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  11. 井伊谷宮
日本歴史地名大系
井伊谷宮
いいのやぐう

[現]引佐町井伊谷

神宮寺じんぐうじ川右岸に位置し、南に龍潭りようたん寺がある。祭神は後醍醐天皇皇子の宗良親王。旧官幣中社。明治元年(一八六八)明治新政府は神祇官を復活し山陵の修復などに着手した。これに対し、井伊谷を訪れた宗良親王の墓碑と親王の諡号冷湛寺殿の霊牌を守護してきた龍潭寺と、南朝方として親王に忠誠を尽した井伊氏の後裔近江彦根藩井伊直憲が、ともに親王の法施・祭典を荘厳に執行したい旨の申請を政府に起こした。同年一二月、墓域の修理・補修を手伝うことを許されて裁可された(以上、龍潭寺文書・井伊谷宮文書)。同二年二月、政府は鎌倉大塔宮御社(現鎌倉宮)と宗良親王御社の造営方針を固め、彦根藩に営繕司手伝いを命じた(「井伊家藩営中日記」鎌倉宮文書)。手伝いの名目ではあったが、工事はすべて彦根藩が執行し、総費用を受持った。同月二八日に工事着工、地元民の労役や渭伊いい神社の境内木提供などによって三月二九日には上棟に達し、短期間で竣工をみている。同五年二月一二日に鎮座祭が行われ、翌六年官幣中社に列せられた。社蔵の「国綱」銘をもつ太刀は国指定重要文化財。


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