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天照大神

ジャパンナレッジで閲覧できる『天照大神』の世界大百科事典・日本架空伝承人名事典のサンプルページ

世界大百科事典

天照大神
あまてらすおおかみ

記紀神話に登場する太陽神的性格の女神。天照大御神(あまてらすおおみかみ),大日孁貴(おおひるめのむち),天照大日孁尊(あまてらすおおひるめのみこと)などとも呼ばれる。皇室祖神として伊勢神宮にまつられている。記紀では,その誕生譚,素戔嗚尊(すさのおのみこと)との誓約(うけい)生み,天(あま)の岩屋戸,国譲り神話などの諸神話に登場する。

〈皇祖神〉アマテラス

《古事記》によればこの神は,伊邪那岐命(いざなきのみこと)(伊弉諾尊)がみそぎで左目を洗った際に成りいでたという。同時に右目からは月読命(つくよみのみこと)が生まれた。《日本書紀》には,〈光華(ひかり)明彩にして六合(くに)の内に照り徹れる〉とあり,日神(ひのかみ)とも呼ばれている。誕生譚では,日月がいわば天の目にたとえられているわけである。アマテラスは,天界高天原(たかまがはら)の統治を命じられ天に昇るが,弟神スサノオの乱暴を怒って天の岩屋戸にこもると世は暗闇となり,出てくると光があふれた。この話には宮廷儀礼鎮魂祭の投射がある。この祭りは冬至のころの太陽と天子の魂の賦活を重ねて行おうとしたものである。これらからすれば,アマテラスはあきらかに太陽神的であるが,たんなる自然神ではない。これを皇祖神に仕立て上げることが記紀神話にとって,もっとも肝心な点であった。

 天の岩屋戸ごもりに先立って,アマテラスとスサノオは互いの玉と剣を交換し呪的なやり方で誓約生みを行う。このときアマテラスの御統(みすまる)の玉から生まれた天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)の子瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が地上界葦原中国(あしはらのなかつくに)の統治者になったとされる。天孫降臨神話とその前段階にあたる国譲り神話が記紀神話のやまと言ってよい。国譲りの話は,わが子が葦原中国を統治すべしとの神言をアマテラスが下すところから始まる。次いで地上界の頭目大国主神(おおくにぬしのかみ)に国譲りを約束させ天孫を天降(あまくだ)すまで,あれこれと采配をふるうのもアマテラスである。こうした由縁をもって葦原中国はニニギさらにその子孫によって統治されることになったとしている。天武・持統朝までの天皇や皇子が,記紀歌謡や《万葉集》でしばしば〈高照らす日の御子〉とうたわれるのはそのゆえである。このように展開する記紀神話は,古代国家成立の時点でまとめられた皇室の縁起譚である。天空高く輝く超絶的な太陽を明確に神格化し,祖神として独占すること,それと結びつけて天皇家の始祖の地上界統治の由縁を語ることによって,支配者的地位の神聖性・絶対性の証としようとしたのである。一般に,太陽崇拝は農耕社会に古くからある普遍的な信仰だと考えられがちだが,それはあたらない。たとえば現代なお農耕儀礼が重要な意味をもつ沖縄で,崇拝の対象となるのはもっぱら水の神,山の神である。太陽神は支配者の聖性を誇示するために王と重ね合わされ,独占的に崇拝されていた。太陽の明確な神格化は強力な政治権力の成立と不可分であったらしい。

 アマテラスの伊勢遷座の由来は《日本書紀》に語られている。神と人との同殿共床をはばかって宮廷内にまつられていたアマテラスをいったんは倭笠縫邑(やまとのかさぬいのむら)にうつしたが,よりよき宮処(みやどころ)を求め,皇女倭姫命(やまとひめのみこと)が御魂代(みたましろ)(神霊の代りをするもの)となって遍歴した末,大和の東方伊勢度会(わたらい)の地に鎮座させたという。伊勢神宮の成立は,諸豪族中の一氏にすぎなかった天皇家の祖神が国家的最高祖神に転化することを意味した。天皇家と諸氏族の支配服従関係は擬制血縁関係をもって表現されていたからである。伊勢神宮には三種の神器の一つである八咫鏡(やたのかがみ)がまつられている。この鏡は,ニニギ降臨の際,アマテラスが太陽神にふさわしくみずからの御魂代として授けたものである。ヤマトヒメによる伊勢遷座にはふれていない《古事記》では,鏡にかんする話がかたがた神宮起源譚にもなっているらしい。

アマテラスの前史--ヒルメ

ところで,この神には前史がある。広大無辺な,政治性をおびたアマテラスという名の神格がいきなり成立したわけではない。この神は《日本書紀》《万葉集》などで〈ヒルメ〉とも呼ばれている。日の妻(め),すなわち日神に仕える巫女の意である。巫女は仕える男神に依(よ)り憑(つ)かれ,その子を生む母神として神話化される。そこでヒルメは日の神に感精して神の子の母となり,その子が支配者の地位を確立するにつれ,母自身が日の神に昇格してアマテラスとなったと説かれてきた。さらにヒルメが仕えたのは高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)だという説もある。この神は国譲り神話や天孫降臨神話でアマテラスと並んで采配をふるう男神だが,《日本書紀》ではこのほうが主役になっているおもむきもあり,皇祖とすら書かれている。しかしあきらかに父系観念が強化されつつあった記紀編纂当時,タカミムスヒであれなんであれ,父神を退けて母神が国家的祖神の座につくためには,よほど強力な契機が必要であったろう。その点の説明がないので,上の説は説得力十分とはいえない。このような点からみて《日本書紀》におけるタカミムスヒは,それを貫く律令制的精神にもとづいて新たに前面に押し出されたものではないかと思われる。

 アマテラスはしだいに中性化していくとはいえ女神の面影も残している。ヒルメからアマテラスへの転化の過程あるいは古代日本の王権神話で女神が国家的至上神になりえた理由は,問題点として残っている。
[倉塚 曄子]

[索引語]
大日孁貴 天照大日孁尊 伊勢神宮 日神 鎮魂祭 太陽神 八咫鏡 ヒルメ 高皇産霊尊


新版 日本架空伝承人名事典

天照大神
あまてらすおおかみ
 記紀神話に登場する太陽神的性格の女神。天照大御神あまてらすおおみかみ大日孁貴おおひるめのむち天照大日孁尊あまてらすおおひるめのみことなどともよばれる。皇室祖神として伊勢神宮にまつられている。記紀では、その誕生譚、素戔嗚尊すさのおのみこととの誓約うけい生み、あまの岩屋戸、国譲り神話などの諸神話に登場する。
「皇祖神」アマテラス
 『古事記』によればこの神は、伊邪那岐命いざなきのみこと(伊弉諾尊)がみそぎで左目を洗った際に成りいでたという。同時に右目からは月読命つくよみのみことが生まれた。『日本書紀』には、「光華ひかり明彩にして六合くにの内に照り徹れる」とあり、日神ひのかみともよばれている。誕生譚では、日月がいわば天の目にたとえられているわけである。アマテラスは、天界高天原たかまがはらの統治を命じられ天に昇るが、弟神スサノオの乱暴を怒って天の岩屋戸あまのいわやどにこもると世は暗闇となり、出てくると光があふれた。この話には宮廷儀礼鎮魂祭の投射がある。この祭りは冬至のころの太陽と天子の魂の賦活を重ねて行おうとしたものである。これらからすれば、アマテラスはあきらかに太陽神的であるが、たんなる自然神ではない。これを皇祖神に仕立て上げることが記紀神話にとって、もっとも肝心な点であった。
 天の岩屋戸ごもりに先立って、アマテラスとスサノオは互いの玉と剣を交換し呪的なやり方で誓約生みを行う。このときアマテラスの御統みすまるの玉から生まれた天忍穂耳尊あめのおしほみみのみことの子瓊瓊杵尊ににぎのみことが地上界葦原中国あしはらのなかつくにの統治者になったとされる。天孫降臨神話とその前段階にあたる国譲り神話が記紀神話のやまと言ってよい。国譲りの話は、わが子が葦原中国を統治すべしとの神言をアマテラスが下すところから始まる。次いで地上界の頭目大国主神おおくにぬしのかみに国譲りを約束させ天孫を天降あまくだすまで、あれこれと采配をふるうのもアマテラスである。こうした由縁をもって葦原中国はニニギさらにその子孫によって統治されることになったとしている。天武・持統朝までの天皇や皇子が、記紀歌謡や『万葉集』でしばしば「高照らす日の御子」とうたわれるのはそのゆえである。このように展開する記紀神話は、古代国家成立の時点でまとめられた皇室の縁起譚である。天空高く輝く超絶的な太陽を明確に神格化し、祖神として独占すること、それと結びつけて天皇家の始祖の地上界統治の由縁を語ることによって、支配者的地位の神聖性・絶対性の証としようとしたのである。一般に、太陽崇拝は農耕社会に古くからある普遍的な信仰だと考えられがちだが、それはあたらない。たとえば現代なお農耕儀礼が重要な意味をもつ沖縄で、崇拝の対象となるのはもっぱら水の神、山の神である。太陽神は支配者の聖性を誇示するために王と重ね合わされ、独占的に崇拝されていた。太陽の明確な神格化は強力な政治権力の成立と不可分であったらしい。
 アマテラスの伊勢遷座の由来は『日本書紀』に語られている。神と人との同殿共床をはばかって宮廷内にまつられていたアマテラスをいったんは倭笠縫邑やまとのかさぬいのむらにうつしたが、よりよき宮処みやどころを求め、皇女倭姫命やまとひめのみこと御魂代みたましろ(神霊の代りをするもの)となって遍歴した末、大和の東方伊勢度会わたらいの地に鎮座させたという。伊勢神宮の成立は、諸豪族中の一氏にすぎなかった天皇家の祖神が国家的最高祖神に転化することを意味した。天皇家と諸氏族の支配服従関係は擬制血縁関係をもって表現されていたからである。伊勢神宮には三種の神器の一つである八咫鏡やたのかがみがまつられている。この鏡は、ニニギ降臨の際、アマテラスが太陽神にふさわしくみずからの御魂代として授けたものである。ヤマトヒメによる伊勢遷座にはふれていない『古事記』では、鏡にかんする話がかたがた神宮起源譚にもなっているらしい。
アマテラスの前史――ヒルメ
 ところで、この神には前史がある。広大無辺な、政治性をおびたアマテラスという名の神格がいきなり成立したわけではない。この神は『日本書紀』『万葉集』などで「ヒルメ」ともよばれている。日の、すなわち日神に仕える巫女の意である。巫女は仕える男神にかれ、その子を生む母神として神話化される。そこでヒルメは日の神に感精して神の子の母となり、その子が支配者の地位を確立するにつれ、母自身が日の神に昇格してアマテラスとなったと説かれてきた。さらにヒルメが仕えたのは高皇産霊尊たかみむすひのみことだという説もある。この神は国譲り神話や天孫降臨神話でアマテラスと並んで采配をふるう男神だが、『日本書紀』ではこのほうが主役になっているおもむきもあり、皇祖とすら書かれている。しかしあきらかに父系観念が強化されつつあった記紀編纂当時、タカミムスヒであれなんであれ、父神を退けて母神が国家的祖神の座につくためには、よほど強力な契機が必要であったろう。その点の説明がないので、上の説は説得力十分とはいえない。このような点からみて『日本書紀』におけるタカミムスヒは、それを貫く律令制的精神にもとづいて新たに前面に押し出されたものではないかと思われる。
 アマテラスはしだいに中性化していくとはいえ女神の面影も残している。ヒルメからアマテラスへの転化の過程あるいは古代日本の王権神話で女神が国家的至上神になりえた理由は、問題点として残っている。
[倉塚 曄子]
当社ハ本朝ノ諸神ノ父母ニテマシマス也。素戔烏尊天津罪ヲ犯シ給フ事ヲ、ニクマセ給テ、天岩戸ヲ閉テ、隠サセタマヒシカバ、天下常闇ニ成ニケリ。八百万ノ神達悲ミ給テ、太神宮ヲスカシ出シ奉ン為ニ、庭火ヲ焼テ神楽シタマヒケレバ、御子ノ神達ノ御遊ヲユカシク思召テ、岩戸ヲ少シ開キテ御覧ジケル時、世間明カニシテ、人ノ面見ヘケレバ、アラ面白トイフ事、其時イヒ始メタリ。サテ手力雄たぢからのをの尊ト申ス神、抱キ奉テ、岩戸ニ木綿しめヲ引テ、此中ヘハ入セ給フベカラズトテ、やがテ抱キ出シ奉テ、遂ニ日月ト成テ、天下ヲ照シ給フ。サレバ日月ノ光ニ当ルモ、当社ノ恩徳也。スベテハ大海ノ底ノ大日ノ印文ヨリ事起リテ、内宮外宮ハ両部ノ大日トコソ習伝ヘテ侍ベレ。
沙石集巻一「太神宮御事」
神代さへ海山陸と家督分け
編者/評者:呉陵軒可有ら(編)
出典:『誹風柳多留』
編・相印(月)・番号(枚、丁、日):40‐22
刊行/開き:1765~1840年(明和2~天保11)(刊)
天照大神(高天の原)、月読尊(夜のおす)国、素戔嗚尊(海原)と所領が分けられた。
たておやますねて世界の幕づかへ
編者/評者:呉陵軒可有ら(編)
出典:『誹風柳多留』
編・相印(月)・番号(枚、丁、日):142‐12
刊行/開き:1765~1840年(明和2~天保11)(刊)
神代からたぼでなければ夜が明ず
編者/評者:呉陵軒可有ら(編)
出典:『誹風柳多留』
編・相印(月)・番号(枚、丁、日):116‐16
刊行/開き:1765~1840年(明和2~天保11)(刊)
信州へ地響がして日が当り
編者/評者:呉陵軒可有ら(編)
出典:『誹風柳多留』
編・相印(月)・番号(枚、丁、日):32‐3
刊行/開き:1765~1840年(明和2~天保11)(刊)
右三句、天の岩戸。「立おやま」は天照大神、「幕づかへ」は芝居の休座を意味する語で、戯場句に仕立てた。「髱」は女性のことで、天鈿女命あめのうずめのみことをさす。信州戸隠明神は手力雄命を主神とし、開けた岩戸はこの地に降ったと伝えられる。
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検索ヒット数 2482
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検索コンテンツ
1. 天照大神
世界大百科事典
記紀神話に登場する太陽神的性格の女神。天照大御神(あまてらすおおみかみ),大日孁貴(おおひるめのむち),天照大日孁尊(あまてらすおおひるめのみこと)などとも呼ば ...
2. あまてらすおおかみ【天照大神】
日本架空伝承人名事典
)・番号(枚、丁、日):40‐22刊行/開き:1765~1840年(明和2~天保11)(刊)天照大神(高天の原)、月読尊(夜の食(おす))国、素戔嗚尊(海原)と ...
3. あまてらす‐おおみかみ[:おほみかみ]【天照大神・天照大御神】
日本国語大辞典
(「あまてらすおおんかみ」とも)記紀などに見える、王権を保証する天上他界の主神。日の神。伊奘諾尊(いざなきのみこと)の娘。誕生には、水生・胎生・鏡生の三伝承があ ...
4. 天照大神
日本大百科全書
なぜ伊勢に移したのか。実は、天照大神の原像は伊勢地方の海部(あまべ)が祀る太陽神であって、この地方神としての太陽神を皇室が取り込み、そこから巨大神に成長して神々 ...
5. あまてらす‐おおみかみ【天照大神/天照大御神】
デジタル大辞泉
日本神話で、高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり、また、皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られている。大日 ...
6. あまてらすおおみかみ【天照大神】
国史大辞典
天皇六年条には天照大神と同殿に共住するのを安からずとして、豊鍬入姫(とよすきいりひめ)命に託して倭笠縫邑(やまとのかさぬいのむら)に祭り、さらに垂仁天皇二十五年 ...
7. あまてらすおおみかみ【天照大神】
日本人名大辞典
記・紀神話などにみえる最高神の女神。太陽神的性格をもつ。伊奘諾尊(いざなぎのみこと)が禊(みそぎ)で左目をあらったときに生まれ,高天原(たかまがはら)を統治。弟 ...
8. 天照大神[文献目録]
日本人物文献目録
郎『祖神垂示天照大神宮』川面凡児『天照大神神格論』田中治吾平『天照大神ノ御実相及御聖徳 2』安藤政直『天照大神の神学的研究』補永茂助『天照大神と伊勢神宮の起源』 ...
9. てんしょう‐だいじん[テンセウ:]【天照大神・天照太神】
日本国語大辞典
天照大神(あまてらすおおみかみ)を音読した語。天照皇大神。*金刀比羅本保元物語〔1220頃か〕上・後白河院御即位の事「天照太神(テンセウダイジン)四十六世の御末 ...
10. Amaterasu Ōmikami 【天照大神】
Encyclopedia of Japan
The principal female deity of Shinto mythology, identified with the sun and rega ...
11. 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
古事類苑
神祇部 洋巻 第1巻 26ページ ...
12. てんしょうだいじん【天照大神】
国史大辞典
⇒あまてらすおおみかみ  ...
13. あまてらすおおみかみしゃ【天照大神社】奈良県:吉野郡/大淀町/比曾村
日本歴史地名大系
[現]大淀町大字比曾 世尊寺山門内右側に鎮座。祭神天照大神。神祭用の湯釜銘には「明応五年丙辰九月八日比曾現光寺」とある。遅くとも室町以前の創祀。明和二年(一七六 ...
14. あまてらすおおみかみたかくらじんじゃ【天照大神高座神社】大阪府:八尾市/教興寺村地図
日本歴史地名大系
記される。春日戸神の名が天照大神高座神社になぜ変化したのか考える時、見逃すことのできない伝承であるが、現行本の「太神宮諸雑事記」に右の一文はない。「延喜式」で天 ...
15. 天照大神宮(てんしょうだいじんぐう)
古事類苑
神祇部 洋巻 第3巻 3ページ ...
16. 大神宮(だいじんぐう)【篇】
古事類苑
神祇部 洋巻 第3巻 1ページ ...
17. 天照大神御杖代 (見出し語:御杖代)
古事類苑
神祇部 洋巻 第3巻 683ページ ...
18. 素戔鳴尊與天照大神互相誓 (見出し語:素戔鳴尊)
古事類苑
人部 洋巻 第2巻 332ページ ...
20. あいうちむら【相打村】青森県:北津軽郡/市浦村
日本歴史地名大系
撰陸奥国誌)。明治九年(一八七六)板割沢村を合併。露草にある神明宮は創建不詳。旧村社。祭神は天照大神。相殿に相打太田村より明治六年に移転した稲荷神が祀られる。貞 ...
21. あいかわむら【相川村】秋田県:河辺郡/雄和町
日本歴史地名大系
という。当寺の鎮守不動明王の祭典が行われ、神仏混淆の習が今も残る。字台林にある旧村社神明社は天照大神ほか五神を祀る。字高野にある愛宕神社は火伏地蔵を祀る。銅屋字 ...
22. あいだしんめいぐう【会田神明宮】長野県:東筑摩郡/四賀村/宮本村
日本歴史地名大系
「東筑摩郡村誌」には「神明宮村在 東西四十五間三尺、南北五十五間、面積二千五百三坪(中略)、天照大神ヲ祭ル。白鳳四年ニ勧請ス。住吉大社タリシニ、天文ノ頃甲信兵乱 ...
23. 葵(源氏物語) 23ページ
日本古典文学全集
ここは車の「隈」(陰)ではあるが、笹の隈でさえもないせいか、源氏が通り過ぎてしまう、の意。『古今集』で「日女(天照大神)の歌」とあるところから、ここでも御息所と ...
24. あおうずむら【青水村】広島県:世羅郡/世羅町
日本歴史地名大系
岸の小丘陵上に鎮座する旧村社で、祭神は菅原道真・大山祇神ほか三柱。相殿に伊弉諾神・伊弉冉神・天照大神を祀る。社伝に大永元年(一五二一)九月勧請、永禄一〇年(一五 ...
25. あおそじんじゃ【青麻神社】宮城県:仙台市/旧宮城郡地区/岩切村
日本歴史地名大系
北は黒川郡富谷町との両境に近く、地名は麻が植えられていたことに由来するという(封内風土記)。祭神は天照大神・天之御中主神・月読神などで、例祭は五月一日より同三日 ...
26. あおむら【粟生村】大阪府:箕面市地図
日本歴史地名大系
無筆百姓からの不当な年貢の徴収、御下げ米横領などから村方騒動が起こった。また同四年同地の権兵衛宅に天照大神の御札が降り、同家へ伊勢講・春日講・若者中、当村民三〇 ...
27. あおやじんじゃ【青屋神社】茨城県:石岡市/平村
日本歴史地名大系
[現]石岡市総社一丁目 常陸国衙跡推定地(現石岡小学校)脇に鎮座する。祭神は天照大神〓 ...
28. あか-かがち【赤酸漿】
全文全訳古語辞典
〔名詞〕赤く熟れたホオズキの実。 「その目は赤酸漿のごとくして」〈古事記・上・天照大神と須佐之男命〉その目は赤いホオズキのようにまっ赤で。 ...
29. あかだむら【赤田村】秋田県:本荘市
日本歴史地名大系
人口八〇六人、馬一六三頭と戸数に比して人口・馬が多い(羽後国由利郡村誌)。集落南にある神明社は祭神天照大神・須佐男命・品陀和気命で、応永五年(一三九八)の創建。 ...
30. あかびらじんじや【赤平神社】北海道:空知支庁/赤平市/赤平村
日本歴史地名大系
[現]赤平市泉町 市街中心部に位置する旧村社。祭神は天照大神・大山祇大神。明治二八年(一八九五)春、寺西幸三郎を団長とする石川県の加賀団体四八戸が上赤平地区に入 ...
31. あがたじんじゃ【安賀多神社】宮崎県:延岡市/岡富村
日本歴史地名大系
[現]延岡市古川町 旧延岡城下の北西、五ヶ瀬川北岸の水田中の比高約一〇メートルの小丘上に鎮座。祭神は天照大神・手力雄命ほか五神。旧県社。社伝によれば、養老元年( ...
32. あきじんじゃ【阿紀神社】奈良県:宇陀郡/大宇陀町/迫間村
日本歴史地名大系
城野に鎮座。天照大神を主神とし、天手力男命・瓊瓊杵尊・秋姫命・八意思兼命を配祀する。旧県社。往時は天照大神・瓊瓊杵命・高皇産霊尊を祀っていたと伝える。「皇太神宮 ...
33. 明御神
日本大百科全書
明津神などとも表記する。現身(うつしみ)を備え、目に見える神の意。天皇に対する尊称で、天皇は天照大神(あまてらすおおみかみ)の神裔(しんえい)であるという信仰か ...
34. あくとじんじゃ【阿久刀神社】大阪府:高槻市/芥川村地図
日本歴史地名大系
れたのが当社とも考えられる。明治維新後五社神社(祭神天照大神ほか四神)・諏訪神社(健御名方神)・小島神社(市杵島姫命)・五社神社(天照大神ほか四神)・大将軍社( ...
35. あくみかんべしんめいしゃ【安久美神戸神明社】愛知県:豊橋市/吉田城下/神明小路
日本歴史地名大系
[現]豊橋市八町通三丁目 祭神天照大神ほか七柱。吉田神明宮とも称した。天慶三年(九四〇)平将門の乱平定に際し、朝廷は報賽のため飽海郷の一部を伊勢神宮に献じた。こ ...
36. nbsp;あさがみおうじぐう【浅上王子宮】高知県:香美郡/香我美町/山北村
日本歴史地名大系
恵日寺山の南麓、字鎌井谷に鎮座する。古くは上ノ王子・王子権現とも称された(「土佐州郡志」など)。祭神は天照大神。旧郷社。社伝によると、村上雅楽亮泰弘なる者が応永 ...
37. あさだむら【朝田村】三重県:松阪市
日本歴史地名大系
参宮古道が通り、東の津藩領立利村へ続く。朝田地蔵菩薩堂之記(光福山朝田寺旧記)に、「総而当地者、天照大神宮第一御厨処之御供田有〓之故号 ...
38. あさ‐ひ【朝日・旭】
日本国語大辞典
「くもりなくとよさかのぼる朝日には君ぞつかへん万代までに〈源俊頼〉」〔二度本金葉‐賀・三三三〕のように天照大神を意味したりすることもあった。木曾義仲の自称「朝日 ...
39. あさひおかやまじんじゃ【旭岡山神社】秋田県:横手市/大沢村
日本歴史地名大系
三観音巡礼記」に「第十二番 平鹿郡横手朝日岡正観音、立像御丈け壱尺、大仏師定長作(中略)下座天照大神宮、此御堂清将軍武則公御建立、其後の領主小野寺氏代々造営修覆 ...
40. あさひかわじんじや【旭川神社】北海道:上川支庁/旭川市/東旭川村
日本歴史地名大系
隊記念日の八月一五日とした。祭神は明治三二年第四中隊長菊地直人大尉が伊勢神宮から分霊を受けた天照大神、屯田兵の細川権吉がもとから奉斎していた木花開耶姫。同四四年 ...
41. あさひじんじゃ【朝日神社】愛知県:名古屋市/中区/笹屋町
日本歴史地名大系
[現]中区錦三丁目 広小路の北側、ビルの谷間にある。俗に広小路神明宮といわれた。祭神は天照大神・天児屋根命。旧郷社。もとは清須の朝日村(現西春日井郡)にあったが ...
42. あさひのしんめいぐうあと【朝日神明宮跡】大阪府:大阪市/東区/松山町地図
日本歴史地名大系
天照皇太神を祭神とすることから単に大神宮ともよばれた(摂陽群談)。旧村社。朝日の社名は祭神の天照大神にちなむとも、「当社の神子祈願成就せずといふことなし、世に発 ...
43. あさまやまえんぎ【朝熊山縁起】
国史大辞典
金剛証寺ということなどから鎮守の大事、赤精童子事などを説明する。鎮守の大事は天照大神との関係で内外宮の奥の院であると説き、赤精童子事は天照大神が大師に託宣して雨 ...
44. あさまるむら【朝丸村】山形県:東田川郡/余目町
日本歴史地名大系
一村の鎮守としたとされる(筆濃余理)。ほかに耳明き地蔵(耳地蔵)があり、現在愛宕神社となっている。下朝丸には天照大神社(現皇大神社)がある。明治九年南口村など三 ...
45. あざかじんじゃ【阿射加神社】
国史大辞典
『延喜式』神名帳、伊勢国壱志郡の条でも三座とするが、『倭姫命世記』では垂仁天皇十八年倭姫命が天照大神を奉じてよい宮処を求めて巡幸中、阿佐加の峯に伊豆速布留神を奉 ...
46. あしかわむら【足川村】千葉県:旭市地図
日本歴史地名大系
(一八七八)まで九六名(文政一〇年以後「神文之事」大原幽学遺品保存館蔵)。東の日月神社は祭神天照大神・月夜見命。文治三年(一一八七)の勧請と伝え、宝永六年(一七 ...
47. あしじんじゃ【葦神社】三重県:阿山郡/大山田村/上阿波村
日本歴史地名大系
八王権現 本地千手観音 上阿波・平松・子延三郷ノ氏社 比叡山ノ東ニ列山有、此峯ニ金石トテ石有リ、其上天照大神ノ御子五男三女ノ神垂跡是叡山ノ八王子也、是ヨリ諸国ニ ...
48. あしべつじんじや【芦別神社】北海道:空知支庁/芦別市/芦別村
日本歴史地名大系
[現]芦別市北三条西 旧郷社。祭神は天照大神。芦別市本町地区の開拓入植は、明治二八年(一八九五)四月根井清作・早川丹左衛門が率いる二団体を統合した朝山団体と、沢 ...
49. あじまじんじゃ【味鋺神社】愛知県:名古屋市/北区/味鋺村
日本歴史地名大系
[現]北区楠町味鋺 堂の前 祭神は宇麻志麻治命・天照大神・日本武命など。旧郷社。「寛文覚書」に「六所大明神」とあるように、もとは六所明神といった。文明一二年(一 ...
50. 飛鳥時代
日本大百科全書
日本の主権者が大君とか天子とか、さらには天皇とか名のった背景には、日本神話の成立(天皇は太陽神天照大神(あまてらすおおみかみ)の子孫)と、それを可能にした6世紀 ...
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古事記(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
「ふることぶみ」とよむ説もあるが、今日一般には「こじき」が慣用されている。建国の由来と第一代神武天皇から第三十三代推古天皇までのことを記した現存最古の典籍。その素材は神話・伝説・歌謡・系譜などである。三巻。上巻のはじめに漢文の序
本居宣長(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
江戸時代中期の国学者、神道学者。鈴迺屋と号する。享保15年5月7日に生まれる。伊勢国松坂の木綿問屋小津定利(1695―1740)の二男。母はお勝(1705―1768)、幼名は富之助。父の死後、1748年(寛延1)19歳で同国山田の紙商今井田家の養子となったが、21歳で不縁となって実家に出戻り、翌1751年(宝暦1)
天照大神(世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
記紀神話に登場する太陽神的性格の女神。天照大御神,大日孁貴,天照大日孁尊などとも呼ばれる。皇室祖神として伊勢神宮にまつられている。記紀では,その誕生譚,素戔嗚尊との誓約生み,天の岩屋戸,国譲り神話などの諸神話に登場する。〈皇祖神〉アマテラス《古事記》によれば
太安麻呂(改訂新版・世界大百科事典)
奈良初期の官人。《古事記》の編纂者。姓は朝臣。安万侶とも記す。壬申の乱に天武天皇側で活躍した武将多品治の子という伝えもある。《続日本紀》によれば,704年(慶雲1)従五位下,711年(和銅4)正五位上,715年(霊亀1)従四位下に叙せられ,翌年氏長となった。没したときには民部卿であった。
国譲り神話(改訂新版・世界大百科事典)
大国主神が葦原中国を天照大神に献上した次第を語る神話。諸々の異伝があるが,《古事記》によると,葦原中津国平定のために高天原からは,はじめに天菩比神(天穂日命)が遣わされるが,オオクニヌシと親しみ3年たっても復命しない。次に天若日子(天稚彦)が遣わされるが,オオクニヌシの娘下照比売と結婚して


「天照大神」は古事記に関連のある記事です。
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古事記伝(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
『古事記』の注釈書。著者、本居宣長。四十四巻、附巻一。出版開始、寛政二年(一七九〇)、完了、文政五年(一八二二)。本居宣長は賀茂真淵に面会(宝暦十三年(一七六三))したのち、『古事記』を解読、注釈することの意志をかため、真淵に入門し、『万葉集』の訓読
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