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  11. 寿桂尼
日本大百科全書(ニッポニカ)
寿桂尼
じゅけいに
[?―1568]

戦国大名今川氏親(いまがわうじちか)の正室。今川氏輝(うじてる)・義元(よしもと)の母。京都公家(くげ)中御門宣胤(なかみかどのぶたね)の娘。1526年(大永6)氏親が没すると幼少の氏輝の代行および後見として尽力。36年(天文5)、氏輝の没後生じた家督争い(花倉(はなくら)の乱)では、太源崇孚(たいげんすうふ)(雪斎(せっさい))とともに実子義元につき、義元の異母兄の玄広恵探(げんこうえたん)(良真(りょうしん))を倒した。寿桂尼は氏親没後以降、自ら「帰」という印文のある印判を用い、領国支配に関する文書を30点近く発給しているが、これは戦国女性としては異例であり、また『言継卿記(ときつぐきょうき)』の弘治(こうじ)2年(1556)には「大方(おおかた)」とみえるなど、今川氏のなかにあってその政治的立場は重要であった。しかし桶狭間(おけはざま)の戦い以降、今川氏が衰退するなかで永禄(えいろく)11年に没した。
[久保田昌希]

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真田幸村(真田信繁)(日本大百科全書(ニッポニカ))
安土桃山時代の武将。本名信繁。昌幸の次男。1586年(天正14)豊臣秀吉の臣となり、94年(文禄3)豊臣信繁の名で従五位下左衛門佐に叙任した。妻は秀吉の奉行大谷吉継の女。のち父昌幸、兄信之とともに徳川家康に臣従したが、関ヶ原の戦いには
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織田信長(日本大百科全書(ニッポニカ))
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寿桂尼の関連キーワードで検索すると・・・
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検索コンテンツ
1. 寿桂尼
日本大百科全書
もに実子義元につき、義元の異母兄の玄広恵探(げんこうえたん)(良真(りょうしん))を倒した。寿桂尼は氏親没後以降、自ら「帰」という印文のある印判を用い、領国支配 ...
2. じゅけいに【寿桂尼】
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?−1568 戦国時代,今川氏親(うじちか)の妻。中御門宣胤(なかみかど-のぶたね)の娘。今川氏輝(うじてる),義元(よしもと)の母。大永(たいえい)6年氏親が ...
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4. あんざいじあと【安西寺跡】静岡県:静岡市/駿府城下/馬場町
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5. いけしんでんむら【池新田村】静岡県:小笠郡/浜岡町
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昌桂寺」(現小笠町の正林寺)に安堵されている。これより先、大永六年(一五二六)一二月二六日の寿桂尼朱印状(同文書)で、「にいの池なりしん田百ちよう」が、亡夫今川 ...
6. 今川氏親[文献目録]
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7. いまがわ-うじちかの-つま【今川氏親妻】
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8. いまがわうじてる【今川氏輝】画像
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十分で、家臣の横暴がめだった。そのためか、母の寿桂尼が後見役として国政を行なったらしく、享禄年間(一五二八―三二)には氏輝の判物のかわりに、寿桂尼の朱印状(印文 ...
9. いまがわ-うじてる【今川氏輝】
日本人名大辞典
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10. 今川義元画像
日本大百科全書
戦国大名。今川氏親(うじちか)の三男。母は中御門宣胤(なかみかどのぶたね)の女(むすめ)(寿桂尼(じゅけいに))。幼名は芳菊丸。最初駿河(するが)国富士郡今泉( ...
11. いまがわ-よしもと【今川義元】
日本人名大辞典
1519−1560 戦国時代の武将。永正(えいしょう)16年生まれ。今川氏親の子。母は寿桂尼。兄氏輝の死で駿河(するが)・遠江(とおとうみ)(静岡県)を領国とす ...
12. 印章 16[別刷図版]画像
国史大辞典
今川氏親 今川氏親 「氏親」 今川氏親 「紹貴」 今川氏親後室寿桂尼 「帰」 今川義元 「承芳」 今川義元 「義元」 今川義元 「義元」 今川義元 「如律令」  ...
13. うつたにごう【内谷郷】静岡県:志太郡/岡部町/内谷村
日本歴史地名大系
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14. うめがやむら【梅ヶ谷村】静岡県:清水市/旧庵原郡地区
日本歴史地名大系
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15. うるしばたごう【漆畠郷】静岡県:藤枝市/築地村
日本歴史地名大系
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16. かどやむら【門屋村】静岡県:小笠郡/浜岡町
日本歴史地名大系
門屋村とみえ、村内に設定された高松社の経田が安堵されている。永禄七年(一五六四)一二月吉日の寿桂尼朱印状は高松社神主に「門屋村若宮之前」の七月一日祭田を安堵し、 ...
17. かみいずみむら【上泉村】静岡県:志太郡/大井川町
日本歴史地名大系
小字のようなものも認められる。大永七年(一五二七)四月七日、今川氏親後室寿桂尼が村内心月庵の諸役を免許している(「寿桂尼朱印状」玖延寺文書)。永禄五年(一五六二 ...
18. きゅうえんじ【玖延寺】静岡県:天竜市/阿蔵村
日本歴史地名大系
川氏の北遠支配の拠点の一つであったと考えられる。享禄三年(一五三〇)六月二七日、今川氏親後室寿桂尼は阿蔵村玖延寺に対し二俣昌長からの寄進地および朝比奈時茂からの ...
19. くつのやむら【沓谷村】静岡県:静岡市/旧安倍郡地区
日本歴史地名大系
問所に赴任し、蓮永寺に寄宿している(日本滞在記)。龍雲寺はかつては真言宗で、のち今川氏親の室寿桂尼が葬られ、大応仏慧を開山として曹洞宗増善寺末となった(前掲新風 ...
20. けごんいん【華厳院】静岡県:小笠郡/大東町/上土方落合村
日本歴史地名大系
段を寄進した(井伊直勝寄進状)。享禄四年(一五三一)閏五月一日、今川氏親後室寿桂尼が当寺に禁制を下している(寿桂尼朱印状)。小笠原氏は天文一一年(一五四二)一〇 ...
21. こくふ・ふちゅう・じょうふ・すんぷ【国府・府中・城府・駿府】静岡県:静岡市
日本歴史地名大系
大永六年六月一二日の駿河国皮革職人彦八に屋敷地を安堵する今川氏親朱印状(七条文書)をはじめとして、寿桂尼朱印状(同文書)、今川義元判物(村岡大夫文書など)、天文 ...
22. こくぶんじ【国分寺】静岡県:静岡市
日本歴史地名大系
在していたと考えられ、駿府浅間社の供僧寺であったと思われる。享禄三年(一五三〇)三月一八日の寿桂尼朱印状(長谷寺文書)によると、駿河国府の新長谷寺が買得して千代 ...
23. こめぐらむら【米倉村】静岡県:周智郡/森町
日本歴史地名大系
享禄三年(一五三〇)六月三〇日、今川氏親室寿桂尼から「米蔵郷極楽寺」に寺領一町五反が安堵された。ただし一町五反のうち五反は勝福寺持徳庵(正福寺自徳庵)領というと ...
24. ささま・ささまごう【篠間・篠間郷】静岡県:榛原郡/川根町/笹間村
日本歴史地名大系
れている(「岩本信長・道音連署書出」同文書)。永禄二年(一五五九)一二月二三日、今川義元の母寿桂尼は岡埜谷五郎右衛門尉に「さゝまの郷ひなたむらわきかうち」の百姓 ...
25. ささまむら【笹間村】静岡県:榛原郡/川根町
日本歴史地名大系
あったという。永禄六年(一五六三)九月一一日、今川氏親後室寿桂尼は峰叟院に笹間郷上河内村の内で一貫八〇〇文の地を与えている(「寿桂尼朱印状写」判物証文写)。同一 ...
26. さわだごう【沢田郷】静岡県:沼津市/旧駿東郡地区
日本歴史地名大系
七日、今川氏親の未亡人寿桂尼は当地の土豪五藤善右衛門に対し、善右衛門が抱える当郷内西分の田畠屋敷の百姓職を、年貢以下の納入責任に付随した得分権として安堵している ...
27. しいのおむら【慈悲尾村】静岡県:静岡市/旧安倍郡地区
日本歴史地名大系
かわるとの説がある(「修訂駿河国新風土記」など)。大永七年(一五二七)四月七日の今川氏親後室寿桂尼の朱印状(玖延寺文書)によると、遠江国上泉村(現大井川町)の心 ...
28. しょうりんじ【正林寺】静岡県:小笠郡/小笠町/高橋村
日本歴史地名大系
弔うため昌桂寺を建て、大永六年(一五二六)一二月二六日には氏親後室寿桂尼から新野池成新田(現浜岡町)の寄進を受けるなど(「寿桂尼朱印状」正林寺文書)、今川氏歴代 ...
29. しんじゅいん【真珠院】静岡県:清水市/旧庵原郡地区/梅ヶ谷村
日本歴史地名大系
加え(「今川氏親判物」真珠院文書)、天文一八年(一五四九)一〇月四日氏親の後室寿桂尼は梅ヶ谷村のうち田地一町四反を寄進している(「寿桂尼朱印状」同文書)。天正一 ...
30. するがのくに【駿河国】静岡県
日本歴史地名大系
氏親の死後、嫡男氏輝が相続するが、年若く病弱であったようで、氏親の正室で公家中御門宣胤の娘である寿桂尼がしばらく後見を勤めていた。天文五年に氏輝が没すると、氏輝 ...
31. せいけんじ【清見寺】静岡県:清水市/旧庵原郡地区/清見寺町
日本歴史地名大系
弘治三年(一五五七)二月一五日、駿府に滞在していた山科言継は、今川義元に勧められて船で当寺に到着、義元の母寿桂尼が届けた赤強飯や食籠に詰められた食物、酒などを賞 ...
32. たいせきじ【大石寺】静岡県:富士宮市/上条村
日本歴史地名大系
受けるようになる。享禄二年(一五二九)三月一九日、氏親後室寿桂尼はさきに氏親が当寺に与えた諸役免除の判物紛失を証し、改めて門前の諸役・棟別を免除している(「寿桂 ...
33. ちょうけいじ【長慶寺】静岡県:藤枝市/下之郷村
日本歴史地名大系
この寺と当寺の関係は不明。泉庄を現清水町に比定する説がある。天文一八年(一五四九)一一月二三日の寿桂尼朱印状(徳願寺文書)に「したの郡うつたりの郷のうち、ちやう ...
34. ついじむら【築地村】静岡県:藤枝市
日本歴史地名大系
親の息子彦五郎(定源寺殿)の菩提所円隆寺(現曹洞宗円良寺)があり、今川氏真は同寺に竜雲寺殿(寿桂尼)寄進の寺領を安堵し、増善寺(現静岡市)の末寺としている。翌一 ...
35. とおとうみのくに【遠江国】静岡県
日本歴史地名大系
要害化していく様子が描かれている。この頃遠江の政治的中心は見付から懸川に移った。泰熙の子泰能は氏親の妻寿桂尼の姪の中御門氏を妻に迎え、氏輝・義元と義理の従兄弟の ...
36. とくがんじ【徳願寺】静岡県:静岡市/旧有渡郡・庵原郡地区/向敷地村
日本歴史地名大系
現在、当寺には天文一八年(一五四九)一一月二三日の今川氏親後室寿桂尼の朱印状二通と同月晦日の長慶寺方年貢書出が残されている。寿桂尼朱印状は内谷郷(現岡部町)に所 ...
37. はりまのくに【播磨国】兵庫県
日本歴史地名大系
発給し、事実上の戦国大名となった。女性の印判状は、のち洞松院を真似たかと思われる駿河の今川氏親後室寿桂尼の印判状があるが、女性戦国大名は希有の例となる。現存する ...
38. ふたまたごう【二俣郷】静岡県:天竜市
日本歴史地名大系
施行状」熊野速玉神社文書など)。当郷の範囲は明確ではないが、享禄三年(一五三〇)六月二七日の寿桂尼朱印状写(玖延寺文書)に「ふたまた阿蔵むら」とみえ、阿蔵村を含 ...
39. ほうじょううじのり【北条氏規】画像
国史大辞典
母は今川氏親の娘。天文十四年(一五四五)に生まれる。幼少時代は今川氏への人質とされ駿府で祖母寿桂尼に養われたが、この時期にのちの徳川家康と知合いになったといわれ ...
40. まつどみむら【松富村】静岡県:静岡市/旧安倍郡地区
日本歴史地名大系
た。享禄四年(一五三一)三月二三日、今川氏親後室寿桂尼は「しやうふかや」に酒井惣左衛門が庵を建立したのを受けて竹木伐採を免除している(「寿桂尼朱印状」酒井文書) ...
41. まんごくむら【万斛村】静岡県:浜松市/旧長上郡・豊田郡地区
日本歴史地名大系
天竜川の氾濫原であるため旧河道が多い。万石・万国とも書く。大永六年(一五二六)一二月二八日の朝比奈泰能宛の寿桂尼朱印状(沢木文書)に「遠州みそのゝうち万石」とみ ...
42. みそのごう【御園郷】静岡県:浜北市
日本歴史地名大系
大永六年(一五二六)一二月二八日、今川氏親後室寿桂尼が朝比奈弥次郎泰能に、「遠州みそののうち万石の六郎左衛門屋しき」を砦とするために、屋敷地の諸役を免除している ...
43. みょうかいじ【妙海寺】静岡県:沼津市/旧駿東郡地区/沼津町/本町
日本歴史地名大系
)。のち沼津に戻り、永禄二年(一五五九)六月一八日には、寿桂尼が「ぬまつ郷之内当寺中并門前」の棟別・諸公事・諸役等を免除している(寿桂尼朱印状)。永禄六年三月二 ...
44. みょうかくじ【妙覚寺】静岡県:沼津市/旧駿東郡地区/沼津町/本町
日本歴史地名大系
)。翌年には寿桂尼が、当寺の買得した畠・屋敷等を義元の判物の旨に任せて安堵し、また祈願所に準じて諸役を免除している(五月二三日寿桂尼朱印状)。永禄六年(一五六三 ...
45. やまひがしむら【山東村】静岡県:天竜市
日本歴史地名大系
。享禄三年(一五三〇)六月二七日の寿桂尼朱印状写(玖延寺文書)に「山ひかしのうち、朝比奈下野守時茂新田畠同山ともにきしん状のことく」とみえ、今川氏親後室寿桂尼は ...
46. ゆやまむら【油山村】静岡県:静岡市/旧安倍郡地区
日本歴史地名大系
役を免除されている(「今川義元朱印状」杉山文書)。当地の奥からは温泉が湧き出ており、義元の母寿桂尼らが弘治二年(一五五六)一〇月に湯治に訪れている(「言継卿記」 ...
「寿桂尼」の情報だけではなく、「寿桂尼」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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