NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
ジャパンナレッジは約1700冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 社会
  6. >
  7. 地域
  8. >
  9. 都道府県・市町村・地名
  10. >
  11. 大東町(静岡県小笠郡)

大東町(静岡県小笠郡)

ジャパンナレッジで閲覧できる『大東町(静岡県小笠郡)』の日本歴史地名大系のサンプルページ

大東町
だいとうちよう

面積:四五・九九平方キロ

小笠郡の西部にあり、南は遠州灘に面し、北は掛川市・袋井市、西は大須賀おおすか町、北東は菊川きくがわ町、東は小笠町・浜岡はまおか町に接する。町の北西は小笠山丘陵、北東は牧之原まきのはら台地丘陵部の一部から構成され、海岸部は天竜川の運んだ砂が堆積して砂丘地帯を形成している。また牧之原台地を水源とし、町域を縦貫して遠州灘に注ぐ菊川と、小笠山丘陵から流れる支流の下小笠川・佐束さづか川、牧之原台地から流れる支流の牛淵うしぶち川が下流部で合流するため、昭和になって河川改修が進むまで菊川はしばしば氾濫した。一方、これらの河川の恩恵を受けられない中央部の丘陵地帯には江戸時代から明治期にかけて灌漑用溜池が多数作られ、下小笠川右岸には北から小笠池・西にし池・はやし池・渡辺わたなべ池・長谷ながや池・しん池・居沼いぬま池などがあり、下小笠川左岸と佐束川右岸の丘陵には北から堂西どうざい池・かい沢奥さわおく池・かい沢口さわくち池・日向ひなた池・尾沢おざわ池・近江おうみ池・毛森奥けもりおく池・西之谷東にしのやひがし池・西之谷西池・池・兼政かねまさ池などがあり、また佐束川左岸にも山田やまだ池などがみられる。

古代は城飼きこう(のち城東郡と改称)に属し、土形ひじかた郷・狭束さづか郷に含まれたとみられる。北部にある比奈多乃ひなたの神社は延喜式内社と目されており、土方ひじかたの地名も応神天皇の長子大山守命の子孫である土形君にちなむとされ、町の北西部、掛川市境に位置する小笠山には文武天皇の意向により熊野三山の那智神社を勧請したと伝えられる小笠神社がある。同丘陵を南下した所に高天神たかてんじん城跡があり、今川氏没落ののち遠州の地で攻防戦を繰返した武田氏・徳川氏は、最前線である同城の攻防を繰返した。江戸時代は城東きとう郡に属し、天保郷帳によると二八村が町域に含まれた。横須賀藩領の村が多かったが、旗本領の村もあった。浜野はまの村出身の国学者八木美穂により記録された横須賀藩内の地誌「郷里雑記」によれば、遠州灘の砂丘地帯の開発は同藩の奨励のもとに行われ、寛政四年(一七九二)藩主西尾忠移が藩士塩田信助を讃岐国高松藩に派遣し、甘蔗栽培と製糖法を学ばせたとされ、また遠浅の海岸を利用しての地引網漁も、藩主西尾忠善が文化年間(一八〇四―一八)に安房国から漁師を招請し、領内の漁民に伝習させたとされる。明治二二年(一八八九)の町村制施行により千浜ちはま村・三俣みつまた村・三浜みはま村・大坂おおさか村・なか村・岩滑いわなめ村・佐束村・土方村が成立、同二九年小笠郡に所属。昭和一七年(一九四二)三俣村と三浜村が合併して陸浜むつはま村、同一八年岩滑村と佐束村が合併して佐束村が成立。同三〇年大坂村と陸浜村が合併して大坂村、同年佐束村と土方村が合併して城東村が成立。同三一年大坂村と千浜村が合併して大浜町が成立。同年城東村に中村が合併、同四八年城東村と大浜町が合併して大東町が成立した。現掛川市の大日本報徳だいにほんほうとく(明治四四年社名変更により発足)を中心とした報徳社運動は、明治六年以降急速に県内各地に普及したが、なかでも小笠郡は磐田郡と並び群を抜いて第一次世界大戦前一四九社に及んでいる。当地に星川ほしかわ報徳社が永井貞次郎ら一三人でつくられたのが明治二八年で、三二年には入山瀬いりやませ報徳社、三三年中方なかほう報徳社、三六年嶺向みねむかい報徳社、三九年落合おちあい報徳社・下土方報徳社が相次いでつくられている。

江戸時代には相良さがら(現相良町)への横須賀よこすか街道が南部を東西に横断していたが、現在ではこれに代わり国道一五〇号が浜松―静岡を結んでいる。また主要地方道相良―大須賀線、同掛川―大東線、県道掛川大東―大須賀線、同中方なかほう―千浜線、同大東―菊川線、同大東―相良線、同袋井―小笠線などが近隣市町村への主要道路として利用されているが、昭和四四年の東名高速道路菊川インターチェンジ、同四七年の国道一五〇号小笠バイパス、同年の掛川インターチェンジの開設、小笠山へのサッカー場などの誘致により南北の交通路が発展した。昭和五二年二月静岡県大井川広域水道企業団の大井川広域水道が設立され、一県四市一〇町が構成団体となり、大東町もこれに加盟した。また昭和五三年には本川根ほんかわね町の長島ながしまダムの水を利用した灌漑用水給水の計画が立てられ、当町もダム完成の後はこの恩恵を受けることとなる。

上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。


大東町(静岡県小笠郡)の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 387
※検索結果は本ページの作成時点のものであり、実際の検索結果とは異なる場合があります
検索コンテンツ
1. おおひがしちょう【大東町】京都市:上京区/仁和学区地図
日本歴史地名大系
上京区一条通御前通西入 町の北寄りを一条通(旧一条大路)が通り、町の西は天神通(旧西靫負小路)。一条通付近は平安京の一条大路(一〇丈、約三〇メートル)にあたり、 ...
2. だいとうちょう【大東町】岩手県:東磐井郡
日本歴史地名大系
。大原村は同三六年、摺沢村は昭和二二年(一九四七)に町制を施行、同三〇年二町三ヵ村が合併して大東町となった。産業面では古くから栽培されている葉煙草・養蚕を中心に ...
3. だいとうちょう【大東町】静岡県:小笠郡
日本歴史地名大系
同三一年大坂村と千浜村が合併して大浜町が成立。同年城東村に中村が合併、同四八年城東村と大浜町が合併して大東町が成立した。現掛川市の大日本報徳社(明治四四年社名変 ...
4. だいとうちょう【大東町】島根県:大原郡
日本歴史地名大系
潮村の六村が成立。同三六年大東村が町制を施行。昭和二六年(一九五一)大東町・春殖村・幡屋村・佐世村・阿用村が合併して大東町となり、同三一年海潮村を編入した。大正 ...
5. いちのせきし【一関市】[変更地名 2005年9月20日]岩手県(旧室根村・旧千厩町・旧川崎村・旧東山町・旧大東町・旧花泉町・旧一関市)
日本歴史地名大系
川崎村・東山町・大東町、西磐井郡花泉町が合併 ⇒【室根村】岩手県:東磐井郡 ⇒【千厩町】岩手県:東磐井郡 ⇒【川崎村】岩手県:東磐井郡 ⇒【東山町】岩手県:東磐 ...
6. いちのせきし【一関市】[変更地名 2011年9月26日]岩手県(旧藤沢町・旧一関市)
日本歴史地名大系
2011年9月26日:一関市が東磐井郡藤沢町を編入 ⇒【藤沢町】岩手県:東磐井郡 ⇒【一関市】[変更地名]岩手県  ...
7. うんなんし【雲南市】[変更地名 2004年11月1日]島根県(旧大東町・旧加茂町・旧木次町・旧三刀屋町・旧掛合町・旧吉田村)
日本歴史地名大系
2004年11月1日:大原郡大東町・加茂町・木次町、飯石郡三刀屋町・掛合町・吉田村が合併・市制施行 ⇒【大東町】島根県:大原郡 ⇒【加茂町】島根県:大原郡 ⇒【 ...
8. かけがわし【掛川市】[変更地名 2005年4月1日]静岡県(旧大東町・旧大須賀町・旧掛川市)
日本歴史地名大系
2005年4月1日:掛川市と小笠郡大東町・大須賀町が合併 ⇒【大東町】静岡県:小笠郡 ⇒【大須賀町】静岡県:小笠郡 ⇒【掛川市】静岡県  ...
9. 大東町史[文献解題]岩手県
日本歴史地名大系
二冊(既刊一冊) 大東町編 昭和五七年―(刊行中) 構成 上巻(原始―近世)  ...
10. 大東町誌[文献解題]静岡県
日本歴史地名大系
二冊 大東町大東町 昭和五九年・平成一〇年刊  ...
11. 大東町誌[文献解題]島根県
日本歴史地名大系
一冊 大東町誌編纂委員会編 大東町 昭和四六年刊  ...
12. 大東町史料[文献解題]岩手県
日本歴史地名大系
一二冊 大東町編 昭和四五―五三年刊 構成 (一)天明六年磐井郡東山人数改帳ほか、(二)芦東山上言ほか、(三)鉄山・金山関係文書、(四)寛永一九年鳥海村御検地 ...
13. あねだいとうちょう【姉大東町】京都市:中京区/柳池学区地図
日本歴史地名大系
「都すゞめ案内者」には「大ひかし町」、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」では「姉小路大東町」、明治九年(一八七六)京都区分一覧之図では「姉大東町」となる。当町に ...
14. おいけだいとうちょう【御池大東町】京都市:中京区/柳池学区地図
日本歴史地名大系
絵図に「御池大東町」とあり、筆描図系の絵図では元禄末期洛中絵図以降「大東町」となる。一方木版図系では一貫して「大ひかし町」であるが、宝暦一二年(一七六二)刊「京 ...
15. あおじま【青島】静岡県:藤枝市
日本歴史地名大系
二年正月一七日「武田信玄判物写」判物証文写)。天正六年(一五七八)一一月、遠江の高天神城(現大東町)から退却した武田勝頼は、大井川を渡って青島に陣取ったあと田中 ...
16. あおやぎ【青柳】静岡県:富士宮市/大宮町
日本歴史地名大系
「武田勝頼判物写」同古文書写)。天正四年一一月一一日、武田氏は今川家の旧臣で遠州高天神城(現大東町)の城主であった小笠原信興(氏助・長忠)を駿河に移したが、家臣 ...
17. あかいむら【赤井村】大阪府:大東市地図
日本歴史地名大系
[現]大東市赤井一―三丁目・浜町・太子田一丁目・同三丁目・氷野一―四丁目・大東町・南郷町 氷野村の南にあり、新開池(現東大阪市)・深野池干拓以前は、両池を結ぶ吉 ...
18. あかがわむら【赤川村】大阪府:大阪市/旭区地図
日本歴史地名大系
[現]旭区赤川一―四丁目、都島区大東町一―三丁目・高倉町一―三丁目・友渕町一―三丁目 東成郡に属する南北に細長い村で、北は大きく湾曲しながら西流する淀川を隔てて ...
19. あかさかしんまちさんちようめ【赤坂新町三丁目】東京都:港区/旧赤坂区地区地図
日本歴史地名大系
之間番・紅葉山御霊屋付寺社奉行支配・本丸辰之間番ら一六人。釜谷太郎兵衛は遠州海戸村(現静岡県大東町)の出身で寛文年中(一六六一―七三)から当町住居、代々相続六代 ...
20. あかつちむら【赤土村】静岡県:小笠郡/小笠町
日本歴史地名大系
書)。「遠淡海地志」によると曹洞宗安興寺(飛鳥村永江院末)がある。同寺には寛政九年成行村(現大東町)大工出野利八が京都に学んで建てたと伝えられる六角堂がある。文 ...
21. あさばちょう【浅羽町】静岡県:磐田郡
日本歴史地名大系
に氏真から安堵されている。今川氏没落後は徳川家康の支配下に入り、武田軍が攻略した高天神城(現大東町)に対する備えとして馬伏塚城が修築された。江戸時代初期の浅羽町 ...
22. あさひなごう【朝夷郷】静岡県:小笠郡/浜岡町
日本歴史地名大系
年鼻連神田増分以朝比奈専念寺分雖令寄進」とあり、この「朝比奈」も当地と推測される。鼻連崎(現大東町)の高松社神田の検地増分は本来当地の専念寺領となるべきものだっ ...
23. あしのとうざん【蘆野東山】
国史大辞典
蘆野と改め、のちまた蘆と称した。元禄九年(一六九六)十一月二十三日仙台藩領磐井郡渋民村(岩手県東磐井郡大東町)に生まれる。諱は徳林、初諱は胤保、字は世輔、または ...
24. あたらしまち【新シ町】山形県:鶴岡市/鶴ヶ岡城下
日本歴史地名大系
[現]鶴岡市大東町・苗津町・神明町 新シ町(現大東町・苗津町)は御徒町の南東にある。紙漉町の南裏にある東へ入った小路が南に折れ、苗津川岸に至る。この小路に沿った ...
25. あねやこうじどおり【姉小路通】京都市:中京区
日本歴史地名大系
桶樽や(堀川西入)をあげる。近世、本通に面した町々は、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」によれば、姉小路大東町・菊屋町・木之下町・車屋町・西姉小路町・神明町・宮 ...
26. あまがさきしんしんでん【尼ヶ崎新々田】大阪府:大東市地図
日本歴史地名大系
[現]大東市三箇一―六丁目・大東町・御領一丁目 尼ヶ崎新田の造成により無用になった深野池堤を開墾したもので、東の三箇村大箇の西縁部と西の八箇所の東縁部に分れ、と ...
27. あまがさきしんでん【尼ヶ崎新田】大阪府:大東市地図
日本歴史地名大系
[現]大東市三箇一―六丁目・大東町・御領一丁目 大和川付替え直前の元禄一五年(一七〇二)深野池のうち上三箇の西側の部分を尼ヶ崎屋又右衛門が開墾し、その名をもって ...
28. あようごう【阿用郷】島根県:出雲国/大原郡
日本歴史地名大系
神亀三年(七二六)阿用に改めたという。同書にあげる阿用社は現大東町東阿用の阿用神社とされる。中世には阿用庄が成立し、江戸時代には東阿用村・西阿用村(現大東町)と ...
29. あようしもぶんむら【阿用下分村】島根県:大原郡/大東町
日本歴史地名大系
[現]大東町下阿用 西阿用村の北東、赤川の支流阿用川下流域の東側に位置する。北は大東本郷村・大木原村。正保国絵図に村名がみえる。元禄十年出雲国郷帳によると高六一 ...
30. あようのしょう【阿用庄】島根県:大原郡/大東町
日本歴史地名大系
大東町東阿用・西阿用・下阿用一帯に比定される。元弘三年(一三三三)六月二〇日の名和長年充行状(出雲土屋家古記録抄)に「阿用四分一」とみえ、隠岐から脱出した後醍 ...
31. あんじょうむら【安城村】愛知県:安城市
日本歴史地名大系
[現]安城市安城町・新田町・弁天町・池浦町・明治本町・昭和町・大東町・桜町・御幸本町・朝日町・相生町・今池町・今本町・末広町・花の木町・小堤町・錦町・日の出町・ ...
32. あんようじまち【安養寺町】滋賀県:彦根市/彦根城下
日本歴史地名大系
[現]彦根市京町一丁目・大東町 小河町の南にある。城下成立以前に彦根村に住していたという外村三郎兵衛は佐々木氏に仕え、安養寺の預かりをしていたため安養寺三郎兵衛 ...
33. いいだむら【飯田村】島根県:大原郡/大東町
日本歴史地名大系
[現]大東町飯田 赤川と支流阿用川が合流する付近の西側に位置する。建長元年(一二四九)六月日の杵築大社造営所注進状(北島家文書)に「大東北南 同飯田縁所」とみえ ...
34. いけだむら【池田村】静岡県:静岡市/旧有渡郡・庵原郡地区
日本歴史地名大系
行中の日蓮に米・野菜を差入れた日禅尼(日位の母)、今川家旧臣でのち武田氏に仕えて高天神城(現大東町)を守った岡部丹波守らの墓がある。大慈悲院はもと真言宗で、天文 ...
35. いけみやじんじゃ【池宮神社】静岡県:小笠郡/浜岡町/佐倉村
日本歴史地名大系
いた社勢を再興。室町時代には今川氏の尊崇を受けたが、戦国末期には武田・徳川両氏の高天神城(現大東町)攻防戦の戦火を受け、社殿・神宝・古文書などを焼失した。江戸時 ...
36. いしのごう【石野郷】静岡県:袋井市
日本歴史地名大系
あったが、そのうち三町一段が同寺に寄進され、氏真からも安堵されている。氏興の子で高天神城(現大東町)城主となった信興(初め氏助)も、天正三年(一五七五)二月二四 ...
37. いずものくに【出雲国】島根県
日本歴史地名大系
佐陀庄、持田庄・長海本庄・長海新庄・岡本庄・大野庄(現松江市)、淀本庄(牛尾庄)・大原庄(現大東町)、林木庄(現出雲市)、吉田家領神西庄(園山庄、現同上)、摂関 ...
38. 出雲国風土記(風土記) 155ページ
日本古典文学全集
松江市西部で宍道湖に入る。松江市東忌部町と大東町の境の山(四二六)。八雲山ともいう。宍道湖。玉造温泉を流れる玉造川。『参究』は方角・路程から、八束郡玉湯村城床と ...
39. 出雲国風土記(風土記) 156ページ
日本古典文学全集
鳬・鴨・〓蔘あり。 宍道町金山から流れ出て宍道湖に注ぐ佐々布川。宍道町金山と大原郡大東町幡屋との境の丸倉(馬鞍)山(三七〇)。大原の郡の条の用字は幡箭山。松江 ...
40. 出雲国風土記(風土記) 158ページ
日本古典文学全集
此れすなはち国の序なり。 山本」。『職員令義解』大国条に「剗ハ塹柵ノ所」。八束郡宍道町和奈佐から大原郡大東町に越す山。大原郡側からは林垣の坂とある。宍道町佐々 ...
41. 出雲国風土記(風土記) 259ページ
日本古典文学全集
が、そこで古写本の「辛」の字が峯・夆のように見えるので諸説がある。木次町湯村の槻谷北方の谷、大東町下久野の火の谷などに擬している。鳥取県日野郡日南町へ入る道の県 ...
42. 出雲国風土記(風土記) 263ページ
日本古典文学全集
恨んで溺れさせようとした話は三三ページ四行以下。ウシホ(海水)の当て字。川の条に見える。大原郡大東町中湯石付近。海潮温泉のある村の古名か。『全書』に「意宇都忌部 ...
43. 出雲国風土記(風土記) 264ページ
日本古典文学全集
ヒトハシラ。国語のハシラは神・仏像・天子・貴人などに対する敬語数詞。当郡末には、勝部臣とある。未詳。大東町仁和寺の郡垣付近説、同町大東下分の馬田寺廃寺説がある。 ...
44. 出雲国風土記(風土記) 265ページ
日本古典文学全集
斐伊波夜比古の神。大原郡大東町大ケ谷。須佐能袁の命。同町大東。金山比古の命。同町南村。宇能活(治か)比古の命。同町大東。大己貴の命。同郡加茂町大竹。猿田彦の命。 ...
45. 出雲国風土記(風土記) 266ページ
日本古典文学全集
合わない。ナビはここの話と無関係。キナビは木(キ)+所有格のナ+樋(ヒ)か。大原郡加茂町大西と大東町仁和寺との境の山(一九六)。『雲陽誌』などは三代の高塚山(一 ...
46. 出雲国風土記(風土記) 267ページ
日本古典文学全集
八束郡八雲村と大原郡大東町との境の八雲山(四二六)。『大系』に「以下三山の里程は実距離でなく、海潮郷内の山という意の里程で同数を記したものであろう」。大原郡 ...
47. 出雲国風土記(風土記) 269ページ
日本古典文学全集
し(刈畑川)、大東町・加茂町を流れ(赤川)、斐伊川に流入する。能義郡広瀬町と大原郡大東町の境、毛無越の峠付近の山(六四一・二)かとされる。飯石郡の笑村山とは別の ...
48. いずもびんごみち【出雲備後道】島根県:総論
日本歴史地名大系
国道四三二号の一部となっている。〔湯町からの王貫峠越備後道〕(二)の道は湯町から南進して、大東町(現大東町)を経て三成町に至り、ここで(一)の道と合流して備後に ...
49. いちのせきし【一関市】岩手県
日本歴史地名大系
大正九年(一九二〇)国鉄(現JR)大船渡線一ノ関―宮城県気仙沼市間が着工、同一四年一ノ関―摺沢(現東磐井郡大東町)間が開通、昭和一〇年全通した。明治八年・同二九 ...
50. いちのせきじょうあと【一関城跡】岩手県:一関市/一関城下
日本歴史地名大系
釣山にある願成寺開基は新山城主竹内興田盛輔と伝え(一関村安永風土記)、興田盛輔は東山大原(現東磐井郡大東町)の新山城から一関新山に移ったとされるがつまびらかでな ...
「大東町(静岡県小笠郡)」の情報だけではなく、「大東町(静岡県小笠郡)」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

大東町(静岡県小笠郡)と同じ都道府県・市町村・地名カテゴリの記事
井伊谷村(日本歴史地名大系)
[現]引佐町井伊谷。現引佐町の南部、井伊谷川に神宮寺(じんぐうじ)川が合流する小盆地に立地する。「和名抄」にみえる引佐郡渭伊(いい)郷の中心をなしていたという。渭伊は井からの転化とされ、井水を神聖視する聖水祭祀を行ってきた豪族が栄えた地という
中京区(京都市)(日本歴史地名大系)
面積:一二三・三二平方キロ 京都市の中央部に位置し、北は丸太町通北及び二条城北側を回って千本通西側を境として上京区に接し、東は鴨川を境に東山区及び左京区に、南は四条通北及び大宮通以西では松原通を境に下京区に、西は北側が西小路通西、南側が西大路通東を境に右京区に接する。
大東町(静岡県小笠郡)(日本歴史地名大系)
面積:四五・九九平方キロ 小笠郡の西部にあり、南は遠州灘に面し、北は掛川市・袋井市、西は大須賀町、北東は菊川町、東は小笠町・浜岡町に接する。町の北西は小笠山丘陵、北東は牧之原台地丘陵部の一部から構成され、海岸部は天竜川の運んだ砂が堆積して砂丘地帯を形成している。
浜松市(静岡県)(日本歴史地名大系)
面積:二五六・七四平方キロ 県西部、遠州灘に面する。東は天竜川を挟み磐田郡竜洋町・豊田町、磐田市、北は浜北市、引佐郡引佐町・細江町、西は浜名郡雄踏町・舞阪町に接するほか、浜名湖に面する。市域西部から北部には洪積台地の三方原台地が広がる。南部は遠州灘に臨む海岸平野で
鳳来町(日本歴史地名大系)
面積:二六五・五五平方キロ 県の東部に位置し、北は北設楽郡設楽町・東栄町、東は静岡県磐田郡佐久間町・天竜市・引佐郡引佐町、南は引佐郡三ヶ日町、新城市、西は作手村に接する。町の東部、静岡県との境は、赤石山脈の支脈の弓張山脈で、西には木曾山脈の末端が連なる。町のほぼ中央の
都道府県・市町村・地名と同じカテゴリの記事をもっと見る


「大東町(静岡県小笠郡)」はおんな城主 直虎に関連のある記事です。
その他のおんな城主 直虎に関連する記事
鳳来町(日本歴史地名大系)
面積:二六五・五五平方キロ 県の東部に位置し、北は北設楽郡設楽町・東栄町、東は静岡県磐田郡佐久間町・天竜市・引佐郡引佐町、南は引佐郡三ヶ日町、新城市、西は作手村に接する。町の東部、静岡県との境は、赤石山脈の支脈の弓張山脈で、西には木曾山脈の末端が連なる。町のほぼ中央の
浜松市(静岡県)(日本歴史地名大系)
面積:二五六・七四平方キロ 県西部、遠州灘に面する。東は天竜川を挟み磐田郡竜洋町・豊田町、磐田市、北は浜北市、引佐郡引佐町・細江町、西は浜名郡雄踏町・舞阪町に接するほか、浜名湖に面する。市域西部から北部には洪積台地の三方原台地が広がる。南部は遠州灘に臨む海岸平野で
国府・府中・城府・駿府(日本歴史地名大系)
古代に駿河国の国衙が置かれた地。静岡平野の中央、安倍川下流の左岸に位置する。現在の静岡市中心部とされる。古代の駿河国府の比定地については、現在の駿府城跡北方の長谷通の南側あるいは北側、駿府城跡の南東地区(城内中学校・青葉小学校などを含む一帯)、駿府城跡北東の横内・上足洗方面
大東町(静岡県小笠郡)(日本歴史地名大系)
面積:四五・九九平方キロ 小笠郡の西部にあり、南は遠州灘に面し、北は掛川市・袋井市、西は大須賀町、北東は菊川町、東は小笠町・浜岡町に接する。町の北西は小笠山丘陵、北東は牧之原台地丘陵部の一部から構成され、海岸部は天竜川の運んだ砂が堆積して砂丘地帯を形成している。
中京区(京都市)(日本歴史地名大系)
面積:一二三・三二平方キロ 京都市の中央部に位置し、北は丸太町通北及び二条城北側を回って千本通西側を境として上京区に接し、東は鴨川を境に東山区及び左京区に、南は四条通北及び大宮通以西では松原通を境に下京区に、西は北側が西小路通西、南側が西大路通東を境に右京区に接する。
おんな城主 直虎に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1700冊以上(総額750万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶