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  11. 大伴家持

大伴家持

ジャパンナレッジで閲覧できる『大伴家持』の日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ

日本大百科全書
大伴家持
おおとものやかもち
[717/718―785]

『万葉集』末期の代表歌人、官人。旅人(たびと)の子。少年時の727年(神亀4)ごろ父に伴われ大宰府(だざいふ)で生活し、730年(天平2)帰京。737年ごろ内舎人(うどねり)。745年(天平17)従(じゅ)五位下。翌3月宮内少輔(くないのしょうふ)。7月越中守(えっちゅうのかみ)として赴任した。751年(天平勝宝3)少納言(しょうなごん)となって帰京。754年兵部(ひょうぶ)少輔。さらに兵部大輔、右中弁を歴任したが、758年(天平宝字2)因幡守(いなばのかみ)に左降された。以後、信部大輔(しんぶたいふ)、薩摩守(さつまのかみ)、大宰少弐(しょうに)などを歴任。長い地方生活を経て770年(宝亀1)6月民部少輔、9月左中弁兼中務(ちゅうむ)大輔、10月、21年ぶりで正五位下に昇叙した。諸官を歴任して781年(天応1)4月右京大夫(うきょうのたいふ)兼春宮(とうぐう)大夫となり、785年(延暦4)4月中納言従三位(じゅさんみ)兼春宮大夫陸奥按察使(みちのくのあんさつし)鎮守府将軍とみえ、同年8月没。没時はおそらく任地多賀城(宮城県多賀城市)にいたと思われる。年68または69歳。名門大伴家の家名を挽回(ばんかい)しようとして政争に巻き込まれることが多く、官人としては晩年近くまで不遇で、死後も謀反事件に連座して806年(大同1)まで官の籍を除名されていた。
作品は『万葉集』中もっとも多く、長歌46、短歌425(合作1首を含む)、旋頭歌(せどうか)1首、合計472首に上る。ほかに漢詩1首、詩序形式の書簡文などがある。作歌活動は、732年ごろから因幡守として赴任した翌年の759年までの28年間にわたるが、3期に区分される。第1期は746年越中守となるまでの習作時代で、恋愛歌、自然詠が中心をなす。のちに妻となった坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)をはじめ、笠女郎(かさのいらつめ)、紀女郎(きのいらつめ)らとの多彩な女性関係と、早くも後年の優美、繊細な自然把握がみられる。第2期は越中守時代の5年間で、期間は短いが、望郷の念を底に秘めつつ、異境の風物に接し、下僚大伴池主(いけぬし)との親密な交遊を通し、さらには国守としての自覚にたって、精神的にもっとも充実した多作の時代である。第3期は帰京後から因幡守となるまでで、作品数は少なく宴歌が多いが、万葉の叙情の深まった極致ともいうべき独自の歌境を樹立した。『万葉集』の編纂(へんさん)に大きく関与し、第3期の兵部少輔時代の防人歌(さきもりうた)の収集も彼の功績である。長い万葉和歌史を自覚的に受け止めて学ぶとともにこれを進め、比類のない優美・繊細な歌境を開拓するが、この美意識および自然観照の態度などは、平安時代和歌の先駆をなす点が少なくない。
[橋本達雄]
ふり放(さ)けて三日月見れば一目見し人の眉引(まよびき)思ほゆるかも(第1期)
うらうらに照れる春日に雲雀(ひばり)あがりこころ悲しも独りし思へば(第3期)



改訂新版・世界大百科事典
大伴家持
おおとものやかもち
717-785(養老1-延暦4)

奈良時代の政治家,歌人。安麻呂の孫,旅人の子。橘諸兄政権下に内舎人として出身し,745年(天平17)1月,正六位上から従五位下に叙される。この昇叙の記事が《続日本紀》に家持の名の見える最初である。746年3月宮内少輔,同年6月越中守に任ぜられ,751年(天平勝宝3)7月少納言となり帰京した。754年4月兵部少輔となり,このとき防人の事務をつかさどる。757年(天平宝字1)6月兵部大輔,同年12月右中弁,758年6月には因幡守となった。《万葉集》最末尾の歌であり,また家持作として知られる最後の歌でもある〈新(あらた)しき年の始の初春の今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)〉は翌年1月1日,因幡国庁で降りしきる雪を見ながら国郡の司等を招いた宴席で作られた。その後信部大輔となったが,763年恵美押勝(藤原仲麻呂)を害せんとする事件に連座して薩摩守に左遷された。その後,大宰少弐,民部少輔,相模守,伊勢守などを経て,780年(宝亀11)2月参議に至り,翌年4月右京大夫兼春宮大夫,11月従三位となった。782年(天応2)閏1月氷上川継の事に座して現任を解かれたが,5月参議春宮大夫に復し,6月陸奥按察使鎮守将軍を兼ねて多賀城に赴き,翌年2月持節征東将軍に任命された。785年8月28日多賀城に没する。死後20余日にしてまだしかばねを葬らないうちに,藤原種継射殺事件にかかわりありとして除名され,息子永主等は隠岐に流された。このとき家持の遺骨もともに配流の憂き目にあったろうともいう。806年(大同1)3月,勅によって罪科を除かれ,本位に復された。

家持は江戸前期の国学者契沖の研究以来《万葉集》の最終的な整理編纂者に擬せられており,それは今日ほとんど疑いないものとされている。特に巻十七以降は,家持の歌による日録の体裁をなしている。集中,群をぬいて作品数も多く(長歌46,短歌431,旋頭歌1,連歌1),その作歌過程は大別して3期に区分される。1期は年次の分かっている歌の初見とされる〈初月(みかづき)の歌〉の見られる733年(天平5)から越中守に任命されるまでで,この時期は後に妻となった坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)(大伴坂上大嬢)をはじめとして多くの女性と贈答歌を交わしている。2期は越中守在任時代で,作歌意欲も旺盛であり,いわゆる〈北越三賦〉をはじめとして大伴池主との往復書簡・歌,〈陸奥国より金を出せる詔書を賀(ことほ)ぐ歌〉(巻十八)等多くの大作をものし,自然,人事への新しい眼を開いている。またこの時期には着任早々にして弟の死に遭遇し,みずからも死に瀕する大患にかかるなど,かつてない苦悩を体験した。3期は帰京後,最後の歌に至るまでで,藤原氏の勢いに押されながら次第に衰退する大伴氏の氏上(うじのかみ)としての自己を保ちつつ,繊細にして哀愁を帯びた独自の歌風を完成した。〈わが屋戸のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕かも〉〈うらうらに照れる春日に雲雀あがり情(こころ)悲しも独りしおもへば〉(ともに巻十九)。これらの歌はすでに平安朝和歌の到来を予見させるものとなっている。
[川口 常孝]

[索引語]
万葉集
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大伴家持の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 2129
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検索コンテンツ
1. 大伴家持
日本大百科全書
『万葉集』末期の代表歌人、官人。旅人(たびと)の子。少年時の727年(神亀4)ごろ父に伴われ大宰府(だざいふ)で生活し、730年(天平2)帰京。737年ごろ内舎 ...
2. 大伴家持
世界大百科事典
717-785(養老1-延暦4) 奈良時代の政治家,歌人。安麻呂の孫,旅人の子。橘諸兄政権下に内舎人として出身し,745年(天平17)1月,正六位上から従五位下 ...
3. おおとも‐の‐やかもち【大伴家持】
デジタル大辞泉
[718ころ〜785]奈良時代の歌人。三十六歌仙の一人。旅人の子。中納言。越中守・兵部大輔(ひょうぶのたいふ)など地方・中央の諸官を歴任。万葉集編纂者(へんさん ...
4. おおとも‐の‐やかもち【大伴家持】
日本国語大辞典
奈良時代の万葉歌人。旅人(たびと)の子。地方、中央の諸官を歴任。歌は繊細、優美を基調とし、すぐれた技巧と抒情性を示し、万葉末期を代表する。「万葉集」中、歌数が最 ...
5. おおとものやかもち【大伴家持】
全文全訳古語辞典
[人名]⇒おほとものやかもち(大伴家持)  ...
6. おおとものやかもち【大伴家持】
国史大辞典
[参考文献]尾山篤二郎『大伴家持の研究』、山本健吉『大伴家持』(『日本詩人選』五)、瀬古確『(増補改訂)大伴家持の研究』、北山茂夫『大伴家持』(『平凡社選書』一 ...
7. おおともの-やかもち【大伴家持】
日本人名大辞典
718−785 奈良時代の歌人,公卿(くぎょう)。養老2年生まれ。大伴旅人(たびと)の長男。妻は大伴坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)。宝亀(ほうき)11年参 ...
8. 大伴家持[文献目録]
日本人物文献目録
件 『大伴家持略年譜』谷馨『大伴宿禰家持年譜』高林誠一『大伴家持』松平操子『評釈大伴家持全集』小泉苳三『大伴家持』小泉苳三『大伴家持』植松寿樹『大伴家持』久松潜 ...
9. 大伴家持(おおともやかもち)
古事類苑
文學部 洋巻 第1巻 822ページ ...
10. おほとものやかもち【大伴家持】
全文全訳古語辞典
[人名]『万葉集』第四期の歌人。三十六歌仙の一人。生年未詳、七八五年(延暦四)没。『万葉集』の編集に大きく寄与したといわれている。歌風は万葉調が薄れており、優美 ...
11. Ōtomo no Yakamochi 【大伴家持】
Encyclopedia of Japan
718?−785 The last major poet in and reputed compiler of the Man'yoshu, the earli ...
12. 大伴家持〓喩尾張少咋(見出し語:大伴家持)
古事類苑
人部 洋巻 第2巻 231ページ ...
13. 大伴家持撰萬葉集(見出し語:大伴家持)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 335ページ ...
14. おおともの-やかもちの-いろと【大伴家持妹】
日本人名大辞典
?−? 奈良時代の女性。大伴旅人(たびと)の娘。奈良の人。天平勝宝(てんぴょうしょうほう)2年(750)留女之女郎(とめのいらつめ)の名で,越中守(えっちゅうの ...
15. 小倉百人一首(6) 歌人/大伴家持(中納言家持)[百科マルチメディア]
日本大百科全書
しにおくしもの しろきをみればよぞふけにける定まり字(決まり字):歌を特定する字(音)/かさ大伴家持(おおとものやかもち)(中納言家持(ちゅうなごんやかもち)) ...
16. 書評 歴史書の棚 万葉歌人・大伴家持の軍事貴族としての顔=今谷明
週刊エコノミスト 2015-16
剣太刀(つるぎたち)いよよ研(と)ぐべし古(いにしへ)ゆ 清(やさ)けく負ひて来にしその名ぞ 大伴家持の歌をどれか一首と言われると難しいが、例えば右の歌は ...
17. あい[あひ]【合・会・相】
日本国語大辞典
・七四一「夢(いめ)の相(あひ)は苦しかりけり覚(おどろ)きてかきさぐれども手にも触れねば〈大伴家持〉」*万葉集〔8C後〕一四・三四九三「遅速(おそはや)も汝( ...
18. あい‐うずな・う[あひうづなふ]
日本国語大辞典
心を 明らめ給ひ 天地の 神安比宇豆奈比(アヒウヅナヒ) 皇御祖(すめろき)の 御霊助けて〈大伴家持〉」 ...
19. あいだ[あひだ]【間】
日本国語大辞典
在した(万葉‐四・七〇〇「かくしてやなほやまからむ近からぬ道の間(あひだ)をなづみまゐ来て〈大伴家持〉」)。ひとつのものとしてとらえる用法では、「間」の前に用言 ...
20. あい‐とよ・む[あひ:]【相響】
日本国語大辞典
*万葉集〔8C後〕八・一六〇二「山びこの相響(あひとよむ)まで妻恋ひに鹿(か)鳴く山辺に独りのみして〈大伴家持〉」*万葉集〔8C後〕一〇・一九三七「山びこの 答 ...
21. あ・う[あふ]【合・会・逢・遭】
日本国語大辞典
*万葉集〔8C後〕一八・四一〇六「紐の緒の いつがり安比(アヒ)て にほ鳥の ふたりならびゐ〈大伴家持〉」*竹取物語〔9C末〜10C初〕「ことゆかぬ物ゆゑ大納言 ...
22. あ・う[あふ]【敢】
日本国語大辞典
*万葉集〔8C後〕一八・四〇八三「常の恋いまだやまぬにみやこより馬にこひ来ば荷ひ安倍(アヘ)むかも〈大伴家持〉」*源氏物語〔1001〜14頃〕桐壺「源氏の君は、 ...
23. 足占
日本大百科全書
「月夜(つくよ)には門(かど)に出で立ち夕占(ゆうけ)問ひ、足卜をそせし行かまくを欲(ほ)り」(『万葉集四』大伴家持(やかもち))、「乃掌足踏行……初潮漬足時則 ...
24. あえ‐て・る[あへ:]【─照】
日本国語大辞典
七一「消残(けのこ)りの雪に安倍弖流(アヘテル)あしひきの山たちばなを苞(つと)に摘み来な〈大伴家持〉」 ...
25. あえ ぬ がに
日本国語大辞典
七「百枝さし 生ふる橘 玉に貫(ぬ)く 五月を近み 安要奴我爾(アエヌガニ) 花咲きにけり〈大伴家持〉」*万葉集〔8C後〕一〇・二二七二「秋づけば水草(みくさ) ...
26. あえ‐ぬ・く[あへ:]【─貫】
日本国語大辞典
後〕一七・四〇〇六「そこ思(も)へば 心し痛し 霍公鳥 声に安倍奴久(アヘヌク) 珠にもが〈大伴家持〉」 ...
27. あ・える【零】
日本国語大辞典
しみ 置きて枯らしみ 安由流(アユル)実は 玉に貫きつつ 手に纏(ま)きて 見れども飽かず〈大伴家持〉」*日葡辞書〔1603〜04〕「Aye, uru, eta ...
28. あお‐うなばら[あを:]【青海原】
日本国語大辞典
阿乎宇奈波良(アヲウナハラ)かぜなみなびき往(ゆ)くさ来(く)さつつむこと無く舟ははやけむ〈大伴家持〉」*土左日記〔935頃〕承平五年一月二〇日「あをうなはらふ ...
29. あお‐うま[あを:]【青馬・白馬】
日本国語大辞典
れた馬。*万葉集〔8C後〕二〇・四四九四「水鳥の鴨の羽色の青馬を今日見る人は限り無しといふ〈大伴家持〉」*土左日記〔935頃〕承平五年一月七日「七日になりぬ。同 ...
30. あおうま の 節会(せちえ)
日本国語大辞典
来」とある。(1)正月七日の節会に青馬を天皇が観る行事は、大伴家持の歌(万葉‐二〇・四四九四)によって、天平宝字二年(七五八)にはすでに行なわれていたことが分か ...
31. 白馬節会
世界大百科事典
宮廷年中行事。天皇が正月7日に〈あおうま〉を見る儀式。大伴家持が〈水鳥の鴨の羽の色の青馬を……〉と《万葉集》に詠んだように,はじめは青馬であったが,平安中期より ...
32. あおうまのせちえ【白馬節会】
国史大辞典
』『水鏡』)、宝亀六年(七七五)説(『本朝事始』)などあるが、すでに天平宝字二年(七五八)の大伴家持の歌(後出)にみえる。はじめは豊楽(ぶらく)院で行われ、文徳 ...
33. あお・ぐ[あふぐ]【仰】
日本国語大辞典
*万葉集〔8C後〕一八・四一二二「みどりこの 乳(ち)乞ふが如く 天つ水 安布芸(アフギ)てそ待つ〈大伴家持〉」*源氏物語〔1001〜14頃〕明石「手をおしすり ...
34. あお‐たか[あを:]【青鷹・蒼鷹】
日本国語大辞典
数多(あまた)あれども 矢形尾(やかたを)の 吾が大黒に〈大黒は蒼鷹の名なり〉 白塗の 鈴取り附けて〈大伴家持〉」*十巻本和名類聚抄〔934頃〕七「鷹 〈略〉三 ...
35. あお‐なみ[あを:]【青波】
日本国語大辞典
後〕二〇・四三一三「安乎奈美(アヲナミ)に袖さへ濡れて漕ぐ船のかし振るほどにさ夜ふけなむか〈大伴家持〉」 ...
36. あおに‐よし[あをに:]【青丹─】
日本国語大辞典
葉‐三・三二八」や「松が根の絶ゆる事無く青丹余志(あをにヨシ)奈良の都に万代に国知らさむと〈大伴家持〉」〔万葉‐一九・四二六六〕のように都の繁栄をことほぐ歌で用 ...
37. あおむら【阿尾村】富山県:氷見市
日本歴史地名大系
卯辰山に勧請されたともいう(御領国神社来歴)。〔あをの浦〕阿尾の海をさす。「万葉集」巻一八に大伴家持の「安乎の浦に寄する白波いや増しに立ち重き寄せ来東風をいたみ ...
38. あおやぎ‐の[あをやぎ:]【青柳─】
日本国語大辞典
*万葉集〔8C後〕一九・四一九二「青柳乃(あをやぎノ) 細き眉根(まよね)を 笑(ゑ)みまがり〈大伴家持〉」(2)柳の枝が細いのを糸に見立てるところから、糸と同 ...
39. あかき 心(こころ)
日本国語大辞典
ぬ 安加吉許己呂(アカキココロ)を すめらへに 極め尽して 仕へ来る 祖(おや)のつかさと〈大伴家持〉」*人情本・春色辰巳園〔1833〜35〕四・序「漉返紙(わ ...
40. あかとき‐つゆ【暁露】
日本国語大辞典
後〕八・一六〇五「高円(たかまと)の野辺の秋萩この頃の暁露(あかときつゆ)に咲きにけむかも〈大伴家持〉」 ...
41. あかとき‐づき【暁月】
日本国語大辞典
形。*万葉集〔8C後〕一九・四一八一「さ夜更けて暁月に影見えて鳴くほととぎす聞けばなつかし〈大伴家持〉」 ...
42. あか に
日本国語大辞典
鵜川(うかは)立ち か行きかく行き 見つれども そこも安加爾(アカニ)と 布勢(ふせ)の海に 船浮け据ゑて〈大伴家持〉」 ...
43. あか・る【赤】
日本国語大辞典
四二六六「もののふの 八十(やそ)伴の男の 島山に 安可流(アカル)橘 髻華(うず)にさし〈大伴家持〉」(2)酒に酔って顔などが赤くなる。*延喜式〔927〕祝詞 ...
44. あが・う[あがふ]【贖・購】
日本国語大辞典
臣の太祝詞(ふとのりとごと)言ひ祓(はら)へ安賀布(アカフ)命も誰(た)がために汝(なれ)〈大伴家持〉」*新訳華厳経音義私記〔794〕「救贖 曰出 ...
45. あがき の 水(みず)
日本国語大辞典
四〇二二「うさか河渡る瀬多みこの吾が馬(ま)の安我枳乃美豆(アガキノミヅ)にきぬぬれにけり〈大伴家持〉」*徒然草〔1331頃〕一一四「賽王丸御牛を追ひたりければ ...
46. あ‐が‐きみ【吾君】
日本国語大辞典
*万葉集〔8C後〕一九・四一六九「松柏(まつかへ)の 栄えいまさね 尊き安我吉美(アガキミ)〈大伴家持〉」*宇津保物語〔970〜999頃〕菊の宴「あなゆゆしや。 ...
47. あがたのいぬかいの-きよひと【県犬養浄人】
日本人名大辞典
うさかん)のとき,防人部領使(さきもりことりづかい)として筑紫(つくし)におもむく。その際,大伴家持(やかもち)に献上した防人たちの歌22首のうち11首が「万葉 ...
48. あが・る【上・揚・挙・騰】
日本国語大辞典
*万葉集〔8C後〕一九・四二九二「うらうらに照れる春日にひばり安我里(アガリ)心悲しもひとりし思へば〈大伴家持〉」*枕草子〔10C終〕三六・七月ばかりいみじうあ ...
49. あき‐くさ【秋草】
日本国語大辞典
《季・秋》*万葉集〔8C後〕二〇・四三一二「秋草に置く白露の飽かずのみ相見るものを月をし待たむ〈大伴家持〉」*玉葉和歌集〔1312〕秋上・五二〇「村雨のはるる日 ...
50. あき さる
日本国語大辞典
〕二〇・四三一〇「安吉佐礼(アキサレ)ば霧立ちわたる天の河石並(な)み置かば継ぎて見むかも〈大伴家持〉」*新古今和歌集〔1205〕雑上・一五六二「雲かかるとほ山 ...
「大伴家持」の情報だけではなく、「大伴家持」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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日本語を表記するために、漢字の字音や字訓を利用して表音的に用いたもの。用法の上からは仮名の一種であって漢字本来の表意的な使い方とは異なるが、文字の形としては漢字であり、漢字を省画化した片仮名や略草化した平仮名とは異なる。奈良時代以前
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《万葉集》第1期(舒明朝~壬申の乱)の女流歌人。生没年不詳。《日本書紀》天武天皇条に,鏡王の娘で,はじめ大海人皇子(のちの天武天皇)に嫁して十市皇女を生んだとあるほかは,伝もつまびらかでない。父の鏡王に関しても不明。出生地についても大和国,近江国の2説あるが,どちらとも決定しがたい。
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