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  11. 北村季吟

北村季吟

ジャパンナレッジで閲覧できる『北村季吟』の日本大百科全書・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ

日本大百科全書
北村季吟
きたむらきぎん
[1624―1705]

江戸前期の国学者、俳人、歌人。通称久助。別号は芦庵(ろあん)、拾穂軒(しゅうすいけん)、湖月亭など。近江(おうみ)国(滋賀県)野洲(やす)郡(現、野洲市)の人で、医師北村宗円の長男として寛永(かんえい)元年12月11日に生まれる。若くして上京し、初め俳諧(はいかい)を安原貞室(やすはらていしつ)(1610―1673)に師事し、ついで貞室の師松永貞徳(まつながていとく)に従って、広く古典を学んだ。24歳のとき季寄(きよせ)『山之井(やまのい)』を刊行し、ついで『師走(しわす)の月夜』などを刊行。貞徳没後は俳諧宗匠として独立し、積極的に俳諧活動を行い、『祇園(ぎおん)奉納連歌誹諧合(はいかいあわせ)』『新続犬筑波集(しんぞくいぬつくばしゅう)』(1660序)等の句合や撰集(せんじゅう)を出し、また古典の注釈にも力を注ぎ、『大和(やまと)物語抄』(1653)『土佐日記抄』(1661)『伊勢(いせ)物語拾穂抄』(1680)などを完成させている。1683年(天和3)には京都新玉津島神社の社司となったが、1689年(元禄2)66歳のときに将軍家の歌学方として、長男の湖春(1648―1697)とともに召され、江戸に居住した。1699年には法印に叙せられ、再昌院(さいしょういん)の号を受け、栄達の極みに達した。季吟は芭蕉(ばしょう)の師とされるが、それは若年の一時期で、以後二人の交流はみられない。季吟の編著は『季吟十会集(じっかいしゅう)』(1672)『続連珠(ぞくれんじゅ)』(1676)『誹諧埋木(うもれぎ)』(1673)などの俳諧関係、大部な『源氏物語湖月抄』(1673成立)『枕草子春曙抄(まくらのそうししゅんしょしょう)』(1674成立)『八代集抄』(1682)などの注釈書、その他歌集などがある。宝永(ほうえい)2年6月15日没。
[雲英末雄]
一僕(いちぼく)とぼくぼくありく花見かな



国史大辞典
北村季吟
きたむらきぎん
一六二四 - 一七〇五
江戸時代前期の俳人、歌人、古典研究家。名は静厚、通称久助、慮庵・七松子・拾穂・湖月亭などの号がある。寛永元年(一六二四)十二月十一日生まれた。近江野洲郡北村(滋賀県野洲郡野洲町北)出身。祖父宗竜は医学を曲直瀬道三に、連歌を里村紹巴に学んだ文化人、父宗円も医者で連歌を嗜んだが、次男のため京都に出、長子季吟の出生は京都粟田口とされる。季吟は十六歳で安原貞室門に入り、俳諧の手ほどきを受けたが、十九歳のころ松永貞徳の直門となり、俳諧・和歌・古典研究の指導を仰いだ。貞徳没後は最初の師貞室のもとを離れ、明暦二年(一六五六)、祇園社社頭で宗匠披露の誹諧合を興行(『祇園奉納誹諧連歌合』)、独立した。時に三十三歳、貞徳の古典学にひかれ、俳諧に古典の知識を導入して新境地を開拓、門弟も漸次多きを数え、特に東本願寺門跡、伊勢久居の藤堂侯、公卿など上層階級の人々も多かった。一方これら門弟にしばしば古典の講釈を行い、これを基にして数多くの注釈書を完成した。住居は粟田口から三条山伏山町へ、さらに二条間町へと移ったが、天和二年(一六八二)には子息湖春にあとを譲って、松原通五条の新玉津島神社の社司となり、古典研究に没頭した。元禄二年(一六八九)六十六歳、子息湖春とともに幕府の歌学方として召され、江戸神田小川町(千代田区)に邸宅を賜わって移り住んだ。同十二年再昌院法印の号を賜わり、目白関口台に別荘疎儀荘を構え、満ち足りた一生を送った。宝永二年(一七〇五)六月十五日没。八十二歳。下谷池之端七軒町(台東区)正慶寺に葬る。俳書には、『山井』『師走の月夜』(『独琴』)・『いなご』『埋木』『新続犬筑波集』『十会集』『廿会集』『続連珠』など、古典注釈書には、『大和物語抄』『土佐日記抄』『伊勢物語拾穂抄』『徒然草文段抄』『百人一首拾穂抄』『和漢朗詠集註』『源氏物語湖月抄』『枕草子春曙抄』『八代集抄』『万葉拾穂抄』など、歌集には、『季吟子和歌』『新玉津嶋月次百首和歌』など、その他、『つぎねふ』『岩つゝじ』『仮名列女伝』など数多くの著作が残されている。なお『北村季吟著作集』(北村季吟大人遺著刊行会)、『北村季吟古註釈集成』(四十四巻)、『北村季吟発句集』上(『高野山大学論叢』三)がある。
[参考文献]
石倉重継『北村季吟伝』、滋賀県野洲郡役所編『国学大家北村季吟』、寺井秀七郎編『北村季吟』、同編『続北村季吟』、野村貴次『北村季吟の人と仕事』、榎坂浩尚「季吟と見聞集」(島居清編『俳諧攷』所収)、同「明暦二年の俳壇について」(『国語国文』二七ノ九)
(榎坂 浩尚)


改訂新版・世界大百科事典
北村季吟
きたむらきぎん
1624-1705(寛永1-宝永2)

江戸前期の歌学者,俳人。名は静厚(しずあつ)。通称は久助。別号は蘆庵(呂庵),七松子,拾穂軒(しゆうすいけん),湖月亭。山城国粟田口の生れ。祖父宗竜・父宗円が連歌をよくした影響で,早くから文事に親しみ,16歳で貞室,22歳で貞徳に入門。1648年処女作《山之井(やまのい)》を刊行し,重頼と抗争中の貞室を助けて俳壇に名を挙げ,53年には《紅梅千句》の大興行に参加,跋文も書いた。貞徳没後は飛鳥井雅章(まさあきら)・清水谷実業(さねなり)に和歌・歌学を学び,歌道に明るくなると,貞室の無知がうとましく不和となり,56年《誹諧合(はいかいあわせ)》を出して独立を宣言,以後は撰集《新続犬筑波(いぬつくば)集》(1660),俳論書《埋木(うもれぎ)》(1673),句合書《六百番誹諧発句合(ほつくあわせ)》(1677)等を続々と著し,俳壇に不動の地位を築いた。一方歌学者としても,和歌詠作に資する目的で,1652年刊《大和物語抄》から,86年成立《万葉拾穂抄》に至る約30年間に,《土左日記抄》《伊勢物語拾穂抄》《徒然草文段抄》《源氏物語湖月抄》《枕草子春曙(しゆんしよ)抄》など,数多くの古典注釈書を出した。ほかに,仮名草子《仮名列女伝》(1655)がある。83年,京都新玉津島神社の社司となり,89年には子の湖春とともに幕府歌学方に仕え,のち法印,また再昌院の院号を賜った。宝永2年6月15日没。82歳。辞世〈花もみつ郭公をも待ち出でつこの世後の世思ふ事なき〉。俳風は純正の貞門風で可も不可もない。〈地主からは木の間の花の都かな〉(《花千句》)。
[乾 裕幸]

[索引語]
貞室 新続犬筑波(いぬつくば)集 六百番誹諧発句合(ほつくあわせ)
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検索ヒット数 254
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検索コンテンツ
1. 北村季吟
日本大百科全書
江戸前期の国学者、俳人、歌人。通称久助。別号は芦庵(ろあん)、拾穂軒(しゅうすいけん)、湖月亭など。近江(おうみ)国(滋賀県)野洲(やす)郡(現、野洲市)の人で ...
2. 北村季吟
世界大百科事典
1624-1705(寛永1-宝永2) 江戸前期の歌学者,俳人。名は静厚(しずあつ)。通称は久助。別号は蘆庵(呂庵),七松子,拾穂軒(しゆうすいけん),湖月亭。山 ...
3. きたむら‐きぎん【北村季吟】
デジタル大辞泉
[1624〜1705]江戸前期の歌人・俳人・古典学者。近江の人。通称、久助。号、拾穂軒。飛鳥井雅章(あすかいまさあき)に歌学を、松永貞徳に俳諧を学び、のちに幕府 ...
4. きたむら‐きぎん【北村季吟】
日本国語大辞典
江戸前期の古典学者、俳人、歌人。通称、久助。号は拾穂軒(しゅうすいけん)・湖月亭・慮庵。近江の人。松永貞徳に和学・俳諧、飛鳥井雅章に和歌を学び、のち幕府に仕える ...
5. きたむらきぎん【北村季吟】
全文全訳古語辞典
[人名]江戸前期の古典学者・歌人・俳人。俳諧を松永貞徳に学ぶ。古典を研究し、『徒然草文段抄』『源氏物語湖月抄』『枕草子春曙抄』『万葉集拾穂抄』などの注釈書があり ...
6. きたむらきぎん【北村季吟】
国史大辞典
ている。なお『北村季吟著作集』(北村季吟大人遺著刊行会)、『北村季吟古註釈集成』(四十四巻)、『北村季吟発句集』上(『高野山大学論叢』三)がある。 [参考文献] ...
7. 北村季吟
日本史年表
1689年〈元禄2 己巳①〉 12・21 幕府、 北村季吟 ・ 湖春 父子を歌学方とする(実紀)。 1705年〈宝永2 乙酉④〉 6・15 没。  ...
8. 北村季吟(きたむらきぎん)
古事類苑
文學部 洋巻 第1巻 1375ページ ...
9. きたむら-きぎん【北村季吟】
日本人名大辞典
1625*−1705 江戸時代前期の俳人,歌人,国学者。寛永元年12月11日京都で生まれる。安原貞室,松永貞徳に師事し,俳諧(はいかい)宗匠としてたつ。また古典 ...
10. 北村季吟[文献目録]
日本人物文献目録
浩司『北村季吟の生涯』青木辰治『北村季吟の日記』佐佐木信綱『季吟の日記を中心とする一つの問題』宇佐美喜三八『史蹟北村季吟先生墓と日宗寺 北村氏累代墓碑』鶴田勢湖 ...
11. Kitamura Kigin 【北村季吟】
Encyclopedia of Japan
1624−1705 Classical scholar and waka and haiku poet of the early Edo period (160 ...
12. 北村季吟歌學 (見出し語:北村季吟)
古事類苑
文學部 洋巻 第1巻 819ページ ...
13. 近世俳句集
日本古典文学全集
連歌師の山崎宗鑑(そうかん)、貞門風の祖・松永貞徳、談林風の西山宗因(そういん)や井原西鶴、松尾芭蕉の弟子の宝井其角(きかく)や河合曾良(そら)、向井去来(きょ ...
14. 近世俳文集
日本古典文学全集
俳人が書いた俳諧的な要素を備えている文章を「俳文」という。北村季吟(きぎん)による貞門時代の俳文『山の井』、山岡元隣(げんりん)の『宝蔵(たからぐら)』、上嶋鬼 ...
15. 俳諧集
日本古典文学全集
俳諧はもともと「滑稽な連歌」だったが、15世紀以降連歌から独立。江戸時代に入り松永貞徳を盟主とする貞門(ていもん)の俳諧が全国的規模で広がった。貞門による『哥( ...
17. あおき-しんしゅく【青木神叔】
日本人名大辞典
?−? 江戸時代前期の俳人。元禄(げんろく)(1688-1704)のころの江戸の神道家。北村季吟(きぎん)にまなぶ。 ...
18. 排蘆小船(近世随想集) 323ページ
日本古典文学全集
宮廷生活を送る中での印象、随想を簡潔な和文に綴ったもので、類聚的な叙述などに特色がある。近世には北村季吟の『枕草子春曙抄』によって流布した。憂き世とも書く。この ...
19. 在原元方
世界大百科事典
《古今集》巻頭に〈ふる年に春立ちける日よめる 年の内に春は来にけり一年を去年とやいはむ今年とやいはむ〉があり,北村季吟は《八代集抄》で〈当集の巻頭面目比類なき事 ...
20. いけのはたしちけんちよう【池之端七軒町】東京都:台東区/旧下谷区地区地図
日本歴史地名大系
建立され、元禄一四年正慶寺と改めた。境内は除地(寺社備考)。俳人・歌人で幕府の歌学方であった北村季吟の墓(都指定史跡)がある(下谷区史)。 ...
21. いず-のりつね【伊豆則常】
日本人名大辞典
?−? 江戸時代前期の俳人。京都の人。北村季吟(きぎん)に師事した。 ...
22. 伊勢物語
日本大百科全書
には、『源氏物語』とともにこれが尊重され、板本の出版が急増して、注釈類もおびただしくなった。北村季吟(きぎん)『伊勢物語拾穂抄(しゅうすいしょう)』、契沖(けい ...
23. いちやあん【一夜庵】香川県:観音寺市/坂本村/興昌寺
日本歴史地名大系
・宇喜多一裏亭で俳諧興行を行っている(天和三年「白水郎紀行」)。その後、貞享元年(一六八四)北村季吟、元禄四年(一六九一)大淀三千風、寛保三年(一七四三)田鶴樹 ...
24. いぬ‐じま【犬島】
日本国語大辞典
3C前〕「いぬしまや中なる淀の渡し守いかなる時に逢ふ瀬ありけん」北村季吟が「枕草子春曙抄」で「備前にある嶋の名也、犬を遠嶋せしむる心なるべし」と説いて以来、岡山 ...
25. うえもんのすけのつぼね【右衛門佐局】
国史大辞典
侍(おおすけ、清閑寺煕房の女)を迎え、綱吉の寵を得させたという。こうして大奥の京風化が進み、北村季吟を招いたのは右衛門佐の推挙、住吉具慶が迎えられたのはお伝の方 ...
26. うえもんのすけのつぼね【右衛門佐局(2)】
日本人名大辞典
んじょうさい)門院の推挙で江戸城大奥にはいる。奥表総女中を支配し,1000石をあたえられた。北村季吟・湖春父子を幕府の歌学方に推薦している。宝永3年2月11日死 ...
27. うもれ‐ぎ【埋木】
日本国語大辞典
いふは後世の事也。頼政のむもれ木のはな咲こともなかりしにの歌によれるなるべし」【二】俳諧論書。一冊。北村季吟著。明暦二年(一六五六)脱稿。延宝元年(一六七三)刊 ...
28. 埋木
世界大百科事典
俳諧論書。北村季吟著。1655年(明暦1)成立,73年(延宝1)刊。〈俳諧之事〉〈六義〉〈発句之切字〉等15項目にわたり,俳諧の作法・規範を説いた論書。師の貞室 ...
29. うもれぎ【埋木】[書名]
デジタル大辞泉
江戸前期の俳諧論書。1冊。北村季吟著。明暦2年(1656)成立。延宝元年(1673)刊。15項目にわたる俳諧の式目書。俳諧埋木。  ...
30. うるか‐いり
日本国語大辞典
とりいでずしてにるを云ふ也」「拾遺集‐七・物名」にも源重之の歌として見え、北村季吟の「八代集抄」では「鰭煎」の字をあてている。 ...
31. 江戸時代
世界大百科事典
どの歴史研究,《大和本草》《農業全書》など実用書の成立にこの態度が見られる。戸田茂睡,契沖,北村季吟などの古典の研究が国学の先駆となったのもこの表れであった。  ...
32. 近江国
世界大百科事典
の弟子に犬上郡郷士の若林強斎,木下順庵に学んだ伊香郡の雨森芳洲ら儒者がいた。このほか野洲町の北村季吟,近江八幡出身の町人学者伴蒿渓,石の研究《雲根志》の著者に草 ...
33. おおたに-きゅうりょ【大谷旧旅】
日本人名大辞典
延宝7年東本願寺の16世法主(ほっす)。俳諧(はいかい)に長じ,榎本其角らとも親交があった。作品は北村季吟(きぎん)の「続山井」「十会集」などにおさめられている ...
34. おおたに-こえき【大谷古益】
日本人名大辞典
寛永20年生まれ。大谷琢如の次男。真宗大谷派。伊勢(いせ)(三重県)本統寺住職となる。俳諧(はいかい)を北村季吟(きぎん)にまなび,作品は季吟関係の俳書におさめ ...
35. おおたに-ざんすい【大谷暫酔】
日本人名大辞典
寛永3年生まれ。大谷宣如の子。真宗大谷派。近江(おうみ)(滋賀県)の大通寺の住職。法印。俳諧(はいかい)は北村季吟(きぎん)にまなんだが,師弟関係をこえる親交が ...
36. おおたに-ふうきょう【大谷風喬】
日本人名大辞典
阪府)の大信寺にはいり,のち伊勢(いせ)(三重県)の本統寺住職を兼務した。俳諧(はいかい)は北村季吟(きぎん)の影響をうけた。作品は「本願寺歴代法主句纂」などに ...
37. おおむら-ひこたろう【大村彦太郎(初代)】
日本人名大辞典
木綿などの販売で富をえた。寛文2年江戸日本橋にひらいた店が,明治以降白木屋百貨店へと発展した。北村季吟に俳諧(はいかい)をまなぶ。元禄(げんろく)2年1月20日 ...
38. おかもと-いんきゅう【岡本胤及】
日本人名大辞典
1615−1676 江戸時代前期の俳人。元和(げんな)元年生まれ。備前(岡山県)の医師。松永貞徳,北村季吟,西山宗因に師事。万治(まんじ)2年吉備地方最初の俳書 ...
39. おざわ-とくにゅう【小沢得入】
日本人名大辞典
江戸時代前期-中期の俳人。元和(げんな)2年生まれ。江戸日本橋本船(ほんふね)町の名主。はじめ北村季吟(きぎん),のち松尾芭蕉(ばしょう)の門人。宝永6年12月 ...
40. おざわ-ぼくせき【小沢卜尺】
日本人名大辞典
?−1695 江戸時代前期の俳人。江戸日本橋大舟町の名主。はじめ北村季吟に,のち松尾芭蕉にまなぶ。延宝年間江戸で宗匠となった芭蕉に日本橋小田原町の住居を提供した ...
41. 伽婢子 2 317ページ
東洋文庫
山城国愛宕郡(京都市北区上 賀茂)にある森。『京羽二重』(巻一)に「賀茂川 より北の方」とし、北村季吟の『菟芸泥赴』は 「片岡社」(巻五)で、「片岡森と云もここ ...
42. おののさと【小野里】京都市:左京区/高野村
日本歴史地名大系
この小野は愛宕の名所なり。ひえの山よかはのふもとたかのといふ所也」と、「源氏物語」の小野を説明している。また北村季吟の「菟芸泥赴」は「愚案高野村の東を小野畑と云 ...
43. おぼろのしみず【朧清水】京都市:左京区/草生村
日本歴史地名大系
「ヲホロノ清水ニテ茶ナントワカセテノミ了」とある。江戸時代、各種地誌類によっても広く知られたが、北村季吟「菟芸泥赴」には「城西の大原野にも朧清水と云所あれど、和 ...
44. 女大学集 300ページ
東洋文庫
そのままかな書きにしたものと、これにならって、わが国の節婦賢女の伝記を書き綴ったものとがある。前者の例には北村季吟の『仮名列女伝』(明暦二年刊 一六五六)があっ ...
45. かがく‐かた【歌学方】
デジタル大辞泉
江戸幕府の職名。和歌に関する学問をつかさどった。元禄2年(1689)北村季吟・湖春の父子が任ぜられ、その後は北村家の世襲となる。  ...
46. かがく‐かた【歌学方】
日本国語大辞典
つかさどる。元祿二年(一六八九)、北村季吟とその子湖春がこれに任ぜられ、以来世職となった。*随筆・瀬田問答〔1790頃〕「歌学方。北村再昌院季吟より初り候哉〈略 ...
47. かがくかた【歌学方】
国史大辞典
徳川家光のころ、烏丸光広が江戸に滞在して詠歌の指導にあたったが、元禄二年(一六八九)十二月、北村季吟およびその子湖春を召して将軍家および諸家の詠歌指導のことを掌 ...
48. かぎやちょう【鍵屋町】京都市:中京区/初音学区地図
日本歴史地名大系
貞享版「京羽二重」によれば近世、当町には「源氏物語湖月抄」「枕草子春曙抄」「万葉集拾穂抄」などを著した北村季吟が住した。また同書に外科医松井慶庵、宝永版「京羽二 ...
50. かぞえ‐く[かぞへ:]【数句】
日本国語大辞典
この語は「長短抄」だけに見られるが、六義の賦の連歌や俳諧への転用は心敬の「ささめごと」や北村季吟の「埋木(うもれぎ)」などにも見え、「長短抄」とはやや相違した見 ...
「北村季吟」の情報だけではなく、「北村季吟」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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