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  11. 一条天皇
国史大辞典
一条天皇
いちじょうてんのう
九八〇 - 一〇一一
九八六―一〇一一在位。天元三年(九八〇)六月一日、円融天皇の第一皇子として誕生。母は藤原兼家の女の女御詮子(のちの東三条院)。諱は懐仁(やすひと)。永観二年(九八四)八月、従兄にあたる花山天皇の東宮に立った。時に五歳。寛和二年(九八六)六月二十三日、花山天皇の出家の事件によって七歳で践祚、外祖父の右大臣兼家が摂政となった。正暦元年(九九〇)正月五日、十一歳で元服し、その後兼家の子の道隆・道兼が摂政・関白を勤めたが、長徳元年(九九五)からは、兼家の第四子の道長が内覧の右大臣、ついで左大臣として権を振るい、藤原氏の全盛期に入った。寛弘八年(一〇一一)六月十三日、病により従兄にあたる東宮居貞(いやさだ)親王(三条天皇)に譲位、同月二十二日、一条院に崩御、三十二歳。天皇ははじめ道隆の女定子を皇后とし、長保元年(九九九)敦康親王が生まれたが、翌年、道長の女彰子が中宮に立ち、寛弘五年に敦成(あつひら)親王(後一条天皇)、同六年に敦良親王(後朱雀天皇)が生まれて道長一家の権勢は確立した。他の藤原義子ら三人の女御には子がない。天皇は公正温雅で才学に富み、特に笛に巧みで、廷臣の信頼を集めた。道長の全盛期であったが、これと特に衝突することもなく、この時期に朝野の各界に人材が輩出したことは、『続本朝往生伝』に詳しく、女流の活躍も目ざましかった。『花園天皇宸記』正和二年(一三一三)二月三日条に『一条院御記』七巻があったことがみえるが、その内容はほとんど伝わっていない。
[参考文献]
『大日本史料』二ノ六 寛弘八年六月二十二日条
(土田 直鎮)

円融寺北陵(えんゆうじのきたのみささぎ)

 京都市右京区竜安寺朱山(しゅうやま、竜安寺東北約二〇〇メートル)にあり、円丘状をなし堀河天皇陵と同域である。寛弘八年(一〇一一)七月八日夜火葬、遺骨を金輪寺に奉安すべきところ日次が悪いため円城寺(愛宕郡)に安置した。しかし、かつて父円融天皇陵の傍に土葬するよう遺命のあったことがわかったが、その方角が塞がっていたので、九年後の寛仁四年(一〇二〇)六月十六日夜円融寺の北、円融天皇陵の近くに埋納した。のち、陵所は不明となったが、幕末に現陵に決定した。火葬塚は御陵の東北、北区衣笠鏡石町にあり、三条天皇火葬塚も同所にある。
[参考文献]
『大日本史料』二ノ七 寛弘八年七月八日・九日条、同二ノ一五 寛仁四年六月十六日条
(中村 一郎)

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枕草子(日本大百科全書(ニッポニカ))
平安中期の随筆。清少納言(せいしょうなごん)の作。跋文(ばつぶん)によると、清少納言が仕える一条(いちじょう)天皇の中宮定子(ていし)に、正暦(しょうりゃく)5年、長徳(ちょうとく)元年(994、995)のころに、中宮の兄藤原伊周(これちか)が紙を献上したことがあり
一条天皇(国史大辞典)
九八〇-一〇一一。九八六―一〇一一在位。天元三年(九八〇)六月一日、円融天皇の第一皇子として誕生。母は藤原兼家の女の女御詮子(のちの東三条院)。諱は懐仁。永観二年(九八四)八月、従兄にあたる花山天皇の東宮に立った。時に五歳。
清少納言(日本大百科全書(ニッポニカ))
生没年未詳。平安時代中期の歌人、随筆家。966年(康保3)のころ生まれて1025年(万寿2)のころ没したと推測されている。父は歌人清原元輔であるが、母は明らかでない。966年に元輔は59歳であり、年齢に差のある異腹の兄姉、雅楽頭為成、大宰少監致信、花山院殿上法師戒秀、藤原理能妻がいた。
北村季吟(日本大百科全書(ニッポニカ))
江戸前期の国学者、俳人、歌人。通称久助。別号は芦庵、拾穂軒、湖月亭など。近江国(滋賀県)野洲郡(現、野洲市)の人で、医師北村宗円の長男として寛永元年12月11日に生まれる。若くして上京し、初め俳諧を安原貞室(1610―1673)に師事し、ついで貞室の師松永貞徳に従って、広く古典を学んだ。


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生没年未詳。平安時代中期の歌人、随筆家。966年(康保3)のころ生まれて1025年(万寿2)のころ没したと推測されている。父は歌人清原元輔であるが、母は明らかでない。966年に元輔は59歳であり、年齢に差のある異腹の兄姉、雅楽頭為成、大宰少監致信、花山院殿上法師戒秀、藤原理能妻がいた。
一条天皇(国史大辞典)
九八〇-一〇一一。九八六―一〇一一在位。天元三年(九八〇)六月一日、円融天皇の第一皇子として誕生。母は藤原兼家の女の女御詮子(のちの東三条院)。諱は懐仁。永観二年(九八四)八月、従兄にあたる花山天皇の東宮に立った。時に五歳。
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1. 一条天皇
日本大百科全書
第66代天皇(在位986~1011)。円融(えんゆう)天皇第1皇子。母は藤原兼家(かねいえ)の女(むすめ)、東三条院詮子(せんし)。諱(いみな)は懐仁(やすひと ...
2. 一条天皇
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980-1011(天元3-寛弘8) 第66代に数えられる天皇。在位986-1011年。父円融天皇,母藤原詮子(東三条院)。諱(いみな)は懐仁(やすひと)。984 ...
3. いちじょう‐てんのう【一条天皇】
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4. いちじょう‐てんのう[イチデウテンワウ]【一条天皇】
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5. いちじょうてんのう【一条天皇】
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長保元年(九九九)敦康親王が生まれたが、翌年、道長の女彰子が中宮に立ち、寛弘五年に敦成(あつひら)親王(後一条天皇)、同六年に敦良親王(後朱雀天皇)が生まれて道 ...
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7. いちじょうてんのう【一条天皇】
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8. 懐仁親王・一条天皇・一条法皇
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14. いちじょうてんのう・さんじょうてんのうかそうづか【一条天皇・三条天皇火葬塚】京都市:北区/大北山村地図
日本歴史地名大系
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16. いちじょうてんのうりょう【一条天皇陵】京都市:右京区/龍安寺門前村/龍安寺朱山七陵地図
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正称は一条天皇円融寺北陵。天皇は円融天皇第一皇子で母は東三条院詮子(藤原兼家女)。道長を中心とした藤原氏最盛期に在位し、紫式部・清少納言などが宮廷に仕えた。寛弘 ...
17. 敦成親王・後一条天皇
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辛亥〉 6・13 一条天皇 譲位、居貞親王(三条天皇)受禅、 敦成親王 を皇太子とする(紀略)。 1016年〈長和5 丙辰〉 1・29 三条天皇 譲位、 敦成親 ...
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19. ごいちじょう‐てんのう【後一条天皇】
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[1008〜1036]第68代天皇。在位1016〜1036。一条天皇の第2皇子。名は敦成(あつひら)。母は藤原道長の娘の彰子(しょうし)(上東門院)。9歳で即位 ...
20. ごいちじょう‐てんのう[ゴイチデウテンワウ]【後一条天皇】
日本国語大辞典
第六八代天皇。一条天皇の第二皇子。母は藤原道長の娘彰子。名は敦成。長和五年(一〇一六)即位。在位二一年の間、道長が摂政となり、外戚として権勢をふるう。寛弘五〜長 ...
21. ごいちじょうてんのう【後一条天皇】
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一〇〇八―三六 一〇一六―三六在位。寛弘五年(一〇〇八)九月十一日一条天皇の第二皇子として誕生。母は藤原道長の女彰子。諱は敦成。同年十月十六日親王宣下。同八年 ...
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23. ごいちじょうてんのう【後一条天皇】
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1008−1036 平安時代中期,第68代天皇。在位1016-36。寛弘(かんこう)5年9月11日生まれ。一条天皇の第2皇子。母は藤原彰子(上東門院)。三条天皇 ...
24. 後一条天皇[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:1件 『「紫式部日記」敦成親王誕生の記の一考察』渋谷孝 ...
25. Go-Ichijō, Emperor 【後一条天皇】
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26. 後一條天皇山陵 (見出し語:後一條天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 994ページ ...
27. 後一條天皇誕生圖 (見出し語:後一條天皇)
古事類苑
禮式部 洋巻 第1巻 384ページ ...
28. 源顯基爲後一條天皇寵臣 (見出し語:寵臣)
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29. あしや‐どうまん【蘆屋道満】
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平安時代、一条天皇の頃の陰陽家。安倍晴明と陰陽の術を争ったが、藤原道長を呪詛(じゅそ)し晴明に破れたため播磨国(兵庫県)に放逐されたと伝えられる。のちに浄瑠璃「 ...
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31. 敦明親王
日本大百科全書
1016年(長和5)女(むすめ)である中宮彰子(ちゅうぐうしょうし)の生んだ一条天皇皇子敦成(あつなり)親王を即位させ、後一条天皇とした。道長は東宮にも敦成親王 ...
32. 敦明親王
世界大百科事典
994-1051(正暦5-永承6) 三条天皇の皇子。母は皇后娍子(じようし)(藤原済時女)。三条天皇は後一条天皇一条天皇皇子)への譲位に際し,藤原道長の意に反 ...
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国史大辞典
長和二年(一〇一三)六月二十三日一品に叙せられ、同五年正月二十九日、後一条天皇即位と同時に東宮となった。このとき、道長は娘の一条天皇中宮彰子が生んだ敦良親王(後 ...
34. 敦明親王
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1016年〈長和5 丙辰〉 1・29 三条天皇 譲位、 敦成親王(後一条天皇) 受禅、 敦明親王 を皇太子とし、 藤原道長 を摂政とする(紀略)。 1017年 ...
35. あつあきらしんのう【敦明親王】
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母は藤原〓子(せいし)。長和5年後一条天皇の皇太子にたてられたが,藤原道長の圧迫をうけ,翌年その地位を辞した。一品(いっぽん)。太上天 ...
36. あつやすしんのう【敦康親王】
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大宰帥を経て、翌八年六月二日、一条天皇譲位の近きに(譲位は六月十三日)つき、一品准三宮となった。これは、当然親王が東宮になるはずのところ、道長の外孫敦成親王(一 ...
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38. 敦良親王・後朱雀天皇・後朱雀上皇
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皇太子を辞し、 敦良親王 を皇太子とする(紀略)。 1036年〈長元9 丙子〉 4・17 後一条天皇 没、遺詔により喪を秘して譲位の儀を行う. 敦良親王(後朱雀 ...
39. あふひ-まつり【葵祭】
全文全訳古語辞典
『源氏物語』の葵上と六条御息所の車争いの話は有名である。また、藤原道長が一条桟敷で三歳の敦成親王(のちの後一条天皇)を抱いて見物したことも知られる話で、それに気 ...
40. あやののしよう【綾野庄】福岡県:浮羽郡/田主丸町/綾野村
日本歴史地名大系
近世の竹野郡綾野村を遺称地とする安楽寺(太宰府天満宮)領の庄園。安楽寺草創日記によれば、長徳四年(九九八)に一条天皇の発願建立になる安楽寺中法華堂領として綾野庄 ...
41. いいし【井伊氏】画像
国史大辞典
在庁官人の子孫で、平安時代からの土豪として井伊介を称した。家譜では藤原冬嗣六世の孫藤原共資が一条天皇の正暦年間(九九〇―九五)遠江守に任ぜられ、遠江敷知郡村櫛に ...
42. いいむろふどうどう【飯室不動堂】滋賀県:大津市/北部地域/延暦寺/横川飯室谷
日本歴史地名大系
尋禅は同私房を妙香院と改称し堂舎を整備拡充、永祚二年(九九〇)藤原師輔から与えられた荘園を施入し一条天皇の御願寺とした(山門堂舎記)。このとき妙香院の一堂宇とし ...
43. いくたじんじゃ【生田神社】兵庫県:神戸市/中央区/生田宮村
日本歴史地名大系
七日に疫病を鎮めるために当社に奉幣され(本朝世紀)、寛仁元年(一〇一七)一〇月二日に前年の後一条天皇即位による臨時大祓の奉幣等がなされている(左経記)。〔神職・ ...
44. いけのさわいせき【池の沢遺跡】滋賀県:高島郡/朽木村/村井村
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[現]朽木村村井 湧出 安曇川上流の狭隘な河岸段丘上に築造された鎌倉時代前期の庭園跡。後一条天皇の皇子(名前不詳)が隠棲して池の沢に屋敷を構え、ここで一生を過ご ...
45. いしどうじ【石塔寺】滋賀県:蒲生郡/蒲生町/石塔村
日本歴史地名大系
ると、当寺は聖徳太子が建立した近江四八ヵ寺のうち最後に建てられた寺で、当初成就寺と号したが、一条天皇の代に石塔が出土し、現寺名に改めたという。なお「元亨釈書」に ...
46. いしやまでら【石山寺】滋賀県:大津市/南部地域/寺辺村
日本歴史地名大系
が、これは寺勢の伸張にもなったことであろう。石山詣ではこの後も藤原行成・藤原道長・敦康親王・一条天皇(代参)・敦明親王などと相次ぐが、とくに末法の時代の到来を迎 ...
47. い‐すい[ヰ:]【〓〓
日本国語大辞典
〔形動タリ〕草木の花が咲き乱れるさま。*類聚句題抄〔11C中〕晴蛍穿竹見〈一条天皇〉「〓 ...
48. 和泉式部
世界大百科事典
御伽草子。作者不詳。成立は室町時代か。平安時代,一条天皇の世に,橘保昌とのあいだに1子をもうけた和泉式部は,その子を五条の橋のもとに捨てる。子は拾われ,やがて比 ...
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遺・恋一 読人しらず)を引く。宮のおそばに仕える侍従の乳母(→三〇ページ)などをさす。主上。一条天皇。なお以下を「内大殿」と読み、内大臣藤原公季をあてることも可 ...
50. 伊勢大輔
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伊勢の祭主で神祇伯となった大中臣輔親(おおなかとみのすけちか)の女。1008年(寛弘5)のころ,一条天皇の中宮彰子に仕える。〈いにしへの奈良の都の八重桜今日九重 ...
「一条天皇」の情報だけではなく、「一条天皇」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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