NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
ジャパンナレッジは約1700冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 歴史
  6. >
  7. 遺跡
  8. >
  9. 城・都
  10. >
  11. 弘前城

弘前城

ジャパンナレッジで閲覧できる『弘前城』の国史大辞典のサンプルページ

弘前城
ひろさきじょう
青森県弘前市下白銀町に中心部のある城。築城当初は高岡城と呼ばれた。平城。津軽平野南部の盆地状地形の中の台地北端に位置する。慶長八年(一六〇三)に大浦(津軽)為信が起工し同十六年為信の子信枚の時に一応の完成を見た。為信はもと大浦城におり元亀二年(一五七一)ごろから津軽統一への歩みを開始したが、その際現在の弘前市東南部に堀越城を築き南方に対する抑えとした。豊臣秀吉の奥州仕置に際し為信は津軽三郡を安堵され、苗字を津軽氏に改めることを認められた。文禄三年(一五九四)に為信は本拠を堀越城に移した。関ヶ原の戦で為信は東軍に参じ戦後本領を安堵されたが、かれの留守中堀越城が叛臣により占拠されるという事件が起き、その後も家中に紛争が生じたことなどがあったため新城造営を計画し高岡築城に至ったものである。造営途次の慶長十二年に為信は客死し、あとを三男信枚が継いだ。新城移転後寛永五年(一六二八)に弘前と改称した。城主は津軽氏歴代が相つぎ明治維新に至っている。城は南から北に流れる土淵川、岩木川、駒越川に囲まれた約二キロ四方の地域に営まれた。中央に本丸を置きその東と南に二ノ丸、さらにその外側東と南に三ノ丸が連接する連郭式の縄張をとる。本丸の北側に内北の郭、西側に西の郭、最北部に四の郭(北の郭)を置いた。城下町は周辺に配され現在も鷹匠町・紺屋町・大工町などの町名に俤が残る。城下の東南と西南に置かれた寺町はおのおの最勝院構・長勝寺構と呼ばれ当城の特色となる。本丸東南隅にある三重三階の天守は文化七年(一八一〇)に再建されたものであるが、二ノ丸の櫓三棟と南門・東門、三ノ丸追手門、四の郭北門(亀甲門)はいずれも創建当初のもので、天守と併せ重要文化財に指定されている。外堀以内と最勝院構・長勝寺構は国が指定した史跡である。
[参考文献]
相坂則武・伊東祐則編『津軽一統志』(『青森県叢書』六)、小友叔雄『津軽封内城趾考』、『弘前市史』藩政編
(石丸 煕)
上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。


弘前城の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 183
※検索結果は本ページの作成時点のものであり、実際の検索結果とは異なる場合があります
検索コンテンツ
1. 弘前城
日本大百科全書
江戸期の城。青森県弘前市弘前公園にある。戦国末期、大浦(おおうら)城、堀越(ほりこし)城を根拠として津軽地方を平定した津軽為信(ためのぶ)は、関ヶ原の戦いによっ ...
2. 弘前城[百科マルチメディア]
日本大百科全書
別名高岡城(鷹岡城)。1611年(慶長16)の築城当初は5層の天守であったが、1627年(寛永4)に落雷で焼失。現在の天守は1810年(文化7)に三層櫓(やぐら ...
3. ひろさき‐じょう【弘前城】地図
デジタル大辞泉
青森県弘前市にある旧津軽藩の城。慶長16年(1611)津軽信牧(つがるのぶひら)が築城。のち、雷火で焼失。現存の天守閣は文化7年(1810)完成。また、櫓(やぐ ...
4. ひろさき‐じょう[:ジャウ]【弘前城】
日本国語大辞典
青森県弘前市にある城。慶長一六年(一六一一)構築。津軽氏歴代の居城。岩木川と土淵川との間の丘、金沢山に建つ。明治初年殿舎は取り壊されたが、天守閣、櫓(やぐら)三 ...
5. ひろさきじょう【弘前城】
国史大辞典
青森県弘前市下白銀町に中心部のある城。築城当初は高岡城と呼ばれた。平城。津軽平野南部の盆地状地形の中の台地北端に位置する。慶長八年(一六〇三)に大浦(津軽)為 ...
6. ひろさきじょうあと【弘前城跡】青森県:弘前市/弘前城下
日本歴史地名大系
焼失した。右絵図には天守閣は描かれておらず、御殿のみが記され、延宝四年(一六七六)の弘前城之図(津軽弘前城史)によれば、南東の隅櫓を天守として代用していたと思わ ...
7. ひろさきじょうか【弘前城下】青森県:弘前市
日本歴史地名大系
寛永末年頃の津軽弘前城之絵図(櫛引元三氏蔵)によれば、城下は城を中核として城北・城東・城南・城西の四地域に分れ、城西は掘替え以前の岩木川で他地域と区切られていた ...
8. 青森(県)
日本大百科全書
とを交換、領内では津軽平野北部の新田開発を進めた。2代信牧(のぶひら)(信枚)が意志を継いで弘前城を築城し、城下町を成立させた。藩政も中期になると、領国経営に重 ...
9. あおもりし【青森市】青森県
日本歴史地名大系
〔近現代〕明治四年の廃藩置県により弘前県が成立したが、弘前県は三週間にして青森県となり、県庁も弘前城から青森御仮屋へ移転した。以後青森町は県の政治の中心となった ...
10. あじがさわかいどう【鰺ヶ沢街道】青森県:弘前市
日本歴史地名大系
弘前城下と鰺ヶ沢(現西津軽郡鰺ヶ沢町)を結ぶ街道で、鰺ヶ沢道とも称した。正保二年(一六四五)の津軽郡之絵図には弘前から鰺ヶ沢までの道に一里塚が七ヵ所設置されてい ...
11. あせいしじょうあと【浅瀬石城跡】青森県:黒石市/浅瀬石村
日本歴史地名大系
本丸・二の丸・屋敷丸などがまとまっており、北の沢を隔てて出丸と思われる代官館・御堂館がある。石垣は弘前城築城の折その資材に使われ(永禄日記)、まったく残っていな ...
12. あらまち【新町】青森県:弘前市/弘前城下
日本歴史地名大系
北に曲がって誓願寺門前に至る道筋の町並。北は鷹匠町、西は西大工町に接する。正保三年(一六四六)の津軽弘前城之絵図(内閣文庫蔵)には、町屋として町割されている。慶 ...
13. いかりがせきむら【碇ヶ関村】青森県:南津軽郡/碇ヶ関村
日本歴史地名大系
ある。深い山に囲まれるため林産資源に恵まれ、「津軽歴代記類」によれば、慶長一五年(一六一〇)弘前城を築くため碇ヶ関の山林から「夥敷碇ケ関山より川流し引賦り(中略 ...
14. いしかわむら【石川村】青森県:弘前市
日本歴史地名大系
出羽の兵乱を避け、秋田を経て津軽へ入り石川を切取ったとある。慶長一五年(一六一〇)に始まった弘前城築城に際し、蔵館山とともに石川の山辺も切尽しにあっている(永禄 ...
15. いしわたりむら【石渡村】青森県:弘前市
日本歴史地名大系
[現]弘前市石渡・石渡一―三丁目 弘前城下の西北にあり、北は八代村、南は藤代村の支村田中村、東は鳥町村、西は土堂村に接する。「永禄日記」「平山日記」によれば、正 ...
16. いちのわたりむら【一渡村】青森県:弘前市
日本歴史地名大系
[現]弘前市一野渡 弘前城下の南、苗代山の南端にある。北東は大和沢村、北西は坂本村に続く。村の南を大和沢川が北東流する。貞享元年(一六八四)の郷村帳に寛文四年( ...
17. いわきがわ【岩木川】青森県:総論
日本歴史地名大系
。寛永末年頃の津軽弘前城之絵図(櫛引元三氏蔵)をみると、岩木川の川筋は弘前城(現弘前市)の西方で二筋に分れ、城の真下の流れが岩木川、西側の流れが駒越川と記されて ...
18. えんみょうじ【円明寺】青森県:弘前市/弘前城下/新寺町
日本歴史地名大系
高 念西拾三石一合四勺歩米三斗九升 鰺沢ニて渡申へく候慶長九霜月廿二日 (為信黒印)同一一年弘前城下の寺町へ移転し、慶安二年(一六四九)の火事により焼失、翌三年 ...
19. おおうらじょうあと【大浦城跡】青森県:中津軽郡/岩木町/賀田村
日本歴史地名大系
わずかに土塁が残っている。現弘前市長勝寺の庫裏は慶長一六年(一六一一)に移築された当城の遺構である。同一五年弘前城築城に際し当城の大手門を北内門に移して賀田門と ...
20. おおうらまち【大浦町】青森県:弘前市/弘前城下
日本歴史地名大系
「奥富士物語」に、慶長一五年(一六一〇)の弘前城築城と町割に際し、城内三の丸に大浦町があり、「中身已上之面々」が居住したとある。正保三年(一六四六)の津軽弘前城 ...
21. おおくぼむら【大久保村】青森県:弘前市
日本歴史地名大系
[現]弘前市大久保 弘前城下の東北にあり、北は津軽野村、南は撫牛子村、西は清野袋村に続き、東は平川に面する。弘前城下から青森町に通ずる街道に沿う。貞享元年(一六 ...
22. おおしみずむら【大清水村】青森県:弘前市
日本歴史地名大系
[現]弘前市大清水・広野一―二丁目 弘前城下の南東にあたり、北は小比内村、東は門外村、東南は清水森村、北西は取上村に続く。大鰐山地の西股山付近に源を発する大和沢 ...
23. おおもりむら【大森村】青森県:弘前市
日本歴史地名大系
[現]弘前市大森 岩木山の北東山麓にあり、弘前城下から鰺ヶ沢町(現西津軽郡鰺ヶ沢町)に向かう鰺ヶ沢街道に沿う。東は貝沢村、北西は十面沢村に続く。正保二年(一六四 ...
24. おおわさわむら【大和沢村】青森県:弘前市
日本歴史地名大系
[現]弘前市大和沢・狼森・千年二―四丁目 弘前城下の南、土筆森の北西端にある。北東は原ヶ平村、東は小栗山村、西南は一渡村、北西は小沢村に続く。村の東を大和沢川が ...
25. おにざわむら【鬼沢村】青森県:弘前市
日本歴史地名大系
[現]弘前市鬼沢 岩木山の北東山麓にあり、弘前城下から鰺ヶ沢町(現西津軽郡鰺ヶ沢町)に向かう鰺ヶ沢街道に沿う。北は小友村、南は高杉村、東は楢野木村に接する。天文 ...
26. おやかたまち【親方町】青森県:弘前市/弘前城下
日本歴史地名大系
城の南側に位置し、北は一番町、南は本町・鍛冶町、西は元長町、東は土手町に接する。正保三年(一六四六)の津軽弘前城之絵図(内閣文庫蔵)に、町屋として町割される。慶 nbsp;...
27. かいざわむら【貝沢村】青森県:弘前市
日本歴史地名大系
[現]弘前市貝沢 岩木山の北東山麓にあり、弘前城下から鰺ヶ沢町(現西津軽郡鰺ヶ沢町)に向かう鰺ヶ沢街道に沿う。西は大森村、南は鬼沢村に続き、東は小友村と接する。 ...
28. かくしゅうじ【革秀寺】青森県:弘前市/藤代村
日本歴史地名大系
[現]弘前市藤代 川面 岩木川に面し、岩木山を背に弘前城跡を望む。津軽山と号し、曹洞宗。本尊釈迦牟尼仏。もと長勝寺末、藩祖津軽為信の廟所。慶長一四年(一六〇九) ...
29. かじまち【鍛冶町】青森県:弘前市/弘前城下
日本歴史地名大系
一六二三)二月一四日に「弘前鍛冶町にて出火有、三軒やける」とあり、正保三年(一六四六)の津軽弘前城之絵図(内閣文庫蔵)に、町屋として町割される。慶安二年(一六四 ...
30. かただむら【堅田村】青森県:弘前市
日本歴史地名大系
[現]弘前市堅田 弘前城下の北東にあり、同城下から青森町への街道に沿う。北は撫牛子村、東は境関村、南東は高崎村、南西は和徳村に続く。土淵川が村の南端を横切り、東 ...
31. かどけむら【門外村】青森県:弘前市
日本歴史地名大系
[現]弘前市門外 弘前城下の南東にあり、西は大清水村、南は清水森村、東南は堀越村に続く。村の西南から東にかけて大和沢川が流れる。暦応四年(一三四一)七月七日の曾 ...
32. かみしろがねちょう【上白銀町】青森県:弘前市/弘前城下
日本歴史地名大系
三の丸南側部分の堀端沿いにあり、馬屋町への新坂に至る東西の道路の南側部分。正保三年(一六四六)の津軽弘前城之絵図(内閣文庫蔵)には、町屋として町割されている。慶 ...
33. かめがおかじょうあと【亀ヶ岡城跡】青森県:西津軽郡/木造町/館岡村
日本歴史地名大系
南北約八〇メートルの規模で、空堀は幅約七メートル、深さ五メートル余に及ぶ。弘前城と同じく枡形構をとり本郭はほぼ方形で五五メートルずつあり、土塁は弘前城よりひと回 ...
34. かめのこうまち【亀甲町】青森県:弘前市/弘前城下
日本歴史地名大系
誓った八三騎のなかに、亀甲町庄吉の名があり、この時に町は存在した。正保三年(一六四六)の津軽弘前城之絵図(内閣文庫蔵)には、町屋・小人町として町割がされ町名はな ...
35. きつくりおかりや・きつくりだいかんしょあと【木作御仮屋・木作代官所跡】青森県:西津軽郡/木造町/木作村
日本歴史地名大系
視察する時に御仮屋へ立寄ったといわれる。宝暦―明和(一七五一―七二)の頃ここの代官所には代官二名がおり、一名は弘前城内三の郭にある郡所に出勤、一名は現地に出張し ...
36. くがかつなん【陸羯南】
国史大辞典
一八五七―一九〇七 明治時代の新聞記者、政論家。名は実。羯南は号。安政四年(一八五七)十月十四日に弘前城下に生まれる。父の中田謙斎は弘前藩近侍茶道役、坊主頭で、 ...
37. くまのおくてるじんじゃ【熊野奥照神社】青森県:弘前市/弘前城下/田町
日本歴史地名大系
社領は三〇石、延宝期の神主は市ノ太夫、末社としては観音堂・庚申堂があった。正保三年(一六四六)の津軽弘前城之絵図(内閣文庫蔵)には、八幡宮境内の外、南側に熊野宮 ...
38. くらたてむら【蔵館村】青森県:南津軽郡/大鰐町
日本歴史地名大系
而御普請材木夥敷、関山より毎日々々川流し引賦等仕候。尤蔵舘山石川山辺切尽し申程ニ候」とあり、弘前城の本格的な築城開始で、多量の材木を必要とした。正保二年(一六四 ...
39. くらぬしちょう【蔵主町】青森県:弘前市/弘前城下
日本歴史地名大系
南は東長町、西は大浦町、東は長坂町に接し、町の中央を東西に二階堰が流れる。正保三年(一六四六)の津軽弘前城之絵図(内閣文庫蔵)に町屋として町割される。慶安二年( ...
40. くろいしじょうあと【黒石城跡】青森県:黒石市/境松村
日本歴史地名大系
殺され、堀越城下(現弘前市)で暴れて横死するという事件が起きた(同書)。黒石城は慶長一五年の弘前城築城の際、その資材に使用されて廃城となった(永禄日記)。 ...
41. げっぽういん【月峰院】青森県:弘前市/弘前城下/西茂森町
日本歴史地名大系
沖館村(現南津軽郡平賀町)にあったとあり、開基を天正八年(一五八〇)とする。その後堀越村へ引越し、また弘前城下へ移ったとある。正徳元年(一七一一)の寺社領分限帳 ...
42. こぐりやまむら【小栗山村】青森県:弘前市
日本歴史地名大系
[現]弘前市小栗山 弘前城下の南、土筆森の北端にある。東は松木平村に接し、西北は原ヶ平村、西南は大和沢村に続く。村の北を大和沢川が北東流する。貞和三年(一三四七 ...
43. こざわむら【小沢村】青森県:弘前市
日本歴史地名大系
[現]弘前市小沢・大原一―三丁目・桜ヶ丘一―五丁目・常盤坂四丁目 弘前城下の南西にあり、東を土淵川が北流、東は原ヶ平村、北西は湯口村(現中津軽郡相馬村)・下湯口 ...
44. こじまむら【小島村】青森県:弘前市
日本歴史地名大系
[現]弘前市富栄 弘前城下の北西にあり、東は鶴田村、東南は蒔苗村、南西は鼻和村、北東は三森村、北西は折笠村に接する。貞享四年(一六八七)の検地帳に村名はないが、 ...
45. こびとちょう【小人町】青森県:弘前市/弘前城下
日本歴史地名大系
城の東北に位置し、若党町の北側にあって座頭町(現小人町)に隣接する。正保三年(一六四六)の津軽弘前城之絵図(内閣文庫蔵)には、現在の若党町・小人町・笹森町もすべ ...
46. こまごしむら【駒越村】青森県:中津軽郡/岩木町
日本歴史地名大系
岩木川は天和二年(一六八二)真土村で樋ノ口川(現弘前城跡西堀)を止切り、駒越川一筋になるまで、樋ノ口川が唐内坂・狐森(現弘前市)から弘前城に連なる丘陵地の真下を ...
47. こんやまち【紺屋町】青森県:弘前市/弘前城下
日本歴史地名大系
西濠を隔てて亀甲町、西は袋町と接する。町内北側を大久保堰が横断する。正保三年(一六四六)の津軽弘前城之絵図(内閣文庫蔵)には、町屋として町割されている。慶安二年 ...
48. ごじっこくまち【五十石町】青森県:弘前市/弘前城下
日本歴史地名大系
隔てて西の郭に接し、鷹匠町から紺屋町に至る道筋の町並。西は袋町に接する。正保三年(一六四六)の津軽弘前城之絵図(内閣文庫蔵)には、大部分が侍町として町割される。 ...
49. 御当代記 将軍綱吉の時代 155ページ
東洋文庫
ジ参照)が、実 子のひとりを増山家の養子とした外、なお一人の実子福原図書資寛の存在を隠して、弘前城主津 軽家から養子を迎えたのが咎められて、大名家としては廃絶。 ...
50. 最勝院
日本大百科全書
藍(がらん)を造営したのに始まる。1612年(慶長17)弘前藩2代藩主津軽信枚(のぶひら)が弘前城下に弘前八幡宮(はちまんぐう)を創建したおり、当院はその別当寺 ...
「弘前城」の情報だけではなく、「弘前城」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

弘前城と同じ城・都カテゴリの記事
大坂城跡(日本歴史地名大系)
日本歴史地名大系/平凡社/[現]東区大阪城。東区の北東の一角にある城跡で、本丸と二ノ丸のほぼ全域七三万平方メートルが国の特別史跡。城跡にもと玉造定番屋敷・同与力同心屋敷の一部を加えた約一〇三万平方メートルが大阪城公園となっている。
三岳城跡(日本歴史地名大系)
[現]引佐町三岳・川名。三岳山の山頂部にある山城跡。標高四六六・八メートルの山頂を中心として東西約七〇〇メートルにわたる尾根上に築かれていた。国指定史跡。井伊氏の本城で、平時の居館であった井伊谷(いいのや)の井伊谷城に対し、詰の城として利用され、当城と井伊谷城は同一視されていた。御嵩城・三嶽城・深嶽城あるいは
(日本大百科全書(ニッポニカ))
塁、堀、柵など外敵の侵入を防ぐために設けられた軍事的構築物のことをいい、さらにそれによって防衛された地域もいう。城郭という語も城と同義に用いられる。しかし火器の発達した近代に構築された軍事的防衛施設は城とよばず要塞とよばれる。最初は自然の地形を利用して防衛のためにのみ築城したが
姫路城(日本大百科全書(ニッポニカ))
南北朝期~江戸期の城。兵庫県姫路市本町にあり、白鷺(しらさぎ/はくろ)城ともよばれる。姫路平野の中央、高さ45メートルの姫山を本丸とした平山城の典型である。城の歴史は古く、1331年(元弘1)の元弘の乱のとき、播磨守護赤松則村が陣を構えたのに始まり、1346年(正平1・貞和2)則村の子貞範が築城したと伝えられる。
弘前城(国史大辞典)
青森県弘前市下白銀町に中心部のある城。築城当初は高岡城と呼ばれた。平城。津軽平野南部の盆地状地形の中の台地北端に位置する。慶長八年(一六〇三)に大浦(津軽)為信が起工し同十六年為信の子信枚の時に一応の完成を見た。為信はもと大浦城におり元亀二年(一五七一)ごろから津軽統一への歩みを開始したが
城・都と同じカテゴリの記事をもっと見る


「弘前城」は寺・神社・城に関連のある記事です。
その他の寺・神社・城に関連する記事
浜松城(国史大辞典・日本大百科全書・日本歴史地名大系)
静岡県浜松市元城町にあった城。平山城。三方原洪積台地の最東南端に徳川家康が築城し、浜松城と称え、この地を引馬から浜松に改称した。引馬旧城主飯尾連竜は今川氏真に謀殺され、その留守を預かる老臣間の内紛を平定した家康が、元亀元年(一五七〇)、遠江経営と武田
鶴岡八幡宮(国史大辞典・日本歴史地名大系)
神奈川県鎌倉市雪ノ下に鎮座。旧国幣中社。源氏の氏神であり、鎌倉の町の中心として存在してきた社で、明治の神仏分離までは鶴岡八幡新宮若宮(いまみやわかみや)・鶴岡八幡宮寺とも称した。大分県の宇佐、京都府の石清水(いわしみず)両宮とともに全国の八幡宮を代表
恭仁京(世界大百科事典・日本大百科全)
奈良時代中ごろの都城。現在の京都府南部の木津川市に営まれた。740年(天平12),九州で藤原広嗣の乱が起こったのを契機に平城京を離れた聖武天皇は,伊勢,美濃,近江をめぐった後,12月15日山背国南端の久仁郷の地に至り恭仁京の造営に着手した。翌年11月
遷宮(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
神社で、一定の年数を定めて、新殿を造営し、旧殿の御神体をここに遷すこと。そしてこの新殿の造営を式年造営といい、また仮殿遷宮と対称して正遷宮とも称せられる。伊勢神宮の例が著明である。伊勢神宮に式年遷宮の制が立てられた年次については
長谷寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
奈良県桜井市初瀬にある寺。真言宗豊山派総本山。豊山神楽院長谷寺と号する。初瀬寺とも書かれ、豊山寺、長谷観音とも称する。本尊は十一面観音。西国三十三所第8番札所。686年(朱鳥1)弘福寺(川原寺)の道明上人が天武天皇の病気平癒祈願のため、法華説相図銅板(千仏多宝塔を鋳出)
寺・神社・城に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1700冊以上(総額750万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶