・国史大辞典)
前髪立ちの美少年の魅力を中心とした歌舞伎。慶長八(1603)年四月に出雲のお国が歌舞伎踊を創始したが、その同じ年の九月には、五歳の童男の歌舞伎が宮中に招かれたという記録があるので、少年の歌舞伎はきわめて早くから行われていたことが知れる。
女歌舞伎(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・日本国語大辞典)
出雲のお国が創始した歌舞伎踊をまねた、遊女や女芸人の歌舞伎をいう。お国自身の歌舞伎も女歌舞伎であるが、一般には区別している。慶長八(1603)年お国が歌舞伎踊で評判をとるとすぐに、歌舞伎を称する女芸人の座が多く生まれ、諸国へも下った。中で、遊女屋が経営する歌舞伎の座
猿若(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・日本国語大辞典)
歌舞伎の役柄または狂言の名。(1)お国歌舞伎時代に舞台に登場した道化役で、扮装は粗末な青系統の単衣に脚絆ばき、手拭ようの布で頬被りの下人風で現れ、〈魯鈍〉な性格を演じた。舞台の猿若は唐団扇を持ち、床几運びをすることもあり、そこには、猿若の芸能と風流踊との関連が示されている
かぶき者(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
歌舞音曲の演奏家や歌舞伎役者をさすとともに、放蕩無頼・異端・異装の封建体制からはみ出してしまった、溢れ者をさす語である。中世の一つの美意識である〈ばさら〉が、集団としての反抗精神をもっていたのに対し、〈かぶき〉は個人の美的な反抗にすぎなかった。かぶき者の最初の典型
出雲のお国(新版 歌舞伎事典・新版 日本架空伝承人名事典)
生没年不詳。慶長八(1603)年、京において歌舞伎踊を演じ、歌舞伎の創始者となった女性芸能者。出雲大社の巫女と称していたが、出身地は不詳。おそらくは京もしくはその周辺の出身であろう。歌舞伎踊を創始する以前は、ややこ踊と呼ばれる芸能を演じて
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