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  11. 方広寺
日本歴史地名大系

方広寺
ほうこうじ

[現]引佐町奥山

奥山おくやま地内の北部中央に位置する臨済宗方広寺派の本山。深奥山と号し、本尊は釈迦三尊。境内に半僧坊はんそうぼう大権現を祀り、周辺に多くの塔頭がある。

〔中世〕

井伊氏一族の奥山朝藤(法名是栄)が後醍醐天皇の皇子である無文元選を招いて開山としたのが当寺の始まりである(無文選禅師行業・無文元選禅師行状)。開創年代については、応永二六年(一四一九)一一月一日の京都天龍寺岐陽方秀撰文の遠江州深奥山方広寺法宝輪蔵記(天龍寺文書)の「遠江方広寺至徳初無文選公居之」を根拠にした至徳元年(一三八四)説と、一超碩麟校訂の「奥山無文大師行状」による応安四年(一三七一)説がある。また同六年七月に三光国師孤峯覚明の法嗣無言叟智訥(古剣智訥)が無文元選像(方広寺蔵)に「托開千聖宅 把定仏祖関 看面目也無 背面高居方 広絶塵寰」と賛を加えているが、文中に方広とあることから、この時すでに開創されていたとする説もある。無文元選は元亨三年(一三二三)洛西梅津うめづ(現京都市右京区)で誕生、暦応三年(一三四〇)京都建仁けんにん寺で出家得度し、建仁寺住持可翁宗然に親炙した。康永二年(一三四三)に入元し、建寧府の大覚妙智寺の古梅正友に嗣法、天台山や盧山を歴訪後、観応元年(一三五〇)帰朝した。

当寺には無文の名を慕って多くの僧が集まったといわれ、嘉慶二年(一三八八)二月一五日には大聖だいしよう(現相良町)奇峰祖玄の三十三回忌、康応元年(一三八九)八月二〇日には鎌倉建長寺の大拙祖能の十三回忌の仏事が当寺で修されている(前掲禅師行状)。無文は康応二年(明徳元年、一三九〇)閏三月二二日に当寺で没した(前掲禅師行業、「不二和尚遺稿」)。前述のように応永二六年に岐陽方秀が当寺の法宝輪蔵記を作り、戦国期には万里集九が当寺の山門化縁疏および同序を作っている(梅花無尽蔵)。のち龍潭りようたん寺の開山となる黙宗瑞淵も初めは智淵の名で当寺に属していた(「開山黙宗大和尚行実」龍潭寺蔵)。永禄一一年(一五六八)一二月、徳川家康は遠江進攻の際に当寺で休息した(武徳編年集成)。天正八年(一五八〇)九月三日には家康より寺法が下され、祈願所としての勤行の励行や祠堂物の徳政免許、無縁所としての勧進許可などが規定された(「徳川家康判物」方広寺文書)。同一五年六月二六日には後陽成天皇より当寺住持は天皇の許可によって就任することと定められた(「後陽成天皇綸旨」「近衛前久書状」同文書)

〔近世以降〕

天正一八年一二月二六日、豊臣秀吉が寺領四九石余を寄進(「豊臣秀吉朱印状写」方広寺文書)、以後も寺領は徳川氏によって安堵され幕末に至った(「寛文朱印留」・旧高旧領取調帳など)。寛文元年(一六六一)から翌年にかけて、四派と称される塔頭の東隠とういん院・臥雲がうん院・三生さんじよう院・蔵龍ぞうりよう(現臨済宗方広寺派)および一部の末派によって黄檗宗の木庵を独住に迎える動きがあったが、反対派の寺社奉行所への提訴で退けられた(中井家文書)。天保元年(一八三〇)に蔵龍院に入寺した龍水は、嘉永三年(一八五〇)に新僧堂を開単、大庫裏を再建、開山四百五十年遠諱を行うなど宗風を宣揚した。さらに元治元年(一八六四)には孝明天皇から紫衣を勅許せられ、臨済宗各派のなかの位次も上位となり、龍水は中興の祖とされた。なお開山無文は天明六年(一七八六)に光格天皇から大慈普応の禅師号を諡られ、明治一七年(一八八四)に聖鑑国師、昭和一三年(一九三八)に円明大師と、それぞれの天皇から諡号を与えられた(以上、方広寺文書)。寛永一〇年(一六三三)の遠州奥山方広寺輪番所末寺帳によると末寺二二九。ほかに塔頭一五を数えた。現在の方広寺派寺院は一七〇余、浜松を中心に旧遠州一円および旧三河国の一部に分布。明治一四年の山火事によって一山が火災に遭い、翌年から山岡鉄舟らの尽力を得て順次復興した。

〔塔頭・文化財など〕

塔頭のうち、東隠院は明徳三年(一三九二)に当寺二世悦翁が、臥雲院は応永二年に三世空谷が、三生院も同年に四世在徳が、蔵龍院は同五年に五世仲翁が開創した(「方広五祖伝」方広寺蔵)。以上四ヵ寺は山号を深奥山と号し、四派としてそれぞれ末寺を擁し、中本寺として方広寺派の経営に当たった。祇樹ぎじゆ院は応永年中に仲翁が、定林じようりん寺は永享二年(一四三〇)に玄悟が、明治期に奥山地内背山うしろやまに移った浄居じようご院は文安元年(一四四四)に別伝が開創、村域東の馬門まかどにあった正法しようぼう寺は至徳三年雲庵が中興(「末寺略伝」方広寺文書)。以上四ヵ寺も現在は塔頭である。ほかに松菓廩しようかりん聯芳れんぽう軒・陽宝ようほう軒・栖雲せいうん庵・観清かんせい軒・香積こうじやく庵・大道だいどう庵があって塔頭を形成していたが、現在はいずれも廃寺。

半僧坊大権現の由緒は次のとおり。開山無文は中国からの帰途に暴風雨に遭遇、このとき偉人が現れて難を救った。のち奥山に登った際に再び出現、弟子入りを許された。その姿が半ば僧形であったため半僧坊と名付けられ、無文没後に鎮守として祀られたという。奥山大権現の木額は文化七年(一八一〇)に近衛基前が揮毫。半僧坊は火伏せ・海上安全等の霊験で名高く、とくに明治一〇年代に急速に信仰圏を拡大し、講組織が確立した。名古屋・長野・鎌倉・横浜に別院を置く。当寺境内に祀られる椎河しいが堂の祭神は椎河龍王。無文の前に女身で現れた天竜川鹿島かしま(現浜北市)の椎河淵に住む竜神を中国から招来した法華経で鎮め、蛇身悪業を脱した因縁により水神として祀られた。渇水期の雨請竜神として江戸時代前期から広く近郷の信仰を集めた(中井家文書)。明治一四年の火災を免れた七尊菩薩堂は国指定重要文化財。応永八年の建造という(方広寺文書)。絹本著色無文元選像と本尊釈迦三尊(木造釈迦如来及両脇侍像)はともに南北朝期の作で、県指定文化財。

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1. 方広寺(京都市)
日本大百科全書
京都市東山区茶屋町にある天台宗の寺。通称大仏殿、京都大仏とよばれ、山号はない。1586年(天正14)豊臣(とよとみ)秀吉の発願によって着工、1589年完成。開山 ...
2. 方広寺(静岡県)画像
日本大百科全書
静岡県浜松市北区引佐(いなさ)町奥山にある臨済(りんざい)宗方広寺派大本山。深奥山(じんのうざん)と号し、通称は奥山半僧坊(おくやまはんそうぼう)。本尊は釈迦牟 ...
3. 方広寺[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
臨済宗(りんざいしゅう)方広寺派(ほうこうじは)の大本山。奥山半僧坊(おくやまはんそうぼう)ともよばれる。たび重なる火災でおもな堂塔は焼失。写真の本堂は明治以降 ...
4. 方広寺
世界大百科事典
静岡県浜松市の旧引佐町にある臨済宗方広寺派本山。1384年(元中1・至徳1)ころ創建。開祖無文元選。秀吉および家康以来の徳川氏も保護したので寺運は盛んであった。 ...
5. 方広寺
世界大百科事典
鋳造されたが,鐘銘の〈国家安康〉の文字がきっかけとなって,大坂の陣に発展した鐘銘事件は有名。方広寺の門前,正面通南側にある耳塚は,文禄の役で殺した朝鮮人の首級の ...
6. ほうこう‐じ【方広寺】地図
デジタル大辞泉
〓静岡県浜松市北区にある臨済宗方広寺派の大本山。山号は、深奥山。奥山朝藤が寺地を寄進し、元中元年=至徳元年(1384)に創建。開山は無文元選 ...
7. ほうこう‐じ[ハウクヮウ:]【方広寺】
日本国語大辞典
〔一〕静岡県引佐(いなさ)郡引佐町奥山にある臨済宗方広寺派の大本山。山号は深奥山。元中元年(一三八四)地頭奥山朝藤の創建。開山は無文元選。後陽成天皇の勅願所。奥 ...
8. ほうこうじ【方広寺】
国史大辞典
佐町奥山にある臨済宗方広寺派の大本山。至徳元年(元中元、一三八四)ころ遠江の豪族井伊氏の分家奥山六郎次郎朝藤が建立し、無文元選(後醍醐天皇の皇子)を開山に請い深 ...
9. ほうこうじ【方広寺】静岡県:引佐郡/引佐町/奥山村
日本歴史地名大系
それぞれの天皇から諡号を与えられた(以上、方広寺文書)。寛永一〇年(一六三三)の遠州奥山方広寺輪番所末寺帳によると末寺二二九。ほかに塔頭一五を数えた。現在の方広 ...
10. ほうこうじ【方広寺】京都市:東山区/大仏廻り/茶屋町地図
日本歴史地名大系
よび林原美術館蔵の洛中洛外図によって慶長末年から元和年間(一六一五―二四)頃の秀頼が再建した方広寺大仏の有様をしのぶことができる。〔江戸時代―現代〕豊臣氏滅亡後 ...
11. ほうこうじ【方広寺】兵庫県:三田市/末吉村
日本歴史地名大系
寺領高六四石・山林三〇町を寄進し、山城宇治萬福寺を模して七堂伽藍を築き、木庵を開山として寺号を方広寺とした。重兼は端山と号して僧籍を継ぎ、天和二年(一六八二)山 ...
12. 方広寺
デジタル大辞泉プラス
静岡県浜松市にある寺院。1371年創建。臨済宗方広寺派大本山。本尊は釈迦如来。七尊菩薩堂は国の重要文化財に指定。 2015年06月 ...
13. 方廣寺(ほうこうじ)[京都]【篇】
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 578ページ ...
14. 方廣寺(ほうこうじ)[遠江]【篇】
古事類苑
宗教部 洋巻 第4巻 181ページ ...
15. 方広寺〔信濃〕
日本史年表
1597年〈慶長2 丁酉〉 7・18 豊臣秀吉,信濃 善光寺の阿弥陀如来像 を 方広寺 に遷す(言経卿記)。  ...
16. 方広寺〔遠江〕
日本史年表
1384年〈【北朝】至徳元(2・27)・【南朝】元中元(11・5以前) 甲子⑨〉 この春 無文元選,遠江 方広寺 を創建(無文禅師行状)。  ...
17. ほうこうじしょうめいじけん【方広寺鐘銘事件】
国史大辞典
豊臣秀頼による方広寺大仏殿再興に際しひき起され、大坂冬の陣の原因の一つとなった事件。豊臣秀頼は、亡父秀吉追善供養のため、慶長七年(一六〇二)、方広寺大仏殿(東 ...
18. 方広寺大仏鐘
日本史年表
1614年〈慶長19 甲寅〉 4・16 豊臣秀頼、 方広寺大仏の鐘 を鋳る(孝亮宿禰日次記)。 1614年〈慶長19 甲寅〉 7・26 徳川家康、 方広寺大仏鐘 ...
19. 方広寺大仏殿
日本史年表
5・15 豊臣秀吉, 方広寺大仏殿 の建造を開始(言経卿記)。 1593年〈文禄2 癸巳⑨〉 9・24 方広寺大仏殿 ,上棟(多聞院日記)。 1602年〈慶長7 ...
20. 方広寺大仏殿千僧供養
日本史年表
1596年〈慶長元(10・27) 丙申⑦〉 1・29 豊臣秀吉, 方広寺大仏殿で千僧供養 を営む(義演准后日記)。  ...
21. ほうこうじ‐は[ハウクヮウジ:]【方広寺派】
日本国語大辞典
〔名〕臨済宗の一派。無文元選を派祖とし、静岡県引佐(いなさ)郡引佐町奥山の方広寺を大本山とするもの。ホーコージハ ...
22. 方廣寺大佛殿鐘 (見出し語:方廣寺[京都]【篇】)
古事類苑
宗教部 洋巻 第2巻 1102ページ ...
23. 方廣寺鐘銘一件 (見出し語:方廣寺[京都]【篇】)
古事類苑
兵事部 洋巻 第1巻 829ページ ...
24. 豐臣秀吉建方廣寺 (見出し語:豐臣秀吉)
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 578ページ ...
25. あくた【芥田】
日本国語大辞典
を認められ、国中の寺社の梵鐘鋳造などを独占した。秀吉の治下では、蔵入地の代官も務めた。また、方広寺大仏殿の鐘鋳造に参加したことでも知られる。 ...
26. あくたし【芥田氏】
国史大辞典
広範囲にわたる営業独占権を獲得する。さらに芥田氏の地位を決定したのは、慶長十九年(一六一四)の方広寺大仏殿の鐘鋳造であった。芥田五郎右衛門は播磨国鋳物師棟梁とし ...
27. あけびはらむら【山女原村】滋賀県:甲賀郡/土山町
日本歴史地名大系
し、四月一五日に奉納される花笠太鼓踊は、土山の太鼓踊として県指定無形民俗文化財。向出の臨済宗方広寺派地福寺は、平安―室町時代の大般若波羅蜜多経(県指定文化財)を ...
28. あさだむら【浅田村】静岡県:浜松市/旧敷知郡・引佐郡地区
日本歴史地名大系
うち川成堤敷五石余、ほかに大宮(現浅間神社)領一〇石・太子領一五石・東漸寺領五石余・持光院(現臨済宗方広寺派慈光院)領二石。慶長一五年(一六一〇)の水野重仲知行 ...
29. あさづまみなと【朝妻湊】滋賀県:坂田郡/米原町/朝妻村
日本歴史地名大系
丹羽長秀に命じている(甫庵信長記)。文禄年間(一五九二―九六)、豊臣秀吉は尾濃より川継で朝妻まで方広寺(現京都市東山区)大仏殿山門用材を運ぶよう加藤左衛門尉(貞 ...
30. あしかが-しざん【足利紫山】
日本人名大辞典
について修行。明治24年大分の万寿寺住持となる。翌年独園の法をつぎ,臨済宗(りんざいしゅう)方広寺派管長,臨済宗初代管長をつとめた。昭和34年12月30日死去。 ...
31. あしくぼむら【芦窪村】静岡県:天竜市
日本歴史地名大系
主富部家の持山を利用し、代償に年一日同家に耕作手間を納めていた(以上、大富部家文書)。臨済宗方広寺派嶺樹庵がある。 ...
32. 安土桃山時代
世界大百科事典
。 築城をはじめとする大規模な普請・作事には,多くの職人が動員された。京都の東山に建造された方広寺大仏殿の場合,番匠(棟梁,肝煎,平大工の上・下というランクがあ ...
33. 安土桃山時代(年表)
日本大百科全書
京の寺社に指出を徴す1585(天正13)3月秀吉、諸公家、諸門跡に徳政を行う1586(天正14)4月秀吉、方広寺大仏殿の材木を諸国に課す1587(天正15)1月 ...
34. 安土桃山時代美術画像
世界大百科事典
殿(1595),園城寺金堂(1599)などがあげられる。現存しないが,1589年に建てられた方広寺大仏殿も,鎌倉時代再建の東大寺大仏殿の様式を受け継いでいた。後 ...
35. あてらむら【阿寺村】静岡県:天竜市
日本歴史地名大系
難所があったため文化六年(一八〇九)両村で神明山を通る新道を造ることに決めた(阿寺区有文書)。臨済宗方広寺派洞泉寺に近世初め頃伝えられた大般若経六〇〇巻のうちに ...
36. あらいしゅく【新居宿】静岡県:浜名郡/新居町
日本歴史地名大系
二八年「寺社取調書」新居町役場所蔵文書など)。隣海院の下寺に竜源庵があった。神宮寺(現臨済宗方広寺派)も慶長六年に伊奈忠次より二石を拝領した。鷲栖院(現曹洞宗) ...
37. あんたいじむら【安泰寺村】静岡県:浜北市
日本歴史地名大系
藤領。元禄郷帳では高五七石余。天保郷帳では八六石余。請留山を入会とする根方五ヵ村の一。臨済宗方広寺派安泰寺は仲翁建証が応永年間(一三九四―一四二八)に創建という ...
38. いいごう・いいほ・いいのしょう【井伊郷・井伊保・井伊庄】静岡県:引佐郡/引佐町
日本歴史地名大系
井伊氏の領主支配は動揺した。当地の由緒ある寺社としては、井伊谷の龍潭寺・井伊谷八幡宮(現渭伊神社)、奥山の方広寺が知られる。井伊郷の中尾寺・勝楽寺(正楽寺)では ...
39. いいだ-すけざえもん【飯田助左衛門】
日本人名大辞典
小堀遠州の釜師をつとめた。慶長19年(1614)名越三昌(さんしょう)のもとで棟梁(とうりょう)として京都方広寺の梵鐘(ぼんしょう)を鋳造。名は重次。 ...
40. いいのやむら【井伊谷村】静岡県:引佐郡/引佐町
日本歴史地名大系
寺派円通寺の本尊は宗良親王念持仏と伝える足切観音。字城山下の同派明円寺は往古は真言宗、臨済宗方広寺派に属したが、寛文二年(一六六二)から妙心寺派になったという。 ...
41. いしおかむら【石岡村】静岡県:引佐郡/細江町
日本歴史地名大系
)頃に生きながら穴に入って入寂した禅僧風外慧薫の住居跡があり、慧薫の絵画や辞世が気賀の臨済宗方広寺派東林寺に残されている。旧山瀬家のコヤ(産屋)は江戸末期のもの ...
42. いしかわ-さだまさ【石川貞政】
日本人名大辞典
)から徳川家康に属し,慶長5年の上杉攻め,関ケ原の戦いに参加。のち豊臣秀頼に近侍する。19年方広寺の鐘銘事件で片桐且元(かつもと)成敗の命をうけるが,且元に内通 ...
43. いしざき-ながひさ【石崎長久】
日本人名大辞典
文政2年生まれ。日置流(へきりゅう)竹林派の星野弥右衛門にまなぶ。天保(てんぽう)13年京都大仏殿(方広寺)の試合で日本一といわれた。明治15年新設された京都府 ...
44. いしはらむら【石原村】静岡県:浜松市/旧長上郡・豊田郡地区
日本歴史地名大系
高一六八石余、ほか四拾六所(現津毛利神社)領三石、毘沙門(現時宗毘沙門寺)領九石、新福寺(現臨済宗方広寺派)領一石。領主の変遷は西村と同じ。延宝(一六七三―八一 ...
45. いしはらむら【石原村】静岡県:浜松市/旧長上郡・豊田郡地区
日本歴史地名大系
当村出身の国学者・歌人である小栗広伴は石塚龍麿・本居大平に学び、主著に「栄樹園家集」などがある。臨済宗奥山方広寺(現引佐町)末の正光寺と薬師堂自光院(明治初年に ...
46. いしろむら【井代村】愛知県:南設楽郡/鳳来町
日本歴史地名大系
村域北端、川岸にある愛宕山の東の鞍部を星越坂といい、能登瀬村への旧道である。神竜山宝珠院は臨済宗方広寺派で、本尊は如意輪観世音菩薩。応永年間(一三九四―一四二八 ...
47. 以心崇伝
日本大百科全書
をはじめ、寺院法度(はっと)、公家(くげ)諸法度などにも関係し、大坂城攻撃の端緒となった京都方広寺大仏の鐘銘問題も崇伝の考えによるという。紫衣(しえ)事件でも厳 ...
48. いしんすうでん【以心崇伝】画像
国史大辞典
行政の事務にあたった。かの大坂冬の陣においては、翌十八年から家康の側近にあって参謀をつとめ、方広寺の鐘銘および大仏殿棟札の問題にあたっても、終始家康の真意を体し ...
49. いしん-すうでん【以心崇伝】
日本人名大辞典
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50. いたくらかつしげ【板倉勝重】画像
国史大辞典
ることに成功。また、豊臣氏や西国諸大名の動静は確実に家康に通報され、豊臣氏滅亡の原因となった方広寺鐘銘事件にも一役買ったらしい。大坂の陣では軍需品輸送の指揮に、 ...
「方広寺」の情報だけではなく、「方広寺」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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興福寺(国史大辞典)
奈良市登大路町にある法相宗大本山。南都七大寺の一つ。寺伝では「こうぶくじ」という。縁起によると、天智天皇八年(六六九)藤原鎌足の死去に際し、妻の鏡女王が鎌足の念持仏の釈迦丈六像などを祀る伽藍をその山階(山科)邸に設けたのに始まり(山階寺)、その子不比等によって藤原京の厩坂に移遷(厩坂寺)
東大寺(国史大辞典)
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法隆寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
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奈良時代に作られた轆轤びき木製三重小塔で,塔身部に〈陀羅尼経〉を納めている。相輪部と塔身部に分かれ,それぞれ一木を用いて削り出す。大きさは個体によって異なるが,標準的なもので総高21.4cm,基底部径10.5cm,塔身部のみの高さは13.4cmある。塔身部の軸部上端を筒状にえぐり
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