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  11. 出雲大社
改訂新版・世界大百科事典

出雲大社
いずもたいしゃ

島根県出雲市の旧大社町に鎮座。大国主(おおくにぬし)神をまつる。《延喜式》では名神大社。旧官幣大社。杵築(きづき)大社,杵築社,杵築宮ともいう。古代の出雲では熊野,杵築,佐太,能義の各社が〈大神〉とされていたが,中でも,出雲国造の本拠地である意宇(おう)平野の熊野大社と簸川平野の北西の杵築大社とが,厚い尊信をうけていた。しかし,ヤマト朝廷の出雲制圧は,出雲西部からすすんだので,杵築大社がとくに重視されるようになった。すなわち,初めは,簸川平野をおさえて成長した豪族神門(かんど)氏が,その配下の人々を日置部・海部・鳥取部・神奴部等に編成して,杵築大神の祭料をととのえさせた。神門郡の山間部についても,吉栗山は〈大神の宮材を造る山〉,宇比多岐山は〈大神の御屋〉などとすべて杵築大神の神料を調備するところであり,大神の依代(よりしろ)とされた。さらに7世紀半ば過ぎの斉明朝に,対新羅・唐関係の緊迫したころ,朝廷から修築の命令が出されたが,これは杵築宮の大きな転機となったとみられる。こうした経緯の後に,中央の史局で《古事記》《日本書紀》の編纂がすすむと,その出雲国譲り神話で,この社の起源を語るようになったらしい。すなわち,《古事記》では,国譲りした大国主命のために多芸志(たぎし)の小浜に立派な宮をつくり,櫛八玉(くしやたま)命が膳夫となって神饌を供えたとし,《日本書紀》ではこの宮を天日隅宮(あめのひすみのみや)と呼び天穂日(あめのほひ)命を遣わして司祭者とした,と記している。こうした神話と習合しながらもやや異相を記すのが《出雲国風土記》で,天日栖宮(あめのひすみのみや)は〈天の下造らしし大神(大己貴(おおなむち)神)〉のために出雲の神々が集まって,天津神の構えにのっとって作ったものであり,このとき天御鳥(あめのみとり)命が天下って神宝の盾を作った,と述べている。

 律令制下では,山陰道で最大の出雲大社の造営には造出雲社使が派遣されたが,その本殿の建築様式の特異さが出雲大社の名を高めた。それは床下の柱がきわめて長大なもので,970年(天禄1)の《口遊(くちずさみ)》の大屋の誦に〈雲太,和二,京三〉として,出雲大社の神殿は,〈和二〉の大和東大寺大仏殿や,〈京三〉の京の大極殿の高さ12丈(36m余)あるいは15丈よりも大きいといわれた。しかし,のち出雲大社の造営には,出雲国司が国内の社寺権門の荘園に平均に造営料を課すようになったが,1248年(宝治2)の造営時から神殿の規模が縮小された。一方,出雲大社の神主としての国造家が管領する社領の郷村のほか,荘園が幕府や国司から寄進された社領や国造家領も成立したが,鎌倉時代末から室町時代には日御碕(ひのみさき)社と社領争いをくりかえし,国造家も千家・北島両家に分かれて対立した。しかし,この間にも出雲信仰はひろく全国に及んでいった。近世には,社殿の造営は1609年(慶長14)に豊臣秀頼により,67年(寛文7)には将軍徳川家綱によって行われたが,現在の社殿はその次の1744年(延享1)の造営によるもので,いわゆる大社造の代表的な様式を示しており,国宝に指定されている。
→出雲信仰 →出雲神話 →出雲国造
[門脇 禎二]

建築

本殿は,切妻造妻入りで,南面する。平面は一辺が3丈6尺(10.9m)の方形で,桁行・梁間とも2間である。床は高く(約4m),四周に高欄つきの縁をめぐらしている。正面の東の間に板扉を構えて戸口とし,西の間に蔀戸(しとみど)をつって開放できるようにするほかは,三方とも板壁で閉ざされる。正面戸口前の縁先に木階があり,上に切妻造の階隠が斜めにかけてある。内部中央に心の御柱がたち,前面と背面の中央に立つうず柱は隅柱の線よりわずかに外に出ており,棟木をうけるが,棟持柱のなごりであろう(図)。内部は後半の床を高くして上段とし,上段の東の間に内殿を西向きに置いて神座をしつらえる。心の御柱の東に板壁で間仕切りをつくるので,正面戸口から内殿はみえない。屋根は檜皮葺で反りをもつ。棟上に置千木(おきちぎ)と堅魚木(かつおぎ)をおく。全高は約24m,木割りが太く,組物を用いず,素木造で簡素である。現在のものは規模が縮小されたとはいえ,古代の大規模であった社殿の雄大さがしのばれる。大社造は神明造とともに神社建築のもっとも古い形式であって,出雲地方を中心におこなわれた。大社造のもっとも古い遺構は,1583年(天正11)造替の神魂(かもす)神社本殿(国宝,松江市大庭町)である。
[宮沢 智士]

[索引語]
杵築(きづき)大社 神門(かんど)氏 国譲り神話 大社造 心御柱 うず柱 神魂(かもす)神社

図-古代大社神殿と現在の大社本殿との規模の比較
図-古代大社神殿と現在の大社本殿との規模の比較
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1. 出雲大社画像
日本大百科全書
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2. 出雲大社[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
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3. 出雲大社画像
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盾を作った,と述べている。 律令制下では,山陰道で最大の出雲大社の造営には造出雲社使が派遣されたが,その本殿の建築様式の特異さが出雲大社の名を高めた。それは床下 ...
4. いずも‐たいしゃ【出雲大社】画像地図
デジタル大辞泉
島根県出雲市大社町杵築東にある神社。旧官幣大社。主祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)。他に五神を祭る。創建は神代と伝えられ、日本最古の神社の一。農業や縁結び ...
5. いずも‐たいしゃ[いづも:]【出雲大社】
日本国語大辞典
ほひのみこと)の子孫の出雲国造(くにのみやつこ)千家(せんげ)・北島両家によって受け継がれ、出雲大社教・出雲教を組織している。陰暦一〇月の神無月(かみなづき)は ...
6. いずもたいしゃ【出雲大社】
国史大辞典
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7. いずもたいしゃ【出雲大社】島根県:簸川郡/大社町/杵築宮内村
日本歴史地名大系
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8. 出雲大社
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9. 出雲大社(いずもたいしゃ)【篇】
古事類苑
神祇部 洋巻 第4巻 1025ページ ...
10. 出雲大社[イミダス編 文化・スポーツ]
イミダス 2016
北島家によって受け継がれており、それぞれ出雲大社教、出雲教を組織している。縁結びの神や福の神として知られる。旧暦10月の神無月には、全国の氏神が出雲大社に集まる ...
11. 出雲大社
デジタル大辞泉プラス
島根県出雲市にある神社。正式には「イズモオオヤシロ」と読む。創祀は不明。祭神は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)。出雲国一之宮。縁結びの神として知られる。国宝 ...
12. Izumo Shrine 【出雲大社】画像
Encyclopedia of Japan
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13. 出雲大社金輪の造營 (見出し語:出雲大社【篇】)
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14. 出雲大社教
日本大百科全書
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15. いずもおおやしろ‐きょう【出雲大社教】
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16. いずもたいしゃ‐さんげつえ[いづもタイシャサンゲツヱ]【出雲大社三月会】
日本国語大辞典
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17. 出雲大社正遷宮記念神国博覧会
デジタル大辞泉プラス
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18. 出雲大社本殿[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
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19. いずもたいしやけいだいいせき【出雲大社境内遺跡】島根県:簸川郡/大社町/杵築宮内村
日本歴史地名大系
[現]出雲市大社町杵築東 出雲大社の境内にある遺跡で、縄文時代から現代に及ぶ遺構・遺物が発見されている。昭和三二年(一九五七)拝殿建設に伴う調査で中世の本殿遺構 ...
20. いずもたいしゃけいしんこう【出雲大社敬神講】
国史大辞典
⇒大社教(たいしゃきょう)  ...
21. 祀大己貴命於出雲大社 (見出し語:大國主神)
古事類苑
神祇部 洋巻 第4巻 1026ページ ...
22. 合祀素戔鳴尊於出雲大社 (見出し語:素戔鳴尊)
古事類苑
神祇部 洋巻 第4巻 1026ページ ...
23. あいかぐん【秋鹿郡】島根県:出雲国
日本歴史地名大系
人々を集める。延宝―元禄(一六七三―一七〇四)頃には出雲国の神主の支配権をめぐって杵築大社(出雲大社)と争い、松江藩の調停で島根・秋鹿・楯縫三郡と意宇郡西部の神 ...
24. あいかむら【秋鹿村】島根県:松江市/旧秋鹿郡地区
日本歴史地名大系
の特産であることから大倉牛蒡といわれる。形がよく、味・香り・肉質が優れ、松江藩主が杵築大社(出雲大社)参詣の折に秋鹿町で休憩した際、必ず賞味したといわれ、毎年の ...
25. あかつかむら【赤塚村】島根県:簸川郡/大社町
日本歴史地名大系
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26. あかなとうげ【赤名峠】島根県:飯石郡/赤来町/上赤名村
日本歴史地名大系
送に馬二七〇―二八〇疋、人足四〇〇人を要したという(飯石郡誌)。このほか伊勢参り・杵築大社(出雲大社)参り、石見から三次方面への塩干魚やワニ(鮫)の運搬、赤名半 ...
27. あごごう【阿吾郷】島根県:簸川郡/斐川町
日本歴史地名大系
斐川町南部を東西に走る山脈の南麓、斐伊川との間の細長い山裾の阿宮地域にあった。中世杵築大社(出雲大社)領一二郷のうちの一つ。阿午・阿語・阿具とも記す。建久二年( ...
28. あさやまじんじゃ【朝山神社】島根県:出雲市/上朝山村
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得ている。神在月には旧暦一〇月一日から一〇日まで全国の神々が当社に集まり、そのあと杵築大社(出雲大社)、佐太神社(現鹿島町)へ向かい、万九千社から帰るとの伝承が ...
29. あずきじんじゃ【阿須伎神社】島根県:簸川郡/大社町/遥堪村
日本歴史地名大系
麓に鎮座する。主祭神は阿遅須伎高日子根命。旧郷社。平安末期以後、中世・近世を通じて杵築大社(出雲大社)の末社とされた。阿式社・阿式宮・安食社・安式宮・阿式大明神 ...
30. あまごい【雨乞】[標準語索引]
日本方言大辞典
ひゃくますあらいあまごい:雨乞をすることせんたき / せんだだき / せんばたきあまごい:雨乞をするための水を出雲大社へもらいに行くことおみずもらい ...
31. あまむら【海士村】千葉県:市原市地図
日本歴史地名大系
。明治七年(一八七四)有木村と合併し、海士有木村となる。大宮神社が鎮座。文正二年(一四六七)出雲大社の分霊を祀ったのが始まりという。 ...
32. あめのひすみのみや【天日隅宮】
国史大辞典
出雲大社(いずもたいしゃ)  ...
33. ありのこしじょうあと【蟻腰城跡】広島県:比婆郡/西城町/八鳥村
日本歴史地名大系
相続した景盛は武将の器でなく、譜代の忠臣のうち讒言により遠ざけられるものが多くなった。東政幸も出雲大社に参拝したところ、参詣に事寄せ尼子氏に通じようとするものと ...
34. ありもんじのもん【有文字紋】画像
国史大辞典
有の文字を標識とする紋章。出雲大社の神紋であり、通俗に子持(こもち)亀甲という二重の亀甲のうちに有の字を入れるのを例とする。亀甲は玄武として北方鎮座を象り、有 ...
35. いいしぐん【飯石郡】島根県
日本歴史地名大系
昭和四〇年(一九六五)頃まで続く。大原郡と仁多郡では宍道から南下する簸上鉄道が計画されたのに対して、飯石郡では出雲大社と安芸宮島を結ぶ路線を計画し、出雲市から簸 ...
36. いくまごう【生馬郷】島根県:松江市/旧島根郡地区
日本歴史地名大系
いる。貞和三年(一三四七)三月一九日の室町幕府御教書(出雲大社文書)によると、生馬郷の郷民は塔婆料所であることを口実に杵築大社(出雲大社)三月会の頭役勤仕を拒否 ...
37. いごもりのまつり【斎籠祭】
国史大辞典
昔は一月亥の日亥の刻から巳の日巳の刻まで同様の習俗を守った。房総半島南部のミカリ神事、伊豆七島の忌(き)の日、出雲大社や佐太(さだ)神社の御忌祭なども、斎籠祭の ...
38. 忌籠祭
世界大百科事典
加えて祭りの期間中,氏子は臼や糸車にいたるまで,いっさい音をたてることを禁じられていた。また出雲大社の神幸祭においては,祭りの中心行事である8月14日夜の大国主 ...
39. いしざわむら【石沢村】新潟県:上越市/旧高田市地区
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うち漆高七升・野高一升五合。諏訪大明神(村中鎮守)・二ノ宮神社・毘沙門・石薬師がある(頸城郡誌稿)。幕末には出雲大社の分社があり御師の宿所があった。 ...
40. いしづかむら【石塚村】島根県:出雲市
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その後当村は拡大していったと思われ、南北町期以降は石塚郷または石塚村とよばれるようになる。鎌倉期に杵築大社(出雲大社)領は皇室領に組込まれ、後白河上皇・後鳥羽上 ...
41. いじみごう【伊志見郷】島根県:八束郡/宍道町/伊志見村
日本歴史地名大系
現伊志見地域にあった杵築大社(出雲大社)の所領。伊志見村ともいう。康元元年(一二五六)一二月日の杵築大社領注進状(北島家文書)に、杵築大社領の一つとして「伊志見 ...
42. いじみむら【伊志見村】島根県:八束郡/宍道町
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43. 出雲(市)画像
日本大百科全書
畜産も行われている。市内には出雲大社をはじめ、立久恵(たちくえ)峡、一畑薬師、鰐淵(がくえん)寺、多伎いちじく温泉、日御碕(ひのみさき)、島根ワイナリーなど観光 ...
44. 出雲[市]
世界大百科事典
清水 康厚 大社 出雲市北西端の旧町。旧簸川郡所属。島根半島西端から大社湾岸の砂丘地帯に広がる出雲大社の門前町。人口1万6020(2000)。《出雲国風土記》の ...
45. いずもいわいじんじゃ【出雲祝神社】埼玉県:入間市/中野村地図
日本歴史地名大系
祀って出雲伊波比神社としたという。神体は石棒の下半分で、社記(当社蔵)によれば上半分は出雲杵築大社(出雲大社)に置き、下半分は天穂日命が持参したものと伝える。所 ...
46. いずもうじ【出雲氏】画像
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れる。出雲臣は出雲国の意宇(おう)郡に鎮座する熊野大社および同国出雲郡にまつられる杵築大社(出雲大社)の神の祭祀を掌り、国造となった。意宇郡は神郡として重視され ...
47. 出雲駅伝[イミダス編 文化・スポーツ]
イミダス 2016
となった。最大の特徴は「高速駅伝」であることと、海外の大学チームを招待していること。コースは出雲大社正面鳥居前からスタートし、フィニッシュは出雲ドーム前。6区間 ...
48. いずもおうらい【出雲往来】
国史大辞典
勝山・久世・落合・坪井・津山・勝間田・土居・上月・佐用・三日月・新宮・嘴崎・姫路などである。出雲大社の参詣や、山陰よりの上洛・上坂に利用されたほか、松江藩をはじ ...
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日本歴史地名大系
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50. いずも‐ぐすり[いづも:]【出雲薬】
日本国語大辞典
〔名〕江戸時代の小児用疳(かん)の薬。出雲大社で作られて売りに出されたところからいう。丸薬(がんやく)。イズモ ...
「出雲大社」の情報だけではなく、「出雲大社」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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