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  11. 今川了俊
日本大百科全書(ニッポニカ)

今川了俊
いまがわりょうしゅん
[1326―?]

南北朝時代の武将で、歌人としても著名。俗名は貞世(さだよ)、今川範国(のりくに)の子。冷泉為秀(れいぜいためひで)に和歌を学び、二条良基(よしもと)に連歌を学ぶ。官位は左京亮(さきょうのすけ)を経て伊予守(いよのかみ)、正五位下。1367年(正平22・貞治6)室町幕府の引付頭人(ひきつけとうにん)となり、また侍所(さむらいどころ)頭人として山城(やましろ)守護を兼ねた。同年末、将軍足利義詮(あしかがよしあきら)が死去したのを機に剃髪(ていはつ)して了俊と号す。71年(建徳2・応安4)2月、九州探題としてその任についた。西下の途中、安芸(あき)守護となり、中国地方の諸雄族を招き軍事力を増強した。当時九州では懐良(かねよし)親王、菊池武光(たけみつ)を中心とした南朝方(征西府)の黄金時代であったが、同地の諸士にも連絡をつけ、これらの力を結集し翌年8月、懐良親王の拠(よ)る大宰府(だざいふ)を陥落させ、74年(文中3・応安7)末には撤退した菊池氏を追い、肥後水島に陣を張った。この間、武藤(むとう)(少弐(しょうに))冬資(ふゆすけ)を謀殺したため、島津氏久(うじひさ)の背反にあい、九州経営がいったん困難に陥ったが、武藤氏を完封して、探題の権限を確立、大宰府を押さえて、対外交渉の実質的権限を握った。81年(弘和1・永徳1)6月には菊池氏の本拠を陥落させるなど着実に九州経営を進め、南九州では最大の障害であった島津氏久も続いて死去した。これにより了俊の九州経営は実を結び、南朝勢力を制圧。しかし長期にわたる了俊の探題在任は九州を単位とする分権的な勢力の出現を意味し、これが幕府の嫌うところとなり、95年(応永2)閏(うるう)7月、了俊は京都に召還され、探題の任を解かれた。応永(おうえい)の乱のおり、大内義弘(よしひろ)と鎌倉公方(くぼう)との提携を図って失敗したのを機に、残余の人生を和歌、連歌の指導と、述作に捧(ささ)げ、武門の人でありながら、冷泉歌学の伝統を守り、歌論書、連歌学書、紀行文、故実書など多くの著作を残した。著書に『難太平記』がある。
[上田純一]

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1. 今川貞世・今川了俊
日本史年表
以前) 庚戌〉 6・23 幕府, 今川了俊 を九州探題に補任(入江文書)。 1371年〈【北朝】応安4・【南朝】建徳2 辛亥③〉 2・19 九州探題今川了俊,京 ...
2. 今川了俊
日本大百科全書
南北朝時代の武将で、歌人としても著名。俗名は貞世(さだよ)、今川範国(のりくに)の子。冷泉為秀(れいぜいためひで)に和歌を学び、二条良基(よしもと)に連歌を学ぶ ...
3. 今川了俊
世界大百科事典
→今川貞世(さだよ) ...
4. いまがわ‐りょうしゅん【今川了俊】
デジタル大辞泉
[1326〜1420]南北朝時代の武将・歌学者。名は貞世。伊予守。遠江(とおとうみ)守護。足利義詮(あしかがよしあきら)に仕え、幕府の引付頭人(ひきつけとうにん ...
5. いまがわ‐りょうしゅん【今川了俊】
日本国語大辞典
南北朝時代の武将。歌学者。範国(のりくに)の子。名は貞世。北朝に仕え、遠江守護、室町幕府の引付頭人、九州探題となり、九州を制圧。のち駿河守護。歌を冷泉為秀(れい ...
6. いまがわ-りょうしゅん【今川了俊】
日本人名大辞典
1326−? 南北朝-室町時代の武将。嘉暦(かりゃく)元年生まれ。今川範国の子。室町幕府の引付頭人(ひきつけとうにん)をつとめ,将軍足利義詮(よしあきら)の死と ...
7. 今川了俊[文献目録]
日本人物文献目録
【逐次刊行物】:17件 『今川了俊』児山敬一『今川了俊』川添昭二『今川貞世』石沢発身『今川了俊覚書』荒木尚『今川了俊と歌道 和歌連歌』渡辺世祐『今川了俊と源氏物 ...
8. いまがわりょうしゅん【今川了俊】
国史大辞典
⇒今川貞世(いまがわさだよ)  ...
9. 今川了俊爲九州探題 (見出し語:今川了俊)
古事類苑
官位部 洋巻 第2巻 1320ページ ...
10. 今川了俊訓戒 (見出し語:今川了俊)
古事類苑
人部 洋巻 第2巻 172ページ ...
11. 中世日記紀行集
日本古典文学全集
『十六夜日記』、宮中の行事を記した『弁内侍日記』、14世紀後半から16世紀後半に成立した紀行、今川了俊の『道行きぶり』、『なぐさみ草』、『覧富士記』、宗長の『東 ...
12. いまがわりょうしゅんしょさつれい【今川了俊書札礼】
国史大辞典
か、松岡文庫本(宮内庁書陵部蔵)がある。→今川貞世(いまがわさだよ) [参考文献]川添昭二『今川了俊』(『人物叢書』一一七) (百瀬 今朝雄)  ...
13. あいのまち【愛野町】長崎県:南高来郡
日本歴史地名大系
直冬は小俣氏連を高来郡に派遣し、野井城などを攻撃している。また応安六年(一三七三)九州探題の今川了俊の軍勢が征西将軍宮の勢力を攻略した際も合戦の場になったようで ...
14. あいらにしまた【姶良西俣】鹿児島県:鹿屋市
日本歴史地名大系
康暦元年(一三七九)一一月一一日、久清は今川了俊方に属し、西俣・大姶良を攻めた(「西俣合戦手負注文」同文書)。翌二年七月一四日、久清に姶良庄が与えられている(「 ...
15. あいらのしょう【姶良庄】鹿児島県:肝属郡/吾平町
日本歴史地名大系
預ケ状」同文書)、七月一四日には今川了俊より「若無先給人者」として承認されている(「今川了俊預ケ状」同文書など)。しかし永徳元年(一三八一)六月二日の今川了俊書 ...
16. あおかたうら【青方浦】長崎県:南松浦郡/上五島町
日本歴史地名大系
ている(同年四月七日青方重連署譲状案)。永徳元年(一三八一)重は今川了俊から青方本領当知行地を安堵され(同年一〇月二一日今川了俊安堵状)、同三年青方内の所領など ...
17. あかおぎじょうあと【赤尾木城跡】鹿児島県:西之表市/西之表村
日本歴史地名大系
六代目時充は永和二年(一三七六)今川満範より島津氏久に対抗するよう要請された際(一一月一九日「今川了俊書状」同家譜)、初めて種子島という名字でよばれた。島名を名 ...
18. あかさかむら【赤坂村】福岡県:北九州市(旧豊前域)/小倉北区
日本歴史地名大系
「赤坂」に陣取り、宮方の猿喰城(現門司区)を攻略した。応安三年(一三七〇)九州探題に補任された今川了俊は、翌年末には門司へ渡海、同五年一月一五日には赤坂に陣取っ ...
19. あかさきじんじゃ【赤崎神社】山口県:吉敷郡/秋穂町/大海村
日本歴史地名大系
また義経汐待石と称する石が境内にある。赤崎の地は瀬戸内海航路の泊りとして知られていたらしく、今川了俊の「鹿苑院殿厳島詣記」(康応元年)にも、東から小泊・向島(現 ...
20. あかじむら【赤司村】福岡県:三井郡/北野町
日本歴史地名大系
宗祐軍忠状」草野文書/南北朝遺文(九州編)五)、赤司備前入道らがみえる(康暦元年六月一〇日「今川了俊書下」同上)。応永一九年(一四一二)幕府は赤司土佐入道性淳に ...
21. 赤間関
世界大百科事典
下関の古名で,瀬戸内海の西端に位置する海関,海港。本州と九州を結ぶ関門海峡に面し,今川了俊が〈宇治の早瀬よりも猶おちたき〉ると評した,潮流の静まるのを待たねば渡 ...
22. あかまがせき【赤間関】山口県:下関市
日本歴史地名大系
塩のゆきかひ矢のごとくして、音に聞しにかはらず、二の迫門を隔てむかひは豊前の国なり」とあるほか、今川了俊の「道ゆきぶり」、細川幽斎の「九州道の記」、松雲大師の「 ...
23. あかまじんぐう【赤間神宮】山口県:下関市/赤間関/阿弥陀寺町
日本歴史地名大系
一丁二段 関松 三段半 武富 一丁 安岡 建徳二年(一三七一)一一月二九日赤間関を訪れた今川了俊は「道ゆきぶり」に其東に寺あり、阿弥陀だうといふ、安徳天皇 ...
24. 安芸国
世界大百科事典
国衙領に対する違乱停止を命ぜられた。71年(建徳2・応安4)には,その前年九州探題を拝命した今川了俊が安芸守護となって下着し,毛利,熊谷,厳島神主等を従えて西下 ...
25. 秋山記行・夜職草 183ページ
東洋文庫
も知らねば胸に出任せ、白書には見向きもせず、僻事ばかりの事ながら、敢て(注七)しそんもとくら今川了俊に習ふて書いたるにもあらねど、こは児孫のものに灯毫本間しと錐 ...
26. 秋山記行・夜職草 184ページ
東洋文庫
著者も成立年も未詳。世間で極めて広く利用された。いろはゐん穴伊呂波韻いろは引の実用的国語辞書。七今川了俊南北朝時代の武将で、歌学者。範国の次子、伊予守。名を貞世 ...
27. あさぐん【厚狭郡】山口県
日本歴史地名大系
万倉の末富氏、厚狭の箱田氏、万倉の岩武氏などの名が史料に現れる。応安四年(一三七一)の九州探題今川了俊の「道ゆきぶり」、文明一二年(一四八〇)の連歌師宗祇の「筑 ...
28. あさまちむら【朝町村】福岡県:宗像市/旧宗像市地区
日本歴史地名大系
氏泰譲状がある。永徳元年(一三八一)一一月三〇日九州探題今川了俊は将軍足利義詮の下文に従い当村を大宮司宗像氏頼に領掌させた(「今川了俊書下」宗像大社所蔵文書/南 ...
29. あし【足・脚】
日本国語大辞典
〔室町末〜近世初〕「五十貫のくりをもち、多くの足をつかふて、兵庫の津にもつひたり」*浄瑠璃・今川了俊〔1687〕道行「一銭を取らんとして三百文のあしを捨て、是は ...
30. あしかがいえとき【足利家時】画像
国史大辞典
尊氏の祖父にあたる。母は上杉重房の女。字は太郎。式部丞、従五位下伊予守。室は六波羅探題北条時茂の女。今川了俊の『難太平記』に、足利家には遠祖八幡太郎義家の置文な ...
31. あしかがよしみつ【足利義満】画像
国史大辞典
造営し、やがてここに移住してこれを仙洞に擬した。これよりさき義満は九州探題として大功のあった今川了俊を召還したが、同六年十二月には山陽の大守護大内義弘を堺に討っ ...
32. あし‐つ・く【足突】
日本国語大辞典
〔自カ四〕つまずく。転じて、しくじる。失敗する。*浄瑠璃・今川了俊〔1687〕二「詞にはりも剣(つるぎ)も有らん。悪ううろたへあしつくなと八方をねめまはし」 ...
33. 排蘆小船(近世随想集) 257ページ
日本古典文学全集
為相は母親の阿仏尼と共に細川庄の領有を巡って為世と争い、敗訴するが、和歌の家として為秀、為邦、為尹と続き、今川了俊、正徹らの支持を得て、二条家に対抗した。その後 ...
34. あじさかのしよう【鰺坂庄】福岡県:小郡市
日本歴史地名大系
永徳二年(一三八二)室町幕府は狼藉人を排除して鰺坂・三潴両庄の領家職を鷲尾隆右の雑掌に引渡すよう今川了俊に命じたが(同年四月一四日「室町幕府御教書案」東寺百合文 ...
35. あそぐん【阿蘇郡】熊本県
日本歴史地名大系
けとなった。南朝方の惟武・惟政は南郷を本拠に阿蘇郡を押え、惟村は益城郡を本拠とした。九州探題今川了俊の下向により、阿蘇郡内でも北朝年号がみられるようになる。室町 ...
36. あそこれたけ【阿蘇惟武】
国史大辞典
日向国の国司・守護両職に補任した。しかし永和三年(天授三、一三七七)八月、菊池武朝らとともに良成親王を奉じて、今川了俊・仲秋と肥前国千布・蜷打に会戦し、戦死した ...
37. あたたじま【阿多田島】広島県:大竹市/小方村
日本歴史地名大系
厳島の南方にあたり、周辺に猪子島・可部島・甲島などがある。江戸時代は小方村に属した。応安四年(一三七一)の今川了俊の「道ゆきぶり」に、此島のあたりをば、あたとゝ ...
38. あづまちょう【吾妻町】長崎県:南高来郡
日本歴史地名大系
職などが相伝された。南北朝期には当地は南朝方の勢力下にあり、応安六年(一三七三)に九州探題の今川了俊の軍勢が征西将軍宮の勢力を攻略した際に山田城などが合戦の場と ...
39. あまぎのしょう【甘木庄】熊本県:上益城郡
日本歴史地名大系
二日「室町幕府下知状」詫摩文書)、同六年にはその子五郎満親が九州探題今川了俊の安堵を受けているので(同年八月九日「今川了俊安堵状」同文書)、地頭職は本来いくつか ...
40. あまぎむら【甘木村】福岡県:大牟田市
日本歴史地名大系
三池本郷内波多下野守并有田跡号甘木」について公験を持って出頭するよう今川了俊から波多有浦(祝)に命じられている(「今川了俊召文」有浦文書/南北朝遺文(九州編)五 ...
41. あまのごう【海士郷】山口県:下関市/引島
日本歴史地名大系
[現]下関市彦島海士郷町 彦島の東北部にある地で、小瀬戸を挟んで伊崎と相対する。今川了俊の「道ゆきぶり」に「ふくらの島よりつかひきたり、小舟にて天川といふわたり ...
42. あまべぐん【海部郡】大分県:豊後国
日本歴史地名大系
てかなりの異同がみられる。先に本貫の地佐伯庄地頭職を没収された佐伯氏は南北朝末期には九州探題今川了俊のもとに馳せ参じ、将軍小番衆に推挙されている。永享三年(一四 ...
43. あまやまむら【天山村】福岡県:筑紫野市
日本歴史地名大系
元春の軍忠が今川了俊から認められ、同八年正月日の山内通忠軍忠状(山内家文書/南北朝遺文(九州編)五)では、通忠に対して応安四年八月一〇日の「天山凶徒没落」等の軍 ...
44. あみだじ【阿弥陀寺】
国史大辞典
絵解き法師が説明にあたった。街道の要地を占める阿弥陀寺は、その由緒と景観によって多くの参詣者を集め、今川了俊や宗祇の紀行文などに名をとどめている。中世には浄土宗 ...
45. あみだじ【阿弥陀寺】 : 阿弥陀寺/(一)
国史大辞典
絵解き法師が説明にあたった。街道の要地を占める阿弥陀寺は、その由緒と景観によって多くの参詣者を集め、今川了俊や宗祇の紀行文などに名をとどめている。中世には浄土宗 ...
46. あやべじょうあと【綾部城跡】佐賀県:三養基郡/中原町/綾部村
日本歴史地名大系
置いた、(二)文中元年(一三七二)田原氏能の築城、今川仲秋の居城、(三)明徳四年(一三九三)今川了俊の築城、仲秋の居城という三説があるが、主として九州探題今川・ ...
47. ありえ【有家】長崎県:南高来郡/有家町
日本歴史地名大系
確かめたうえでなされている。南北朝期、島原半島に浸透していた征西将軍宮の勢力を討つため、九州探題の今川了俊は応安七年(一三七四)七月に自ら伊佐早に出陣、八月には ...
48. ありえじょうあと【有家城跡】長崎県:南高来郡/西有家町/有家町村
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有家城跡とする説もある。応安七年(一三七四)当時は南朝方であった有馬澄世が用いており、九州探題の今川了俊の軍勢による八月二五日の攻撃で敗れたという(北肥戦誌)。 ...
49. ありえちょう【有家町】長崎県:南高来郡
日本歴史地名大系
鎌倉期に有馬朝澄・有馬連澄らの勢力が及んでいたと想定される。南北朝期に入って、応安六年(一三七三)九州探題の今川了俊の軍勢が有家城(現西有家町)を襲って有馬澄世 ...
50. あんていき【安定期】 : 室町幕府
国史大辞典
った楠木正儀を河内・和泉の守護として帰順させ、また南朝方の最後の拠点であった九州に探題として今川了俊(貞世)を派遣、全国平定の事業をほぼ完成させて幕府の威信を高 ...
「今川了俊」の情報だけではなく、「今川了俊」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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南北朝時代の軍記物語。40巻。 [山下宏明]成立。足利(あしかが)氏の一支族で九州探題として足利政権の確立に貢献した今川貞世(いまがわさだよ)(了俊(りょうしゅん))の著『難太平記(なんたいへいき)』によれば、暦応(りゃくおう)(1338~42)、康永(こうえい)(1342~45)のころ、法勝寺(ほっしょうじ)
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南北朝時代に活躍した法体の人物で,1886年に重野安繹が学界に紹介した《洞院公定日次記》の応安7年(1374)5月3日条の記事により,《太平記》の作者として注目された人物。同記事は〈伝聞〉として,前月の28~29日ごろに彼が死亡したこと,彼が〈太平記作者〉であること,〈卑賤の器(うつわ)といへども名匠の聞え〉
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応永九年(一四〇二)二月、今川了俊(貞世)の著作。自筆本は知られない。『国書総目録』は十九部の諸本をあげており、承応改元のころの書写にかかる京都大学谷村文庫本が年記のある諸本中最古のもの。述作の根本精神は今川家の顕彰・保持にあり、そのために自分を含めた今川家の功績の歴史が省みられ


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