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  11. 徳政令

徳政令

ジャパンナレッジで閲覧できる『徳政令』の国史大辞典のサンプルページ

徳政令
とくせいれい
すでに締結されている売買・貸借・寄進などの契約について、無条件で、もしくは条件を付して、契約関係の継続、もしくは破棄を宣言する法令。一般には契約関係の破棄宣言のみを意味すると理解されやすいが、当代のさまざまな契約形態に対応して除外規定も少なくない。また、契約の破棄を認めない趣旨のいわゆる「徳政禁制」も徳政令に含めることが多い。発令の主体は、京都ないし畿内近国にあっては室町幕府であることが多いが、近江国における守護六角氏、大和国における興福寺など地域権力によるものや、惣による徳政令の事例もみられる。いずれにせよ、経済界に動揺を与えるものであったから、平時に発令されることはなく、徳政令を要求する徳政一揆とか、戦乱時における政治的な駆引きとかが発令の契機となることが多かった。嘉吉の乱後の政治的混乱に乗じて一揆が蜂起し、その結果発令された嘉吉元年(一四四一)の徳政令が、室町幕府による徳政令の最初である。この時の法令は、はじめは徳政を認めるという簡単なものであったが、その適用をめぐって混乱が続いたので、永領地、御判・下知状を帯する地、売寄進地、祠堂銭、本銭返、年紀沽却地、質券地、借書、土倉以下の流質物について個別に規定した改正法が発令され、これが、以後の幕府徳政令の雛型となった。徳政令は契約当事者に影響を及ぼすだけでなく、土倉役を重要な財源としていた幕府にも歳入減をもたらすこととなった。その欠を補うためであろう、享徳三年(一四五四)に徳政令を発令せざるをえなくなった時は、契約額の十分の一(のちに五分の一)の分一銭を幕府に納めることを徳政令適用の条件とした。以後、若干の変遷はあるものの、分一銭の納入は幕府徳政令の基本原則となった。現在も残る分一銭収納を記録した引付は、当時の経済関係を知ることのできる重要史料である。
[参考文献]
桑山浩然校訂『室町幕府引付史料集成』(『日本史料選書』二〇・二六)、中村吉治『土一揆研究』、三浦周行「足利時代の徳政令」(『続法制史の研究』所収)、桑山浩然「室町時代の徳政―徳政令と幕府財政―」(稲垣泰彦・永原慶二編『中世の社会と経済』所収)、百瀬今朝雄「文明十二年徳政禁制に関する一考察」(『史学雑誌』六六ノ四)
(桑山 浩然)
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検索ヒット数 285
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検索コンテンツ
1. とくせい‐れい【徳政令】
デジタル大辞泉
徳政2を適用する対象や条件などを規定した法令。徳政法。  ...
2. とくせい‐れい【徳政令】
日本国語大辞典
〔名〕「とくせいほう(徳政法)」に同じ。 ...
3. とくせいれい【徳政令】
国史大辞典
享徳三年(一四五四)に徳政令を発令せざるをえなくなった時は、契約額の十分の一(のちに五分の一)の分一銭を幕府に納めることを徳政令適用の条件とした。以後、若干の変 ...
4. 徳政令
日本史年表
5・3 検非違使庁, 徳政令 を発布(香取文書)。 1441年〈嘉吉元(2・17) 辛酉⑨〉 閏9・18 幕府,延暦寺の訴えにより,10日令を改め,永領地等を対 ...
5. えいにん の 徳政令(とくせいれい)
日本国語大辞典
永仁五年(一二九七)鎌倉幕府が発布した徳政令。御家人が売却したり質に入れ流した所領を無償で取り戻すことを認め、また債権・債務についての訴訟の非受理、及び越訴制の ...
6. 永仁の徳政令
日本大百科全書
1297年(永仁5)3月鎌倉幕府が制定した御家人(ごけにん)所領取り戻しを中心とする法。御家人所領の売買、質入れを禁止し、すでに売却済み、質流れの所領については ...
7. えいにん‐の‐とくせいれい【永仁の徳政令】
デジタル大辞泉
永仁5年(1297)鎌倉幕府が出した徳政令。質入れ・売却した所領を御家人に無償返却させた。  ...
8. えいにんのとくせいれい【永仁の徳政令】
国史大辞典
骨子は(一)・(二)・(五)・(六)の四点。中でも(二)が社会的に大きな影響を与えたところから、わが国最初の徳政令として古くから注目されてきた。しかし法の内容か ...
9. 永仁の徳政令
日本史年表
幕府,御家人の質券売買地の取戻しに関する法や,利銭出挙の訴訟不受理,越訴禁止等を定める( 永仁の徳政令 )(東寺百合文書)。  ...
10. かきつのとくせいれい【嘉吉の徳政令】
国史大辞典
国が上洛を企てた。徳政令の発布を求める土一揆は、このような情勢のもとで、同年八月まず近江に始まった。一揆と守護六角氏との気脈が通じていたものか、近江では比較的早 ...
11. けんむのとくせいれい【建武の徳政令】
国史大辞典
東洋文庫所蔵の『香取田所文書』に若干字句の異なる二通りの写しがあるのが唯一の原拠で、これによれば、徳政令は諸国衙に宛てた建武元年五月三日の検非違使庁牒と徳政の規 ...
12. 分一徳政令
日本史年表
1530年〈享禄3 庚寅〉 12・19 近江の義晴方幕府, 分一徳政令 を出し,流質期限等を定める(鳩拙抄)。  ...
13. 特集 ヘリコプターマネーの正体 社会的軋轢を生む! ヘリマネは「現代の徳政令」 借金付け替えの限界が来た=平山賢一
週刊エコノミスト 2016-17
繰り返してきた。 我が国の歴史をひもとくと、債務拡大の頂点には社会不安が高まり、借金帳消しのための「徳政令」が発動されてきた。現在も行きつくところに来れば、最 ...
14. あいせん【合銭】
国史大辞典
支払う点で、当時、土倉が諸人から無利子で預かった銭と違い、徳政令の対象となりえた。文明ごろ、大興寺が洞々倉に預けた百貫文を、土倉は合銭であるから徳政令の適用を受 ...
15. 合銭
世界大百科事典
八幡土蔵合銭〉とみえる。無利子預金である〈預銭〉と異なり,合銭には利子が支払われた。このため徳政令の対象として問題となった。57年(長禄1)11月京都に土一揆が ...
16. あいづわかまつし【会津若松市】福島県
日本歴史地名大系
はゝ以上蔵百ケ書やケ申候」とあるほどで(同帳)、大町・馬場町には蔵が立並んでいた。永禄三年から一三年間に六回の徳政令を頻発しているのも(同帳)、領内に高利貸商人 ...
17. あくわむら【阿久和村】神奈川県:横浜市/瀬谷区地図
日本歴史地名大系
宝徳二年(一四五〇)九月二一日の関東公方足利成氏御教書(県史三)によれば、鶴岡八幡宮御供料所のうちで徳政令によって返付を命じられたもののなかに「阿久和郷内水田」 ...
18. あさいすけまさ【浅井亮政】
国史大辞典
朝倉・六角両氏にみられるごとき一揆との厳しい対決は伝えられていない。なお、天文七年には、江北を対象にした徳政令を出した。同十一年正月六日小谷城に没す。城下徳勝寺 ...
19. あさいながまさ【浅井長政】
国史大辞典
ことが指摘されているが、流通経済の発展した地域を地盤とする浅井氏には、天文七年・同二十二年に徳政令、永禄九年には長政の撰銭禁令がある。天文二十二年の場合は断定し ...
20. 足利永寿王丸・足利成氏
日本史年表
永寿王丸(成氏) を鎌倉公方として認める(建内記)。 1450年〈宝徳2 庚午〉 9・‐ 成氏 ,代始めの徳政令を発布(大庭文書)。 1454年〈享徳3 甲戌〉 ...
21. 足利義勝
日本大百科全書
が、この幕府内部の分裂に乗じて京都を中心とした徳政一揆(いっき)が起こり、閏(うるう)9月に徳政令を発布して危機を乗り切ろうとした。義勝は翌1442年元服して征 ...
22. あしかがよしかつ【足利義勝】
国史大辞典
成功したが、この危機に乗じて京都とその周辺地域に蜂起した土一揆の要求に押されて、閏九月ついに徳政令を発布しその弱体性を露呈した。義勝は翌二年十一月七日、元服し正 ...
23. あしかがよしまさ【足利義政】
国史大辞典
ともしがたかったのではあるが、それにしても応仁の乱の勃発とその傍観、土一揆の要求に押されての徳政令の発布、幕府財政の窮乏と民衆の窮状を無視しての奢侈生活、またそ ...
24. あしなもりうじ【蘆名盛氏】
国史大辞典
対抗という戦国奥州の最終的緊張の素地をつくった。内政面では永禄三年から天正四年にかけて六回の徳政令を発し、簗田氏を会津商人司に登用するなど、流通統制によって領内 ...
25. あじろむら【網代村】東京都:あきる野市/旧五日市町地区地図
日本歴史地名大系
条家朱印状(網代文書)に網代百姓中とあり、当時小田原北条氏の直轄領だった当地に六ヵ条からなる徳政令が発布された。内容は(一)来秋の年貢は半分は米で半分は精銭で納 ...
26. あずかり‐ぎん[あづかり:]【預銀】
日本国語大辞典
、請求され次第返済せねばならない借金を称したものと考えられる。(2)室町時代には利子を禁じた徳政令を回避する手段として、借用書を預かり状の形式に作る事が行なわれ ...
27. あずかり‐じょう[あづかりジャウ]【預状】
日本国語大辞典
文書等を他人から預かった証拠として、預かり主から預け主に出す受取状。中世後期の金銭貸借においては、徳政令の適用を避けるために、預け主(貸し手)の希望によってこの ...
28. 預状(あずかりじょう)
日本大百科全書
一種の請取(うけとり)である。なお室町時代、徳政逃れのため作成された預状は、利子付きの借書が徳政令の対象として破棄されたため、実際は利子付き貸借契約を結びながら ...
29. あずかりじょう【預状】
国史大辞典
預状は利子を記載しないから、形式的には無利子の貸借契約状である。室町幕府は享徳三年(一四五四)の徳政令では預状も徳政の対象としたが、以後は徳政の対象からはずした ...
30. あずかりじょう【預状】 : 預状/(三)
国史大辞典
預状は利子を記載しないから、形式的には無利子の貸借契約状である。室町幕府は享徳三年(一四五四)の徳政令では預状も徳政の対象としたが、以後は徳政の対象からはずした ...
31. 安土桃山時代(年表)
日本大百科全書
上京の復興を命ず1574(天正2)12月信長、分国中の道路を修築させる1575(天正3)3月信長、徳政令を発布。11月信長、廷臣を所領にあてがう1577(天正5 ...
32. あのうむら【穴太村】滋賀県:大津市/北部地域
日本歴史地名大系
通っている(日吉社室町殿御社参記)。明応二年(一四九三)一一月滋賀郡で土一揆が蜂起、日吉社に籠って徳政令の発布を要求した時には穴太からもこれに参加する者があった ...
33. あまくさぐん【天草郡】熊本県
日本歴史地名大系
占有するまでに至り、小前百姓との対立が激化する。寛政八年(一七九六)百姓相続方仕法(天草独自の徳政令)が公布され、過去五三年間に銀主の手に渡った田畑・山林などは ...
34. 安堵
世界大百科事典
となるだろう。買得安堵は御家人所領の売却質入れに際して与えられたもので,買得人はこれによって徳政令の適用を免れることができた。当該所領が当知行であること,御家人 ...
35. いいのやむら【井伊谷村】静岡県:引佐郡/引佐町
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年寄・親類衆・被官衆が主家を支えたが、当地ではなお動揺と混乱が続いた。このことは、永禄九年に今川氏が当地に徳政令を発布した際、一族の井伊主水佑が銭主と結託して私 ...
36. いしぐろのしょう【石黒庄】富山県:西礪波郡/福光町
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文は石黒上・中両郷年貢をもって返済することとなっていた。しかし同一二年に起きた土一揆によって徳政令が施行されたため債権者の勝家は同一三年債権の確認によって五分の ...
37. いしだにむら【石谷村】鹿児島県:日置郡/松元町
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38. いずさんじんじゃ【伊豆山神社】静岡県:熱海市/伊豆山村
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39. いずものくに【出雲国】島根県
日本歴史地名大系
清水寺(現安来市)など国内有力寺社の造営が相次いで進められ、またこれを実現する目的で天正七年に一国徳政令がしかれたことである(同八年六月二六日「矢田長門守・坂本 ...
40. 伊勢氏
世界大百科事典
はじめ,しばしば伊勢邸が将軍妻妾の産所となり,幼年時の養育も多く伊勢邸で行われた。室町中期以降,徳政令の頻発によって政所の権限は拡大し,分一銭納入,買得安堵,祠 ...
41. いちしぐん【一志郡】三重県
日本歴史地名大系
北畠家に従った党的武士団で、農民の惣村的結合に対処し、小倭一郷の徳政を行ったとも、あるいは幕府の徳政令を差置く権限を有したともいう。成願寺は明応三年(一四九四) ...
42. 一休和尚年譜 1 201ページ
東洋文庫
本圀寺、東寺も占拠された。洛中洛外の土倉が襲撃されて、騒然とした。九月十二日、幕府は一国平均の徳政令を出したが、翌閏九月まで土一揆と延暦寺の相反する ...
43. 一休和尚年譜 1 203ページ
東洋文庫
揆に包囲された。このころ、幕府軍は赤松軍と交戦していた。幕府は一揆の要求に応じて九月十四日に徳政令を出し、土倉は一揆側の要求通りに質物を渡して、京都とその周辺は ...
44. いっこくへいきん‐さた【一国平均沙汰】
日本国語大辞典
〔名〕室町時代、一国すべてを対象として徳政令などの特定の法令を施行すること。*内閣文庫本建武以来追加‐嘉吉元年〔1441〕九月一二日(中世法制史料集二・追加法二 ...
45. いっこくへいきん‐とくせい【一国平均徳政】
日本国語大辞典
〔名〕室町時代、幕府や守護大名がその支配する特定の一国全体を対象として徳政令を発布すること。限定された地域や全国を対象とする徳政令と区別される。 ...
46. いなさぐん【引佐郡】静岡県
日本歴史地名大系
の動揺を招く結果となった。同九年には一族の井伊主水佑が銭主と結託して今川氏の徳政令を私的に停止している。この徳政令は今川氏との度重なる交渉によって同一一年に実施 ...
47. いのいえのしょう【井家庄】石川県:河北郡
日本歴史地名大系
永正元年一〇月一六日幕府は分一銭を納入した松平親長に対し、勧修寺家領井家庄代官職秘計にかかる要脚一〇〇貫文を徳政令による棄破の対象外とすることを認め、津幡村代官 ...
48. 上杉氏
世界大百科事典
謙信期のおもなものには,1560年(永禄3)府内町に出された11ヵ条の条目,翌年魚沼郡の上田,妻有両荘に発した徳政令,64年柏崎町に出された制札などがあり,外征 ...
49. うえすぎかげかつ【上杉景勝】
国史大辞典
の旧族新発田重家の叛乱にあって危機に陥ったが、同十年、本能寺の変により窮地を脱す。十一年七月徳政令を発し、御館の乱後の安定を計る。十二年六月、羽柴秀吉から人質供 ...
50. うえすぎけじょうもく【上杉家条目】
国史大辞典
越後国内と同一には論ぜられぬとしても、謙信時代の領国統治の基本的性格がみられる。景勝時代には、同十一年の越後徳政令のほか、米沢藩主となってからの、慶長・元和年間 ...
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