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  11. 井伊直政

井伊直政

ジャパンナレッジで閲覧できる『井伊直政』の改訂新版・世界大百科事典のサンプルページ

井伊直政
いいなおまさ
1561-1602(永禄4-慶長7)

徳川家康の重臣。幼名万千代。兵部少輔。遠江の名族井伊氏の嫡子として井伊谷(いいのや)に生まれる。父直親の不慮の死のあと流浪し,1575年(天正3)15歳のとき浜松城下で家康の目に留まり取り立てられた。82年弱冠22歳で旗本一手役(ひとてやく)の長となった。この部署には三河譜代の本多忠勝,榊原康政がおり,後世,直政を加えて三傑と称せられた。直政の軍団は浜松に常駐し,その構成は武田旧臣を中軸とし,隊長格に家康の直臣が配属され,軍団の兵器は赤色で統一される赤備(あかぞなえ)であった。この異色の軍団は小牧・長久手の戦などではつねに第一線で活躍した。直政は軍事面だけではなく,諸大名との折衝にも手腕を発揮し家康家臣団の第一人者となり,関東入部時,上野国箕輪城で最高の12万石を与えられた。関ヶ原の戦では本多忠勝とともに監軍で諸大名を指示した。戦後,近江佐和山城に転封,18万石を領した。
[煎本 増夫]

[索引語]
赤備
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検索コンテンツ
1. 井伊直政
日本大百科全書
徳川氏の五か国領有期から江戸初期の家康の重臣。遠江(とおとうみ)国(静岡県)井伊谷(いいのや)に生まれ、幼名は万千代。井伊氏は代々西遠江の名族で、父直親(なおち ...
2. 井伊直政
世界大百科事典
1561-1602(永禄4-慶長7) 徳川家康の重臣。幼名万千代。兵部少輔。遠江の名族井伊氏の嫡子として井伊谷(いいのや)に生まれる。父直親の不慮の死のあと流浪 ...
3. いい‐なおまさ【井伊直政】
デジタル大辞泉
[1561〜1602]安土桃山時代の武将。徳川家康に仕えた。長久手・小田原合戦に勇名をはせ、関ヶ原の戦いにも功を立てた。  ...
4. いい‐なおまさ【井伊直政】
日本国語大辞典
安土桃山時代の武将。はじめ今川氏、のち徳川家康に仕える。徳川四天王の一人。関ケ原の戦いの功により近江佐和山一八万石を領した。永祿四〜慶長七年(一五六一〜一六〇二 ...
5. いいなおまさ【井伊直政】
国史大辞典
一五六一―一六〇二 安土桃山時代の人、徳川家康の武将。幼名万千代、天正十年(一五八二)七月ごろから兵部少輔と称した。永禄四年(一五六一)二月十九日、遠江国引佐 ...
6. いい-なおまさ【井伊直政】
日本人名大辞典
1561−1602 織豊-江戸時代前期の武将,大名。永禄(えいろく)4年2月19日生まれ。井伊直親(なおちか)の子。天正(てんしょう)3年徳川家康の小姓となり, ...
7. 井伊直政[文献目録]
日本人物文献目録
『仮名挿入皇朝名臣伝 4』中沢寛一郎『井伊直政・直孝』中村不能斎(編), 中村元麿(校)『江戸幕府その実力者たち 』北島正元『伊勢神宮千日参と井伊直政』中川泉三 ...
8. 井伊直政印[図版]
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc.  ...
9. 井伊直政花押[図版]
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc.  ...
10. あかぎむら【赤木村】長野県:松本市/寿地区
日本歴史地名大系
にあり「平坦の地で本城の平六十間四方、四周に遺濠あり、天正の初年古川伝八郎之を守る。同十三年井伊直政塩尻峠に来り小笠原貞慶の動静をうかがいし時、貞慶出でてこの地 ...
11. あかぐそく【赤具足】
国史大辞典
つけたことを示し、群馬県の貫前神社には赤具足の遺品を伝えている。甲斐の山県昌景の赤備にならって井伊直政の軍隊が一様に用いたという赤具足も著名であり、遺品は多く井 ...
12. あかさかまち【赤坂町】群馬県:高崎市/高崎城下
日本歴史地名大系
赤坂の名称は古く、和田氏が当地に城を築く以前より高崎城下を取巻く広い地域を赤坂庄と称したという(高崎志)。井伊直政が町割をした時代には家中屋敷であったと思われ、 ...
13. あかさかむら【赤坂村】群馬県:高崎市
日本歴史地名大系
れており、年未詳一一月一五日付和田信業条書(石原家文書)などにみえる。慶長三年(一五九八)、井伊直政が和田に移り高崎城を築いて町割をした際、赤坂(和田宿)といわ ...
14. あかぞなえ【赤備】
国史大辞典
に従うべきであり、小幡党の赤具足は群馬県貫前神社に伝存する。『甲陽軍鑑』によれば、徳川家康が井伊直政に命じて武田配下の赤備を模倣させ、この意を体して直政は、小牧 ...
15. あか‐ぞなえ【赤備え】
デジタル大辞泉
すべての将兵の武具を赤色にした軍勢。徳川の臣で関ヶ原の戦いで武功をたてた井伊直政の手勢など。  ...
16. あか‐ぞなえ[:ぞなへ]【赤備】
日本国語大辞典
。また、武士も足軽も一様に赤い具足を着用した部隊。武田信玄の家臣の飯富兵部、徳川家康の家臣の井伊直政の軍が名高い。*甲陽軍鑑〔17C初〕品五九「此比は上野先方小 ...
17. あきもとながとも【秋元長朝】
国史大辞典
越中守と称す。父とともに上杉憲盛に属したが、小田原征討の時、浅野長政らに従い、徳川家康の入国後井伊直政の斡旋で徳川氏に仕え、上野国碓氷郡中野谷五百石を賜わった。 ...
18. あらまち【新町】群馬県:高崎市/高崎城下
日本歴史地名大系
至徳年中(一三八四―八七)岩鼻に創建、永禄元年(一五五八)西明屋(現群馬郡箕郷町)へ移転し、井伊直政が箕輪(現同上)から移る際現在地へ寺地を与えられ、慶長三年移 ...
19. 安中[市]
世界大百科事典
1559年(永禄2)安中忠政が野尻(のじり)と呼ばれたこの地に城を構え,安中と改めた。1615年(元和1)井伊直政の長子直勝が3万石の城主として入封,城下町を形 ...
20. あんなか【安中】
国史大辞典
碓氷郡松井田・榎下(えげ)城を経て、永禄二年(一五五九)忠政の時、築城して安中と改名したという。藩主は井伊直政の長子直勝が元和元年(一六一五)入封して以来、水野 ...
21. あんなか【安中】群馬県:安中市
日本歴史地名大系
ることもあったと考えられる。同一八年の徳川家康関東入国に際し、当地は箕輪城(現群馬郡箕郷町)井伊直政の所領になったと考えられ、のち安中城を中心とした安中城下が築 ...
22. あんなかし【安中市】群馬県
日本歴史地名大系
長野氏一族は自刃し、安中氏一族も長篠の戦で全滅した。〔近世〕天正一八年(一五九〇)徳川家康の関東入国に際し井伊直政が箕輪に入城、安中・大谷・岩井・板鼻・原市・後 ...
23. あんなかじょうあと【安中城跡】群馬県:安中市/安中城下
日本歴史地名大系
は与力一二騎・足軽五五人で、七騎に加えられていた(安中記)。〔近世〕天正一八年箕輪城に入った井伊直政の治下に置かれた(「当代記」など)。慶長一九年(一六一四)多 ...
24. あんなかじょうか【安中城下】群馬県:安中市
日本歴史地名大系
永禄二年(一五五九)安中越前守忠政(正)が当地に城を築き、城下町の成立もこのときという。慶長一九年(一六一四)井伊直政の長男直勝(直継)が江州佐和山(現滋賀県彦 ...
25. 安中藩
日本大百科全書
1590年(天正18)徳川家康の関東入国のとき、箕輪(みのわ)城(群馬県高崎市)12万石に封ぜられた井伊直政(いいなおまさ)の所領となった。その後、直政が近江( ...
26. あんなかはん【安中藩】
国史大辞典
したと伝え、武田・北条氏らが争奪した。天正十八年(一五九〇)上野国箕輪城十二万石に封ぜられた井伊直政の領下で、直政が高崎城を経て近江国佐和山へ移ってからもその分 ...
27. あんらくじ【安楽寺】岐阜県:大垣市/旧多藝郡・不破郡地区/赤坂村
日本歴史地名大系
訪れ、俗に岡山御所と称したともいう。慶長五年(一六〇〇)のものと推測される九月六日の本多忠勝・井伊直政連署状(安楽寺文書)に「赤坂岡山之安楽寺」とみえ、付近には ...
28. いい【井伊】
デジタル大辞泉
姓氏の一。 「井伊」姓の人物 井伊直弼(いいなおすけ) 井伊直孝(いいなおたか) 井伊直政(いいなおまさ)  ...
29. 井伊氏
世界大百科事典
直勝系井伊氏は三河西尾,遠江掛川に転じ,最後は越後与板2万石となった。維新後は子爵。煎本 増夫 井伊直政 井伊直勝 井伊直孝 ...
30. いいじんじゃ【井伊神社】新潟県:三島郡/与板町/与板村
日本歴史地名大系
[現]与板町与板 長丁 市街地の西寄り、杉の社叢に囲まれた通称裏山の中腹にある。祭神は宇気持命と与板藩祖井伊直政。当初稲荷社として勧請され、井伊家邸内の屋敷神と ...
31. いい-なおかつ【井伊直勝】
日本人名大辞典
1590−1662 江戸時代前期の大名。天正(てんしょう)18年生まれ。井伊直政の長男。父の跡をつぎ,慶長7年近江(おうみ)(滋賀県)佐和山城主。8年彦根山に築 ...
32. いい-なおたか【井伊直孝】
日本人名大辞典
1590−1659 江戸時代前期の大名。天正(てんしょう)18年2月11日生まれ。井伊直政の次男。徳川秀忠につかえ,上野(こうずけ)(群馬県)白井に1万石をあた ...
33. 井伊直孝[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:1件 【逐次刊行物】:1件 『井伊直政・直孝』中村不能斎(編), 中村元麿(校)『井伊直孝と木村重成』渡辺世祐 ...
34. いい-なおちか【井伊直親】
日本人名大辞典
1536−1563* 戦国時代の武将。天文(てんぶん)5年生まれ。井伊直満の子。井伊直政の父。今川氏につかえ,桶狭間(おけはざま)の戦いで戦死した従兄(いとこ) ...
35. いいのやじょうあと【井伊谷城跡】静岡県:引佐郡/引佐町/井伊谷村
日本歴史地名大系
迎え入れたと伝える。戦国期には三曲輪からなる麓の居館に対し、山頂は詰の城としての性格をもつようになったという。井伊直政が徳川家康の関東移封に従って当地を離れて以 ...
36. いしだ-まさずみ【石田正澄】
日本人名大辞典
つとめる。慶長5年関ケ原の戦いに際し,父正継と一族の居城近江(おうみ)(滋賀県)佐和山城をまもる。井伊直政(なおまさ)らに攻められ,同年9月18日自刃(じじん) ...
37. いしだ-みつなりの-つま【石田三成妻】
日本人名大辞典
織豊時代の女性。宇多頼忠(よりただ)の娘。三成から「うた」とよばれた。慶長5年関ケ原の戦いで井伊直政にせめられ三成の近江(滋賀県)佐和山城が落城,9月18日自害 ...
38. いしはら-しゅぜん【石原主膳】
日本人名大辞典
さかげ)の鉄砲衆。天正(てんしょう)10年(1582)武田氏滅亡後,徳川家康に旧領を復され,井伊直政に属して軍功をたてた。 ...
39. いたはな【板鼻】
国史大辞典
戦国時代、箕輪城主長野氏の支城があり、永禄六年(一五六三)武田信玄に攻略された。近世初頭、箕輪城主井伊直政の領下、ついで里見忠重が陣屋をおき、寛永二年(一六二五 ...
40. 稲富流
日本大百科全書
が、主家の滅亡後、豊臣(とよとみ)秀吉のお声がかりで細川忠興(ただおき)に仕え、老職に進み、井伊直政(なおまさ)、浅野幸長(よしなが)、京極高知(きょうごくたか ...
41. いなどめいちむ【稲富一夢】
国史大辞典
河喜多の両人は殉じたが祐直は遁走したため、忠興は祐直を悪み、殺そうと索めた。祐直は砲術の弟子井伊直政に庇護を求めてその居城に匿れ、また浅野幸長を頼って助命を乞う ...
42. いなどめりゅう【稲富流】
国史大辞典
また他の新流派に対し大きな影響を与えている。また一夢が名古屋の松平忠吉の招きに応じて、自分を庇護してくれた井伊直政のもとを離れたことについて、とかく議論が家臣の ...
43. いぬかみぐん【犬上郡】
国史大辞典
のあと天正十八年(一五九〇)から石田三成が城主となり、慶長五年(一六〇〇)の関ケ原の戦のあと井伊直政が三成の旧領に封ぜられた(当初十八万石、のち三十万石)。やが ...
44. いぬかみぐん【犬上郡】滋賀県
日本歴史地名大系
天正一八年(一五九〇)石田三成が城主となった。慶長五年(一六〇〇)の関ヶ原の戦のあと、石田三成の旧領には井伊直政が封ぜられた(一八万石、のち三〇万石)。やがて彦 ...
45. いのこ-さいぞう【猪子才蔵】
日本人名大辞典
負ったが三科(みしな)伝右衛門らにたすけられ生還する。武田氏滅亡後は,伝右衛門とともに徳川家康に属し井伊直政につかえた。 ...
46. うしきむら【牛牧村】岐阜県:本巣郡/穂積町
日本歴史地名大系
日の三善康基売券(金沢文庫文書)に「康基か知行分美濃牛牧庄」がみえる。慶長五年(一六〇〇)の井伊直政等連署書状(加藤文書)によれば関ヶ原合戦の際に稲葉通重が当村 ...
47. うすいのせき【碓氷関】
国史大辞典
正応二年(一二八九)鎌倉幕府執権北条貞時、関長原に関所を置いたことあり。天正十八年(一五九〇)上野箕輪城主井伊直政、徳川家康の命で、碓氷峠に関所を置き、元和九年 ...
48. うちのむら【内野村】静岡県:浜北市
日本歴史地名大系
代官に渡し付すよう命じている(「管領畠山満家奉書」同文書)。天正一〇年(一五八二)四月中旬の井伊直政所領注文(蜂前神社文書)に、所領境として「東ハ瀬戸村笠松・平 ...
49. うらどじょうあと【浦戸城跡】高知県:高知市/浦戸村
日本歴史地名大系
しかし長宗我部氏の遺臣竹内惣右衛門をはじめとする一領具足たちは土佐分国を要求して抵抗した。徳川家康配下の井伊直政の家臣鈴木平兵衛らは浦戸城受取りに出向いたが、立 ...
50. 近江国
世界大百科事典
膳所ヶ崎(ぜぜがさき)に移し,大津・坂本・瀬田地方のおさえとして戸田一西(3万石)を入れた。湖北では井伊直政をして慶長・元和年間にかけ彦根城を築かせて18万石を ...
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