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日本歴史地名大系

犬居城跡
いぬいじようあと

[現]春野町堀之内

気田けた川の右岸、犬居の標高二九〇メートルの鐘打かねうち山の山頂にある。城山ともよばれた(遠江国風土記伝)。天野氏の本城と考えられ、同氏は鎌倉後期犬居に入部、土着したと思われる。南北朝期には一族のうちには南朝方に属した家もあったが主流は北朝方として活動し、室町期から戦国期にかけて支配領域を拡大、国人領主へと成長した。戦国期には今川氏の支配下に入り、惣領家は犬居三ヶ村と称された犬居・気多けた熊切くまきりを所領とした。永禄六年(一五六三)に起こった反今川の蜂起、遠州〓劇で惣領安芸守景泰は飯尾氏・松井氏ら有力家臣の反乱に荷担した。その結果惣領職は庶流小四郎藤秀に宛行われ、寄子衆も藤秀に付属することになった(永禄六年閏一二月二四日「今川氏真判物写」尾上文書)。藤秀はその後徳川家康に従った(永禄一二年一月二日「徳川家康判物写」遠江国風土記伝)。元亀三年(一五七二)頃武田信玄の陣営にくみしたため、天正二年(一五七四)四月徳川軍の攻撃を受けた。「三河物語」によれば、徳川方は「いぬゐ(犬居)へ腰兵粮にて御働有て、瑞雲に御〓が立けれバ、諸勢は領家・堀の内・和田之谷に陣取」った。しかし大雨が降って気田川が氾濫したため兵粮を失い、水が引いた同六日三倉みくら(現森町)まで陣を引いた。天野宮内右衛門尉(藤秀)は気多郷より出て追撃し、田能たのう大久保おおくぼ(現森町)辺りで郷民も動員して徳川軍を攻撃し打破ったという。だが徳川氏は天正四年七月支城樽山たるやま勝坂かつさか両城を陥落させた(同書)

城跡は稜線上に曲輪を東西に配置し、西端の最高所に物見曲輪を置き、その東側の細長い平地を主郭とする。それに付随する曲輪が高い所の両側から東に向かって段階状に築かれ、最下段の曲輪には南東隅に木戸口(枡形虎口)を施してある。枡形虎口より土橋を渡って馬出曲輪に続き、ここの北側を半円形の空堀が走るところが大手である。城の構造は武田氏流の手法をもっているので、元亀三年から天正四年頃武田氏が犬居山中いぬいさんちゆうを支配下に入れていた時代に改築されたのだろう。県指定史跡。

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