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  11. 長屋
日本大百科全書(ニッポニカ)

長屋
ながや

一棟の建物を数戸の家にくぎった形式で、長家とも書く。中世の町家に多くみられるが、規格化されたのは戦国時代、山城(やまじろ)の麓(ふもと)に建てられた根小屋に始まる。雑兵の休泊所で、一単位の間口九尺(約2.7メートル)、奥行二間(約3.6メートル)という最小の居住空間の連続である。また地方武士が都会へ出たとき、家臣の泊まる宿舎もこの形式で、長屋といい、江戸時代、諸藩の藩邸にもっとも多くみられる。すなわち、表門の左右から塀の内側にぐるりと建て、主屋(おもや)を取り巻くので四方長屋といった。往来に面する部分は二階建てとし、上下五室ほどあり、中級以上の武士が住む。他の側にあるのを中(なか)長屋といい、これは手狭で採光も悪く、士分以下の軽輩の住居であった。長屋住まいは、普通、共同で国者(くにもの)を雇い、炊事や風呂(ふろ)たきをさせた。藩の上屋敷にはかならずこうした長屋があり、中屋敷、下屋敷には、藩によっては設けないこともあった。
 江戸時代の町地では人口稠密(ちゅうみつ)化の結果、庶民住宅にも長屋形式の住宅が発達した。表通りのものを「表長屋」、裏通りや路地にあるものを「裏長屋」といった。しかし表通りには商店など独立家屋が多くあったので、通常、長屋といえば裏長屋のことで、裏店(うらだな)ともよんだ。表通りの木戸を入ると、狭い路地を挟んで両側に長屋が建つ。六軒長屋が多かった。一軒の規模は根小屋と同様で、九尺に二間、または九尺に二間半であった。多くは二階建てで、上下二室からなり、台所は共同井戸に近く、戸口(とぐち)の土間にあった。路地の中央に下水溝があり、どぶ板で覆われていた。井戸のほか便所も共同で、路地の突き当たりにあり、その付近に稲荷(いなり)の小祠(しょうし)もあった。路地を一筋節約し、建物を両側から使うようにしたのが「棟割長屋」である。長屋には商家はなく、職人や振り売りなど細民が多く住み、「大家(おおや)といえば親も同然、店子(たなこ)といえば子も同然」といって、宰領の大家を中心とする連帯の強い極小コミュニティを形成していた。裏長屋の家賃は文政(ぶんせい)年間(1818~1830)で月400文、天保(てんぽう)年間(1830~1844)で600文だったが、それも一度に払えず、日掛けにする者が多かった。
 なお、城塁(じょうるい)の上に長く建てられた櫓(やぐら)を多門櫓または多門長屋といい、略して単に「長屋」ともいった。
 農家にあっては、主屋に対し付属家をすべて長屋とよぶ地方もある。屋敷の入口に、門を兼ねて建てるのが長屋門または門長屋、門屋である。門の左右には、厩(うまや)、作業場、納屋を設けるが、隠居屋や若衆(わかしゅ)部屋を付属させることもある。長屋門は格式あるものとして、大地主や地侍級の家にのみ許されたものであるが、禁制が緩和するにしたがい、経済的にゆとりをもつようになった農家は、競ってこれを建てて誇りとするようになった。また、主屋に対し直角に、両側ないし片側に付属家を設け、これを横屋(よこや)ないしは長屋とよんでいる地方もある。そこには作業場や鶏舎を置くこともあるが、客室を設けることもある。この部屋は隠居や若者の居室であることもあるが、その家でもっとも重要な客座敷として使用している地方もある。今日、都市の団地にみられる「テラスハウス」も、近代的な長屋とみることができる。
[竹内芳太郎]

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1. 長屋画像
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多門櫓または多門長屋といい、略して単に「長屋」ともいった。 農家にあっては、主屋に対し付属家をすべて長屋とよぶ地方もある。屋敷の入口に、門を兼ねて建てるのが長屋 ...
2. 長屋
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あった。この長屋も御姓衆長屋,御裏衆長屋,家老長屋,足軽長屋のように身分編成で分けられていたが,その建物は藩邸を守るように外周をとりまく形で配された。この長屋の ...
3. なが‐や【長屋/長家】
デジタル大辞泉
細長い形の家。棟を長く建てた家。 2 1棟を仕切って、数戸が住めるようにつくった細長い家。棟割り長屋。 3 遊女屋の一。最下級の遊女である局(つぼね)女郎のいる ...
4. なが‐や【長屋・長家】
日本国語大辞典
玉垣〔1801〕四立「折折事に新町の、長屋をそそる流行唄(はやりうた)」*随筆・守貞漫稿〔1837〜53〕二〇「局見世の図 局長屋也。切見世とも、略て長屋とも云 ...
5. なが-や【長屋】
全文全訳古語辞典
南の半蔀ある長屋に渡り来つつ」〈源氏・夕顔〉(夕顔の女房達は)暇にまかせて、南の方の格子組みの戸がはめてある細長い家にたびたびやって来ていて。❷一棟を仕切って数 ...
6. ながや【長屋】
数え方の辞典
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7. ながや【長屋】
国史大辞典
に面して建ち、下級武士や中間などの住居として用いられた。後者の場合は表通りに面する表長屋と露地に建つ裏長屋とがあり、その多くは貸家であった。 (稲垣 栄三)  ...
8. 長屋
法律用語辞典
建築形式による住宅の分類の一つ。一棟の建物が、構造上、水平方向に連続した数個の部分に共用の界壁で区画されていて、これらの建物部分がそれぞれ独立して住居の用途に供 ...
9. 長屋(ながや)[城]
古事類苑
兵事部 洋巻 第1巻 1119ページ ...
10. ながや【長屋】[方言]
日本方言大辞典
(1)納屋。物置小屋。 岩手県気仙郡100気仙方言誌(菊地武人)1964 栃木県198栃木県方言辞典(森下喜一)1983 群馬県邑楽郡244群馬県邑楽郡誌(邑楽 ...
11. ながや【長屋】[標準語索引]
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12. ながや【長屋】[標準語索引]
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13. ちょうやむら【長屋村】石川県:石川郡/美川町
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14. ながや‐あるき【長屋歩】
日本国語大辞典
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15. 長屋勇[文献目録]
日本人物文献目録
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16. ながやいせき【長屋遺跡】福井県:坂井郡/坂井町/長屋村
日本歴史地名大系
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17. ながや‐いど[:ゐど]【長屋井戸】
日本国語大辞典
〔名〕長屋の共用の井戸。相合井戸。*雑俳・智慧くらべ〔1868〕「折を考へ・恥しう汲む長家井戸」ナ〓ヤイド ...
18. 長屋王(ながやおう)
日本大百科全書
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19. 長屋王
世界大百科事典
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20. ながや‐おう【長屋王】
デジタル大辞泉
[684〜729]奈良前期の政治家。天武天皇の孫。高市皇子の子。聖武天皇のもとで左大臣となり、藤原氏を抑えて皇親政治を推進したが、讒言(ざんげん)により、自殺に ...
21. ながや‐おう[:ワウ]【長屋王】
日本国語大辞典
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22. ながやおう【長屋王】
国史大辞典
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23. 長屋王
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729年〈天平元(8・5) 己巳〉 2・10 漆部君足 ら、長屋王が国家を傾ける謀反を抱くと密告.11日、王を窮問.12日、 王 、妻子とともに自尽(続紀)。 ...
24. 長屋王(ながやおう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 1584ページ ...
25. ながやおう【長屋王】
日本人名大辞典
684−729 飛鳥(あすか)-奈良時代,高市(たけちの)皇子の第1王子。天武天皇13年生まれ。天武天皇の孫。宮内卿(くないきょう),式部卿,大納言,右大臣,左 ...
26. ながやおう【長屋王】
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27. 長屋王[文献目録]
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28. 長屋王願経
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29. 長屋王家木簡
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30. ながやおうていたくあと【長屋王邸宅跡】
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31. ながやおうのはか・きびないしんのうのはか【長屋王墓・吉備内親王墓】奈良県:生駒郡/平群町/梨本村
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左大臣長屋王の宅を囲み、一二日、王は妻や王子らとともに自害した。「左道を学んで国家を傾ける者」との罪を糾問されたためで、長屋王の変といわれる。翌日、王夫妻の屍は ...
32. 長屋王の変
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34. ながやおうのへん【長屋王の変】
国史大辞典
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35. 長屋喜平太[文献目録]
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【書誌】:0件 【図書】:1件 【逐次刊行物】:0件 『懐旧余涙』桑原虎太郎(編刊) ...
36. ながや-きやた【長屋喜弥太】
日本人名大辞典
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平城宮出土木簡に「伊勢国安濃郡長屋郷甲可石前調銭壱貫」「神亀四年十月」とある。「外宮神領目録」には「長屋御園一斗五升 十二月進之」、「神鳳鈔」安西郡条には「長屋 ...
38. ながやごう【長屋郷】奈良県:大和国/山辺郡
日本歴史地名大系
延久二年(一〇七〇)の興福寺雑役免帳にみえる長屋中庄・長屋西庄・長屋東庄の所在が永原町西方の現天理市東井戸堂町・西井戸堂町・合場町と考えられる(天理市の→長屋庄 ...
39. 長屋紳士録
デジタル大辞泉プラス
1947年公開の日本映画。監督・脚本:小津安二郎、脚本:池田忠雄、撮影:厚田雄春。出演:飯田蝶子、青木富夫、河村黎吉、笠智衆、坂本武、吉川満子、小沢栄太郎ほか。 ...
40. ながやしんむら【長屋新村】富山県:黒部市
日本歴史地名大系
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41. ながや-じゅんじ【長屋順耳】
日本人名大辞典
1874−1951 明治-昭和時代の教育者。明治7年2月3日生まれ。四高教授,広島高師教授となり,アメリカ,イギリスに留学後,文部省視学官,督学官となった。大正 ...
42. ながや‐じょろう[:ヂョラウ]【長屋女郎】
日本国語大辞典
局女郎(つぼねじょろう)。*随筆・守貞漫稿〔1837〜53〕二〇「局を長屋其の女郎を長屋女郎と云は、一宇数戸を開き、一戸一妓を置故に長屋と云ふ也」 ...
43. ながや‐ずまい[:ずまひ]【長屋住】
日本国語大辞典
〔名〕長屋に住むこと。また、その人。ながやずみ。*俳諧・宗因七百韵〔1677〕「葛籠(つづら)一荷にこもる凉風〈宗因〉 さし出る長屋住居の暮過て〈似春〉」*浮世 ...
44. ながや‐ずみ【長屋住】
日本国語大辞典
〔名〕「ながやずまい(長屋住)」に同じ。*随筆・胆大小心録〔1808〕六九「又南ぜんじの庵をかりて移ったが、ここもいわくがあって、東洞院の月渓と同じ長屋ずみにな ...
45. ながや‐だち【長屋建】
日本国語大辞典
〔名〕「ながやづくり(長屋造)」に同じ。*空知川の岸辺〔1902〕〈国木田独歩〉二「見れば山に沿ふて長屋建(ナガヤダチ)の一棟あり」ナ ...
46. ながや-ちむね【長屋千棟】
日本人名大辞典
1890−1970 大正-昭和時代の航海士,海難審判官。明治23年1月5日生まれ。商船学校を卒業,日本郵船に入社する。運転士,船長となり昭和5年地方海員審判所審 ...
47. ながや‐づきあい[:づきあひ]【長屋付合】
日本国語大辞典
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48. ながや‐づくり【長屋造】
日本国語大辞典
〔名〕一つ屋根の家を壁でいくつかの部屋に仕切って長屋の形に造ること。また、その造ったものやその造り方。長屋建ち。*狂歌・古今夷曲集〔1666〕一「一面に咲つづき ...
49. ながや-とうべえ【長屋藤兵衛】
日本人名大辞典
1788−1842 江戸時代後期の武士。天明8年生まれ。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩士。藩の遠近方,江戸方御用所役をつとめる。天保(てんぽう)11年村田 ...
50. ながや‐なみ【長屋並】
日本国語大辞典
小兵衛)〔1851〕序幕「お長屋並(ナガヤナミ)によろしくお頼み申します」(2)長屋住まい相応のこと。長屋と同程度。ナ ...
「長屋」の情報だけではなく、「長屋」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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