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  11. 潜伏キリシタン
国史大辞典

潜伏キリシタン
せんぷくキリシタン
江戸幕府がキリスト教禁止令を出した慶長十八年(一六一三)から信仰を表明して復活した慶応元年(一八六五)までの約二百五十年間にわたり禁圧・迫害のため潜伏を余儀なくされたキリスト教信徒。宣教師の国外追放後も日本に残留潜伏した一部パードレ、イルマン、同宿および各地のキリシタン教界の中心的存在であった看坊の指導下にコンフラリヤと称する信心の組講組織が強化・改編されたが、宣教師・同宿・看坊は寛永十年(一六三三)代には存在しえなくなり、またキリシタンも徹底的迫害と検索のため表面上は消滅し、コンフラリヤは信仰維持のための地下潜伏組織に改変されていった。コンフラリヤは肥前浦上や外海(そとめ)の総頭(帳方)―触頭(水方)―聞役(聞方)、平戸・生月(いきつき)の爺役―ご番役―み弟子、あるいは五島のお帳役―看坊(授け役)―取引役(触役)などの役職者が御本尊(御像)の保管・授洗・教会暦の伝達などに関与して信徒たちを指導した。キリシタンは訴人奨励の嘱託銀制、五人組連坐制による相互監視と密告、絵踏・宗門人別改や寺請の検索制度に組み込まれて信仰を秘匿し、神道と仏教を隠れみのとして偽装した。このためキリスト教と神仏との習合は避けられず、次第にシンクレティズム(混成宗教)化の道をたどった。特にキリシタンの祈りであるオラショは一般社会生活への順応を強いられて大きく変容し、あるいは秘匿性のために黙誦・口誦の形式をとり訛伝のまま棒誦され伝承されてきた。潜伏キリシタンは肥前の平戸・彼杵半島・五島、天草、豊後、美濃、尾張、摂津高槻、越前、加賀に存在し、南部・仙台両藩境にもその形跡が認められる。彼らに対する摘発は明暦三年(一六五七)大村藩郡(こおり)村で見られ、いわゆる大村郡崩(くずれ)で六百余名が露顕し、豊後でも万治三年(一六六〇)から天和二年(一六八二)までに五百十七名が捕われ、また寛文初年には濃尾崩が始まったが、こうした集中的な大摘発は幕府と関係諸藩との密接な連絡計画の上になされたようである。そのような状況下に、大村領外海のキリシタン七十名は安永元年(一七七二)信仰の自由を求めて生活条件の劣悪な五島に移住し、寛政九年(一七九七)にも百八名が移住したが、これらの移住は日本思想史上特異なものと考えられている。この前後、寛政二年に浦上一番崩、文化二年(一八〇五)に天草崩、天保十三年(一八四二)に浦上二番崩、安政三年(一八五六)に浦上三番崩が起り、キリシタンに対する摘発は続いたが、慶応元年二月長崎大浦のフランス寺におけるプチジャン神父に対する浦上キリシタンの信仰告白を契機にして潜伏キリシタンは復活しカトリックへの帰正が始まった。一方で潜伏時代以来の偽装を続け混成宗教化した信仰習俗を固持している者が今なお生月・外海・五島に存在し、隠れキリシタンあるいははなれキリシタンと称されている。→隠れキリシタン(かくれキリシタン),→吉利支丹(キリシタン),→キリシタン禁制,→キリシタンの復活
[参考文献]
姉崎正治『切支丹宗門の迫害と潜伏』、片岡弥吉『かくれキリシタン』(『NHKブックス』五六)、同『日本キリシタン殉教史』、海老沢有道『キリシタンの弾圧と抵抗』
(五野井 隆史)
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1. せんぷくキリシタン【潜伏キリシタン】
国史大辞典
強いられて大きく変容し、あるいは秘匿性のために黙誦・口誦の形式をとり訛伝のまま棒誦され伝承されてきた。潜伏キリシタンは肥前の平戸・彼杵半島・五島、天草、豊後、美 ...
2. せんぷくきりしたんいぶつ【潜伏キリシタン遺物】 : 吉利支丹遺物/(五)
国史大辞典
(五)潜伏キリシタン遺物  広くいわゆるマリア観音が珍重されているが、潜伏キリシタンらが仏教徒をよそおい、清代中国で作られた白磁慈母観音に聖母子像を仮託したも ...
3. 天草崩れ
世界大百科事典
天草で起こったキリシタン検挙事件。崩れとは検挙事件をいう。1718年(享保3)ころから潜伏キリシタンが発覚,内偵が続けられていたが,1805年(文化2)本格的取 ...
4. 天草諸島
世界大百科事典
図るなど民生の回復に尽力,今では鈴木神社にまつられ島民の尊崇の的となっている。乱後のきびしい禁制の下,潜伏キリシタン信仰の灯は下島の西海岸を中心に明治まで消えな ...
5. あらかわむら【荒川村】長崎県:南松浦郡/若松町
日本歴史地名大系
とある。雄嶽日枝神社および一ノ宮神社・二ノ宮神社・金刀比羅神社が祀られる。高仏・郷ノ首は潜伏キリシタンの里で、爺役(帳役・水方・聞役)の組織があった。納戸にマリ ...
6. いきつきちょう【生月町】長崎県:北松浦郡
日本歴史地名大系
現在に至る。明治六年キリスト教禁令の掲示が廃されるに伴い、生月にも宣教師が訪れるが、近世の潜伏キリシタンの信仰はバテレンからもらった十字架や聖母マリアなどを納戸 ...
7. いちぶむら【一部村】長崎県:北松浦郡/生月町
日本歴史地名大系
られた。壱部在は大久保・森・岳崎からなり、茶屋のジサンバサンのキリシタン夫婦の殉教地など潜伏キリシタンの信仰が盛んな地であった。永く行事が継承され、グルリヨーザ ...
8. いまむら【今村】福岡県:三井郡/大刀洗町
日本歴史地名大系
み)。慶応三年(一八六七)肥前長崎の浦上キリシタン信徒四人が当村の潜伏キリシタンを訪問、同年秋に御井・御原両郡の潜伏キリシタン八六八人(うち今村五〇〇人)が発覚 ...
9. 浦上
世界大百科事典
,現在の行政地名にはない。近世のキリシタン弾圧(浦上崩れ)下にあっても信仰を棄てなかった潜伏キリシタンが,長崎では浦上地域に多かった。再三の迫害に耐えた浦上キリ ...
10. うらかみやまざとむら【浦上山里村】長崎県:長崎市
日本歴史地名大系
ている。いわゆる元和大殉教では一月一四日・一五日に庄屋屋敷・散使屋敷で絵踏が行われたが、潜伏キリシタンは信仰を持続していた。寛永元年(一六二四)にディエゴ小市、 ...
11. えのくしむら【江串村】長崎県:東彼杵郡/東彼杵町
日本歴史地名大系
ろ」の者が長崎預となったほか、一ッ石・蕪をのぞく江串村域の鉄砲足軽・百姓・浦百姓六三名が潜伏キリシタンとして検挙され、江串鉄砲の一人は吊し殺しに処された(大村見 ...
12. 大浦天主堂画像
日本大百科全書
である。大浦天主堂は、実に250年間のキリシタン弾圧に耐えてひそかに信仰を守り続けてきた潜伏キリシタンが復活した記念の地となった。1945年(昭和20)原爆のた ...
13. おおうらてんしゅどう【大浦天主堂】長崎県:長崎市/長崎町/南山手町
日本歴史地名大系
高みに建てられた目立った高い建物と記している(西遊日記)。元治二年二月一〇日杉本ゆりら浦上の潜伏キリシタンが当天主堂を訪れ、プチジャン神父にその信仰を告げた。「 ...
14. おおのきょうかい【大野教会】長崎県:西彼杵郡/外海町/神浦村
日本歴史地名大系
また肥後のキリシタン武士が信仰の継続のために当地で百姓になったという所伝もある。江戸時代以来の潜伏キリシタン二六戸は明治六年(一八七三)のキリシタン禁制の高札撤 ...
15. おじまむら【小島村】福岡県:三井郡/大刀洗町
日本歴史地名大系
)。熊野権現・天神などがある(寛延記)。慶応三年(一八六七)当村の六〇人を含む八六八人の潜伏キリシタンが発見された(邪宗門一件口書帳)。明治九年(一八七六)平田 ...
16. 隠れキリシタン
日本大百科全書
潜伏キリシタン、また「はなれ(キリシタン)」ともいう。江戸時代の初期にキリシタン宗門は幕府によって徹底的に弾圧されたので、キリシタン信徒はすべて処刑されたが、平 ...
17. 隠れキリシタン
世界大百科事典
堂で再渡来したフランス人神父プティジャンと出会い,近代カトリック教会を復活させた人々を〈潜伏キリシタン〉と呼んで区別する。現在隠れキリシタンは長崎県だけに存在し ...
18. かくれキリシタン【隠れキリシタン】
国史大辞典
音を安置する。→潜伏キリシタン(せんぷくキリシタン) [参考文献]片岡弥吉編『かくれキリシタンのオラショ』(『日本庶民生活史料集成』一八)、田北耕也『昭和時代の ...
19. かみたかはしむら【上高橋村】福岡県:三井郡/大刀洗町
日本歴史地名大系
善空が開基したという(前掲寺社開基)。慶応三年(一八六七)当村の一五七人を含む八六八人の潜伏キリシタンが発見された(邪宗門一件口書帳)。明治一七年(一八八四)の ...
20. かみのしまきょうかい【神ノ島教会】長崎県:長崎市/神ノ島
日本歴史地名大系
文書)。元治二年(一八六五)大浦天主堂でのいわゆる信徒発見に伴い、水方の政吉・兄忠吉らが潜伏キリシタンを教会に復帰させた。明治四年(一八七一)の伊万里県異宗徒事 ...
21. キリシタン
世界大百科事典
宗門改,寺請制によって締めつけを受け,大村の郡(こおり)崩れ,濃尾崩れ,浦上崩れのごとく潜伏キリシタン(隠れキリシタン)の摘発は続いた。1873年明治新政府は, ...
22. キリシタンいぶつ【吉利支丹遺物】画像
国史大辞典
関西・北九州、中でも豊後・肥前地方に多く散在している。 (五)潜伏キリシタン遺物  広くいわゆるマリア観音が珍重されているが、潜伏キリシタンらが仏教徒をよそおい ...
23. キリシタン関係主要人名
日本大百科全書
1863年(文久3)パリ外国宣教会司祭として来日。65年(慶応1)大浦天主堂で浦上(うらかみ)の潜伏キリシタンを発見した。翌年司教となり、神学校を開設し、カトリ ...
24. キリシタン禁制
日本大百科全書
キリシタン禁制の内実は世俗秩序に従順な現実の潜伏キリシタンを取り締まるというよりも、近世秩序から逸脱する異端的宗教活動を規制するという方向へ転換したといえる。潜 ...
25. キリシタン禁制
世界大百科事典
布達して信者の子孫を類族帳に登録する制度を定めた。しかしこうした厳重な改めの体制下においても,潜伏キリシタンがなお存続した。その信仰は多分に神仏や土俗信仰が混入 ...
26. キリシタン書
世界大百科事典
抄訳である。ほかに不干斎ハビアンによる《妙貞問答》がある。数種の信仰書の写本は明治期まで潜伏キリシタンの間に流布した。五野井 隆史 イエズス会 サカラメンタ提要 ...
27. キリシタンとうろう【キリシタン燈籠】
国史大辞典
つづく元和・寛永のもの数基がある。茶庭に好まれてその後諸方に作られたが、大正末年ごろからこれを潜伏キリシタンの礼拝物とする説が生じた。竿の張り出しを十字架の変形 ...
28. 吉利支丹文学集 1 157ページ
東洋文庫
田北耕也氏の業績を見落してはならない。その『昭和時代の潜伏キリシタン』(昭和二十九年)は、著者の多年にわたる実地調査による労作であるが、特に潜伏キリシタンの祈薦 ...
29. キリシタン用語集
日本大百科全書
信徒発見(しんとはっけん) 1865年(慶応1)3月17日、大浦天主堂で浦上(うらかみ)の潜伏キリシタンたちがプチジャン神父に信仰を表白した。250年にわたる江 ...
30. きりふるさとごう【桐古里郷】長崎県:南松浦郡/若松町
日本歴史地名大系
島堺目旧記)に「ふるさと・きり」とみえ、桐と古里には領主の塩竈が置かれていた。江戸時代は潜伏キリシタンが多く、元和三年(一六一七)の連判書付にみえる「ふるさと」 ...
31. くろさきむら【黒崎村】長崎県:西彼杵郡/外海町
日本歴史地名大系
に至り、同年二月にようやく弾圧は停止された。明治期にあってかれらキリシタンのうち六〇戸は潜伏キリシタン当時のしきたりを守り続け、二〇〇戸は渡来してきたカトリック ...
32. くろしまきょうかい【黒島教会】長崎県:佐世保市/黒島
日本歴史地名大系
五島に移住した潜伏キリシタンが、明治元年(一八六八)からの五島崩れとよばれるキリシタン迫害を避けるため移住してきたという。古里・日数・根谷・名切・田代・蕨の集落 ...
33. 江漢西遊日記 258ページ
東洋文庫
「生月町は現在 人口約一万一千、その九割弱が旧キリシタンであ る」(田北耕也『昭和時代の潜伏キリシタン』昭 和29年)と明言されている。島には、他の地方よ りも ...
34. 郡崩れ
世界大百科事典
1657年(明暦3)大村藩郡地方(長崎県大村市)を中心に608名の潜伏キリシタンが検挙された事件。崩れとは検挙事件をいい,郡崩れは最初のもの。長崎・大村・平戸・ ...
35. さとむら【里村】長崎県:長崎市
日本歴史地名大系
祀るよう命じたという。寛政二年の浦上一番崩れの舞台となった。この下の経の峰の墓地に高谷家一族の墓や、潜伏キリシタンの墓碑がある。坂本の外人墓地にはグラバー夫妻や ...
36. しゅくのうらむら【宿之浦村】長崎県:南松浦郡/若松町
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明治七年(一八七四)の区別町村調では同村内に宿ノ浦郷とある。大浦・中ノ浦は大村藩領黒崎村(現外海町)からの潜伏キリシタンの移住によって開かれたが、明治三年迫害を ...
37. すがのむら【菅野村】福岡県:三井郡/大刀洗町
日本歴史地名大系
居屋敷一反余。旧高旧領取調帳では高一六〇石余。慶応三年(一八六七)今村を中心に八六八人の潜伏キリシタンが発見され、うち四人が当村の者(邪宗門一件口書帳)。明治九 ...
38. 世界遺産
日本大百科全書
とその関連資産群」「『神宿る島』宗像(むなかた)・沖ノ島と関連遺産群」「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(以上、文化遺産9件)、「奄美(あまみ)大島、徳 ...
39. ぜんちょうだにきょうかい【善長谷教会】長崎県:長崎市/大籠村
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われた。明治一七年(一八八四)伊王島馬込(現伊王島町)の潜伏キリシタンが葬儀問題からカトリック教会に復帰すると、善長谷の潜伏キリシタンも蚊焼村(現三和町)の岳路 ...
40. そのきぐん【彼杵郡】長崎県:肥前国
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安政三年の三番崩れと繰返しキリシタン発覚があり、うち二度は密告によるものという。慶応元年(一八六五)浦上の潜伏キリシタンは大浦聖堂内の聖母マリア像を見て神父に信 ...
41. たかえむら【高樋村】福岡県:三井郡/大刀洗町
日本歴史地名大系
西念の開創と伝える(以上、前掲寺社開基)。慶応三年(一八六七)当村の四人を含む八六八人の潜伏キリシタンが発見された(邪宗門一件口書帳)。明治初年鷹枝大観の寺子屋 ...
42. たかぎせんえもん【高木仙右衛門】
国史大辞典
浦上キリシタンの中心人物。天正年間(一五七三―九二)に浦上に住みつき、徳川時代を通じて代々潜伏キリシタンの慈悲役を務めた高木家の末裔。文政七年(一八二四)生まれ ...
43. たかぎ-せんえもん【高木仙右衛門】
日本人名大辞典
1824−1899 江戸後期-明治時代のキリシタン。文政7年2月12日生まれ。肥前長崎の人。慶応元年浦上の潜伏キリシタン発見以来伝道士として布教につとめる。4年 ...
44. たちやごう【立谷郷】長崎県:南松浦郡/玉之浦町
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江戸時代、福江藩九代藩主五島盛運のとき大村領内から開拓百姓としてキリシタンの移住がみられ、潜伏キリシタンとして信仰を持続けたという。明治期に信教が許されると教会 ...
45. とくつぎむら【徳次村】福岡県:三井郡/大刀洗町
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筑後木蝋)。旧高旧領取調帳では高六五石余。慶応三年(一八六七)当村の九人を含む八六八人の潜伏キリシタンが発見された(邪宗門一件口書帳)。明治九年(一八七六)松木 ...
46. とめぐん【登米郡】
国史大辞典
たが新田開発も進められ、天保五年(一八三四)二万四百九十三石二斗六升の新田高。東和町は「潜伏キリシタン」で有名。後藤寿庵の墓と伝える遺跡のほか、百二十数名が処刑 ...
47. ともみつむら【友光村】福岡県:三井郡/大刀洗町
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五代釈宝海のとき鳥飼村に移されたという(県寺院沿革史)。慶応三年(一八六七)当村の八人を含む八六八人の潜伏キリシタンが発見された(邪宗門一件口書帳)。明治九年( ...
48. どいのうらむら【土井之浦村】長崎県:南松浦郡/若松町
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領人別(五島キリシタン史)では、大村領神ノ浦(現外海町)より土井浦に一軒居付と記される。潜伏キリシタンが迫害を避けて当地を隠れ場にしたといわれ、なかでも白崎のキ ...
49. どうざききょうかい【堂崎教会】長崎県:福江市/奥浦村
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長崎市)でのいわゆる信徒発見のあと、堂崎のドミンゴらが大浦に赴いて宣教師を確認し、堂崎の潜伏キリシタンを教会に復帰させた。しかし明治元年(一八六八)久賀島に始ま ...
50. ながよむら【長与村】長崎県:西彼杵郡/長与町
日本歴史地名大系
名は太右衛門、南蛮名はドミンゴス)と同宿の二名が大村藩預となっており(大村見聞集)、なお潜伏キリシタンが信仰を保っていたことが知られる。慶長頃から塩浜が開かれ、 ...
「潜伏キリシタン」の情報だけではなく、「潜伏キリシタン」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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シャビエル(フランシスコ・ザビエル)(国史大辞典)
一五〇六-五二。スペイン人イエズス会士。キリスト教(ローマ=カトリック)を日本に最初に伝えた。古記録には「しびえる」(寛永ころの日繰、祝日表)、「ジャヒエル」(『契利斯督(キリスト)記』)、「サベイリウス」(『西洋紀聞』)と表記され、現在もザビエル、ザベリオ
イエズス会(改訂新版・世界大百科事典)
カトリック教会内の司祭修道会の一つ。16世紀イグナティウス・デ・ロヨラによって創立された。耶蘇会とも書かれ,同会士はジェスイットJesuitとも呼ばれる。イグナティウスはマンレサの神体験後,パリ大学で出会った6人の同志P.ファーブル,ザビエル,D.ライネス,N.ボバディリャ
バテレン 【伴天連・破天連・頗姪連】(日本国語大辞典)
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[現]大島村沖之島 沖ノ島の南部に宗像大社三宮のうち沖津宮がある。沖津宮背後の谷部に山頂などから崩落してきた巨岩が多数あり、そこを中心に祭祀遺跡が形成されている。四世紀後半から九世紀代までの約四〇〇年にわたり国家的な祭祀が行われた。
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[現]津屋崎町勝浦・奴山 津屋崎町のほぼ中央部に位置し、標高一〇―三〇メートル、長さ一キロの細長い台地上に分布する古墳時代中期―終末期の古墳群。昭和五一年に一―四号墳、同五五年に五―六号墳の発掘調査が実施され、同六〇年から四ヵ年で前方後円墳五・方墳一・円墳四四が確認された。
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記紀神話で、天照大神と素戔嗚尊との誓約の条に出現した3女神。湍津姫は中津宮(福岡県宗像市神湊の沖約7キロメートルの大島)、市杵嶋姫(狭依姫)は辺津宮(宗像市田島)に、田心姫(多紀理毘売、奥津島姫)は沖津宮(大島の沖約48キロメートルの沖島)にそれぞれ鎮座する。
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記紀神話で、天照大神と素戔嗚尊との誓約の条に出現した3女神。湍津姫は中津宮(福岡県宗像市神湊の沖約7キロメートルの大島)、市杵嶋姫(狭依姫)は辺津宮(宗像市田島)に、田心姫(多紀理毘売、奥津島姫)は沖津宮(大島の沖約48キロメートルの沖島)にそれぞれ鎮座する。
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