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  11. 山崎の戦い
日本大百科全書(ニッポニカ)
山崎の戦い
やまざきのたたかい

1582年(天正10)6月、本能寺の変のあと、羽柴秀吉(はしばひでよし)(豊臣秀吉(とよとみひでよし))が山城国(やましろのくに)山崎(京都府乙訓(おとくに)郡大山崎町)で明智光秀(あけちみつひで)を討った戦い。本能寺の変の起こったとき秀吉は、毛利輝元(もうりてるもと)の部将清水宗治(しみずむねはる)の備中(びっちゅう)高松城を水攻めにしていた。信長の死を知った秀吉は、それを秘して毛利氏と講和を結び、2日後には姫路城に戻って軍備を整え、そのあと摂津国富田(とんだ)(大阪府高槻(たかつき)市)まで進軍した。その間、高山右近(たかやまうこん)、細川幽斎(ほそかわゆうさい)、筒井順慶(つついじゅんけい)らが秀吉に味方し、秀吉勢は約2万6000ほどとなった。一方、光秀は、毛利氏が秀吉の背面をつくものと期待したが、毛利氏は呼応せず、光秀は約1万6000の兵をもって山崎で対陣した。合戦は1日で終わり、光秀は敗走の途中、山城国小栗栖(おぐるす)で土民に襲撃されて死んだ。山崎の合戦に勝利した秀吉はそのあと天下統一の道を進む。それとともに太閤検地(たいこうけんち)を施行し始める。
[北島万次]

山崎の戦いの両軍布陣図[百科マルチメディア]
山崎の戦いの両軍布陣図[百科マルチメディア]

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山崎の戦い(日本大百科全書(ニッポニカ))
1582年(天正10)6月、本能寺の変のあと、羽柴秀吉(豊臣秀吉)が山城国山崎(京都府乙訓郡大山崎町)で明智光秀を討った戦い。本能寺の変の起こったとき秀吉は、毛利輝元の部将清水宗治の備中高松城を水攻めにしていた。信長の死を知った秀吉は、それを秘して毛利氏と講和を結び、2日後には姫路城に戻って軍備を整え
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天正十年(一五八二)六月二日、明智光秀が京都四条西洞院の本能寺に織田信長を急襲して自刃させた反逆事件。備中高松城を囲んでいた豊臣秀吉からの戦況報告で織田・毛利両軍の全面的対決を決意した信長は五月十七日、徳川家康の供応にあたっていた光秀にも出陣を命じた。すぐに光秀は本拠近江坂本城に帰り
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1467年(応仁1)~1477年(文明9)の11年間にわたり、細川勝元と山名持豊(山名宗全)とをそれぞれの大将として、諸国の大・小名が東西両軍に分属し、京都を主戦場として戦った大乱。応仁・文明の乱ともいう。乱の原因 室町幕府は基本的には、守護領国制を基盤とする有力守護大名の連合政権的性格
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戦国時代に甲斐の武田信玄と越後の長尾景虎(後の上杉謙信)とが、信州川中島で北信濃の領有をめぐり数度対戦した合戦の総称。合戦は1553年(天文22)から1564年(永禄7)の長期にわたって行われ、おもな対戦だけでも1553年、1555年(弘治1)、1557年、1561年(永禄4)、1564年の5回
文禄・慶長の役(国史大辞典)
文禄元年(一五九二)から慶長三年(一五九八)にかけ、豊臣秀吉が明征服をめざして朝鮮に侵略した戦争。この戦争の呼称について、朝鮮では当時の干支をとって「壬辰・丁酉の倭乱」と呼び、明では日本が侵入した明の辺寨(朝鮮)をおさえるという意味で、「万暦朝鮮の役」と呼ぶ


「山崎の戦い」は織田信長に関連のある記事です。
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明智光秀(国史大辞典)
安土桃山時代の武将。明智氏は美濃の名門土岐氏の庶流とされているが、光秀の出自や素性は詳らかでない。通称十兵衛。越前で朝倉義景に仕えたらしいが、永禄十一年(一五六八)七月足利義昭が朝倉氏のもとから織田信長を頼って美濃に赴いたとき、光秀は細川藤孝とその工作をしたらしく
本能寺(日本歴史地名大系)
[現]中京区下本能寺前町寺町通に西面して総門を開く。法華宗(本門流)の大本山。卯木山と号し、本尊十界大曼荼羅。〈京都・山城寺院神社大事典〉〔開創〕応永二二年(一四一五)日隆が油小路高辻と五条坊門の間(現京都市下京区)に建立、当初本応寺と号した。日隆は妙本寺(現妙顕寺)第四世日霽に師事したが
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1. やまざき の 戦(たたか)い
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天正一〇年(一五八二)六月、本能寺の変を知って毛利氏と和を結んだ羽柴秀吉が、山城国山崎(京都府乙訓郡大山崎町)で明智光秀を破った戦い。 ...
2. 山崎の戦い画像
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3. やまざき‐の‐たたかい【山崎の戦い】
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天正10年(1582)中国征討中の羽柴秀吉が本能寺の変を知って毛利氏と和議を結んで引き返し、山城の山崎で明智光秀を破った戦い。秀吉の全国制覇の緒戦となった。  ...
4. Yamazaki, Battle of 【山崎の戦い】
Encyclopedia of Japan
Also known as the Battle of Tennozan. Battle fought on 2 July 1582 between Toyot ...
5. 山崎の戦いの両軍布陣図[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
〓Shogakukan ...
6. あけち-ひでみつ【明智秀満】
日本人名大辞典
天正(てんしょう)9年ごろ丹波福知山城(京都府)城主。本能寺の変で先陣をつとめ,ついで安土城を守備。山崎の戦いの敗報をうけ近江(おうみ)坂本城にはいり,天正10 ...
7. あけち-みつただ【明智光忠】
日本人名大辞典
つかえる。丹波八上城(兵庫県)城主。天正(てんしょう)10年本能寺の変では二条城を攻める。山崎の戦いでの敗戦を知り,同年6月15日近江(おうみ)坂本城で自害した ...
8. 明智光秀画像
日本大百科全書
と戦い、13日夜敗死した。享年55歳とも57歳ともいう。世にいう「明智の三日天下」である。山崎の戦いの際の光秀の本陣跡は京都府大山崎町下植野の共同墓地付近と考え ...
9. あけち-みつひで【明智光秀】
日本人名大辞典
丹波攻略などに功をたて,亀山城主となる。天正(てんしょう)10年信長を本能寺に討つが,羽柴(豊臣)秀吉に山崎の戦いで敗れて逃走中の6月13日農民に殺された。55 ...
10. 安土城画像
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家臣の屋敷がそれぞれ一つの曲輪の形となっていた。城は1582年(天正10)の本能寺(ほんのうじ)の変に続く山崎の戦いの余波で焼け落ちてしまい、現在、穴太(あのう ...
11. 安土桃山時代
日本大百科全書
信長の部将として備中(びっちゅう)(岡山県)に出陣中であったが、毛利氏と講和して急ぎ引き返し、山崎の戦いで光秀を討ち、信長の後継者としての第一歩を踏み出した。つ ...
12. 安土桃山時代(年表)
日本大百科全書
0)3月勝頼、信長らに攻められ天目山で滅ぶ。6月信長、光秀の攻撃を受け本能寺に自刃。秀吉、山崎の戦いで光秀を破る。清洲会議1583(天正11)4月秀吉、賤ヶ岳の ...
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正継の子。豊臣(とよとみ)秀吉の長浜城主時代にその俊敏さを認められ、近侍として仕えた。中国征伐、山崎の戦いにも従い、さらに賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いに軍功を著し ...
14. いど-よしひろ【井戸良弘(1)】
日本人名大辞典
のち織田信長のもとで山城(京都府)槙嶋(まきしま)城主となる。天正(てんしょう)10年(1582)の山崎の戦いで豊臣秀吉をたすけなかったため,改易(かいえき)さ ...
15. おぐるす‐の‐ちょうべえ[をぐるすのチャウベヱ]【小栗栖長兵衛】
日本国語大辞典
山科の小栗栖(京都市山科区)の住民の名。天正一〇年(一五八二)の山崎の戦いで、敗走する明智光秀を竹槍で刺したとされる。 ...
16. 加藤清正画像
日本大百科全書
郡)120石を給せられ、翌年の鳥取城攻め、備中(びっちゅう)国冠山(かんむりやま)城攻め、山崎の戦いに参加。とくに1583年の賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いで活躍し ...
17. かとう-みつやす【加藤光泰】
日本人名大辞典
織豊時代の武将。天文(てんぶん)6年生まれ。斎藤竜興(たつおき)につかえ,その滅亡後は豊臣秀吉に属す。山崎の戦いに功をあげ,丹波周山城(京都府)城主,天正(てん ...
18. さいとう-としみつ【斎藤利三】
日本人名大辞典
天正(てんしょう)8年明智光秀につかえ1万石をあたえられる。10年本能寺に信長をおそうが,山崎の戦いで敗れる。近江(おうみ)(滋賀県)堅田で捕らえられ,同年6月 ...
19. さいとう-としみつ【斎藤利光】
日本人名大辞典
。永禄(えいろく)10年生まれ。斎藤利三(としみつ)の3男。父とともに明智光秀につかえる。山崎の戦いで敗れ,剃髪(ていはつ)して立本と称した。天正(てんしょう) ...
20. しほうでん-ひょうえ【四方天兵衛】
日本人名大辞典
?−1582 織豊時代の武将。明智光秀の四天王のひとり。天正(てんしょう)10年6月山崎の戦いで加藤清正(きよまさ)に討たれた。通称は但馬守(たじまのかみ)。 ...
21. 織豊政権
日本大百科全書
いては75年と80年が、さらに一つのくぎりになろう。橋本政宣豊臣政権前期本能寺の変の直後、山崎の戦いで主君の仇(あだ)明智光秀を討ち、信長の後継者としての地歩を ...
22. ちゅうごく‐おおがえし【中国大返し】
デジタル大辞泉
備中高松城で信長の死を知った秀吉は、即座に毛利氏との講和を成立させると、全軍を率いて京都へ向かい、山崎の戦いで光秀軍を撃破した。  ...
23. つつい‐じゅんけい【筒井順慶】
デジタル大辞泉
[1549〜1584]安土桃山時代の武将。大和筒井城主。山崎の戦いで、洞ヶ峠(ほらがとうげ)に陣を置き明智光秀・羽柴秀吉両軍の形勢を眺め、有利な羽柴方についたと ...
24. つつい-じゅんけい【筒井順慶】
日本人名大辞典
。久秀の没落後は織田信長にしたがい,天正(てんしょう)4年大和一国をあずけられる。10年の山崎の戦いでは羽柴(豊臣)秀吉にくみした。洞ケ峠(ほらがとうげ)での日 ...
25. 天王山
日本大百科全書
1582年(天正10)には羽柴(はしば)(豊臣(とよとみ))秀吉と明智光秀(あけちみつひで)の間で山崎の戦いが行われた。交通の要路でJR東海道本線、新幹線、阪急 ...
26. てんのう‐ざん【天王山】地図
デジタル大辞泉
京都府南部、乙訓郡大山崎町にある小丘。淀川の分岐点にあり、古来水陸交通の要地。天正10年(1582)山崎の戦いで、羽柴秀吉が明智光秀を破った。  ...
27. 豊臣秀吉画像
日本大百科全書
見届け、すさまじい強行軍で姫路城に帰着し、軍勢を整えて亡君の弔(とむらい)合戦に挑み、光秀を山崎の戦いで破った。本能寺の変後わずか11日目のことである。橋本政宣 ...
28. とよとみ‐ひでよし【豊臣秀吉】
日本国語大辞典
のち織田信長のもとで戦功をたて、重用されて、苗字を羽柴に改める。中国経略の途中、本能寺の変を聞き、山崎の戦いで明智光秀を討った。のち、徳川家康と和し、四国、九州 ...
29. 日本旅行日記 2 151ページ
東洋文庫
**正眼寺と山崎の戦い 一八六八年(慶応四年)  五月の戊辰戦争で、正眼寺は湯本山崎で官軍と  一戦して敗走した幕府軍遊撃隊によって火を放  たれ焼失した。これ ...
30. にわ‐ながひで【丹羽長秀】
デジタル大辞泉
武将。尾張の人。織田信長に仕え、近江(おうみ)の佐和山城主。本能寺の変後は豊臣秀吉を助け、山崎の戦い・賤ヶ岳の戦いに功を立て、越前北ノ庄城主となった。  ...
31. にわ‐ながひで【丹羽長秀】
日本国語大辞典
のち羽柴越前守と称す。織田信長に仕え、姉川の戦いなどで功を立て、佐和山五万石の城主となる。信長没後、山崎の戦いで明智光秀を破り、賤ケ岳の戦い以後秀吉に属した。越 ...
32. はしば-ひでかつ【羽柴秀勝(1)】
日本人名大辞典
1568−1586* 織豊時代の武将。永禄(えいろく)11年生まれ。織田信長の4男。羽柴(豊臣)秀吉の養子。山崎の戦いで秀吉とともに明智光秀をやぶる。大徳寺での ...
33. ほら‐が‐とうげ[:たうげ]【洞ケ峠】
日本国語大辞典
回て木津川を打渡り、洞峠(ホラガタウゲ)に陣を取んとす」【二】〔名〕(天正一〇年(一五八二)山崎の戦いの際、筒井順慶が、【一】に軍をとどめ天下の形勢を観望して有 ...
34. ほら‐が‐とうげ【洞ヶ峠】
デジタル大辞泉
京都府八幡市と大阪府枚方(ひらかた)市との境にある峠。標高約70メートル。天正10年(1582)の山崎の戦いで、明智光秀が軍を進め、筒井順慶(つついじゅんけい) ...
35. 山崎(京都府、大阪府)
日本大百科全書
木津(きづ)川が合流して淀(よど)川となる地で、古来軍事、交通の要地であった。とくに1582年(天正10)の山崎の戦いの地として知られる。現在もJR東海道本線、 ...
36. やまざき【山崎】
日本国語大辞典
の地名。天王山の東側のふもとにあたり、古来、京都と大阪を結ぶ交通の要地。西国街道が通じる。山崎の戦いの古戦場。宝積寺がある。 ...
37. 八幡(市)画像
日本大百科全書
3川合流点に位置する橋本は、伏見(ふしみ)と大坂を結ぶ京街道の宿場であった。南部の枚方市との境界には山崎の戦いの際、筒井順慶(つついじゅんけい)が形勢をうかがっ ...
「山崎の戦い」の情報だけではなく、「山崎の戦い」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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