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  11. バテレン 【伴天連・破天連・頗姪連】

バテレン 【伴天連・破天連・頗姪連】

ジャパンナレッジで閲覧できる『バテレン 【伴天連・破天連・頗姪連】』の日本国語大辞典のサンプルページ

バテレン 【伴天連・破天連・頗姪連】

解説・用例

〔名〕

{ポルトガル}padre )

(1)キリスト教が日本に伝来した当時の宣教師・神父に対する呼称。パーテレ。

*御湯殿上日記‐永祿一二年〔1569〕四月二五日「はてんれん、けふりんしいたされて」

*上井覚兼日記‐天正一二年〔1584〕五月二日「南蛮僧万天連よりも、西浦廿ケ処計之質人」

*伴天連記〔1610〜15頃〕「夫婦定る時、伴天連の前に行て」

*破吉利支丹〔1662〕「彼(かの)ばてれん共、ぜず‐きりしとが教を、尊しと云事、魚目を留て明珠とするに、ことならず」

(2)日本に伝来したキリスト教の俗称。また、その宗徒。バテレン宗。

*俳諧・信徳十百韻〔1675〕「百姓等国の悪党数千人 伴天連吟味ありぬへら也」

*放浪記〔1928〜29〕〈林芙美子〉「舞台はバテレン信徒を押し込めてある牢屋の場面で」

(3)がむしゃらで荒々しいのを特色とする唄・三味線の一風の称。文化年間(一八〇四〜一八)大坂に行なわれたもの。

*大坂繁花風土記〔1814〕此頃はやる諸芸の風儀「唱三弦。ばてれんとて我俗風専らはやる、古人を嘲弄するの風韵有、すべて目をとぢ首をふり地ひびきもせよとうなるは、当時のさま也」

語誌

(1)もとのポルトガル語に「伴天連」などの漢字をあて、その字音によって生じた語。

(2)江戸初期まではキリスト教も「伴天連宗」ほか「南蛮宗」「だいうす宗」などと称されたが、次第に「吉利支丹」が一般化した(延宝八年以降は、徳川綱吉の諱を避けて「切支丹」「切死丹」と表記された)。

(3)江戸中期から明治にかけてもキリスト教とその宗徒に対する偏見を含んだ俗称として用いられたため、江戸中期以降は(3)のような「荒々しい芸風」を意味したり、侠者の一派を「ばてれん組」と称したりすることもあった。

方言

(1)元気な娘。おてんば。バテレン徳島県811香川県小豆島054

(2)放蕩(ほうとう)者。道楽者。バテレン新潟県佐渡358

発音

〓[0]〓[0]

辞書

書言・ヘボン・言海

正式名称と詳細

表記

伴天連書言ヘボン言海


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検索コンテンツ
1. バテレン
日本大百科全書
用い、「バテレン」と称した。当時、来日した司祭はほとんどがポルトガル、スペイン、イタリア人であり、イエズス会員がもっとも多く、1610年(慶長15)には69名を ...
2. バテレン
世界大百科事典
ポルトガル語のパードレpadreに由来するキリシタン用語。司祭,神父を意味し,司祭職にある聖職者をいう。布教組織の指導的立場にあり,階級的にはイルマンの上位に位 ...
3. バテレン[カタカナ語]
イミダス 2016
[Padre 〈葡〉]【宗教】【歴史】日本にキリスト教が伝来した16世紀当時の宣教師を指す.ポルトガル語で神父,司祭を意味するパードレに由来. 2014 08 ...
4. バテレン【伴天連・破天連・頗姪連】
日本国語大辞典
の俗称。また、その宗徒。バテレン宗。*俳諧・信徳十百韻〔1675〕「百姓等国の悪党数千人 伴天連吟味ありぬへら也」*放浪記〔1928〜29〕〈林芙美子〉「舞台は ...
5. バテレン【伴天連/破天連】
デジタル大辞泉
《父・神父の意の、ポルトガルpadreから》 1 キリスト教が日本に伝来した当時の、カトリックの宣教師の称。パードレ。→イルマン 2 キリスト教およびキリスト教 ...
6. バテレン【伴天連】
国史大辞典
(父・師父の意)に由来。破天連・頗姪連・万天連・破提連の宛字もある。排耶書『南蛮寺興廃記』はバテレンは師のごときものと説明。「はてれん」の初見は永禄十二年(一五 ...
7. バテレン‐ぐみ【伴天連組】
日本国語大辞典
享保(一七一六〜三六)頃、上方の侠客の組名。*浮世草子・世間娘容気〔1717〕二「打とけててんがうもいはれず、ひとへにばてれん組(グミ)の男伊達と同船する心地に ...
8. バテレン‐しゅう【伴天連宗】
日本国語大辞典
〔名〕「バテレン(伴天連)(2)」に同じ。*評判記・吉原徒然草〔1704〜11〕五・七八「ばてれん宗とてゑびすのこわき宗旨あり」バテレンシュー ...
9. バテレン‐ついほうれい[‥ツイハウレイ]【─追放令】
日本国語大辞典
邪法として禁じ、外国人の宣教師を二〇日以内に国外追放することを命じた。バテレンツイホーレ〓 ...
10. バテレンき【伴天連記】
国史大辞典
現存する排耶書中、最古のもの。民衆を反キリシタンに導くという政策的意図をもって作られ、江戸幕府の禁教令発令と相まって排耶思想の簇生に影響を与えた。著者不詳。一 ...
11. バテレン‐しゅう【伴天連宗】
デジタル大辞泉
キリスト教の俗称。  ...
12. 伴天連追放令
世界大百科事典
キリシタン宣教師の国外追放を規定した法令のこと。(1)1587年(天正15)豊臣秀吉が九州平定後,筑前筥崎(はこざき)で発令した6月19日付け〈定〉5ヵ条。要旨 ...
13. バテレン‐ついほうれい【伴天連追放令】
デジタル大辞泉
天正15年(1587)豊臣秀吉が九州平定後、博多で発した禁令。キリシタンを邪法として禁止し、バテレンを20日以内に国外追放することを命じた。  ...
14. バテレンついほうれい【伴天連追放令】
国史大辞典
キリシタン宣教師に対する国外追放令。とりわけ、豊臣秀吉が天正十五年(一五八七)六月十九日付で発布した五ヵ条の禁制をさす。今日その写が『松浦文書』に伝存する。九 ...
15. バテレン‐もの【伴天連─】
日本国語大辞典
不可思議なもの。*酒屋〔1946〕〈中山義秀〉五「懐ろ手して梨がなったらバテレンものだ」はすっぱな女。不品行な女。《バテレンもの》宮城県仙台市123  ...
16. バテレン追放令
日本大百科全書
→宣教師追放令 ...
17. ウルガンバテレン(うるがんばてれん)
古事類苑
宗教部 洋巻 第4巻 1103ページ ...
18. キリシタン‐バテレン
日本国語大辞典
o +{ポルトガル}padre 「神父」。「バテレン」は「伴天連」とも書いた)キリスト教が日本に伝わったころの宣教師の敬称。バテレン。 ...
19. ウルガン‐バテレン【烏児干伴天連】
デジタル大辞泉
⇒オルガンチノ  ...
20. キリシタン‐バテレン
デジタル大辞泉
《和cristãoポルトガル+padreポルトガル》キリシタン布教時代の外国人宣教師で司祭職の者の称。  ...
21. ころび‐バテレン【転び伴天連】
デジタル大辞泉
江戸幕府のキリシタン弾圧・拷問により、信仰を捨てた宣教師(バテレン)。→転びキリシタン  ...
22. うるがんばてれん【宇留岸伴天連】
日本人名大辞典
⇒オルガンチノ ...
23. あか‐ぶくれ【赤膨】
日本国語大辞典
〔名〕赤い色をしてふくれていること。また、そのさま。*裸に虱なし〔1920〕〈宮武外骨〉蚤は切支丹バテレン虫か「切支丹の毒虫に咬まれる時は忽ち人体は赤脹(アカブ ...
24. あまくさぐん【天草郡】熊本県
日本歴史地名大系
同一五年豊臣秀吉の九州平定が始まると、天草五人衆は秀吉に服属し、薩摩攻略の功によって旧領を安堵された。同年バテレン追放令が出されるが、西海僻遠の天草島は宣教師た ...
25. あまくさしろうせいどうあと【天草四郎聖堂跡】熊本県:天草郡/大矢野町/中村
日本歴史地名大系
寛永一四年六月頃、千束島に山居する松右衛門・善左衛門ら五人は、二〇余年前に幕府より追放されたバテレンが書残した書(末鑑)に予言する天の使いこそ天草四郎であると喧 ...
26. ありえ【有家】長崎県:南高来郡/有家町
日本歴史地名大系
人駐在していた(「一五八五年日本年報下布教区分」イエズス会日本年報)。一五八七年の豊臣秀吉のバテレン追放令に伴い、翌年にはイエズス会のノビシアド(修練院、のち肥 ...
27. ありませみなりおあと【有馬セミナリオ跡】長崎県:南高来郡/北有馬町/北有馬村
日本歴史地名大系
ル・中浦ジュリアン・原マルチノらもこの有馬セミナリオの出身であった。天正一五年豊臣秀吉によりバテレン追放令が出され、ミヤコのセミナリオが有馬に移ってシモのセミナ ...
28. ありまのしょう【有馬庄】長崎県:南高来郡/北有馬町
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29. イエズス会
世界大百科事典
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30. いきつきしま【生月島】長崎県:北松浦郡/生月町
日本歴史地名大系
続いてジョアンが没するに伴って、平戸松浦家がキリシタン禁圧の姿勢を見せ始めた。一五八七年の豊臣秀吉によるバテレン追放令のあと、追放を余儀なくされて平戸に集まった ...
31. いきつきちょう【生月町】長崎県:北松浦郡
日本歴史地名大系
称したようである。籠手田氏の保護によってキリスト教の布教が推進され、天正一五年(一五八七)豊臣秀吉によるバテレン追放令に伴い神学校や修練院などが当島に移転してき ...
32. いこく‐ばなし【異国話】
日本国語大辞典
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33. いしだじょうあと【石田城跡】長崎県:南高来郡/有家町/堂崎村
日本歴史地名大系
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34. 以心崇伝
日本大百科全書
康の下で外交文書の書記役となるが、その後しだいに頭角を現し、幕政の枢機にあずかった。伴天連(バテレン)追放令(宣教師追放令)をはじめ、寺院法度(はっと)、公家( ...
35. イタリア
日本大百科全書
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36. いちぶむら【一部村】長崎県:北松浦郡/生月町
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37. イルマン
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38. イルマン【(ポルトガル)irmão】
デジタル大辞泉
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39. イルマン
日本国語大辞典
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40. うちめ・うちめ【内目・内海】長崎県:西彼杵郡
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47. おかだ-あきお【岡田章雄】
日本人名大辞典
をつとめた。昭和57年3月18日死去。73歳。群馬県出身。東京帝大卒。著作に「南蛮宗俗考」「バテレンの道」など。 ...
48. オルガンチノ【Gnecchi-Soldi Organtino】
デジタル大辞泉
タリアのイエズス会士。元亀元年(1570)来日、京都を中心に伝道し、「宇留岸伴天連(ウルガンバテレン)」と親しまれた。織田信長の厚遇を受け、京都に南蛮寺(教会) ...
49. オルガンチノ
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京都に南蛮寺を建立。8年安土にセミナリヨ(神学校)をひらき校長となる。宇留岸伴天連(ウルガンバテレン)の愛称でしたしまれた。慶長14年3月17日長崎で死去。77 ...
50. オルガンティノ
日本国語大辞典
安土セミナリヨ(神学校)を創立。禁教令以後は小西行長の保護を受け、慶長一四年(一六〇九)長崎で没す。ウルガン‐バテレン。(一五三〇〜一六〇九) ...
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