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  11. 小島法師
改訂新版・世界大百科事典

小島法師
こじまほうし
?-1374(文中3・応安7)

南北朝時代に活躍した法体の人物で,1886年に重野安繹が学界に紹介した《洞院公定日次記(とういんきんさだひなみき)》の応安7年(1374)5月3日条の記事により,《太平記》の作者として注目された人物。同記事は〈伝聞〉として,前月の28~29日ごろに彼が死亡したこと,彼が〈太平記作者〉であること,〈卑賤の器(うつわ)といへども名匠の聞え〉のある人であったことを伝えている。しかしその実体については学説が分かれており,備前の児島を本拠とした山伏とみる説,比叡山延暦寺に関係した散所(さんじよ)法師で芸能者,物語僧(ものがたりそう)とみる説などがある。また,児島高徳と同一人物かとする説もでたが確証は得られていない。死去の地は京都であったらしい。
→太平記
[横井 清]

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検索コンテンツ
1. 小島法師
世界大百科事典
?-1374(文中3・応安7) 南北朝時代に活躍した法体の人物で,1886年に重野安繹が学界に紹介した《洞院公定日次記(とういんきんさだひなみき)》の応安7年( ...
2. こじま‐ほうし【小島法師】
デジタル大辞泉
[?〜1374]南北朝時代の僧。洞院公定の日記の記事により、太平記の作者に擬せられる。山法師・禅僧・物語僧かといわれ、児島高徳と同一人物とみる説もある。  ...
3. こじま‐ほうし[:ホフシ]【小島法師】
日本国語大辞典
南北朝時代の僧。「洞院公定日次記」によって「太平記」の作者と伝えられる。児島高徳に擬する説もあり、物語僧あるいは山伏であるともいうが、明らかでない。応安七年(一 ...
4. こじまほうし【小島法師】
国史大辞典
『公定(きんさだ)公記』(『洞院公定日記』)応安七年(一三七四)五月三日条には「伝聞去廿八九日之間小島法師円寂云々、是近日翫〓天下 ...
5. こじまほうし【小島法師】
日本人名大辞典
?−1374 南北朝時代の僧。「太平記」の作者とつたえられる。洞院公定(とういん-きんさだ)の日記の記述がその根拠であるが,経歴は不詳。備前(岡山県)児島の山伏 ...
6. こじまほうし【小島法師】
日本架空伝承人名事典
南北朝時代に活躍した法体の人物で、一八八六年に重野安繹が学界に紹介した『洞院公定日次記(とういんきんさだひなみき)』の応安七年(一三七四)五月三日条の記事により ...
7. 小島法師[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:1件 『小島法師について』和歌森太郎 ...
8. きんさだこうき【公定公記】
国史大辞典
部に接続するものである。三行間明きの具注暦に細字で書かれ、後光厳天皇の崩御の記事のほか、特に小島法師の死を伝えて「是近日翫〓天下 ...
9. 講談
世界大百科事典
もつようになったと考えられる。そのことは,講談の源流といえる〈太平記読み〉にしても,その《太平記》の作者が小島法師なる人物として伝えられることや,《太平記》の評 ...
10. 児島高徳
世界大百科事典
1886年に《太平記》の作者が〈小島法師〉という人物であることを明記した史料(《洞院公定日次記(とういんきんさだひなみき)》)が学界に紹介されてのち,この〈小島 ...
11. こじまたかのり【児島高徳】
日本架空伝承人名事典
一八八六年に『太平記』の作者が「小島法師」という人物であることを明記した史料(『洞院公定日次記(とういんきんさだひなみき)』)が学界に紹介されてのち、この「小島 ...
12. 修験道史研究 9ページ
東洋文庫
なお、付録には、卒業後書きました私の論文の中で、修験道に関係あるものを選び収めたのであります。「小島法師について」はむしろ「小島山伏について」というべきものかも ...
13. 修験道史研究 185ページ
東洋文庫
理由によって、魚燈惣五郎は「吉野山と山伏」  (『歴史と地理』廿七ノ一)に、『太平記』の作者小島法師は山臥ではあるまいかとの推測を出した。  が本論にいう通り、 ...
14. 修験道史研究 233ページ
東洋文庫
山臥貴族相互間に、師檀関係の厳粛さとは異る和やかさを投じていた。その「児島山伏」については、付録「小島法師について」において詳記したから、ここには省いておく。と ...
15. 修験道史研究 321ページ
東洋文庫
     小島法師について『洞院公定日次記』、応安七年五月三日の条に、 伝聞、去廿八・九日之間小島法師円寂云々是近日翫二天下一太平記作者也、凡錐レ為二卑賤之器一 ...
16. 修験道史研究 322ページ
東洋文庫
公定が近頃評判の太平記作者として言った「小島法師」がはたして、右の原型の部分の作者であるか、あるいは中途増補改竄を加えつつある、どこかの部分の作者であるか吟味す ...
17. 修験道史研究 323ページ
東洋文庫
現今の常識的見解を前提とするとともに、「小島法師」を『太平記』の有力な作者であるといっても、それが必ずしも原型作者ではないということを念頭におこうとするのである ...
18. 修験道史研究 326ページ
東洋文庫
いささか論じるうちに、ついそういう方向へ走ってしまったが、ここで、もとに帰って、『公定記』の「小島法師」そのものを取り出して考えて行かねばならぬ。これを考える上 ...
19. 修験道史研究 327ページ
東洋文庫
とにかく『公定記』に依り太平記作者を小島法師となす者は皆、この「小島法師」という名称そのものをがんらいの固有名詞と認めているのであろうが、実をいえば、これはもち ...
20. 修験道史研究 328ページ
東洋文庫
西行法師・兼好法師・山法師・奈良法師などどれにも純粋僧侶とは違った俗臭がある。かくて「小島法師」の法師もそうした意味での僧侶としていちおう規定される。この点は後 ...
21. 修験道史研究 334ページ
東洋文庫
の山伏などはそう称ばれる可能性が大であったわけである。それで小島山伏の全部ならずともある者が小島法師とよばれても不思議はないが、さようなより一般的称呼・上位概念 ...
22. 修験道史研究 335ページ
東洋文庫
地を破られるという悲惨な憂目をみるに至ったこと先述のごとくである。この点からも作者といわれる小島法師が小島山伏の一人だろうとの推定が一段たしかなものとなる。また ...
23. 修験道史研究 336ページ
東洋文庫
るとかなり誤謬もあるけれど、修験道関係の地方についてはほぱ当っているから小島法師山伏説を援けるには足るのである。 以上は、いわゆる「小島法師」につき、いちおう『 ...
24. 修験道史研究 337ページ
東洋文庫
結局そのままさながらに受け取って行かざるを得ぬという、いわばインテリが通弊として持つような弱味が彼小島法師にもあったのであり、それが『太平記』全体に影響している ...
25. 修験道史研究 4ページ
東洋文庫
150,154極楽浄土        120,387児島高徳      323,325,336小島法師        321-337小島山伏       33( ...
26. 太平記
世界大百科事典
よく写している《洞院公定(とういんきんさだ)日記》の応安7年(1374)5月3日条に,(1)〈小島法師〉が4月28日か29日に死んだこと,(2)彼は最近広く世間 ...
27. たいへいき【太平記】
デジタル大辞泉
南北朝時代の軍記物語。40巻。小島法師作と伝えられるが未詳。応安年間(1368〜1375)の成立とされる。鎌倉末期から南北朝中期ま ...
28. たいへいき【太平記】
日本国語大辞典
【一】軍記物語。四〇巻。小島法師作と伝えるが不明。応安年間(一三六八〜七五)の成立か。正中の変・元弘の変、建武中興とその挫折、新田義貞と足利尊氏との確執から南北 ...
29. たいへいき【太平記】
全文全訳古語辞典
[書名]室町前期の軍記物語。四十巻。作者は小島法師かといわれる。建武の中興を中心に、一三一八年(文保二)の後醍醐天皇の北条氏討伐計画から、一三六七年(正平二十二 ...
30. たいへいき【太平記】
国史大辞典
日条に、小島法師の名が記されており、『難太平記』には、恵鎮・玄恵が成立に関係したとある。少なくとも二十年以上にわたって書き継がれたとすると、作者が複数であったと ...
31. 太平記
日本古典文学全集
草双紙類などのちの作品にも影響を与えた。成立には、僧の玄慧(げんね)や恵鎮(えちん)が関わったとされ、小島法師の作とも伝えられるが未詳。 ...
32. 和漢三才図会 10 197ページ
東洋文庫
注一将軍家がここに立ち寄った 原文は「将 軍家過レ之」である。 二 『太平記』 作者不明であるが、小島法師説が最有力である。玄慧が改撰したという説もある。松岡東 ...
33. 和漢三才図会 11 411ページ
東洋文庫
応する大乗の諸 論から抜粋して対照させ、大乗独自の要義を示し たもの。太平記 四十巻。作者は小島法師か。正平元年(一 ...
34. 1374年〈【北朝】応安7・【南朝】文中3 甲寅〉
日本史年表
1・24 古先印元(80,五山禅僧)。 1・29 後光厳上皇(37)。 4・28(4・29か) 小島法師(伝『太平記』作者)。 5・19 日祐(77,日蓮 ...
「小島法師」の情報だけではなく、「小島法師」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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