NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
ジャパンナレッジは約1700冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 社会
  6. >
  7. 文化
  8. >
  9. 昔の暮らし・仕事
  10. >
  11. ちゃく‐なん【嫡男】

ちゃく‐なん【嫡男】

ジャパンナレッジで閲覧できる『ちゃく‐なん【嫡男】』の日本国語大辞典のサンプルページ

ちゃく‐なん【嫡男】

解説・用例

〔名〕

正妻の生んだ最初の男子。嫡出の長男。嫡子。

*今昔物語集〔1120頃か〕二〇・三三「此の一の衣をば我が嫡男也汝に与ふ」

*吾妻鏡‐治承四年〔1180〕八月一〇日「秀義以〓嫡男佐々木太郎定綱〓〈略〉申〓送武衛〓

*太平記〔14C後〕八・谷堂炎上事「彼の谷堂と申は八幡殿の嫡男(チャクなん)対馬守義親が嫡孫、延朗上人造立の霊地也」

*国語‐呉語・夫差「一介嫡男、奉〓〓〓以随〓諸御〓

発音

〓[ク]〓[ク]

辞書

文明・易林・日葡・書言・ヘボン・言海

正式名称と詳細

表記

嫡男文明易林書言ヘボン言海


上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。


ちゃく‐なん【嫡男】の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 936
※検索結果は本ページの作成時点のものであり、実際の検索結果とは異なる場合があります
検索コンテンツ
1. ちゃく‐なん【嫡男】
デジタル大辞泉
嫡出の長男。あととり。嫡子。  ...
2. ちゃく‐なん【嫡男】
日本国語大辞典
二〇・三三「此の一の衣をば我が嫡男也汝に与ふ」*吾妻鏡‐治承四年〔1180〕八月一〇日「秀義以〓嫡男佐々木太郎定綱 ...
3. ちゃくなん‐けい【嫡男系】
日本国語大辞典
〔名〕嫡出の男子の系統。*皇室典範〔1947〕六条「嫡出の皇子及び嫡男系嫡出の皇孫は」チャクナンケ〓 ...
4. ちゃくなんそうぞく‐ほう[チャクナンサウゾクハフ]【嫡男相続法】
日本国語大辞典
〔名〕嫡男だけが他の嫡出子や庶子などを排して、王位や家督などを相続する制度。*新しき用語の泉〔1921〕〈小林花眠〉「嫡男相続法(チャクナンソーゾクホー)」チ ...
5. biézǐ别子
ポケプロ中日
[名詞]皇帝や諸侯の嫡男以外の男子.  ...
6. あかまつさだむら【赤松貞村】
国史大辞典
一三九三―一四四七 室町時代前期の武将。則村の次男貞範の裔(春日部家)満貞の嫡男。伊豆守。将軍足利義教の寵臣。義教は永享十二年(一四四〇)三月、赤松氏の惣領満 ...
7. あかまつのりすけ【赤松範資】
国史大辞典
?―一三五一 南北朝時代の武将。則村の嫡男。信濃守。元弘三年(一三三三)父則村が播磨佐用荘苔縄城に北条氏追討の兵を起すと、その京攻めの軍に従って功あり、ついで ...
8. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 166ページ
東洋文庫
。 王政復古してから数十年明治の三十四年〔一九〇一年〕に、和蘭留学生の一人たる沢太郎左衛門氏の嫡男沢鑑之丞氏(後備海軍造兵中将)が欧洲巡回中和蘭に至り、父君の旧 ...
9. 赤松満祐
世界大百科事典
中2・応安6-嘉吉1) 室町前期の武将。一説に1381年(弘和1・永徳1)生れともいう。義則の嫡男。1427年(応永34)播磨・備前・美作の守護であった父義則が ...
10. あかまつみつすけ【赤松満祐】
国史大辞典
一三七三―一四四一 室町時代前期の武将。赤松氏の嫡流で播磨・備前・美作三国の守護であった義則の嫡男。兵部少輔・左京大夫・大膳大夫。応永から永享の間に数度侍所所司 ...
11. あかまつみつすけ【赤松満祐】
日本架空伝承人名事典
室町前期の武将。一説に一三八一年(弘和一…永徳一)生れともいう。義則の嫡男。一四二七年(応永三四)播磨・備前・美作の守護であった父義則が死去すると、将軍足利義持 ...
12. あかまつみつのり【赤松光範】
国史大辞典
一三二〇―八一 南北朝時代の武将。範資の嫡男。信濃守。観応二年(一三五一)父範資の死後、摂津守護職を継承。その翌年文和元年(一三五二)春には南党が一時京都を攻 ...
13. あかまつよしのり【赤松義則】
国史大辞典
一三五八―一四二七 南北朝・室町時代前期の武将。播磨・備前・美作守護。則祐の嫡男。母は佐々木高氏の娘。応安四年(一三七一)父の没後、十四歳で赤松氏の惣領職およ ...
14. あかまつよしむら【赤松義村】
国史大辞典
一四七二―一五二一 戦国時代の武将。播磨・備前・美作守護。赤松則村の嫡男範資の裔(七条家)政資の次男。幼名道祖松丸。兵部少輔。明応五年(一四九六)赤松一門の惣 ...
15. あかみずむら【赤水村】鹿児島県:鹿児島郡/桜島町
日本歴史地名大系
与えたという(樺山玄佐自記)。弘治三年(一五五七)蒲生城(現蒲生町)を攻略した貴久は、この戦で嫡男助太郎を失った樺山幸久(善久・玄佐)に赤水を与えた(同書)。元 ...
16. 秋山記行・夜職草 3ページ
東洋文庫
察するに、鎮守府將軍卒維茂より四代の後胤、奥山太郎の孫、城の鬼九郎資國のとっさか(注六)〔へ〕嫡男、城の太良資長の代迄、高田の邊り鳥坂山に城郭を構ひ、一國に威勢 ...
17. 秋山記行・夜職草 227ページ
東洋文庫
けた(『南魚沼郡誌』)。こはんニニ虎斑古範とも。魚沼郡小出嶋の荒木氏の嫡男で幼少の時より出家をのぞみ、姉の嫁先である塩沢町の大野四郎左衛門家にしばらく身をよせた ...
18. 秋山記行・夜職草 272ページ
東洋文庫
此の隠申文五歳の稚幼き時、しきりに出家を好んで、姥嶋村今のぢいこりかみ^注葦}庄屋の祖父の兄幸右衛門と申す者の嫡男なれども、蘇り好く事故、菩提所舞子村費林寺の弟 ...
19. あきやましやかたあと【秋山氏館跡】山梨県:中巨摩郡/甲西町/秋山村
日本歴史地名大系
[現]甲西町秋山 甲斐源氏の加賀美遠光の嫡男秋山太郎光朝の館で、秋山集落の中心にある熊野神社の社域を中心とした地域にあったとされる。この集落は北を秋山川、南を滝 ...
20. あさいながまさ【浅井長政】
国史大辞典
小谷本城は猛攻をうけ、二十七日夜京極丸が秀吉に占拠されたのを機に落城、長政は二十八日自殺した。二十九歳。嫡男万福丸は刑死し男系は絶えるが、落城寸前室お市と三人の ...
21. あさひだけじょうあと【朝日岳城跡】大分県:南海部郡/宇目町/上爪村
日本歴史地名大系
当城主紹安が大友義統に反し当城を出て家久に属すなど、無抵抗裏に降った。家久は紹安を尼顔塁(現大分市)に移し、嫡男左京亮の星河塞には島津軍を入れ、当城には土持親信 ...
22. あたぐん【阿多郡】鹿児島県:薩摩国
日本歴史地名大系
寛元元年(一二四三)八月一〇日には「阿多院田并宮男田薗等」が、五大院院主職などとともに迎阿から嫡男惟宗友成に譲られている(「五大院主迎阿譲状」新田神社文書)。宝 ...
23. あとめ【跡目】
国史大辞典
跡目とする」など)。跡目の在り方は、武家と百姓・町人の家とでは同じでなかった。近世武家では跡目の継承は嫡男たる長子に限られ、軍事的秩序の要請から君主が強い統制を ...
24. あなみごう【安美郷】兵庫県:出石郡/出石町
日本歴史地名大系
出石信政はこうして嫡女に当郷の地頭職を譲ったほか、三人の女子と三人の男子に郷の一部を配分した。ちなみに信政の嫡男は太田三郎次郎入道行願で、出石郡下里郷の地頭職な ...
25. あなやまこうじ【穴山小路】山梨県:甲府市/甲府
日本歴史地名大系
両文書とも検討を要する(甲斐武田氏文書目録)。「高白斎記」天文二一年(一五五二)一一月二七日条には、晴信嫡男義信に嫁ぐ今川義元の息女が府中穴山宿に到着したことが ...
26. あなやましやかたあと【穴山氏館跡】山梨県:南巨摩郡/身延町/下山村
日本歴史地名大系
でないが、天文一六年(一五四七)には信友が当地に館を構えていた(南松院蔵大般若経奥書)。信友の嫡男信君は武田信玄・勝頼の親類衆の筆頭として活躍し、天正三年(一五 ...
27. あのさねかど【阿野実廉】
国史大辞典
一二八八―? 鎌倉時代後期より建武新政期にかけての公卿。右中将阿野公廉の嫡男。後醍醐天皇の皇后新待賢門院(阿野廉子)の兄弟にあたる。出家時の年齢より逆算して正 ...
28. 阿仏尼
世界大百科事典
?-1283(弘安6) 鎌倉時代の女性歌人。藤原定家の嫡男為家の側室となり為相(ためすけ)を生み,為氏の二条家に対抗して冷泉(れいぜい)家の基礎を築いた。勅撰集 ...
29. 阿部重次
世界大百科事典
江戸前期の譜代大名。老中,武蔵岩槻藩主。はじめ三浦重成の養子となるが,兄正澄の死によって1628年(寛永5)嫡男として阿部に復帰。33年,松平信綱,阿部忠秋らと ...
30. あべの【阿倍野】大阪府:大阪市/阿倍野区地図
日本歴史地名大系
穏な様相を呈し始めていた。平治の乱が勃発し、熊野参詣途上の平清盛が帰京しようとした際、源義朝の嫡男悪源太義平が阿倍野に出陣して迎撃態勢をとっているとの報に接して ...
31. あぼごう・あぼしやかた【安保郷・安保氏館】埼玉県:児玉郡/神川町/元安保村地図
日本歴史地名大系
安保氏惣領家のものと推測される。「風土記稿」では光泰の次男直実の城跡と伝えられているが、暦応三年の前掲光泰譲状で嫡男泰規に譲与された安保郷に含まれた屋敷であろう ...
32. あまがたじょうあと【天方城跡】静岡県:周智郡/森町/向天方村
日本歴史地名大系
攻め落した(「三河物語」など)。天正七年(一五七九)九月一五日遠江国二俣城(現天竜市)で家康の嫡男信康が切腹した際に天方山城守(通綱)が介錯をつとめた(森町史) ...
33. あまみ【奄美】鹿児島県:総論
日本歴史地名大系
には鎌倉幕府の得宗領であったことが知られ、嘉元四年(一三〇六)四月一四日、得宗被官の千竈時家は嫡男貞泰に「きかいしま、大しま」を、次男経家に「えらふのしま」を、 ...
34. あまりのしょう【甘利庄】山梨県:韮崎市
日本歴史地名大系
甲斐武田氏の始祖とされる武田信義の館跡のある武田(神山町武田)の地に南接する。当庄の在地領主は信義の嫡男一条忠頼で、その子行忠は庄内に館を構えて甘利氏を称したと ...
35. あやじょうあと【綾城跡】宮崎県:東諸県郡/綾町/北俣村
日本歴史地名大系
ると家督などをめぐって伊東氏内部で争いが起こり、当初綾衆は伊東祐清に殺害された伊東武蔵守祐武の嫡男左兵衛佐方にくみしたが、一一月二二日からの合戦で財部衆が祐清方 ...
36. ありこやまじょうあと【有子山城跡】兵庫県:出石郡/出石町/出石城下
日本歴史地名大系
吉政ともに許され、旧領を安堵された。同九年秀政が死ぬと、吉政が摂津岸和田城に移り、当城は吉政の嫡男吉英が継いだ(以上「寛政重修諸家譜」など)。この頃当城山裾の居 ...
37. あわのくにかつやまはんしゅ【安房国勝山藩主】 : 酒井氏/(6)
国史大辞典
(6)安房国勝山藩主 若狭国小浜藩主酒井氏の支封。寛文八年(一六六八)忠勝の子忠朝の嫡男忠国に一万石を分与して安房国勝山に居らせたときをはじめとする。忠国は ...
38. あんどうじんじゃ【安藤神社】愛媛県:北宇和郡/吉田町/吉田陣屋町
日本歴史地名大系
吉田町の市街地に面し、民家に囲まれた地の一画に境内をもつ。祭神は安藤儀太夫継明、同室登姿子、同嫡男継春。旧村社。境内社に春日神社がある。安藤継明は、寛政五年(一 ...
39. いいのじょうあと【飯野城跡】宮崎県:えびの市/原田村
日本歴史地名大系
二四日には小林城も島津方に降り、二八日に義久らは飯野城へ帰陣した(上井覚兼日記)。同一三年四月には忠平の嫡男又一郎(久保)が当城で元服している(同書同年四月一九 ...
40. いえ‐の‐こ[いへ:]【家子】
日本国語大辞典
二「其の後、家の子の君達(きんだち)、大臣の前に集り居て」(2)武士の一族で、その惣領(家督・嫡男)と主従関係に立ったもの。庶子・分家一族などが含まれた。一族。 ...
41. いかがごう【伊香賀郷】大阪府:枚方市/伊加賀村
日本歴史地名大系
その四年後の延文二年(一三五七)三月一二日に将軍義詮が下した御判御教書は、宗直の譲状の旨に任せて「嫡男右衛門尉宗春」に伊香賀郷地頭職を領掌させている。この宗春と ...
42. いけだし【池田氏】
国史大辞典
恒利は近江の豪族滝川貞勝の次男で、池田政秀の婿養子となったと伝え、その妻養徳院(政秀の娘)は天文五年(一五三六)嫡男信輝(恒興)を生むとともに、織田信秀の子信長 ...
43. 池田恒興
日本大百科全書
挟撃する岡崎攻略作戦を献策し用いられ、豊臣秀次を総大将として進軍するが、家康軍の奇襲で秀次軍が崩壊し、恒興も嫡男元助(もとすけ)や女婿森長可(もりながよし)勢ら ...
44. いけだてるまさ【池田輝政】
国史大辞典
康の息女の督姫(良正院)を継室に迎えている。輝政の正室は中川瀬兵衛清秀の娘(大義院)で、輝政の嫡男利隆の母は中川氏、忠継・忠雄らの母は徳川氏である。かくして輝政 ...
45. いさやまむら【諫山村】大分県:下毛郡/三光村
日本歴史地名大系
豊前国五将其一修理進道秀公丸十六世正長比也、永享元卒与次郎道実道秀長男、母イヤクリ、永享比助次郎道治道実嫡男、号修理進、文明比右者、諫山修理進道秀家、宇佐宮祠官 ...
46. 十六夜日記(中世日記紀行集) 268ページ
日本古典文学全集
魯の恭王が孔子の旧宅を壊させた時、壁の中から発見されたという(漢書藝文志)。「孝」という徳目の婉曲表現。為家嫡男為氏をさすが、憚って一般的表現とする。「かへすが ...
47. いしいのしょう【石井庄】奈良県:北葛城郡/新庄町/寺口村
日本歴史地名大系
文治二年(一一八六)の勧学院政所下文(春日神社文書)に「当庄者本領主桜島重経譲嫡男経成、又経成譲外孫阿闍梨玄信、次玄信譲与甥弟子尋珍畢、既二百余歳之間、先祖相伝 ...
48. いしがやまじょうあと【石蟹山城跡】岡山県:新見市/石蟹村
日本歴史地名大系
その後の石蟹氏の動向ははっきりしないが、毛利氏の八箇国御時代分限帳(毛利家文庫)に石賀孫兵衛(与兵衛の嫡男、知行高一千五六〇石)の名がみえる。城郭は標高約三〇〇 ...
49. いしげじょうあと【石毛城跡】茨城県:結城郡/石下町/本石下村
日本歴史地名大系
一族経門が入ったが、その子経光が天正一三年に反心ありとして誅され、廃城となった。なお石毛政重の嫡男正家は叔父東弘寺忠円に養われ、仏門に入って興正寺の中興となった ...
50. いじゅういん【伊集院】鹿児島県:日置郡/伊集院町
日本歴史地名大系
という。また時清の三男に伊集院桑波田を領して桑波田氏を名乗ったと思われる阿闍梨源智がおり、その嫡男は万楊房覚斎で、日置南郷(現吹上町)を領したというが(前掲来由 ...
「ちゃく‐なん【嫡男】」の情報だけではなく、「ちゃく‐なん【嫡男】」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

ちゃく‐なん【嫡男】と同じ昔の暮らし・仕事カテゴリの記事
沙汰(日本国語大辞典・全文全訳古語辞典・国史大辞典)
焼いた薩摩芋。《季・冬》*評判記・秘伝書〔1655頃〕下ほんの事「やきぐり、やきいもは、いきくさくなる也」*俳諧・骨書〔1787〕上「朝の月狩の竹鑓手束弓〈青蘿〉 来かかるものが焼芋を喰ふ〈樗良〉」
ちゃく‐なん【嫡男】(日本国語大辞典)
正妻の生んだ最初の男子。嫡出の長男。嫡子。*今昔物語集〔1120頃か〕二〇・三三「此の一の衣をば我が嫡男也汝に与ふ」*吾妻鏡‐治承四年〔1180〕八月一〇日「秀義以〓嫡男佐々木太郎定綱〓〈略〉申〓送武衛〓」
湯屋(日本大百科全書(ニッポニカ))
もと寺院には浴堂というものがあり、そのほかに大衆用の潔斎浴場として別に設けた建物があって、これを大湯屋と称した。沐浴には、湯気で身体を蒸す蒸し風呂形式と、温湯に身体を浸す行水形式があった。寺院では僧尼の潔斎のため、釜湯を別の湯槽に入れて行水することも早くから行われたが
長屋(日本大百科全書(ニッポニカ))
一棟の建物を数戸の家にくぎった形式で、長家とも書く。中世の町家に多くみられるが、規格化されたのは戦国時代、山城の麓に建てられた根小屋に始まる。雑兵の休泊所で、一単位の間口九尺(約2.7メートル)、奥行二間(約3.6メートル)という最小の居住空間の連続である。
江戸っ子(改訂新版・世界大百科事典)
都市江戸で生まれ育った,きっすいの江戸の人の意。根生いの江戸住民であることを自負・強調する際に多く用いられた。それも武士ではなく,おもに町人の場合である。江戸っ子は,物事にこだわらず金ばなれがよく,意地と張りを本領とし正義感が強かったが,反面,けんかっ早くて軽率だといわれた。
昔の暮らし・仕事と同じカテゴリの記事をもっと見る


「ちゃく‐なん【嫡男】」は文化に関連のある記事です。
その他の文化に関連する記事
雛人形(世界大百科事典)
雛祭に飾る人形。節供人形ともいう。平安時代には,小さな紙人形でままごと遊びをする〈ひいな〉遊びがあった。またこれとは別に,季節の変り目に神に供御(くご)(飲食物)を供えて身体の安泰を願う信仰があり,それを節供といった。3月上巳(じようし)(最初の巳
歌舞伎十八番(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・世界大百科事典)
七世市川団十郎が制定した一八の演目をいう。七世団十郎は、天保三(1832)年三月海老蔵に八世団十郎を襲名させ、自身は海老蔵と改名した時に配った刷り物で、「歌舞妓狂言組十八番」と題して一八種の名目を掲げた。その後、天保一一年《勧進帳》の初演に際し
日本舞踊(日本大百科全書・世界大百科事典)
邦舞ともよび、西洋舞踊(洋舞)と大別される。広義には、舞楽(ぶがく)、能(のう)、歌舞伎(かぶき)舞踊(古典舞踊)、新舞踊、創作舞踊、民俗舞踊(郷土舞踊)などをいう。狭義には、これらのうち一般的によく知られている歌舞伎舞踊をいうことが多い。「舞踊」と
歌舞伎舞踊(新版 歌舞伎事典・世界大百科事典)
歌舞伎の中で演じられる舞踊および舞踊劇。また日本舞踊を代表する舞踊として同義語にも用いられる。【歴史】歌舞伎舞踊は、中世末期の風流(ふりゅう)踊という民俗舞踊を母体として発したもので、出雲のお国の踊った歌舞伎踊にはじまる。お国に追随した遊女歌舞伎も
寿狂言(新版 歌舞伎事典・世界大百科事典)
江戸の劇場の中村座・市村座・森田座に伝承された祝言儀礼的狂言のこと。家狂言ともいう。江戸時代の歌舞伎の興行権は、幕府が座元(太夫元)個人に与えた特権であった。江戸三座の座元は世襲であったので、その権威も特に大きく、各座では、由緒正しい家を誇り格式を
文化に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1700冊以上(総額750万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶