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  11. 新疆ウイグル問題
日本大百科全書(ニッポニカ)

新疆ウイグル問題
しんきょうういぐるもんだい

中国の新疆ウイグル自治区を中心としたウイグル人の独立運動をめぐる問題。

問題の背景

約960万平方キロメートルの巨大な領域をもつ中国の一つの大きな悩みは、主体文化、主体民族とは違う勢力によって国家の統合が脅かされるという「懸念」や「恐れ」である。「大一統」(大きく一つに統(す)べる)を信奉する中央権力にとっての脅威は、チベットと新疆ウイグルである。いずれも独立国をもった歴史があり、固有の文化・宗教でアイデンティティが形成されており、中央――北京(ペキン)からは遠い辺境にある。ほとんど宗教心をもたない漢人と違ってチベットではチベット仏教(2015年時点の職業僧尼は12万人)、新疆ではイスラム教が主体宗教である(2015年時点のムスリム人口は2000万人、新疆のイスラム教にかかわる職につく人員は2万9300人である(国務院新聞弁公室刊『新疆的宗教信仰自由状况』2016年6月))。なお、中国領域に住むウイグル人は約1000万人、うち約980万人が新疆ウイグル自治区に住む(2010年中国人口センサス)。
 新疆は18世紀中葉に清(しん)朝の版図に入り、1884年に省となった。中華人民共和国は漢人以外の民族的少数者を55の「少数民族」として「民族の区域自治」で統治しており、ウイグル人は新疆ウイグル自治区、チベット人はチベット自治区を中心に集居している。新疆ウイグル問題とは、19世紀のムスリムの蜂起、1930年代、1940年代の東トルキスタン共和国樹立など、短期間とはいえ、何回かの「独立」の経験をもつ中国の「辺境」で、分離独立、高度な自治、あるいは人権を求める暴力事件が多発している状況をさす。とくに1990年代から、市場化と宗教自由化のなかで住民の異議申し立てが広がり、権力側はこれを暴力と厳罰法で押さえ込んでいる。2001年のアメリカ同時多発テロ事件で「イスラム過激主義」がグローバル化し、人材と武器が新疆に流れているとして、「三股(さんこ)勢力(テロリズム、分裂主義、宗教的極端主義)」撲滅のキャンペーンが続き、それに住民が暴力で対抗する「暴力の構造化」、「新疆の中東化」状況がみられる。
[毛里和子]

ウイグル人とは

新疆省が建制された1880年代には現地ムスリムの執拗(しつよう)な反乱は制圧された。チュルク系ムスリムであるウイグル人の祖先はいまのモンゴル国に打ち立てた遊牧国家、ウイグル部に遡(さかのぼ)るという。その後、回鶻(かいこつ)、畏兀児(ウイグル)などとよばれた。彼らは8世紀に諸部族を統一してウイグル国をつくったが、天災その他で崩壊、四散した。その後、西に逃れた集団がいまの新疆地区に移り住み、オアシスに定住。多くがしだいにイスラム教徒となり、纏回(てんかい)、回民、回回などとよばれた。
 ウイグルという他称が出てくるのは、1921年、新生ソ連が中央アジアで開いた「東トルキスタン出身者大会」からである。また、中国内でウイグルが他称として固まるのは1935年以後のことで、当地軍閥の盛世才(せいせいさい)(1895―1970)がこの地域の民族的少数者をウイグル(維吾爾)を含めて14民族を認知したことによる。中国共産党がウイグル族とよび始めたのは1930年代末である。
 だが、ウイグル人自身は1940年代まで自身をホータン人やカシュガル人など地域名でよび、一つの集団アイデンティティはもっていなかったという。ウイグル意識や呼称が定着するのは、共和国の成立後、少数民族を一つ一つ識別する工作、民族区域自治政策が始まる1950年代もなかば以降のことである。
[毛里和子]

二つの「東トルキスタン共和国」――つかのまの独立時代

北京中央権力が及ばない辺境である新疆では、1930年代~1940年代に独立分離の動きが続いた。1933年11月に新疆西部のカシュガルで「東トルキスタンイスラム共和国」の建国が宣言された。近代的教育を受けたウイグル人のウラマー(イスラム神学者)たちに率いられ、新疆での漢人官僚による民族差別と立ち遅れたウイグル社会への不満で立ち上がったのである。建国綱領に「謹んでコーランを遵守する」、「政府を担当する者は、コーランと現代科学を熟知すべし」と掲げイスラム国家を目ざしたが、ムスリム系軍閥である馬仲英(ばちゅうえい)の攻撃にあい、指導部内の対立などで半年たらずで瓦解(がかい)した。
 1942年、軍閥の盛世才が新疆を去り、国民党軍が新疆に入るのと相前後して、東トルキスタン独立運動がふたたび活発化した。1944年8月に新疆北部のイリ地区でウイグル人、カザフ人が蜂起、11月7日にはソ連国境に近いクルジャ(伊寧(いねい))で武装蜂起が発生した。このとき「東トルキスタン共和国」の独立を宣言し、1年余り独立の旗を掲げた(イリ、タルバガタイ、アルタイの三区革命)。当初、新疆での親ソ政権樹立と天然資源をねらうソ連が、反漢・反国民政府の現地ムスリムの武装蜂起を全面的に支援し、武器、将校、顧問などを送った。共和国成立の大会で主席となったイリハン・トレが「アッラーはわれわれの神であり、ムハンマドはわれわれの聖者であり、イスラム教はわれわれの信仰であり、東トルキスタンはわれわれの祖国である」と演説したように、当初はきわめてイスラム色が強かった。だがすぐにソ連の圧力でムスリム系のリーダーたちは指導部から追われた。ソ連は1945年夏から政策を転換、東トルキスタンの独立支持をやめ、国民政府・新疆省政府との仲裁役に転じた。「東トルキスタン共和国」は今回もまた1年半で姿を消した。
[毛里和子]

新疆への植民、進む漢化

中華人民共和国創立のころは新疆はウイグル人の里であった。1949年には新疆地区の人口の4分の3が主要民族たるウイグル人(約330万人)で、漢人はわずか30万人であった。ところが、1955年に新疆ウイグル自治区を設け、1950年代末から石油開発、綿花生産などのために大量の漢人が植民した。植民のピークは1960年代末で、1970年にはウイグル人は自治区人口の半分を切った。2011年時点では新疆全体で漢人が38%、ウイグル人が47%となっている。民族分布に地域的な差が大きいことにも注意が必要である。一般に新疆北部、大都市、カラマイ市などの工業都市では経済パワーに勝る漢人の比率が高い。自治区の首府であるウルムチの場合、ウイグル人31万人に対して漢人が181万人を占める(『新疆統計年鑑2012』)。
 「植民」の主体になったのは新疆生産建設兵団である。国防、治安そして開墾と生産など多様な任務を負った武装集団である。1949年解放軍の新疆進攻と同時にイリ、タルバガタイ、アルタイの三区の「民族軍」を中核に兵団が組織され、以後、軍務と開墾に従事している。2013年末における兵団の総人口は270万1400人で、新疆全人口の11.9%を占める(百度百科、新疆生産建設兵団、2016年8月15日閲覧)。そのほとんどが漢人である。
[毛里和子]

新疆での騒乱

1990年代――バレン郷事件、イニン事件

新疆では1980年代末から毎年のように民族・宗教にからむ紛争が起きたが、1990年4月にカシュガル近くのアクト県バレン郷で起こった「反革命暴乱事件」は当局を震撼させた。中心になったのはキルギス人で、「われわれはトルキスタン人だ」として漢人の追放、新疆での核実験反対、産児制限反対、自治の拡大などを求めたといわれる。アムネスティ・インターナショナルの1991年レポートによると、6000人が反革命罪で訴追されたという。
 1997年2月5日には新疆北部イリ地区のイニン(クルジャ)で民族間衝突によって多数の死傷者を出した。3月11日の『新疆日報』は、この騒乱を「共産党政権の転覆を目的とした民族分裂主義者の破壊活動」ときめつけ、「生死をかけた激しい階級闘争」を呼びかけ、「少数の分裂主義者と国際組織の浸透」に強い警戒心を示した(張先亮(ちょうせんりょう)「講政治必須旗幟鮮明地反対民族分裂主義」)。事件直後の4月24日にイリ地区などで公開裁判が開かれ、事件の「主犯」ユスプ・トルソンなど3名を死刑、その他27名を7年から無期懲役の刑に処した。
 こうした紛争の背景には、グローバルな市場化のもとで、民族語教育などが衰退し、漢人がいっそう有利になっているなかで、ウイグル人のインテリ層は民族的アイデンティティに強い危機感をもっていることがある。トルファン―カシュガル間1446キロメートルの南疆鉄道の開通(1999年)で「ウイグルの里」も市場経済にのみ込まれてしまう。
[毛里和子]

2009年7月ウルムチ騒乱

朱鎔基(しゅようき)首相時代の2001年から西部大開発戦略がスタートした。「西部」とは国土面積で70%、GDP(国内総生産)では18%を占める、新疆、チベット、雲南(うんなん)、青海(せいかい)、寧夏(ねいか)など非漢人が住む広大な、だが貧しい地域である。この大開発戦略で辺境にも資金と人が流れ込んだ。
 2009年7月5日ウルムチで、自治区政府発表では、15日までに192人が死亡、1712人が負傷する騒乱が起こった。7日には漢人が報復的な数万人規模の抗議デモを行い、8日、国家主席の胡錦濤(こきんとう)はサミット出席を取りやめて急遽(きゅうきょ)イタリアから帰国した。9月3日には、数万人の漢人がウルムチで報復のデモを敢行、5人死亡、14人が負傷した。
 新疆ウイグル自治区当局も中央政府もこの騒乱に「テロリズム、分裂主義、宗教的極端主義の三股勢力」として厳しく対決した。事件後ただちに、「ごくごく少数者の陰謀」、アメリカに亡命している「世界ウイグル会議議長のラビア・カーディルの陰謀」、イスラム原理主義のテロ組織と結びついた「新疆三股勢力の画策」と断じ、容疑者を逮捕、ただちに死刑などに処した。
 2009年7月のウルムチ事件で注目すべきなのは、学校にも行かない、職もないウイグル青年が経済格差、就業格差、宗教的差別から起こした暴力事件と、それに報復する漢人の集団暴力行為とがセットになっていることである。こうした危機に対し、当局は「社会治安総合治理条例」の改正など法の強化と責任者の処罰、さらに被害者への弔慰金など「金」での慰撫(いぶ)を図っている。2010年、15年間自治区党書記であった王楽泉(おうらくせん)(1944― )を解任、後任に湖南(こなん)省党書記の張春賢(ちょうしゅんけん)(1953― )をあてた。だが、暴力の構造化や連鎖する憎悪などを解きほぐすことはきわめてむずかしくなっている。
[毛里和子]

国際化するウイグル問題

1990年代以降の顕著な特徴は、イスラム主義のグローバル化に伴いウイグル問題が国際化したことである。海外ウイグル人のおもな組織として、「国際的テロ組織」と名指しされている「東トルキスタン・イスラム運動」(ETIM)、ウイグル人やイスラムの宣伝組織として比較的穏やかな活動を展開している「世界ウイグル会議」がある。
 1992年イスタンブールで東トルキスタン民族会議が開かれ、1996年にはドルクン・エイサDolkun Isaを中心にミュンヘンに世界ウイグル青年会議が設立された。2004年には東トルキスタン民族会議と世界ウイグル青年会議が合流して、「世界ウイグル会議」ができた。初代の議長は、エルキン・アルプテキンErkin Alptekin(1939― )である。1930~1940年代に新疆省幹部だったエイサ・ユスプ・アルプテキンIsa Yusup Alptekin(1901―1995)の息子である。2006年からはラビア・カーディルが2代目議長を引き継いでいる。
 カーディルは新疆で成功した企業家で、新疆の人民政治協商会議のメンバーを務めていたが、民族問題に関する言論により1999年に国家機密漏洩(ろうえい)罪で逮捕、投獄された。2005年にアメリカに亡命してからは、世界ウイグル会議の議長として活動している。
 他方、テロ組織とされる東トルキスタン・イスラム運動は1997年にハッサン・マフスームHassan Mahsum(1964―2003)が設立したものだという。2003年から中国政府、アメリカ、国連から「テロリスト集団」に指定されている。中国当局は、2008年7月の昆明(こんめい)のバス爆破事件、2011年7月のカシュガルの連続殺傷事件はこの組織が関与、2013年10月天安門広場での自動車突入事件はその指示があったと発表しているが、根拠は何も示されていない。いずれにせよ、ウイグルを取り巻く状況は大変に厳しい。
[毛里和子]

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