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歴史
大隈重信(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一八三八 - 一九二二 明治・大正時代の政治家。天保九年(一八三八)二月十六日佐賀の会所小路に、父信保、母三井子の長男として生まれた。幼名は八太郎。大隈家は代々、佐賀藩に砲術・築城家としてつかえ、父信保も知行地四百石、物成百二十石を支給された
板垣退助(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一八三七 - 一九一九 幕末・明治時代の政治家。天保八年(一八三七)四月十七日高知城下中島町の邸に生まれた。父は高知藩士乾正成、母は林氏賢貞。家禄三百石、馬廻格。退助の幼名は猪之助。安政二年(一八五五)勤番を以てはじめて江戸に上り、翌年帰藩
福沢諭吉(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一八三四 - 一九〇一 明治時代の啓蒙思想家、慶応義塾の創立者。天保五年(一八三四)十二月十二日、豊前国中津藩士福沢百助(四十三歳)と妻順(三十一歳)の、第五子(末子)、次男として、父が廻米方を勤める大坂堂島の玉江橋北詰中津藩蔵屋敷内
伊藤博文(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
[1841―1909]明治時代の代表的な藩閥政治家。公爵。長州藩出身。天保(てんぽう)12年9月2日、周防(すおう)国(山口県)熊毛(くまげ)郡の貧農の家に生まれる。幼名利助(りすけ)、のち俊輔(しゅんすけ)。春畝(しゅんぼ)と号した。父十蔵が家族ぐるみで
岩倉具視(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一八二五 - 八三 幕末・明治時代前期の政治家。小字周丸(かねまる)、号ははじめ華竜、のち対岳。文政八年(一八二五)九月十五日、前権中納言堀河康親の第二子として京都の堀河邸で生まれた。母は勧修寺経逸の女淑子。伏原宣明に学びその斡旋によって
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文化
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文学
塙保己一(国史大辞典)
一七四六-一八二一。江戸時代後期の国学者、平曲家。延享三年(一七四六)五月五日武蔵国児玉郡保木野村(埼玉県児玉郡児玉町)の農家荻野宇兵衛の長子として出生。荻野氏は参議小野篁七代の後孫武蔵守孝泰の末裔といい、母きよの生家は同国加美郡藤木戸村(同児玉郡上里町)名主斎藤氏。
塙忠宝(国史大辞典)
一八〇七-六二。江戸時代末期の和学者。通称次郎、名は瑤、温故堂と号す。保己一の四男として文化四年(一八〇七)十二月八日江戸表六番町に生まれる。文政五年(一八二二)九月父のあとを継いで和学講談所御用掛となり、以後、不慮の死を遂げるまでの四十一年間にわたってその経営を統管し
大和物語(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典・日本国語大辞典・全文全訳古語辞典・日本古典文学全集)
平安時代中期の歌物語。作者不明。成立は951年(天暦5)ごろ現存本168段あたりまでほぼ成立、以後『拾遺集』成立(1005ころ~07ころ)ごろまでに169段から173段まで、および他にも部分的な加筆があるらしい。内容は173段にわたる歌語りの集成で
紀貫之(改訂新版・世界大百科事典)
平安前期の歌人,文学者,官人。貫之5代の祖,贈右大臣船守は,桓武天皇の革新政策をたすけて平安遷都に力を尽くした偉材であったし,祖父本道の従弟有常は在原業平とともに文徳天皇第1皇子惟喬親王を擁して,北家藤原氏と皇位継承権を争ったほどの輝かしい歴史をもっていた紀氏であったが
歌物語(改訂新版・世界大百科事典)
平安中期の物語の一様式をあらわす文学用語。語彙としては二義あり,一つは早く《栄華物語》(〈浅緑〉)にもみえ,歌にまつわる小話の意で,当時〈うたがたり〉と呼ばれた口承説話とほぼ同一内容のものと思われる。二つは近代に入ってからの新しい用法で,《竹取物語》《宇津保物語》などを〈作り物語〉と古くから呼んできたのに対して
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自然
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科学・医学
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社会
神武天皇(国史大辞典・新版 日本架空伝承人名事典・改訂新版 世界大百科事典)
『日本書紀』および『古事記』によれば、第一代の天皇で、皇室の祖先とされる。その名は、『日本書紀』神代、神皇承運章本文・同第一の一書によれば、神日本磐余彦(かんやまといわれひこ)尊という。草葺不合(うがやふきあえず)尊の第四子で
大津事件(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
明治二十四年(一八九一)滋賀県大津で護衛巡査が来日中のロシア皇太子を負傷させた事件。湖南事件ともいう。シベリア鉄道起工式に参列する途中来日したロシア皇太子ニコラス=アレクサンドロビッチ(のちの皇帝ニコライ二世)は長崎・鹿児島を経て五月九日京都に入った
長州征伐(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
1864年(元治1)、1865~66年(慶応1~2)にかけて行われた幕府による征長出兵。長州藩では第二次征長を四境戦争とよぶ。[吉本一雄]第一次 1864年7月の蛤御門の変(禁門の変)によって長州藩追討の名目を得た幕府は、尊攘派に打撃を与える意図もあって、征長を表明し出軍した。
征韓論(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
いわゆる「明治六年(一八七三)十月の政変」をひきおこした外交政策論争。明治政府は成立早々の明治元年十二月(一八六九年一月)対馬藩主宗義達に命じて王政復古を朝鮮政府に通告させたが朝鮮政府は釜山で宗氏の家臣に対し、日本からの国書には日本天皇が朝鮮国王より名分論的に
石清水臨時祭(国史大辞典)
京都府綴喜郡八幡町の石清水八幡宮で毎年旧三月午の日(三午には中の午の日、二午には下の午の日)に行う祭。臨時とは放生会の恒例に対する臨時。天慶五年(九四二)平将門・藤原純友の乱平定の報賽に臨時に勅使を立て神封歌舞を奉ったのが始まりで、天禄二年(九七一)には
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