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  11. 今川氏真

今川氏真

ジャパンナレッジで閲覧できる『今川氏真』の国史大辞典・日本人名大辞典・日本大百科全書のサンプルページ

国史大辞典
今川氏真
いまがわうじざね
一五三八 - 一六一四
戦国時代の武将。上総介。天文七年(一五三八)義元の子として生まれる。母は武田信虎の女。永禄元年(一五五八)すでに駿河にその発給文書がみられ、国務の一部を委ねられていたが、同三年父義元の討死により家督を相続した。しかし氏真にとって、桶狭間の敗戦の打撃は大きく、退勢をたてなおすことはできず、わずか七年足らずで領国駿・遠・三を奪われ今川氏は滅亡するに至った。まず同五年正月、三河の松平元康(徳川家康)が織田信長と結んで独立を計ると、氏真はこれを攻めたが振るわず、同九年ごろまでに三河は松平氏の手中に帰した。その上、このころ老臣三浦義鎮が国政の実権をにぎり、瀬名・朝比奈・葛山氏ら他の重臣が反発して家中の統制が乱れた。これをみた甲斐の武田信玄は、同十年氏真の妹(信玄の長子義信夫人)を駿府に送り返し、父義元の時に結んだ同盟を破棄した。氏真は北条氏康とともに、報復手段として伊豆・駿河・遠江より甲斐に対する塩留を行なったが、翌十一年信玄は徳川家康と結び、今川家中の反三浦派諸氏を誘って駿河に侵入し、たちまち府中城を攻略し、氏真は逃れて掛川城に移った。一方家康は遠江に侵入して浜松城をおとし、同十二年正月掛川城を包囲したが、信玄と和せずかえって氏真の援軍として来援した北条氏と結び、北条氏との間に同年三月、遠江の家康への割譲、駿河の氏真への安堵、氏真の掛川城退去を約した。五月十七日氏真は掛川城を退去し、駿府城の修復完成まで伊豆戸倉城に在城することになった。しかし、同年十一月駿府城は、信玄の三回目の進攻によってその手中に帰し、氏真は北条氏の保護下におかれ、駿河の名目的支配権も北条氏政の子国王丸(のちの氏直)を養子とすることにより、氏政に奪われてしまった。やがて元亀二年(一五七一)北条氏がその同盟関係を上杉氏から武田氏にかえるや、北条氏のもとより放逐され、同年十二月十七日浜松の家康のもとに身を寄せた。その後、氏真の行方は不明となるが、家康のもとをはなれ薙髪し宗〓と号し、上京して公家などと交わり、歌会・蹴鞠などに日々を過ごし、天正三年(一五七五)には織田信長にひろわれ、伽衆的存在となったと伝えるが真偽のほどは疑わしい。その後、家康により三河の牧野城主に封ぜられているが、同五年三月には、これを没収された。その際氏真は、本意の時が来たならば再び奉公すべしという離散の証文を家臣に与えている。その願いもむなしく、家康のもとに寄寓をつづけ、武蔵の品川に屋敷をあてがわれ、七十七歳の長寿を全うし、慶長十九年(一六一四)十二月二十八日没した。法名仙岩院殿豊山泰栄大居士。東海一の名門の家に生まれながら家を滅亡させた暗愚な君主として、いろいろの挿話が伝えられるが、連歌・和歌に秀で、特に蹴鞠は名人の域に達していたと伝える。氏真の死後、孫の範英(直房)が跡目をつぎ、また子の高久は品川氏を称し、それぞれ高家となった。
[参考文献]
『大日本史料』一二ノ一七 慶長十九年十二月二十八日条、『静岡県史料』、『沼津市誌』上
(勝俣 鎮夫)


日本人名大辞典
今川氏真
いまがわ-うじざね
1538−1615*
戦国時代の武将。
天文(てんぶん)7年生まれ。永禄(えいろく)3年父今川義元の敗死で家督をつぐ。7年ほどで領国の駿河(するが)・遠江(とおとうみ)(静岡県),三河(愛知県)を徳川家康,武田信玄にうばわれる。のち家康の援助をうけて生涯をすごす。和歌,蹴鞠(けまり)をよくした。慶長19年12月28日死去。77歳。子孫は高家(こうけ)として幕府につかえた。
【格言など】中々に世をも人をも恨むまじ時にあはぬを身の科にして(辞世)


日本大百科全書(ニッポニカ)
今川氏真
いまがわうじざね
[1538―1614]

戦国大名。今川義元(よしもと)と、武田信虎(のぶとら)の女(むすめ)との間に生まれた。幼名五郎。上総介(かずさのすけ)。1560年(永禄3)、桶狭間(おけはざま)における父義元の敗死後、家督を継承し領国経営を行った。しかしその後、短期間のうちに領国駿河(するが)、遠江(とおとうみ)、三河は武田、徳川、北条氏によって奪われることとなり、氏真は北条、徳川氏のもとに寄寓(きぐう)した。やがて剃髪(ていはつ)し宗誾(そうぎん)と号した。和歌、蹴鞠(けまり)などに秀(すぐ)れ、一時上洛(じょうらく)していた。その後、徳川家康のもとで武蔵(むさし)品川に屋敷を与えられ、慶長(けいちょう)19年12月28日、77歳で没した。暗愚な戦国大名として多くの逸話を伝えている。また、氏真以後は江戸期を通じて今川氏、品川氏と称して、代々高家(こうけ)として存続した。
[大久保俊昭]

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検索コンテンツ
1. 今川氏真
日本大百科全書
戦国大名。今川義元(よしもと)と、武田信虎(のぶとら)の女(むすめ)との間に生まれた。幼名五郎。上総介(かずさのすけ)。1560年(永禄3)、桶狭間(おけはざま ...
2. いまがわうじざね【今川氏真】
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一五三八―一六一四 戦国時代の武将。上総介。天文七年(一五三八)義元の子として生まれる。母は武田信虎の女。永禄元年(一五五八)すでに駿河にその発給文書がみられ ...
3. いまがわ-うじざね【今川氏真】
日本人名大辞典
1538−1615* 戦国時代の武将。天文(てんぶん)7年生まれ。永禄(えいろく)3年父今川義元の敗死で家督をつぐ。7年ほどで領国の駿河(するが)・遠江(とおと ...
4. 今川氏真[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:1件 『今川氏真の苦悶 今川政権の終焉』若林淳之 ...
5. 今川氏真印[図版]
国史大辞典
氏真 如律令 (c)Yoshikawa kobunkan Inc.  ...
6. 今川氏真花押[図版]
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc.  ...
7. あいぶちむら【相淵村】静岡県:静岡市/旧安倍郡地区
日本歴史地名大系
。永禄六年(一五六三)五月二六日に朝倉六郎右衛門尉に与えた安部西河内の諸村の棟別銭を免除する今川氏真判物(写、判物証文写)に、一三ヵ所の一つとして「大淵」が含ま ...
8. あおいさわむら【青沢村】静岡県:静岡市/旧有渡郡・庵原郡地区
日本歴史地名大系
銭の項に「三百文 あをいさわ富士給」とみえる。これを追認した永禄元年(一五五八)八月一三日の今川氏真朱印状(静岡浅間神社文書)では、富士氏知行の役銭は二〇〇文で ...
9. あおき[あをき]【青木】
日本国語大辞典
、ついで豊臣秀吉に仕え、摂津国豊島郡に千四百石の地を宛行なわれたという。その子一重は、最初は今川氏真に属した後、秀吉に仕えている。その後、徳川家康より、摂津国豊 ...
10. あおきごう【青木郷】静岡県:静岡市/旧有渡郡・庵原郡地区/青木村
日本歴史地名大系
同一八年八月一一日の駿府浅間社社役目録(村岡大夫文書)および永禄元年(一五五八)八月一三日の今川氏真朱印状(静岡浅間神社文書)で、駿府浅間社(静岡浅間神社)の五 ...
11. あおやむら【青谷村】静岡県:天竜市
日本歴史地名大系
今川義元から安堵されている(「今川義元判物」同文書)。今川氏真も永禄五年青谷弥太郎に青谷村内の地を安堵している(同年二月一六日「今川氏真判物」同文書)。弘化三年 ...
12. あかおしぶたれこおりべじんじゃ【赤尾渋垂郡辺神社】静岡県:袋井市/赤尾村
日本歴史地名大系
川義元判物写」木原権現由来記)。永禄四年(一五六一)二月四日には今川氏真が本領などを認め、随善坊の再建を命じている(「今川氏真判物写」長楽寺文書)。長楽寺は木原 ...
13. あか‐ぐすり【赤薬】
日本国語大辞典
二水銀)とでつくった赤色の丸薬。腹痛など、急病に用いた。*甲陽軍鑑〔17C初〕品四〇下「駿河今川氏真公、馬のあか薬(クスリ)、元来は公方光源院殿御秘蔵の御馬わづ ...
14. あかさごう【赤佐郷】静岡県:浜北市
日本歴史地名大系
えられる。永禄三年(一五六〇)一一月二八日今川氏真が「赤佐郷大宝寺領」を二俣近江守扶長の寄進地などとともに覚園寺(学園寺)に安堵している(「今川氏真判物」大宝寺 ...
15. あくみむら【飽海村】愛知県:豊橋市
日本歴史地名大系
うち男一〇九・女一一五である。村域内にはかつて大雄山吉祥院があった。永禄三年(一五六〇)一〇月の今川氏真安堵状(東観音寺蔵)の「参河国渥美郡飽海郷大雄山吉祥院事 ...
16. あさはたごう【浅服郷】静岡県:静岡市/旧安倍郡地区
日本歴史地名大系
「六給衆打かへ打かへ仕候、此内南村壱貫六百文也」と記される。永禄元年(一五五八)八月一三日のほぼ同文の今川氏真朱印状(静岡浅間神社文書)にも同様の記載がある。な ...
17. あさば【浅羽】静岡県:磐田郡/浅羽町
日本歴史地名大系
現れるのは戦国期になってからであり、海老江菊千代に宛てられた永禄三年(一五六〇)七月二〇日の今川氏真判物(海老江文書)によれば、遠州所々新田三ヵ所の一つとして浅 ...
18. あさひな【朝比奈】静岡県:志太郡/岡部町
日本歴史地名大系
永禄二年(一五五九)一二月二七日、又八郎の子と思われる朝比奈千世増は、今川氏真から朝比奈谷等を安堵されている(「今川氏真判物写」同文書)。同一二年二月晦日には成 ...
19. あしあらいのしょう・あしあらいごう【足洗庄・足洗郷】静岡県:静岡市/旧安倍郡地区
日本歴史地名大系
元朱印状写」勢州御師亀田文書)。今川氏真も永禄八年九月二八日に野呂泰広に天文一〇年以来当郷年貢米をもって扶助してきた扶持米五五俵六升を安堵している(「今川氏真判 ...
20. あしくぼむら【足久保村】静岡県:静岡市/旧安倍郡地区
日本歴史地名大系
、同百文、内巻大岩殿方」と記される。これとほぼ同文のものが、永禄元年(一五五八)八月一三日に今川氏真朱印状(静岡浅間神社文書)として出されている。以上より、戦国 ...
21. あじろむら【網代村】埼玉県:川越市地図
日本歴史地名大系
条氏康・同氏政連署書状写(古今消息集)に「河越庄内網代郷」とみえ、河越城に援軍として籠城した今川氏真の家臣小倉内蔵助に論功行賞として宛行っている。年月日未詳の北 ...
22. あたごごう【阿多古郷】静岡県:天竜市
日本歴史地名大系
はなく、同氏の同名衆や公文と称された土豪の所領も存在した。永禄八年飯尾氏は今川氏真に討たれ(同九年一〇月一日「今川氏真判物」都筑家文書)、同九年二月一〇日に松平 ...
23. あちがやむら【阿知ヶ谷村】静岡県:島田市
日本歴史地名大系
永禄三年(一五六〇)一一月一四日、今川氏真は東光寺領として安智谷地頭方の寄進した護摩田・阿弥陀田、同じく領家方の寄進した二斗五升の地などを安堵している(「今川氏 ...
24. あつはらむら【厚原村】静岡県:富士市/旧吉原市・鷹岡町地区
日本歴史地名大系
通り吉原へ至る右左口路に位置し、永禄四年(一五六一)には厚原に新関が設けられていた(八月二五日「今川氏真朱印状」井出文書)。この関は前年五月の桶狭間の戦における ...
25. 安土桃山時代(年表)
日本大百科全書
信長、北伊勢を攻略。9月信長、足利義昭を奉じて入京、義昭、将軍となる1569(永禄12)5月今川氏真、掛川城を徳川家康に譲る。閏5月上杉輝虎と北条氏康和睦157 ...
26. あの・あののしょう【阿野・阿野庄】静岡県:沼津市/旧駿東郡地区
日本歴史地名大系
安堵し(「今川義元判物写」祥雲寺文書)、今川氏真も同六年四月一二日に青野の日蓮宗寺院妙泉寺に対し「於阿野庄拘置名職」を検地増分とともに安堵している(「今川氏真印 ...
27. あべ-のぶかつ【安部信勝】
日本人名大辞典
1552−1600 織豊時代の武将。天文(てんぶん)21年生まれ。安倍元真(もとざね)の子。今川氏真,のち徳川家康につかえる。小牧・長久手(ながくて)の戦い,蟹 ...
28. あべやま【安部山】静岡県:静岡市/旧安倍郡地区
日本歴史地名大系
た祖父弟孫次郎遺跡分を安堵する今川氏真判物(保阪潤治氏所蔵文書)に、遺跡分の一つとして「安部之内夫丸壱人」とみえる。同年五月二六日の朝倉六郎右衛門尉宛の今川氏真 ...
29. あまがたじょうあと【天方城跡】静岡県:周智郡/森町/向天方村
日本歴史地名大系
て、天方本城の南南東一・七キロの所に山城を築いた。これが通称天方城である。同一二年徳川家康は今川氏真を国外に追放。同年六月天方城は徳川軍に包囲されて降伏し、次い ...
30. あめのみやじんじゃ【天宮神社】静岡県:周智郡/森町/天宮村
日本歴史地名大系
月二〇日「今川氏真判物」同文書)。同七年九月九日、今川氏真は遠江国人らの反逆に際し、大膳亮に国家安泰の祈念を命じ、忠節の賞として蔵入となっている一四貫の地の返却 ...
31. あらいしゅく【新居宿】静岡県:浜名郡/新居町
日本歴史地名大系
船頭・櫓手の粮米・荷物以下諸役を免除している(「今川氏真判物」中村文書)。この頃新居では関銭(通行税)を徴収していた(永禄六年九月九日「今川氏真判物写」同文書) ...
32. あらいせきしょあと【新居関所跡】静岡県:浜名郡/新居町/新居宿
日本歴史地名大系
知行した今川氏の家臣中安安定の非法を土豪の中村源左衛門らが訴える事件があり、翌六年九月九日の今川氏真判物写(中村文書)に「新居関銭不同ニ書載之条、五拾貫文ニ相定 ...
33. あんざいごう・あんざい【安西郷・安西】静岡県:静岡市/旧安倍郡地区
日本歴史地名大系
四年め安西寺田、五年目一花堂方、如此打返し」と記されている。永禄元年(一五五八)八月一三日の今川氏真朱印状(静岡浅間神社文書)でも同様の記載がみられるが、そこで ...
34. あんどう-さだまさ【安藤定正】
日本人名大辞典
1548−1590 織豊時代の武将。天文(てんぶん)17年生まれ。今川氏真(うじざね)につかえ,永禄(えいろく)11年の武田信玄との戦いではおおくの家臣が信玄に ...
35. あんどうのしょう・あんどう【安東庄・安東】静岡県:静岡市/旧安倍郡地区
日本歴史地名大系
永禄四年(一五六一)四月五日には今川氏真が「駿河国安東内東陽院并遠江国観音寺」の寺領を、増善寺長老の指南によって両寺の開山である囿虎の弟子順虎に住持職として譲る ...
36. あんまごう【安間郷】静岡県:浜松市/旧長上郡・豊田郡地区/安間村
日本歴史地名大系
に行われなくなっていたと考えられる。永禄七年(一五六四)一月四日、今川氏真は後藤真正に「新知」として安間を与えている(今川氏真判物写「紀伊国古文書」所収藩中古文 ...
37. いい-じろうほうし【井伊次郎法師】
日本人名大辞典
戦国大名今川氏の重臣井伊直盛の娘。父は桶狭間(おけはざま)の戦いで戦死,跡をついだ養子直親(なおちか)も今川氏真(うじざね)に謀殺されたため家督をつぐ。「女にこ ...
38. いいだごう【飯田郷】静岡県:浜松市/旧長上郡・豊田郡地区/上飯田村
日本歴史地名大系
文、野銭六貫文とある。永禄三年(一五六〇)一〇月二〇日、今川氏真が松井又七郎に蒲飯田村の本給七貫五〇〇文などを安堵している(「今川氏真判物」天野文書)。同年一二 ...
39. いいだじょうあと【飯田城跡】静岡県:周智郡/森町/飯田村
日本歴史地名大系
進状写」崇信寺文書)。山内氏は戦国期には今川氏に属した。永禄一二年(一五六九)六月徳川家康は今川氏真を国外に追放、飯田城は徳川氏に攻略されて城主山内氏らは討死し ...
40. いいだむら【飯田村】静岡県:周智郡/森町
日本歴史地名大系
下飯田大滝田地弐段」は、山内三郎によって押領されていた。また永禄七年(一五六四)九月二七日、今川氏真は当地観音寺(現廃寺)の寺領中村・鎮守田五町を安堵し、この寺 ...
41. いい-なおちか【井伊直親】
日本人名大辞典
跡をつぎ,遠江(とおとうみ)(静岡県)井伊谷(いいのや)城主となる。謀反の風説がたったため,今川氏真(うじざね)に弁明におもむく途中,永禄(えいろく)5年12月 ...
42. 井伊直政
日本大百科全書
幼名は万千代。井伊氏は代々西遠江の名族で、父直親(なおちか)は織田・徳川氏と通じているとの理由で、主君今川氏真(うじざね)によって謀殺された。わずか2歳であった ...
43. いいなおまさ【井伊直政】
国史大辞典
遠江国引佐郡祝田村(静岡県引佐郡細江町)に生まれる。父直親、母奥山親朝の女。同五年父が讒により今川氏真に殺され本領井伊谷(いいのや、静岡県引佐郡引佐町)を奪われ ...
44. いい-なおまさ【井伊直政】
日本人名大辞典
永禄(えいろく)4年2月19日生まれ。井伊直親(なおちか)の子。天正(てんしょう)3年徳川家康の小姓となり,今川氏真(うじざね)に殺された父の旧領遠江(とおとう ...
45. いいのや【井伊谷】
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撃にあい、三嶽城で敗れて失敗した。井伊氏は以来今川氏の被官としてこの地を基盤に実力を蓄積し、今川氏真のころになると徳川家康らとともに離反、菅沼・近藤・鈴木らの井 ...
46. いいのやむら【井伊谷村】静岡県:引佐郡/引佐町
日本歴史地名大系
促す氏経の書状(同文書)が出された。その一方で、九月一四日に銭主瀬戸方久は今川氏真から井伊谷の買得地の安堵を受けており(「今川氏真判物」瀬戸文書)、徳政令にどれ ...
47. いえやまごう【家山郷】静岡県:榛原郡/川根町/家山村
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)。永禄八年(一五六五)八月一日、今川氏真は討死した鈴木孫二郎の知行地を子の鈴木尉に安堵しており、その知行地からの年貢高の合計は三〇貫文余であった(「今川氏真判 ...
48. いおうじ【医王寺】愛知県:南設楽郡/鳳来町/長篠村
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の創立という(大洞山泉竜院史)。本寺は泉竜院(現新城市)である。永禄年間(一五五八―七〇)の今川氏真寄進状(東大史料編纂所蔵)によると茶湯料五貫文を寄付されてい ...
49. いかわ【井河】静岡県:静岡市/旧安倍郡地区
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50. いけがやむら【池ヶ谷村】静岡県:静岡市/旧安倍郡地区
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奥池ヶ谷村ともいう(旧高旧領取調帳)。戦国期には池谷と記される。永禄六年(一五六三)五月二六日に今川氏真が朝倉六郎右衛門尉に与えた安部西河内の諸村の棟別銭を免除 ...
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