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沖ノ島祭祀遺跡

ジャパンナレッジで閲覧できる『沖ノ島祭祀遺跡』の日本歴史地名大系・日本大百科全書のサンプルページ

日本歴史地名大系
沖ノ島祭祀遺跡
おきのしまさいしいせき

[現]大島村沖之島

沖ノ島の南部に宗像大社三宮のうち沖津おきつ宮がある。沖津宮背後の谷部に山頂などから崩落してきた巨岩が多数あり、そこを中心に祭祀遺跡が形成されている。四世紀後半から九世紀代までの約四〇〇年にわたり国家的な祭祀が行われた。「日本書紀」神代上に「此の三の女神は(中略)筑紫の胸肩君等が祭る神」とあるように宗像氏の祭神で、「道の中に降り居して、天孫を助けて」「今、海の北の道の中に存す。号けて道主貴と曰す」と記される海上交通の守護神である。

祭祀遺跡は二三地点あり、遺物の豊富さと国際性の豊かさから「海の正倉院」ともよばれる。遺跡の発掘調査は昭和二九年(一九五四)から同四六年まで三次、合計一〇回にわたって実施された。遺跡は祭祀形態から四段階に区分できる。第一段階は岩上祭祀で、巨岩上に土砂や石あるいは刀剣で祭壇を設け、銅鏡・碧玉製腕飾・滑石製祭具・武器・工具などを置く。正三位社前しようさんみしやまえ遺跡では鉄〓九枚を埋納した土坑も発見された。この段階では土器を用いないのが特徴である。遺物相は古墳時代中期の古墳副葬品と共通するが、質・量ともに地方豪族の内容を凌駕していて国家主導の祭祀であろう。四世紀後半から五世紀中頃に比定できることから、大和政権が半島出兵に際して戦勝と航海安全を祈願したものと解される。第二段階は岩陰祭祀で、岩陰の平坦地に直接奉納品を並べたり、礫砂による祭壇を設ける。奉献する範囲は庇の雨落線より外側には出ない。遺物は銅鏡・装身具・武具・馬具・土器・金銅製雛形祭器・滑石製祭具、古新羅系の遺物(金製指輪・金銅製馬具・鋳造鉄斧)、ササン朝ペルシア系の切子グラス碗があり、五世紀後半から六世紀代に位置付けられ一部は七世紀代にまで及んでいる。韓半島の新羅古墳の遺物が含まれることから、この段階が対朝鮮半島交渉とかかわる祭祀であることを示す。この段階が最も沖ノ島祭祀の活発な時期である。

第三段階は半岩陰・半露天祭祀で、岩陰だけでなく雨落線より外側にまで奉納品を並べる。遺物は祭祀土器・装身具・武具・工具・金銅製雛形祭具(人形・矛・斧・鏡・琴・鐸・紡織具・櫛・容器)・滑石製祭具・金銅製竜頭(東魏時代)・唐三彩など、七世紀から八世紀初頭のものである。全体的に祭祀専用品に比重が傾き、葬と祭が分化する様子がうかがえる。紡織具や容器、人形などの金銅製雛型祭祀品は伊勢神宮の神宝と共通する先行形態であるところから、律令的な祭祀の原型といえる。舶載品は遣唐使などの対中国交渉を反映して古新羅系から中国系へと交替する。第四段階は露天祭祀で、巨岩を離れた完全な露天場所の緩斜面に外郭を石垣状に囲んだ壇を設けて祭壇を形成する。一号遺跡は約一〇メートル四方の最大の壇状遺構を設ける。遺物は八稜鏡・銅鈴・武器・工具・容器(奈良三彩小壺・銅碗・銅皿・須恵器・土師器)・金銅製雛形祭具(儀鏡・紡織具・鐸)・滑石製形代・皇朝銭(富寿神宝、八一八年初鋳)などで、八世紀から九世紀に比定できる。滑石製形代の出土量が多くなることや日本色が強くなることから律令制祭祀の確立期であることを示す。このように沖ノ島祭祀の変遷は当初の巨岩信仰から離れ、祭祀の場が巨岩とはまったく別に形成されていく過程を示している。また第一・第二段階の遺物は古墳副葬品と共通し、まだ祖先を神として崇拝する祭祀と同じ葬祭未分化の状態であるが、第三段階以降は古墳副葬遺物と同じものから祭祀専用の奉納品へと重点が移り、神自体への信仰である古代律令的祭祀への推移が顕著に見てとれる。沖ノ島祭祀は宗像氏の私的祭祀に加えて幾内政権の国家的祭祀がかぶさるという二重の構造である点が特徴で、その時々の国際的な交渉・緊張関係と国内の祭祀形態の変遷をもうかがうことのできる第一級の遺跡として位置付けられ、一二万点に及ぶ筑前国宗像神社沖津宮祭祀遺跡出土品は国宝、国の重要文化財に指定されている。



日本大百科全書(ニッポニカ)

沖ノ島祭祀遺跡
おきのしまさいしいせき

福岡県宗像 (むなかた)市に所属する沖ノ島(沖島)にある遺跡。沖ノ島は、九州北部の沿岸地域から60キロメートル沖合いにある周囲約4キロメートルの無人島で、宗像大社沖津宮 (おきつみや)を祀 (まつ)っている。縄文・弥生 (やよい)の生活遺跡と、古墳時代、奈良~平安時代の祭祀遺跡があり、とくに祭祀遺跡は、島の中腹部にある沖津宮社殿の背後の巨岩群の岩上や岩陰にあり、原始宗教と律令 (りつりょう)祭祀の両形態の祭祀がうかがわれ、日本の神道考古学の代表的な遺跡である。Ⅰ~Ⅳの4段階の祭祀形態があり、岩上祭祀、岩陰祭祀、岩陰・露天祭祀、露天祭祀という変遷をたどる。奉献遺物も初期の祭祀では鏡、勾玉 (まがたま)、鉄製武器など古墳遺物と同じものを奉献しているが、奈良時代の祭祀では金銅製のミニチュアの容器や紡織具など律令的な奉献品が主体となる。この沖ノ島の祭祀遺物で特徴的なものは朝鮮製の金銅製馬具類や、中国製の唐三彩、ササン朝ペルシアの切子 (きりこ)ガラス碗 (わん)など舶載遺物があることで、国家的な祭祀が行われたと考えられている。出土品は約10万点余あり、すべて国宝に指定され、宗像大社神宝館(宗像市)に展示され、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)でも遺跡・遺物の一部がレプリカ(複製品)展示されている。

[弓場紀知]

 2017年(平成29)には、沖ノ島全体が「『神宿る島』―宗像・沖ノ島と関連遺産群」の構成資産の一つとして、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産の文化遺産(世界文化遺産)に登録されている。

[編集部]2017年7月19日

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