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  11. ちゃく‐なん【嫡男】
日本国語大辞典

ちゃく‐なん【嫡男】

解説・用例

〔名〕

正妻の生んだ最初の男子。嫡出の長男。嫡子。

*今昔物語集〔1120頃か〕二〇・三三「此の一の衣をば我が嫡男也汝に与ふ」

*吾妻鏡‐治承四年〔1180〕八月一〇日「秀義以〓嫡男佐々木太郎定綱〓〈略〉申〓送武衛〓

*太平記〔14C後〕八・谷堂炎上事「彼の谷堂と申は八幡殿の嫡男(チャクなん)対馬守義親が嫡孫、延朗上人造立の霊地也」

*国語‐呉語・夫差「一介嫡男、奉〓〓〓以随〓諸御〓

発音

〓[ク]〓[ク]

辞書

文明・易林・日葡・書言・ヘボン・言海

正式名称と詳細

表記

嫡男文明易林書言ヘボン言海


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ちゃく‐なん【嫡男】の関連キーワードで検索すると・・・
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検索コンテンツ
1. ちゃく‐なん【嫡男】
デジタル大辞泉
嫡出の長男。あととり。嫡子。  ...
2. ちゃく‐なん【嫡男】
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二〇・三三「此の一の衣をば我が嫡男也汝に与ふ」*吾妻鏡‐治承四年〔1180〕八月一〇日「秀義以〓嫡男佐々木太郎定綱 ...
3. ちゃくなん‐けい【嫡男系】
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4. ちゃくなんそうぞく‐ほう[チャクナンサウゾクハフ]【嫡男相続法】
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〔名〕嫡男だけが他の嫡出子や庶子などを排して、王位や家督などを相続する制度。*新しき用語の泉〔1921〕〈小林花眠〉「嫡男相続法(チャクナンソーゾクホー)」チ ...
5. biézǐ别子
ポケプロ中日
[名詞]皇帝や諸侯の嫡男以外の男子.  ...
6. あかまつさだむら【赤松貞村】
国史大辞典
一三九三―一四四七 室町時代前期の武将。則村の次男貞範の裔(春日部家)満貞の嫡男。伊豆守。将軍足利義教の寵臣。義教は永享十二年(一四四〇)三月、赤松氏の惣領満 ...
7. あかまつのりすけ【赤松範資】
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8. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 166ページ
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。 王政復古してから数十年明治の三十四年〔一九〇一年〕に、和蘭留学生の一人たる沢太郎左衛門氏の嫡男沢鑑之丞氏(後備海軍造兵中将)が欧洲巡回中和蘭に至り、父君の旧 ...
9. 赤松満祐
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10. あかまつみつすけ【赤松満祐】画像
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一三七三―一四四一 室町時代前期の武将。赤松氏の嫡流で播磨・備前・美作三国の守護であった義則の嫡男。兵部少輔・左京大夫・大膳大夫。応永から永享の間に数度侍所所司 ...
11. あかまつみつすけ【赤松満祐】
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室町前期の武将。一説に一三八一年(弘和一…永徳一)生れともいう。義則の嫡男。一四二七年(応永三四)播磨・備前・美作の守護であった父義則が死去すると、将軍足利義持 ...
12. あかまつみつのり【赤松光範】画像
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一三二〇―八一 南北朝時代の武将。範資の嫡男。信濃守。観応二年(一三五一)父範資の死後、摂津守護職を継承。その翌年文和元年(一三五二)春には南党が一時京都を攻 ...
13. あかまつよしのり【赤松義則】画像
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一三五八―一四二七 南北朝・室町時代前期の武将。播磨・備前・美作守護。則祐の嫡男。母は佐々木高氏の娘。応安四年(一三七一)父の没後、十四歳で赤松氏の惣領職およ ...
14. あかまつよしむら【赤松義村】画像
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一四七二―一五二一 戦国時代の武将。播磨・備前・美作守護。赤松則村の嫡男範資の裔(七条家)政資の次男。幼名道祖松丸。兵部少輔。明応五年(一四九六)赤松一門の惣 ...
15. あかみずむら【赤水村】鹿児島県:鹿児島郡/桜島町
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与えたという(樺山玄佐自記)。弘治三年(一五五七)蒲生城(現蒲生町)を攻略した貴久は、この戦で嫡男助太郎を失った樺山幸久(善久・玄佐)に赤水を与えた(同書)。元 ...
16. 秋山記行・夜職草 3ページ
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17. 秋山記行・夜職草 227ページ
東洋文庫
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18. 秋山記行・夜職草 272ページ
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19. あきやましやかたあと【秋山氏館跡】山梨県:中巨摩郡/甲西町/秋山村
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20. あさいながまさ【浅井長政】画像
国史大辞典
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21. あさひだけじょうあと【朝日岳城跡】大分県:南海部郡/宇目町/上爪村
日本歴史地名大系
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22. あたぐん【阿多郡】鹿児島県:薩摩国
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24. あなみごう【安美郷】兵庫県:出石郡/出石町
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26. あなやましやかたあと【穴山氏館跡】山梨県:南巨摩郡/身延町/下山村
日本歴史地名大系
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27. あのさねかど【阿野実廉】
国史大辞典
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28. 阿仏尼
世界大百科事典
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29. 阿部重次
世界大百科事典
江戸前期の譜代大名。老中,武蔵岩槻藩主。はじめ三浦重成の養子となるが,兄正澄の死によって1628年(寛永5)嫡男として阿部に復帰。33年,松平信綱,阿部忠秋らと ...
30. あべの【阿倍野】大阪府:大阪市/阿倍野区地図
日本歴史地名大系
穏な様相を呈し始めていた。平治の乱が勃発し、熊野参詣途上の平清盛が帰京しようとした際、源義朝の嫡男悪源太義平が阿倍野に出陣して迎撃態勢をとっているとの報に接して ...
31. あぼごう・あぼしやかた【安保郷・安保氏館】埼玉県:児玉郡/神川町/元安保村地図
日本歴史地名大系
安保氏惣領家のものと推測される。「風土記稿」では光泰の次男直実の城跡と伝えられているが、暦応三年の前掲光泰譲状で嫡男泰規に譲与された安保郷に含まれた屋敷であろう ...
32. あまがたじょうあと【天方城跡】静岡県:周智郡/森町/向天方村
日本歴史地名大系
攻め落した(「三河物語」など)。天正七年(一五七九)九月一五日遠江国二俣城(現天竜市)で家康の嫡男信康が切腹した際に天方山城守(通綱)が介錯をつとめた(森町史) ...
33. あまみ【奄美】鹿児島県:総論
日本歴史地名大系
には鎌倉幕府の得宗領であったことが知られ、嘉元四年(一三〇六)四月一四日、得宗被官の千竈時家は嫡男貞泰に「きかいしま、大しま」を、次男経家に「えらふのしま」を、 ...
34. あまりのしょう【甘利庄】山梨県:韮崎市
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甲斐武田氏の始祖とされる武田信義の館跡のある武田(神山町武田)の地に南接する。当庄の在地領主は信義の嫡男一条忠頼で、その子行忠は庄内に館を構えて甘利氏を称したと ...
35. あやじょうあと【綾城跡】宮崎県:東諸県郡/綾町/北俣村
日本歴史地名大系
ると家督などをめぐって伊東氏内部で争いが起こり、当初綾衆は伊東祐清に殺害された伊東武蔵守祐武の嫡男左兵衛佐方にくみしたが、一一月二二日からの合戦で財部衆が祐清方 ...
36. ありこやまじょうあと【有子山城跡】兵庫県:出石郡/出石町/出石城下
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37. あわのくにかつやまはんしゅ【安房国勝山藩主】 : 酒井氏/(6)
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38. あんどうじんじゃ【安藤神社】愛媛県:北宇和郡/吉田町/吉田陣屋町
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39. いいのじょうあと【飯野城跡】宮崎県:えびの市/原田村
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二四日には小林城も島津方に降り、二八日に義久らは飯野城へ帰陣した(上井覚兼日記)。同一三年四月には忠平の嫡男又一郎(久保)が当城で元服している(同書同年四月一九 ...
40. いえ‐の‐こ[いへ:]【家子】
日本国語大辞典
二「其の後、家の子の君達(きんだち)、大臣の前に集り居て」(2)武士の一族で、その惣領(家督・嫡男)と主従関係に立ったもの。庶子・分家一族などが含まれた。一族。 ...
41. いかがごう【伊香賀郷】大阪府:枚方市/伊加賀村
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その四年後の延文二年(一三五七)三月一二日に将軍義詮が下した御判御教書は、宗直の譲状の旨に任せて「嫡男右衛門尉宗春」に伊香賀郷地頭職を領掌させている。この宗春と ...
42. いけだし【池田氏】画像
国史大辞典
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43. 池田恒興
日本大百科全書
挟撃する岡崎攻略作戦を献策し用いられ、豊臣秀次を総大将として進軍するが、家康軍の奇襲で秀次軍が崩壊し、恒興も嫡男元助(もとすけ)や女婿森長可(もりながよし)勢ら ...
44. いけだてるまさ【池田輝政】画像
国史大辞典
康の息女の督姫(良正院)を継室に迎えている。輝政の正室は中川瀬兵衛清秀の娘(大義院)で、輝政の嫡男利隆の母は中川氏、忠継・忠雄らの母は徳川氏である。かくして輝政 ...
45. いさやまむら【諫山村】大分県:下毛郡/三光村
日本歴史地名大系
豊前国五将其一修理進道秀公丸十六世正長比也、永享元卒与次郎道実道秀長男、母イヤクリ、永享比助次郎道治道実嫡男、号修理進、文明比右者、諫山修理進道秀家、宇佐宮祠官 ...
46. 十六夜日記(中世日記紀行集) 268ページ
日本古典文学全集
魯の恭王が孔子の旧宅を壊させた時、壁の中から発見されたという(漢書藝文志)。「孝」という徳目の婉曲表現。為家嫡男為氏をさすが、憚って一般的表現とする。「かへすが ...
47. いしいのしょう【石井庄】奈良県:北葛城郡/新庄町/寺口村
日本歴史地名大系
文治二年(一一八六)の勧学院政所下文(春日神社文書)に「当庄者本領主桜島重経譲嫡男経成、又経成譲外孫阿闍梨玄信、次玄信譲与甥弟子尋珍畢、既二百余歳之間、先祖相伝 ...
48. いしがやまじょうあと【石蟹山城跡】岡山県:新見市/石蟹村
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その後の石蟹氏の動向ははっきりしないが、毛利氏の八箇国御時代分限帳(毛利家文庫)に石賀孫兵衛(与兵衛の嫡男、知行高一千五六〇石)の名がみえる。城郭は標高約三〇〇 ...
49. いしげじょうあと【石毛城跡】茨城県:結城郡/石下町/本石下村
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一族経門が入ったが、その子経光が天正一三年に反心ありとして誅され、廃城となった。なお石毛政重の嫡男正家は叔父東弘寺忠円に養われ、仏門に入って興正寺の中興となった ...
50. いじゅういん【伊集院】鹿児島県:日置郡/伊集院町
日本歴史地名大系
という。また時清の三男に伊集院桑波田を領して桑波田氏を名乗ったと思われる阿闍梨源智がおり、その嫡男は万楊房覚斎で、日置南郷(現吹上町)を領したというが(前掲来由 ...
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